51話
大陸を南へ下り、反時計回りで大陸を一周する新たなルートへ足を踏み入れた俺たち。
監視の目があった交易都市ファルサスも、さすがに帝国領の南端までは追ってこないだろうとあたりをつけ、気楽な旅を再開していた。
「……やはり、異世界と言えども南は暑いな」
植生がだんだんと広葉樹からジャングルっぽく変わり、ムワッとした湿気を帯びた景色を眺めながら、俺は石畳の街道を歩き続けた。整備された石畳は歩きやすく、中年のオジサンには優しい。
「石の上は歩きやすいけど、硬さで足の裏が痛くなってくるな。クロもシロも、少しは自分で動かんの?」
『……ニャ』
肩を挟んで、頭を後ろ、お尻を前にして暑さで完全に「スライム状(液状化)」に溶けた黒猫が、三本もある尻尾をペチペチと俺の頬に叩きつけるだけの返事をする。
『この視界の悪さの中、マスターより離れると護衛が完璧に遂行できませんので』
シロも左肩で姿勢を正してはいるが、明らかに暑さでバテている。
【ナビ:もっともらしいことを言っていますが、頭上が木に覆われているので自由に飛べない言い訳ですね。だらけきった黒猫は論外です。ただ、「猫は液体である」という地球の理論は正しいと、もうすぐ物理的に証明されそうですが】
そんなくだらないやり取りをしながら歩いていると、突然、ジャングルの奥から甲高い悲鳴のような鳴き声が聞こえてきた。距離はそう遠くない。
「ナビ、この声はなんだ?」
【ナビ:どうやらゴリラ種の子供のようです。それを人間が囲っています。人間側は子供が三人、大人が二人の計五人。ゴリラ側は、鳴き声に反応して群れが集まり始めています】
どちらにも理由がありそうなので、俺は問答無用で排除したりせず、気配を殺して近くの茂みに潜伏し、様子を見ることにした。
――だが、そこで繰り広げられていたのは、目を覆いたくなるような最悪の『遊び』だった。
「ザック様、ゴリラどもが集まり始めたようです。数が多いので、そろそろ移動の準備を……」
「お前、僕の護衛だろう! 魔物じゃあるまいし、ただの獣くらい薙ぎ倒せるだろう! それとも、この剣の切れ味をゴリラじゃなく、お前で試そうか? あぁ? どうなんだ!」
怒鳴り散らす身なりだけは立派な少年(十二、三歳くらいか)の手には、青白く輝く業物の剣が握られていた。
そして彼の足元には、弄ばれるように体中を浅く切り刻まれたゴリラの子供と、彼らがおびき寄せるのに使ったであろう食べ物が散乱していた。
同じ群れのゴリラたちだろう。凄まじいスピードで木々を揺らし、助けに飛び出してくる。
しかし、それを二人の大人(護衛)が魔法や剣の峰打ちで次々と薙ぎ倒していく。それでも、ゴリラたちは何匹倒れても突撃を止めない。倒れたゴリラも、血を流しながら体を引きずって子供の元へ進もうとする。
やがて、ひと際体の大きい『ボスゴリラ』が群れと人間の間に立ち塞がり、護衛の攻撃をその身に浴びながらも、決して一歩も引かずに前進を続けた。その隙に、群れの仲間が倒れた者を支え、傷だらけの子供を助け起こそうとする。
(……あぁ、ダメだ)
俺の頭に、カーッと血が上るのがはっきりわかった。
現場の安全も命も軽視する、クソみたいな『元請けのドラ息子』。前世の現場で一番嫌いだった人種だ。
ドンッ!!
俺は『身体強化』を瞬間的に最大出力で起動し、護衛二人の懐へと弾丸のように飛び込んだ。
護衛も訓練されているようで咄嗟に剣を盾にしてガードしてきたが、俺はその上から容赦なく蹴りを叩き込んだ。
バキィッ!! という骨の折れる感触と共に、護衛二人が数十メートル後方の木まで吹き飛ぶ。
(まぁ、ポーションでどうとでもなる世界だ。死ななければどうということはない。流石に殺すと寝覚めが悪いしな)
「ひぃっ!?」
突然の乱入者に、取り巻きの子供二人がガタガタと震えて腰を抜かした。
剣を持っていたリーダー格の少年も、カタカタと震えながら俺に切っ先を向け、強がって吠えた。
「ぼ、僕はルザス伯爵の長男、ザックだぞ! 僕の護衛に手を出したんだ、本来ならば打ち首でも文句は言えないところだが……こ、このまま僕を街まで護衛するなら、特別に許してやってもいい!」
「寝言は寝て言え、クソガキ」
俺は少年の手から青白い剣を奪い取り、そのままインベントリの虚空へと『没収(強制収納)』した。
「えっ……? け、剣が消え……」
呆然とする少年を無視し、俺は血だらけで荒い息を吐くボスゴリラに歩み寄った。
「どうしたい? こんな親の七光りでしか語れない矮小な人間のために、あんたたちが手を汚すことはないと思うけど?」
俺の言葉が通じたのか、ボスゴリラは俺を無言で一瞥すると、振り返り、怪我をしている群れと子供を庇うようにして森の奥へ歩き出した。
「よかったな。お前が卑下し弄んだゴリラたちは、お前のことなど眼中にないとよ」
俺が少年を見下ろして言うと、ザックは顔を真っ赤にして叫んだ。
「フ、フン! わがルザス伯爵家の威光に恐れをなしただけだろう! まぁ、僕をコケにした罪は許してはやらんがな! すぐに街に戻って兵を向けてやr」
バチンッ!!
