25話
本戦での「自然な敗退プラン」を練りながら、残りのハイボールを煽っていたその時だった。
バンッ!!
控室の重厚なオーク材の扉が、蝶番ごと吹き飛ぶほどの勢いで開け放たれた。
「な、なんだ!?」
『ニャッ!? 敵襲か!』
もうもうと立ち込める砂埃の向こうから、巨体を揺らして現れたのは――昨日の路地裏で俺をスカウトした、サバンサ傭兵王国のトップ、獣王ガングだった。
「……あの、獣王陛下? 本戦出場者の控室に、何か御用で……」
俺が引きつった笑顔で尋ねると、ガングは鼻をヒクヒクとさせながら、俺の目の前の空の鉄板と、部屋中に充満している匂いを嗅ぎ回った。
「貴様……この部屋で、一体何を食っていた?」
ガングの黄金色の瞳が、俺をギロリと睨みつける。
「先ほどから、この控室周辺に信じられないほど食欲をそそる……甘く、スパイシーで、肉の脂が焦げたような暴力的な匂いが漂っていた。我ら獣人の嗅覚をごまかせると思うなよ!」
……しまった。
ソース焼きそばの匂いの強烈さを侮っていた。人間でも屋台の匂いにつられてフラフラと近寄ってしまうレベルなのだ。鼻の利く獣人、しかもそのトップである獣王が気づかないわけがなかった。
「あー……その、故郷の郷土料理です。『ヤキソバ』という名前の、麺を炒めたものでして」
「ヤキソバ……! なんという魂を揺さぶる響きだ! して、そのヤキソバはどこにある! 余にもそれを食わせろ!」
ガングがヨダレを垂らしながら俺に迫ってくる。二メートル超えの獅子の獣人のプレッシャーは凄まじい。
だが、ここで対価を捧げて「〇ちゃんの焼きそば」をポンと召喚するわけにはいかない。空間魔法なら「隠し持っていた」で誤魔化せるが、召喚魔法の光とパッケージを見られれば、いらぬ詮索を受けるのは目に見えている。
「あ、いや……申し訳ありません。味の決め手となる『秘伝の黒いタレ(粉末ソース)』の在庫が切れてしまいまして。仕込みに時間がかかるので、今すぐにはお出しできないんです」
「なんだと!? 仕込みだと!?」
俺は内心でガッツポーズをした。この流れを利用するしかない。
「ええ、そうです。実は私の本職は武闘家ではなく、ただの『旅の料理人』でして。今回の武闘大会も、路地裏での一件で偶然シード権をもらってしまっただけで……」
俺はこれ以上ないほど低姿勢になり、揉み手をした。
「ですから、明日の本戦もとてもじゃありませんが戦えません。棄権させていただき、宿に戻って大人しく『ヤキソバ』のタレの仕込みに専念しようかと……」
完璧な論理展開だ。これで厄介な本戦からドロップアウトし、あとは適当に焼きそばを作って獣王に献上すれば、俺のEランク冒険者としてのスローライフが守られる。
だが。
「……バカなことを言うな!!」
ガングの怒鳴り声が、控室の壁をビリビリと震わせた。
「あのサイの突進を無傷で受け止め、チーターの神速を神がかったフットワークで躱した貴様が、ただの料理人なわけがあるか!!」
(いや、あれは本当に事故だったんだってば)
ガングは俺の肩をガシッと掴み、ニヤリと好戦的な笑みを浮かべた。
「良いか人間。我ら獣人は、強き者を何よりも尊ぶ。そして、美味い飯を作る者も同じくらい尊ぶ。つまり、強くて美味い飯が作れる貴様は、我が国にとって最高の逸材ということだ!」
「論理が飛躍しすぎてませんか!?」
「明日の本戦、絶対に逃げることは許さん! 貴様がどれほどの強さか、この余が直接確かめてやる! そして本戦が終わった後、貴様を王宮に招待する! そこで余に、その『ヤキソバ』とやらを腹一杯食わせるのだ!」
言うだけ言って、ガングは嵐のように控室から去っていった。
あとに残されたのは、壊れた扉と、絶望に打ちひしがれた五十代のおっさんだけだった。
「……終わった。棄権という選択肢すら塞がれた……」
『フハハハ! 良かったなミツトメ! 獣王直々の王宮招待だぞ! これで明日は勝っても負けても美味い飯が食えるではないか!』
クロが能天気に尻尾を振っている。
【ナビ:マスター、獣王ガングの言う通り、彼らは強さと食を直結して考える種族です。ソース焼きそばの香りが、マスターの『強者としてのカリスマ』をさらに引き上げてしまったようですね。明日のオッズはマスターが一番人気です】
「うるさい! 俺はただ、目立たずにひっそりと旅をしたかっただけなのに……!」
俺は空になったハイボールの缶を握り潰した。
だが、泣き言を言っていても始まらない。明日の本戦、どうにかして「獣王の面子を潰さず、かつ自分が勝たない方法」を見つけなければならない。
俺は再びインベントリからバーナーを取り出し、気持ちを落ち着かせるための準備を始めた。
(こうなったら、ヤケ酒だ。呼び出すのは……『イカの塩辛』と『熱燗用の日本酒』だ!)
湯煎した熱燗を猪口に注ぎ、クイッと煽る。
「……はぁぁ。染みる……」
そして、イカの塩辛をチビリとつまむ。ねっとりとしたイカの食感と、ワタの強烈な旨味と塩気が、熱い日本酒と口の中で溶け合う。
どんな絶望的な状況でも、この完璧な組み合わせだけは俺を裏切らない。
『む? それはなんだミツトメ。先ほどの赤い草(紅生姜)より美味いのか?』
「お前みたいな子供舌にはまだ早い、大人の味さ。……明日はどうやって負けるか、じっくりと作戦会議だ」
王宮でのソース焼きそば作りが確定した以上、もう逃げ場はない。
俺とクロの、長くて熱い夜が始まった。
【第25話:完】
収穫 : 獣王からの王宮招待(強制)、ヤケ酒の塩辛と熱燗。
知識更新 : ソース焼きそばの匂いは、獣王をも狂わせる最強のデバフ(あるいはバフ)である。
現在の気分: 胃薬を召喚したい。




