53話
極上のフルーツスムージーで涼を取った俺たちは、再び活気に満ちた領都ルザスの市場を歩き出していた。
「甘くて冷たいものを入れたら、今度はガツンと辛くて塩気のあるものが食いたくなってきたな」
『ニャア。ミツトメの胃袋はどうなっているのだ。だが我も肉が食いたいぞ!』
市場の奥、飲食店が立ち並ぶエリアに差し掛かると、ツンと鼻を刺すような強烈な香辛料の匂いが漂ってきた。
前世でタイ料理屋やインド料理屋の前を通った時に感じる、あの食欲をダイレクトに刺激するスパイシーな香りだ。
「おっ、いい匂い……ん?」
匂いの発生源である一軒の屋台の前で、俺は足を止めた。
そこでは、屈強な冒険者風の男たちが、口から火でも噴きそうな顔で咳き込みながら水を大量に飲んでいたのだ。
「カハッ、ゲホッ! 辛ぇぇぇっ! 親父、いくらなんでも『炎獄辛子』を入れすぎだ! 舌が麻痺して味がわからねぇよ!」
「だ、だらしねぇな! 南部の男ならこれくらい汗かいて食い切れってんだ!」
屋台の親父(細身の獣人)が腕を組んで言い返しているが、男たちはギブアップして逃げるように去っていってしまった。
「……随分と尖った商売をしてるな」
俺が近づいていくと、親父は悔しそうに鍋の中をかき混ぜていた。
「おう、お客さん。ウチの『マッドボア挽肉のスパイス炒め』、食っていくかい? 南部の熱気を吹き飛ばす自慢の激辛料理だぜ!」
「いい匂いはするんだがな。ちょっと一口味見させてくれないか?」
親父が小皿に取り分けた挽肉炒めを、備え付けのパンに乗せて口へ運ぶ。
「……ッ!! カッラ!!」
噛んだ瞬間、暴力的な辛味が舌を刺し、ブワッと毛穴が開いて汗が噴き出した。
だが、四十代の様々なメシを食ってきた舌は、辛味の奥にある「欠陥」を正確に見抜いていた。
「……親父さん。これ、確かに辛くて香草の香りは良いが、致命的に『旨味』と『甘み』が足りないぞ。ただ塩と唐辛子で炒めただけだろう?」
「うっ……! そ、それを言われると痛ぇな。刺激を追い求めすぎた結果、どうにも味が単調になっちまって、常連が離れ気味なんだよ」
「やっぱりな。辛い料理ってのは、ただ辛ければいいってもんじゃない。奥底に強烈な旨味と、ほんの少しの甘みがあってこそ、辛さが活きるんだ」
俺は袖をまくり、インベントリから「魔法の調味料」を召喚した。
(呼び出すのは……牡蠣の旨味が凝縮された『オイスターソース』! そして、独特の風味と塩気を持つタイ料理の魂、『ナンプラー』だ!)
「親父さん、場所を少し借りるぞ。俺が『本当のスパイス炒め』の手本を見せてやる」
俺はフライパンを強火にかけ、油を引いてニンニクと『炎獄辛子』を焦がさないように炒めて香りを出す。
そこへマッドボアの挽肉を投入し、色が変わってきたところで、たっぷりの香草を加えた。
仕上げに、オイスターソース、ナンプラー、そしてほんの少しの砂糖を一気に鍋肌へ回し入れる。
ジュワァァァァァッ!!
その瞬間、ただ鼻を刺すだけだった辛い匂いが、暴力的なまでの『旨味を含んだエキゾチックな香り』へと劇的に進化した。
「な、なんだこの香りは!? 今まで俺が作ってた炒め物とまったく次元が違うぞ!」
親父が目を丸くして驚愕している。
「これだけじゃない。激辛料理には、こいつが必須だ」
俺は別のフライパンに多めの油を引き、以前の街で手に入れた『コカトリスの卵』を一つ落とした。多めの油で揚げるように焼き上げ、白身の縁がカリッとし、黄身はトロトロの半熟状態の『完璧なフライドエッグ』を作る。
皿に炊きたての白飯を盛り、先ほど炒めた挽肉をたっぷりとかけ、その頂上に半熟の目玉焼きを鎮座させる。
「完成だ。特製『異世界ガパオライス(目玉焼きのせ)』だ」
『ニャアアッ! 辛そうなのに、とてつもなく美味そうな匂いがするニャ!』
『ピロロロッ! 目、目から汗が出てきますが、食欲のブレーキが壊れそうです!』
俺はスプーンで、半熟の黄身を「ぷちっ」と潰した。
トロトロの黄金の黄身が、激辛の挽肉と白飯に絡みついていく。それを一気にすくい上げ、口の中へ放り込んだ。
「……っっっ!! うんまァァァァッ!!」
最初にガツンと来るのは、炎獄辛子の鮮烈な辛味とバジルの香りだ。
だが、その直後、オイスターソースとナンプラーの奥深い旨味が怒涛のように押し寄せてくる。
そして何より、半熟の黄身だ。コカトリス卵の濃厚なまろやかさが、暴力的な辛味を優しく包み込み、完璧なバランスへと中和しているのだ。
俺はすかさず、インベントリでキンキンに冷やしておいた『ラガービール』をジョッキに注ぎ、喉の奥へ流し込んだ。
「くぅぅぅぅぅぅぅっ!! 最高だ!!」
強烈なスパイスの余韻と脂を、冷たい炭酸とビールの苦味が爽快に洗い流す。
辛い、美味い、ビール。辛い、旨い、ビール! 無限ループの完成である。
「お、お客さん! 俺にもその『ガパオライス』ってやつを一口食わせてくれ!」
たまらず店主の親父もスプーンを手に取り、一口頬張った。
「ォォォオオオッ!! なんだこりゃぁぁっ! 俺の作った挽肉が、甘みと旨味の魔法で完全に生まれ変わってやがる! そしてこのトロトロの卵! 辛いのにスプーンが止まらねぇ!」
顔中から汗を噴き出しながら、親父は涙を流して挽肉と飯を掻き込んだ。
『ニャムニャム! 辛いニャ! 水、水を寄こすニャ! でも美味いニャ! 食べるのが止まらないニャ!』
『ハァ、ハァ……! マスター、これは味覚の荒行です! しかし、不思議と神の羽が軽くなるような高揚感があります!』
クロとシロも、辛さにジタバタと悶えながらも、器の底を綺麗に舐め尽くしていた。
「親父さん、これが旨味と甘味の力だ。この二つの調味料の作り方を教えておくから、明日から試してみな」
俺がナンプラーとオイスターソースの概念を軽く説明すると、親父は深く頭を下げた。
「アニキ! 一生ついていきます! この街の新しい名物になること間違いなしだぜ!」
南部の強烈な暑さの中で、汗をダラダラ流しながら食う激辛のガパオライスと、キンキンに冷えたビール。
これだから、四十代のおっさんのスローライフはやめられない。俺は心地よい満腹感とスパイスの高揚感を胸に、ルザスの街を後にする準備を始めるのだった。
【第53話:完】
収穫: 激辛のスパイス炒め、至高の異世界ガパオライスの完成。
知識更新: 激辛料理は「旨味」と「甘味」、そして「半熟の目玉焼き」があって初めて完成する。
現在の気分: 汗をかいた後のビールは、神の雫に等しい。




