45話
交易都市ファルサスのバザールを満喫した翌日。
俺たちは、街の外れにある『職人街』へと足を運んでいた。カンカンと鉄を打つ音や、木材を引くノコギリの音が響き渡り、むせ返るような熱気と活気に満ちている。
「いやぁ、現場の匂いがするな。前世の血が騒ぐぜ」
『マスターは本当にこういうむさ苦しい場所が好きですね。私の純白の羽が煤で汚れてしまいそうです』
『フンッ、軟弱な鳥ニャ。我は油と鉄の匂いも嫌いじゃないぞ』
肩の上の二柱が言い合っていると、路地裏の小さな工房から、ドガシャァァン! という派手な破壊音と、初老のドワーフの怒声が聞こえてきた。
「クソッタレがぁっ! なんで水を吸い上げた先から、下に落ちちまうんだ!」
気になって工房を覗き込むと、頑固そうなドワーフの親方が、井戸の上に設置された「奇妙な鉄の筒とレバー」を前にして頭を抱えていた。
「どうしたんだ、親方」
俺が声をかけると、ドワーフは充血した目でこちらを睨んだ。
「あん? 見りゃわかるだろ。魔石を使わずに、女子供でも腕の力だけで簡単に深い井戸から水を汲み上げる物を発明しようとしてるんだ。だが、レバーを引いて水を吸い上げても、レバーを戻した瞬間に水が全部下へ逆流しちまう!」
なるほど。この世界では、水は魔法使いや高価な『水魔石』に頼るか、人力で重いバケツを引き上げるしかないらしい。彼のような職人が、一般庶民のためのインフラを開発しようとしているわけだ。
だが、元・設備管理者の俺から見れば、彼の装置には「致命的なパーツ」が欠けていた。
「親方、管の中を見せてみろ」
俺はポンプのシリンダー部分を覗き込み、ニヤリと笑った。
「吸い上げる力は足りてる。足りないのは、逆流を防ぐための『逆止弁』だ」
「ギャクシベン……? なんだそりゃ?」
俺は近くにあった木炭を拾い、工房の床に簡単な図面を描き始めた。
「いいか。水が通る管の途中に、こういう『蝶番のついたフタ(スイング式)』か、『重い球体(ボール式)』を仕込むんだ。水を吸い上げる時は水の力でフタが開く。だが、水が下に落ちようとすると、水の重さと自重でフタがピタッと閉じて穴を塞ぐ」
「……ッ!!」
図面を見た瞬間、ドワーフの親方の目がカッと見開かれた。職人だからこそ、その単純かつ完璧な物理法則の美しさに気づいたのだろう。
「天才か、あんた!? なんで今までこんな簡単なことに気づかなかったんだ! 一方通行のフタ……これなら、魔力がなくても水が落ちねぇ!!」
親方は俺を放り出し、猛烈な勢いで作業台に向かい、革と鉄のパーツを組み合わせて即席の『逆止弁』を作り上げた。
それをポンプの管の途中に組み込み、再び井戸にセットする。
「いくぞ……!」
親方が祈るようにレバーを上下に動かす。
ガチャン、ガチャン、ガチャン……。
バシャァァァァァッ!!
数回のポンピングの後、勢いよく鉄の蛇口から、氷のように冷たく澄み切った井戸水が吹き出した。レバーから手を離しても、逆止弁が機能しているため、次にレバーを引けばすぐに水が出る。
魔法を一切使わない、完全機械式の『手押しポンプ(ガチャポン)』が異世界に誕生した瞬間だった。
「で、出たァァァッ! 成功だ! これで庶民の女子供でも、重いバケツを引かずに綺麗な水が飲み放題になるぞ!」
親方はボロボロと涙をこぼし、ポンプの水で顔を洗った。
「素晴らしい発明です、マスター! これは人々の生活を根本から変える『文明の進歩』ですよ!」
シロが興奮気味に羽ばたく。
「まぁ、俺が考えたわけじゃない。先人の知恵の受け売りさ」
「恩人よ! あんたの名前を教えてくれ!ミツトメか!ならばこの装置を『ミツトメ式汲み上げ装置』として国中に売り出す!」
「絶対にやめろ。目立ちたくないんだ。名前なら『ガチャポン』とでもしておけ」
俺は笑いながら、止めどなく溢れ出る冷たい井戸水に手を差し出した。
「……それにしても、地下深くから汲み上げたばかりの井戸水、めちゃくちゃ冷たくて気持ちいいな。親方、この水、少し借りるぞ」
俺はインベントリから鍋とカセットコンロを取り出し、たっぷりのお湯を沸かした。
(呼び出すのは……日本の夏の風物詩『そうめん《揖保乃糸》』! そして『ストレートめんつゆ』と『刻みネギ』だ!)
沸騰したお湯にそうめんをパラパラと入れ、わずか二分で素早く引き上げる。
そして、完成したばかりのガチャポンから溢れ出る『氷のように冷たい井戸水』で、そうめんの粗熱を一気に取り、両手で揉み洗いしてヌメリを取る。この「冷水で締める」工程こそが、そうめんのコシと喉越しを決める命だ。
「よし、特製『冷やしそうめん』の完成だ。親方も食ってみろ」
木箱の上に氷と共に盛られた、真っ白で細い麺。
親方とクロ、シロの前に、めんつゆの入った器を置く。
『ニャアッ! この細い糸みたいな麺、ツルツルして涼しげニャ!』
クロが器用に麺をめんつゆに潜らせて啜る。
「……ズズッ! ッッッ!! なんだこの細い麺は!」
ドワーフの親方が目を剥いた。
「キンキンに冷えてやがる! 噛めばプツッと心地よい歯ごたえがあり、この黒い甘塩っぱい汁が麺に絡んで、喉の奥へスルスルと滑り落ちていく! 暑い工房での作業後に、これほど完璧な食い物があるか!」
『ピロロロロッ! 氷結魔法に頼らず、機械の力で引き上げた大地の恵みの冷水が、この料理の価値を極限まで高めています! 素晴らしい清涼感です!』
シロもめんつゆの香りにすっかり魅了されている。
俺もネギと生姜をたっぷりと入れたつゆで、そうめんを豪快に啜った。
「……美味い。やっぱり夏(異世界だけど)はこれに限るな」
ドワーフの親方は、ポンプの成功と冷やしそうめんの感動で、すっかり俺を「機械と料理の神」のように崇め始めてしまった。
「あんたの残してくれた『逆止弁』の図面は、俺の工房の宝にするぜ! これでファルサスの街のインフラを一気に底上げしてやる!」
「ああ。だが水回りの革は定期的に交換しろよ。メンテナンス(保守点検)こそが設備の命だからな」
元・設備管理者のほんの少しの知識(バルブの構造)が、この異世界の文明を少しだけ前に進めた。
とはいえ、俺にとっては「美味いそうめんを冷やすための水」が手に入ったことの方が、何倍も重要な大収穫だった。
【第45話:完】
収穫 : ガチャポンの完成、極上の冷やしそうめん。
知識更新 : 逆止弁《チャッキ弁》の構造一つで、ファンタジー世界の水事情は劇的に改善する。
現在の気分: 自分の知識が現場で役立つのは、いくつになっても気持ちのいいものだ。




