4話
フォレストボアの討伐から戻ると、冒険者ギルドの受付嬢ミラさんは目を丸くして固まっていた。
「ほ、本当に一人で……しかも無傷で!?」
「ああ。少し運が良かっただけだよ。依頼の達成証明と、素材の買い取りを頼めるかな」
空間魔法からボアの牙を取り出すと、周囲の荒くれ者たちの視線がスッと変わるのを感じた。面倒事は御免なので、適当に誤魔化して銀貨五枚を受け取る。魔石や一部の美味しい肉は、俺の個人的な「資産」としてインベントリに温存してある。
「ミラさん、この街で少しばかり設備の良い宿を教えてくれないか。温かい湯舟に浸かりたくてね」
「それなら、西通りにある『木漏れ日亭』がお勧めです。魔道具の給湯器があって、お湯が使えるんですよ」
礼を言い、ギルドを後にした。
紹介された宿の扉を開けると、中は清潔感のある木造りのロビーだった。だが、カウンターの奥から何やら不穏な音が聞こえてくる。
「くそっ、なんで今日に限って! ガスッ、ガスッ!」
宿の主人が、壁に据え付けられた巨大な金属の箱を蹴り飛ばしていた。シューシューと情けない音を立てており、どうやらそれがミラさんの言っていた「魔力給湯器」らしい。
「あの……宿泊をお願いしたいんだが」
「ああっ、すまないねお客さん! 今、湯沸かしの魔道具がへそを曲げちまって、お湯が出ないんだ。水浴びで我慢してもらえるなら、宿代はまけるが……」
主人の言葉に、俺の設備管理者としての血が騒いだ。
温かいお湯を求めて来たのに、水浴びなど冗談ではない。俺は無意識に給湯器の前へと歩み寄り、基礎知識のスイッチを入れた。
視界の端に、緑色の文字列が展開される。
【名称:魔力給湯器(旧式)】
状態: 魔力経路の接触不良による出力低下。
原因: 長年の使用による内部回路の煤溜まりおよび、魔石接点の摩耗。
おじさんの知恵: 要するに、古いボイラーの点火プラグが煤けてるだけだ。掃除すれば直る。
「……なるほど。主人、少し見せてもらってもいいか? 故郷で似たような機械をよくいじっていたんだ」
「えっ? いや、別に構わないが……魔道具の修理職人でも呼ぼうかと思ってたところでね」
俺は袖を捲り、給湯器のカバーを固定しているネジを観察した。特殊な形状だが、回せそうだ。
俺は周囲の目を盗み、インベントリの中で少しだけ余っていた「ボアの皮の端材」を対価にして、召喚魔法を発動した。
(呼び出すのは『精密ドライバーセット』と、スプレー式の『接点復活剤』だ)
ポコン、と手の中に馴染み深い工具が現れる。
それを使って手際よくカバーを外し、煤で真っ黒になった魔力回路を露出させる。前世で何度となくやった、クレーム処理のための緊急メンテナンスと同じだ。
「おいおい、そんな見慣れない道具で大丈夫なのかい?」
心配そうな主人をよそに、俺は回路の接点に向かって復活剤のスプレーを吹き付けた。
プシューッ、という音とともに、頑固な煤が溶け落ちていく。仕上げに持っていた布で汚れを拭き取り、カバーを元通りに組み直した。
「よし。これで魔力を流してみてくれ」
主人が半信半疑で起動のレバーを引く。
ボォォォンッ!
先程までの情けない音が嘘のように、給湯器は力強い低い音を立てて稼働し始めた。パイプを通して、熱いお湯が勢いよくタンクへと流れていくのが分かる。
「おおおおっ!? 直った! なんでだ、部品も交換してないのに! あんた、ただの旅人じゃないな!?」
「ただの、昔取った杵柄さ。これで温かいお湯に浸かれるな」
俺が笑って工具をインベントリに隠すと、主人は興奮冷めやらぬ様子で俺の手を握ってきた。
「ありがとう! 職人を呼べば金貨が飛ぶところだった! 今夜の宿代と食事代はタダでいい! あと、これは心ばかりの礼だ!」
主人が押し付けてきたのは、ひび割れた古い魔石だった。
アーカイブが即座に反応する。
【名称:劣化した魔石】
価値: 銅貨5枚相当。
詳細: 魔道具の燃料としては寿命だが、微小な魔力が残存している。
効率: 日用品などの安価な物資を呼び出すのに最適。
俺にとっては、下手な金貨よりもありがたい「乾電池」だ。ありがたく頂戴し、俺は一番風呂をいただいた。
異世界に来て初めての、たっぷりの熱いお湯。
「身体強化」で疲れにくいとはいえ、精神的な垢までは落ちない。湯舟に沈み、「ふぅぅっ」と中年特有の深いため息を吐き出す。前職なら「勝手にいじって壊したらどうするんだ!」と上司に怒鳴られるところだが、ここでは感謝され、報酬までもらえた。
自分の技術が正当に評価される。それだけで、お湯の温度がさらに心地よく感じられた。
風呂上がり。割り当てられた部屋に戻ると、少しばかり窓から羽虫が入ってきていた。
「夏の夜の風物詩、ってやつか。さて、もらった報酬を使わせてもらうか」
俺は先ほどもらった劣化した魔石を手に取り、召喚魔法を発動した。
(魔石を対価に。呼び出すのは……『キンキンに冷えた缶ビール』と、『某製薬会社の蚊取り線香』、それと『ライター』だ)
価値の計算は完璧だった。
ポンッ、とベッドの上に現れた結露した銀色の缶と、緑色の渦巻。
俺はライターで線香に火をつけ、部屋の隅に置いた。ツンとした、それでいてどこか懐かしい香りが部屋に広がり、羽虫たちがポトポトと落ちていく。
窓際の椅子に腰掛、夜風を浴びながら、俺はビールのプルタブを引いた。
カシュッ。
異世界の街並みを眺めながら、冷たい麦酒を喉に流し込む。
「……くあぁっ。最高だ」
誰にも邪魔されず、蚊に刺されることもなく、自分の知恵と力で勝ち取った一杯。
俺の基礎知識に、また一つ新しい項目が書き込まれた気がした。
【新知識:異世界の夜の過ごし方】
内容: 労働の後の風呂とビール、そして蚊取り線香の香りは、何処かノスタルジックで世界を越えても至高である。
四十五歳の俺の旅は、まだ始まったばかりだ。




