20話
唐揚げのレシピを提供し、宿屋の家族の再出発を見届けた翌朝。
俺は商業都市メルトンを出立し、さらに西の自由な旅へ向かおうと宿の扉を開けた。
「さて、今日もいい天気だ。張り切って……」
【ナビ:マスター、情報です。王都からの特務捜索隊が、今朝未明にメルトンへ到着しました。現在、東西南北すべての城門が封鎖され、厳戒態勢で検問が行われています】
「……は?」
俺は開けかけた扉をそっと閉め、宿の窓から大通りを覗き込んだ。
そこには、昨日まではいなかった銀色の鎧を着た王都の騎士たちと、街の衛兵たちが等間隔に立ち、通行人を一人残らず引き留めている姿があった。
「おい! そこの男、止まれ! 荷物を改めさせてもらう!」
「『黒猫を連れた中年男性』を見なかったか!? どんな些細な情報でもいい、王家から報奨金が出るぞ!」
大通りに響き渡る怒鳴り声に、俺はサァッと血の気が引くのを感じた。
「冗談じゃない……。追いつかれるのが早すぎる。グリフォン騎兵の機動力ってやつか」
『ミツトメよ、朝から外が騒がしいな。王家の連中、よほど我々に会いたいと見える』
俺の足元で、クロが呑気にあくびをしながら二本の尻尾を揺らしていた。
「呑気なことを言ってる場合か。お前という分かりやすい特徴があるせいで、俺は完全にマークされてるんだぞ」
空間魔法は便利だが、生き物を生きたまま収納することはできない。以前、森蜘蛛を収納した時は、空間の入り口を閉じて「切断」したから入っただけだ。クロを収納するわけにはいかない。
「くそっ……俺一人ならただのEランク冒険者のふりでやり過ごせるが、お前とセットじゃ一発でバレる。かといって、ここで相対評価の身体強化を使って強行突破すれば、それこそ『黒猫の大賢者』を証明してしまうようなものだ」
詰んだかもしれない。前世のクレーム対応で土下座を覚悟した時と同じレベルの胃の痛みが襲ってくる。
俺が頭を抱えていると、クロが黄金色の目を細め、ニヤリと笑った。
『フハハ! 狼狽するなミツトメ。汝は我を誰だと思っている? 力の十パーセントを取り戻した、深淵の悪魔だぞ!』
「だから、その深淵の炎で騎士たちを焼いたら意味がないんだよ!」
『馬鹿め! 炎だけが我の力ではないわ!』
クロは自慢げに胸を張り、俺の足元に広がる影をポンポンと前足で叩いた。
『光あるところに影あり。我ら悪魔にとって、影の中は最も快適な寝床の一つよ。我は今から、汝の影の中に溶け込んでやる。そうすれば、誰の目にも見えまい!』
「……影に隠れる? そんな魔法まで使えるのか?」
『うむ! ただし、影の中は退屈ゆえ、街を出たらすぐに美味い飯を要求するぞ!』
言うが早いか、クロの漆黒の身体が俺の足元に伸びる影の中にスゥッと吸い込まれていった。
あとに残されたのは、ごく普通の中年男のシルエットだけだ。
「おいクロ、本当に消えたのか?」
『(聞こえるかミツトメ! 案外狭いが、まあ悪くないぞ! さあ、堂々と歩くがよい!)』
脳内に直接響く念話。どうやら本当に俺の影の中に潜んでいるらしい。
【ナビ:マスターの影から微弱な魔力を感知しますが、高レベルの鑑定士でもない限り、ただの影と区別はつきません。見事な隠密スキルです】
「よし。これなら行ける!」
俺は深く深呼吸をし、居住まいを正して宿を出た。
大通りを歩き、西門へと向かう。心臓は少しバクバクしているが、そこは前職の営業スマイルと現場でのポーカーフェイスで完全にカバーする。
西門の前に到達すると、案の定、二人の騎士と衛兵が立ちはだかった。
「止まれ! ギルドの身分証を提示しろ!」
「はい、お疲れ様です」
俺は愛想笑いを浮かべながら、Eランクの冒険者プレートを差し出した。
騎士はプレートと俺の顔をジロジロと見比べる。
「五十代でEランク……。採取や町中依頼がメインか。おい、あんた。黒猫は飼っていないか?」
「猫ですか? いえ、私は昔から猫アレルギーなものでして。毛を見るとくしゃみが止まらなくなるんですよ」
俺が苦笑交じりに嘘をつくと、騎士は「チッ、ただのくたびれたおっさんか」と舌打ちをした。
「よし、通ってよし! 次!」
「ご苦労様です」
俺は軽く会釈をし、門を抜けた。
背中に突き刺さるような視線を感じながらも、絶対に焦って歩調を早めないよう気をつけ、一定のペースで街道を歩き続ける。
五分、十分……。やがて、メルトンの高い城壁が丘の向こうに見えなくなるまで歩き切った。
「……ふぅぅぅ。抜けたぞ」
俺が緊張の糸を解いた瞬間、足元の影がポコンと膨らみ、クロが飛び出してきた。
『プハァッ! 息が詰まるかと思ったぞ! 影の中は真っ暗で毛づくろいもできん! さあミツトメ、約束の報酬だ!』
「ああ、よくやったよ相棒。今日ばかりはお前の魔法に心底助けられた」
街道から少し外れた木陰に陣取り、俺は空間魔法を展開した。
今回の危機回避の祝勝会だ。少し奮発しよう。
(影の魔法に敬意を表して……呼び出すのは『ビール(黒ビール)』の缶を二本。それと、厚切りの『スモークチーズ』、『黒胡椒たっぷりのビーフジャーキー』だ)
光と共に、黒を基調としたシックな酒とツマミのセットが現れた。
俺は早速ギネスビールの缶を開け、グラスに注ぐ。漆黒の液体の上に、クリーミーで微細な泡の層が作られていく。
「乾杯だ、クロ」
喉に流し込む。
「……っくぅぅ! 濃い!」
普段飲んでいるラガービールとは全く違う、ローストされた麦芽の香ばしい苦味。コーヒーやビターチョコレートを思わせる深いコクが、緊張で乾ききっていた喉と胃袋に重厚な満足感を与えてくれる。
すかさず、スモークチーズをかじる。
桜のチップで燻された強烈なスモークの香りとチーズの塩気が、黒ビールの苦味と完璧に調和する。
『ニャムニャム……! この黒い干し肉、噛めば噛むほどピリッとした刺激と肉の旨味が溢れ出してくるぞ! 黒い酒とやらにもよく合うではないか!』
クロもビーフジャーキーと格闘しながら、満足げに尻尾を揺らしている。
【ナビ:見事な脱出劇でしたね。王都の捜索隊は、まさかターゲットが自分たちの足元(影)をすり抜けて歩いていったとは夢にも思っていないでしょう。これで再び、安全なスローライフの再開です】
「ああ。これからは、ヤバいと思ったらすぐに影に隠れてもらうからな、クロ」
『フン、安いツマミでは引き受けんぞ!』
見上げれば、西の空は清々しいほどの快晴だ。
王家の追跡という最大のピンチを「隠れんぼ」で乗り切った俺たちは、黒ビールと燻製肉の余韻に浸りながら、のんびりと自由な旅を再開するのだった。
【第20話:完】
収穫 : 完璧な逃亡の成功、クロの新魔法(影潜り)、黒ビールの深いコク。
知識更新 : 悪魔の影魔法は、あらゆる検問をスルーできる最強のステルス機能。
現在の気分: ギリギリの脱出後のビールは、どんな高級酒よりも五臓六腑に染み渡る。




