41話
海風に背中を押されるようにして、俺たちはグラン・ヴァロワ帝国の西の港町、『セイレン』へと足を踏み入れた。
街中にはカモメの鳴き声が響き、白亜の建物が太陽の光を反射して眩しく輝いている。そして何より、街全体を包み込む「潮の香り」が俺のテンションを静かに、しかし確実に引き上げていた。
「まずは市場だな。美味い海鮮は、一番活気のある場所で探すに限る」
『ニャア! 魚の匂いがプンプンするぞミツトメ! 我の野生が疼くニャ!』
『クロ、よだれが垂れていますよ。神としての品格を保ちなさい』
肩の上の二柱の(元)神様(猫と小鳥)を連れ、俺は港に隣接する巨大な海鮮市場へと向かった。
市場はまさに戦場のような活気に満ちていた。
「へいらっしゃい! 今朝あがったばかりの『オクトパス・スライム』だよ! 新鮮でコリコリだ!」
「こっちは『大王ホタテ』だ! 殻を器にして酒蒸しにすると最高だぜ!」
ファンタジー世界ならではの巨大で奇妙な海産物が所狭しと並べられている。
そんな中、ひと際大きな人だかりができている魚屋があった。
「おおおっ! すげぇな、今日のは一段とデカいぜ!」
「さすがは『海竜の落とし子』とも呼ばれる『カイザーマグロ』だ。装甲みたいなウロコが光ってやがる」
群衆の隙間から覗き込むと、そこには全長二メートルを超える、メタリックブルーに輝く巨大な魚が横たわっていた。フォルムはマグロに似ているが、その表面は硬そうな装甲鱗に覆われている。
「親父さん、その『カイザーマグロ』、一ブロック売ってくれないか?」
俺が声をかけると、ねじり鉢巻をした筋骨隆々の魚屋の親父がニヤリと笑った。
「おっ、お客さん目が高いな! こいつの腹の肉は、トロけるような極上の脂が乗ってて最高なんだ。……ただな」
親父は巨大な出刃包丁をドンッとまな板に突き立てた。
「このカイザーマグロ、ウロコと皮が鉄板みたいに硬くてよ。解体にすげぇ時間がかかるんだ。今から捌くから、半日くらい待ってもらわねぇと……」
「半日か。それなら、俺が自分で捌くから、丸ごと一匹売ってくれないか?」
俺の言葉に、周囲の客と親父が目を丸くした。
「おいおい冗談だろ、おっさん! 剣の達人でもこいつの皮を綺麗に剥ぐのは至難の業だぜ!? 身がボロボロになっちまうぞ!」
「まぁ、俺には『秘密の解体道具』があるんでね」
俺は金貨を支払い、巨大なカイザーマグロをまるごとインベントリに収納した。
「なっ!? 空間魔法の使い手だったのか……!」と驚く親父たちを尻目に、俺は足早に市場を後にし、海が見える静かな岩場へと移動した。
波の音が聞こえるプライベートな岩場。
俺はブルーシートを敷き、その上にドスンッとカイザーマグロを出した。
「さて、ダンジョンのモース肉で実証済みの『全自動・超精密解体』の出番だ。ナビ、カイザーマグロの骨格、装甲鱗、そして赤身とトロの境界線を視覚化してくれ」
【ナビ:了解しました。ARガイドを投影します。この魚、外殻は硬いですが、内部の身は驚くほど繊細です】
「任せろ。現場の作業は繊細さが命だ。空間魔法……『部位切断・選択収納』!」
空間を切り取る魔法が発動する。
鉄板のように硬い装甲ウロコと皮だけが「パカッ」と綺麗に外れ、その下から、ルビーのように美しい赤身と、霜降りのような脂が乗ったピンク色のトロが姿を現した。
血合いや中骨も一瞬で分離し、ブルーシートの上には、完璧なブロック状になったマグロの身だけが残る。
「完璧だ。刺身包丁すら要らないな」
『マスターの空間魔法、もはや神の奇跡より精密ですね……』
シロが呆れたように呟く。
俺はサクを一口大に切り分け、皿に美しく盛り付けた。
(合わせるのは……もちろん『本醸造の醤油』、そして『本ワサビ』。酒は『純米大吟醸(冷酒)』だ!)
鮫皮のおろし金で、生の本ワサビを円を描くように「の」の字で擦りおろす。ツンとした爽やかな香りが潮風に混ざる。
小皿に醤油を垂らし、ワサビを少し乗せた大トロの刺身を、醤油に軽く潜らせて口へ運んだ。
「……っっっ!!」
舌に乗せた瞬間、カイザーマグロの濃厚な脂が、俺の体温でジュワッと溶け出した。
だが、決してくどくない。本ワサビの爽やかな辛味と、醤油の香ばしさが脂の甘みを極限まで引き立て、口の中で完璧なハーモニーを奏でている。
すかさず、ガラスのお猪口に注いだキンキンに冷えた純米大吟醸をクイッと煽る。
「くぅぅぅぅぅっ!! 最高だ!!」
フルーティーな吟醸香と、米の澄み切った旨味が、口の中に残る魚の脂をサァッと綺麗に洗い流し、ただただ幸福感だけが残った。
『ニャアアアッ! 美味い! 美味すぎるニャ! 魚の身が噛む前に消えたぞ! なんだこの黒い汁(醤油)と緑の薬味は! 魔法か!?』
クロが顔を醤油だらけにして大トロを貪る。
『お行儀が悪いですよクロ! ……ッ!? な、なんという上品な味わい! 海の恵みと、この調味料の完璧な調和! マスター、これは神界の宴でも出たことがない至高の逸品です!』
シロもクチバシを器用に使って、赤身の刺身を堪能している。
「ははっ、ゆっくり食え。マグロはまだ山ほどあるからな」
青く澄み渡る海を眺めながら、極上の刺身と冷酒を味わう。
獣人国での武闘大会も、ダンジョンでのトラブルも、すべてはこの一杯の冷酒を最高に美味くするためのスパイスだったのかもしれない。
「……海に来て、本当に良かった」
波の音と、神様二柱の咀嚼音だけが響く静かな岩場。
俺の理想とするスローライフが、ここ港町セイレンで、ついに完璧な形で実現しようとしていた。
【第41話:完】
収穫 : 丸ごと一匹のカイザーマグロ、至高の刺身と冷酒タイム。
知識更新 : 鉄のウロコを持つファンタジー魚も、空間魔法の前ではただの切り身にすぎない。
現在の気分: 刺身と日本酒。日本人に生まれて良かった。