「あべっ!?」
反省の色ゼロ。自分が見逃してもらったことすら理解できないバカの口元に、俺は手加減した軽い平手打ちを叩き込んだ。
「き、貴様、こんなk」
バチンッ!
「ゆるさn」
バチンッ!
「なっ」
バチンッ! バチンッ! バチンッ! バチィィィィィン!!
まるでリズムゲームのように、言葉を発するたびに往復ビンタを叩き込む。少年の頬がみるみるうちに赤く腫れ上がっていった。
「……お怒りはごもっともです。ですが、これ以上は私どもも看過できません」
いつの間にか折れた腕を押さえて戻ってきた護衛の一人が、俺の拳を必死の形相で受け止めた。
「遅いぞ! 貴様、護衛だろう! こいつを殺せぇぇっ!」
いまだに謝罪の一つも出てこず、他人の力に頼り切った貴族のガキの叫びに、俺の拳に再び力がこもりかけた、その時。
【ナビ:マスター。このままですと、ゴリラでさえ呆れて見逃したこんなつまらない小物を殺すことになりますが、よろしいのでしょうか? まぁ、殴ればスッキリするとは思いますが、マスターの望むスローライフは完全に遠ざかりますよ】
「……っ」
ナビの冷や水のようなツッコミに、俺はスッと冷静さを取り戻した。そうだ、ここでこいつを殺せば、俺はただの指名手配犯だ。
俺は護衛の手を振り払い、冷たく言い放った。
「ガキのしつけくらい、周りの大人がしっかりしとけ。安全管理もできない奴に、剣を握らせるな」
俺は振り返り、森へ帰ろうとしていたゴリラたちのもとへ向かった。
護衛たちは、どうやら自分たちも少年の行いに呆れていたのか、殺さないように手加減して戦っていたらしく、ゴリラ側に死者は一匹も出ていなかった。
俺はインベントリから『回復ポーション』を取り出してゴリラたちに振りかけ、詫びとして大量の果物や野菜を置いてやった。
「ナビ、ヤツの家に行くぞ。……親玉(責任者)と直接話をして、現場の環境改善を確約させんとな」
【ナビ:ルザス伯爵の屋敷は、領都ルザスにあります。ここから南東に三十分ほどの距離です】
――三十分後。
領都ルザスの中央にそびえ立つ、立派な伯爵邸の応接室。
俺は、驚くほど話のわかる常識人だった『ルザス伯爵(当主)』と、高級な紅茶を飲みながら向かい合っていた。
「……なるほど。愚息が、そのような非道な振る舞いを。護衛達から報告はきいていましたが」
伯爵は、俺が突き出したザックの剣(証拠品)を見て、深くため息をついた。
「ええ。魔物を狩るのは人間の営みとして否定しませんが、意思を持ち、むやみに人を襲わない動物を弄ぶのは、領内の安全管理上、見過ごせない問題かと」
俺が現場監督のトーンで理路整然とクレームを申し立てると、伯爵は深々と頭を下げた。
「貴殿の仰る通りです。ザックの素行不良には私も頭を悩ませておりました。……あれは、母親が幼いころに亡くなり、不憫で甘やかしすぎたかもしれません。その後すぐに弟が生まれて、私も平等に接しているつもりだったのですが……。廃嫡し、修道院へ叩き込むことは簡単ですが、前の妻の忘れ形見。今年一年厳重な監視下において矯正します。来年には帝都学院に行ってさらに貴族というモノを学ぶでしょう。甘いと思われるかもしれませんが」
「それもいいと思います。ただ、結果はダイレクトに領民に跳ね返ります。貴族として生きられないならばそれを認めるのも親の役目かと。ああ、それと、あの森のゴリラたちの庇護もお願いしますよ」
「ええ、約束しましょう。我が領地の人、自然を守るのも、領主の務めですから」
話のわかるトップで本当に助かった。もし親もクソなら、屋敷ごとインベントリに収納して更地にする羽目になっていたかもしれない。
「さて、スッキリしたところで、美味い南国フルーツでも探しに市場へ行くか」
『ニャ。ようやく飯の時間ニャ! 我はバナナが食いたいぞ!』
『マスター、感情をコントロールし、対話で問題を解決する。さすがは私の主です』
南部のジャングルで少しばかり血圧が上がってしまったが、四十代のおっさんの旅は、また平和なスローライフの軌道へと戻っていくのだった。
【第51話:完】
収穫: 伯爵家との友好的なコネクション、森の動物たちの安全確保。
知識更新: クレームは下っ端(ドラ息子)に言っても無駄。トップ(当主)に直接通すのが現場解決の最適解である。
現在の気分: 往復ビンタの感触が少し手に残っているが、紅茶が美味かったので忘れることにする。




