46話
交易都市ファルサスのバザールは、今日も底なしの活気に溢れていた。
前日の「ガチャポン」騒動の熱気も冷めやらぬ中、俺たちは食後の腹ごなしも兼ねて、香辛料や珍しい素材を扱うエリアを散策していた。
「ん……? なんだこの匂い。青臭いというか、土臭いというか」
俺が立ち止まったのは、山積みの麻袋を前にして暇そうにしている商人の露店だった。
「おや、お客さん。こいつに興味があるのかい? 悪いことは言わねぇ、やめときな」
商人は苦笑いしながら、麻袋の中に入っている『緑色をした小さな豆』をすくい上げた。
「こいつは南の密林で採れる『泥苦豆』って代物でね。煮出して飲むと強烈な眠気覚ましになるんだが……とにかく泥水のように苦くて不味い。夜警の兵士が罰ゲーム代わりに飲むくらいで、全く売れねぇ不良在庫さ」
俺はその豆を一粒手に取り、マジマジと観察した。
(……おいナビ、これってどう見ても)
【ナビ:はい。成分を解析した結果、地球における『コーヒー豆(生豆)』と99%一致します。この世界の住人は、焙煎の工程を知らず、生豆のまま煮出しているため泥のような味がするようです】
「やっぱりか!」
俺は心の中でガッツポーズをした。
前世界で残業明けや休憩時間に必ず飲んでいた、あの「黒い命の水」。異世界に来てからずっとお茶か酒ばかりだったが、ついにカフェインの神様が微笑んでくれた。
「親父さん、この泥苦豆、麻袋ごと全部買うよ」
「えっ!? いや、本当に不味いんだぞ!? ……まぁ、買ってくれるなら銅貨数枚でいいが」
タダ同然で大量のコーヒーの生豆を手に入れた俺は、足早に宿の厨房へと戻った。
「さて、ここからが大人の時間の始まりだ」
俺はフライパンを火にかけ、生豆をザラザラと流し込んだ。
コーヒーは「焙煎」で味が全て決まる。俺は弱火でじっくりと、焦がさないように木べらで豆を転がし続けた。
数分後。パチパチッ! と豆が爆ぜる音(1ハゼ)が鳴り始め、豆の色が緑から美しい茶褐色へと変化していく。
同時に、あの特有の「香ばしくも深みのある香り」が厨房いっぱいに立ち上った。
『ニャッ!? なんだこの香りは! さっきまでの泥臭さが嘘のように、芳醇な匂いに変わったぞ!』
『ピロロロッ! 匂いを嗅いだだけで、頭の霧が晴れていくような清々しさです!』
クロとシロが、コンロの周りをウロウロしながら興奮し始めた。
「よし、深煎りのフレンチローストってところだな」
粗熱を取った後、俺は空間魔法を展開した。
「インベントリ、極小空間切断。対象は豆のみ。粗さは……ペーパードリップ用の中細挽きで頼む」
ボフッ! という音と共に、焙煎された豆が一瞬にして「完璧に均一なコーヒー粉」へと変わった。摩擦熱も発生しない、異世界最強のコーヒーミルだ。
「ここからは現代文明の力(召喚)を借りるぞ」
(呼び出すのは……『コーヒードリッパー』『ペーパーフィルター』! そしてお供には『ホットケーキミックス』と『メープルシロップ』だ!)
ドリップポットから、細いお湯をコーヒー粉に静かに注ぐ。
フワァァァッ……と粉がドーム状に膨らみ(ハンバーグと呼ばれる現象だ)、新鮮なコーヒーの香りが爆発した。
隣のコンロでは、ホットケーキを分厚く、ふっくらと焼き上げる。
表面にたっぷりのバターを乗せ、琥珀色のメープルシロップを滝のようにかける。
「お待たせしました。特製『ホットケーキ』と『淹れたてコーヒー』のセットだ」
『ニャアアッ! この丸くて甘い匂いのするパン、美味そうニャ!』
クロが早速ホットケーキに齧りつく。
『ニャムニャム……甘い! フワフワで甘くて幸せの味がするニャ!』
「そこで、この黒い飲み物を一口飲んでみろ」
クロがカップに口をつけ、ズズッと啜る。
『……ビガァァァッ!? に、苦いニャ! なんだこの黒い汁は!』
「ほら、すぐにもう一口、シロップたっぷりのホットケーキを食ってみろ」
『ニャ? ……ニャムッ。……ッッッ!?』
クロの尻尾がピーン!と直立した。
『甘い! さっきよりホットケーキが甘く感じるニャ! そして、口の中に残った苦味が、次のホットケーキを無限に欲しがらせる……! 甘い、苦い、甘い、苦い! なんニャこの永久機関は!!』
そう、これこそがマリアージュだ。
単体では苦いだけのコーヒーが、極上のスイーツと合わさることで、互いの味を何倍にも引き立て合う。
『マスター、私も少しよろしいですか?』
シロは召喚した牛乳と砂糖を少しだけコーヒーに加え、カフェオレにして優雅に飲んでいる。
『素晴らしい……。苦味の奥に、確かな果実のような酸味と深いコクがあります。この飲み物は、魔法使いの魔力回復や、学者の研究のお供として、世界をひっくり返すほどの価値がありますよ!』
俺はブラックのまま、熱いコーヒーを一口飲んだ。
「……はぁぁぁぁ。染みる」
これだ。激務な現場の合間に、缶コーヒーを飲んで一息ついていたあの感覚。それを、異世界の極上の環境で、最高の淹れたてで味わっている。
「甘いパンケーキと、苦いブラックコーヒー。……まさに大人の休日の味だな」
交易都市の不良在庫は、俺の知識と魔法によって、至福のティータイムを彩る『黒いダイヤ』へと生まれ変わった。
これで明日の朝も、優雅なコーヒーで目覚めることができる。俺の異世界スローライフのQOLは、留まるところを知らずに爆上がりしていた。
【第46話:完】
収穫 : 大量のコーヒー豆、至福の珈琲タイムの獲得。
知識更新 : 空間魔法は摩擦熱を出さないため、香りを全く損なわない究極のコーヒーミルとなる。
現在の気分: 異世界で飲む挽きたてコーヒーは、前世界の三倍美味く感じる。




