3話
冒険者ギルドの扉を潜ると、そこには独特の「現場」の空気が漂っていた。
酒の匂い、汗の臭い、そして研がれた鉄の匂い。元・設備管理の人間として言わせてもらえば、ここは「メンテナンスの行き届いていない古いボイラー室」のような熱気がある。
「……さて、まずは手続きだな」
俺は、荒くれ者たちの視線を冷静に受け流しながら受付へと向かった。
受付嬢のミラさんは、俺の身なりを見て少し意外そうな顔をしたが、手際よく水晶球のような魔道具を取り出した。
「では、ここに手を置いてください。能力の適性を測ります」
言われるがままに手を置くと、水晶の中に文字が浮かび上がる。
【鑑定結果】
適性: 召喚魔法、空間魔法、身体強化
ランク: G(新人)
「……空間魔法持ちですか! しかも身体強化まで。それなら運び屋や採取依頼で重宝されますよ。はい、これがギルド証です」
手渡されたのは、無機質な鉄のプレート。これ一枚で、俺はこの世界での「市民権」を得たわけだ。
俺は早速、掲示板に目を向けた。新人向けの依頼が並んでいるが、俺の「基礎知識」が瞬時にそれらを査定していく。
【依頼:薬草採取】
報酬: 銅貨15枚
効率: 低。時間あたりの稼ぎはコンビニのバイト以下。
【依頼:街の溝掃除】
報酬: 銅貨20枚
効率: 中。身体強化を使えば短時間で終わるが、服が汚れる。
【依頼:フォレストボアの討伐】
報酬: 銀貨5枚 + 素材の売却益
効率: 高。魔石が手に入れば召喚コストが大幅に改善。
「……ボア、か。市場で聞いた通り、肉が臭くて不人気らしいが、俺には関係ないな」
俺はミラさんに依頼書を突き出した。
「これを受けるよ」
「えっ!? ミツトメさん、お一人ですよ? 身体強化があるとはいえ、ボアは突進の圧力が凄まじいんです。せめてパーティを組んでから……」
「大丈夫。無理はしない主義でね」
前職でもそうだった。危険な現場ほど、力押しではなく「段取り」がすべてだ。
街を出て、俺は再び草原を抜け、深緑が濃い森の境界線へと辿り着いた。
「身体強化」を意識的に引き上げる。全身の筋肉に一本の芯が通ったような、心地よい緊張感が走る。
森の中を数分歩くと、地面に深く刻まれた蹄の跡を見つけた。
【名称:フォレストボアの足跡】
更新: 蹄の深さから推定体重300kg超。直近10分以内に通過。
アーカイブの精度が上がっている。俺は気配を殺し、風下から接近した。
そこには、軽自動車ほどもある巨体が、根っこを掘り返して貪り食っている姿があった。
「グモォ……」
凶悪な牙。充血した目。普通ならここで剣を抜くのだろうが、俺は「空間魔法」のインベントリの入り口を手元に展開した。
そして、そこから「対価」を支払わずに取り出せる唯一のもの――「空っぽの空間」をトラップとして利用する。
俺はわざと小枝を踏んで音を立てた。
「グルモオオオッ!」
ボアがこちらに気づき、猛烈な勢いで突進してくる。地面が揺れるほどの振動。
だが、俺は動かない。ボアの鼻先が俺の数メートル手前に来た瞬間、地面に「空間魔法」の入り口を広げた。
ボアの巨体が、そのまま斜めに地面へ沈み込む。
前足が空間の断層に落ち、慣性の法則に従って巨体が前のめりに回転した。
「……そこだ」
無防備に晒された首筋に、身体強化を全開にした拳を叩き込む。
ボキリ、という硬い感触とともに、巨体が沈黙した。
「ふぅ……。さて、ここからが本番だ」
俺はボアの死体に手を触れた。
アーカイブには「肉:臭みが強い、価値低」と出ている。だが、それはこの世界の人間が「血抜き」や「下処理」を軽視しているからだ。
(討伐証明の牙と魔石は取っておいて、毛皮と肉の一部を捧げる。対価として呼び出すのは……『雪平鍋』『カセットコンロ』『ガスボンベ』、そして『チューブの生姜』と『合わせ味噌』だ)
召喚魔法を発動する。光が収まると、俺の手元には見慣れた現代日本の調理器具が揃っていた。
「よし、残りで『ミネラルウォーター』も出せるな」
俺は慣れた手つきで河原へと移動し、コンロに火をつけた。
カチッ、という電子着火の音。異世界の静寂の中に、現代の音が響く。
鍋に水と味噌を溶き、生姜をたっぷりと絞り出す。そこに、空間魔法の中からボアの肉を取り出し投入する。
(召喚での対価に使用する事で血抜きから解体まで手間が省けるのが最高だな)
煮え立つ味噌の香りが、森の空気を塗り替えていく。
アーカイブが、目の前の料理を書き換えていくのが見えた。
【名称:フォレストボアの味噌煮(生姜風味)】
価値: 測定不能(自身の満足度に依存)
詳細: 下処理により臭みが完全に消去され、味噌のコクと生姜のキレが肉の旨味を最大限に引き出している。
「……いい匂いだ」
俺は「召喚」した割り箸を割り、肉を口に運んだ。
じゅわりと広がる脂の甘み。味噌の塩気。生姜の爽やかさが後味を締めくくる。
「美味い……。会社帰りの居酒屋で出されても、文句なしの出来だ」
たった一人。誰に気を遣うこともなく、自分の手で勝ち取った素材を、自分の知恵で調理し、食らう。
これだ。俺が求めていたのは、こういう「自由」なんだ。
食べ終えた俺は、鍋とコンロを空間魔法に片付けた。
アーカイブを見ると、今回のボア討伐と調理の経験により、新たな項目が追加されていた。
【新知識:等価交換の裏技】
内容: 素材の「市場価値」が低くても、その「質量」や「希少部位」を組み合わせることで、召喚コストを圧縮可能。
「なるほどな。設備管理と同じだ。予算が少なくても、現場の工夫次第で『最高の結果』は出せる」
俺は立ち上がり、残った素材を手に取った。
これがあれば、次はビールもいけるだろう。
身体強化のおかげで、これだけ食べても胃もたれ一つしない。
俺は満足感とともに、茜色に染まり始めた空を見上げた。
ギルドに戻り解体した肉を買い取りにだせば、この「臭みのないボアの肉」の噂が広まるかもしれないが、それもまた処世術の一つに過ぎない。
「さて、次はどの『既知』を召喚するか……。考えるだけで、明日の仕事(採取)が楽しみになるな」
四十五歳のくたびれたおじさんは、異世界の森の中で、誰よりも若々しい足取りで歩き出した。
俺のアーカイブには、まだ白いページが山ほど残っている。
それを埋めていくのは、これからの自由な旅だ。
【第3話:完】
収穫: フォレストボアの牙、魔石、肉、調理器具一式、味噌煮の満足感。
次なる目標: 酒類の召喚コスト調査。




