16話
王都の危機を(物理的な地形改変で)救ってから二日。
俺とクロは、西へ向かう街道を順調なペースで進んでいた。
「いやぁ、平和だ。やっぱり男の旅はこうでなくちゃいけない」
『うむ! 昨日のマグロという魚、あれは絶品であったな! 次はいつ出すのだ、ミツトメ!』
肩に乗るクロの機嫌もすこぶる良い。戦争の火種は俺の空間魔法によって文字通り土に埋まった。東の空に狼煙が上がることもなく、空はどこまでも青く澄み渡っている。
俺はEランク冒険者としてのモブライフを完全に守り切ったのだ。
……そう、確信していた。
脳内の相棒が、無慈悲なシステム音を鳴らすまでは。
【ナビ:マスター、大変ご機嫌のところ申し訳ありませんが、王都の広域情報ネットワーク(ギルドの伝書鳥通信)より、重大なニュースを傍受しました】
「なんだ? 王都の連中、あのクレバスと岩山を神の奇跡だと崇め奉ってでもいるのか?」
【ナビ:いいえ。どうやら王都の近衛騎士団は、上空にグリフォン騎兵の斥候を飛ばしていたようです。彼らは上空からバッチリ目撃していました。峡谷を消し飛ばし、天から山を降らせた『黒猫を肩に乗せた中年男性』の姿を】
俺の足が、ピタリと止まった。
「……は?」
【ナビ:現在、王都では『黒猫の大賢者』あるいは『深淵の魔術師』として、マスターの噂で持ちきりです。国王直々の命令で、莫大な報奨金と共に大規模な捜索隊が西へ向けて出発したとのこと。おめでとうございます、マスター。見事な大出世ですね】
「ふざけんなぁぁぁっ!!」
俺は誰もいない平原で頭を抱えて叫んだ。
奇跡でも自然災害でもなく、ガッツリ見られていた。しかも『黒猫を連れた中年』という、この世界ではトップクラスに分かりやすい特徴まで割れている。
これではEランクの登録証などなんの隠れ蓑にもならない。
「くそっ、前職でもそうだった! 良かれと思って現場のトラブルを爆速で片付けると、逆に本社の目に留まって『あいつ使えるぞ』と厄介なプロジェクトの責任者にされるんだ! なぜ異世界に来てまで同じ轍を踏む!」
『おいミツトメ、急にどうしたのだ。腹でも痛いのか?』
肩から降りたクロが、不思議そうに首を傾げている。
その時、俺はクロの姿を見て、ある「異変」に気がついた。
「……おい、クロ。お前、尻尾が」
昨日まで一本だった漆黒の尻尾が、根元から綺麗に二股に分かれていたのだ。
ゆらゆらと、二本の尻尾がそれぞれ別の意志を持っているかのように蠢いている。日本の妖怪、猫又そっくりの姿だ。
『ふはは! やっと気づいたかミツトメ!』
クロは二本の尻尾をピンと立て、胸を張ってふんぞり返った。
『あの石像の封印から離れて、少しずつ我の力が戻ってきているのだ。これで全盛期の約十パーセントといったところだな! ついに、我も魔法が使えるようになったぞ!』
「魔法? お前、元神様で悪魔の化身なんだろ? どんな恐ろしいことができるんだよ」
俺が警戒して数歩下がると、クロは黄金色の目を細め、ニヤリと笑った。
『フハハハ……刮目せよ! これが深淵より出でし、すべてを焼き尽くす悪魔の業火だ!』
クロの二本の尻尾の間に、バチバチと黒と紫の稲妻を纏った、禍々しい黒炎の球体が現れた。周囲の空気が一気に乾燥し、チリチリとした熱と強烈な魔力のプレッシャーが肌を刺す。
(……これはヤバい。あの暗殺者たちの魔法なんか目じゃない威圧感だ!)
俺が咄嗟に防御結界を張ろうとした瞬間――。
シュボッ。
クロはその恐ろしい黒炎を、親指ほどの小さな火の玉に圧縮した。
そして、インベントリの端からこっそりパクっていたらしい『あたりめ』の切れ端を、前足で器用に掲げ、その小さな黒炎で炙り始めたのだ。
ジリジリ……という音と共に、イカの香ばしい匂いが漂う。
『ニャムニャム……うむ! やはり少し火を通した方が柔らかくなって美味いな! これでミツトメの焚き火を待たずとも、いつでも温かいツマミが食えるぞ!』
「…………」
俺は脱力して、その場にへたり込んだ。
「お前……その十パーセントの魔力を、携帯用ガスバーナー代わりに使ったのか?」
『うむ! 便利であろう?』
【ナビ:マスターに似て、極めて実用性と効率を重んじる素晴らしい悪魔ですね。私は高く評価します】
「うるさいぞ、ナビ」
呆れ果てた俺だったが、ふとその「黒炎」の火力の安定性と、一瞬で表面を焼き上げる熱量を見て、料理人(ただの自炊おじさんだが)としての閃きが降りてきた。
「……クロ。お前のその『深淵の炎』、火力の調整はもっと細かくできるか?」
『当然だ! 我を誰だと思っている。神界でもトップクラスの……おっと、今は悪魔だったな。とにかく自由自在だぞ!』
「よし。今から王都の追っ手を撒くために、俺たちは街道を外れて森の中の獣道を進む。その前に、少し早いが腹ごしらえだ。お前の魔法で、極上のツマミを作ってやる」
『ニャアアッ! 本当か! まかせておけ!』
俺たちは街道を大きく外れ、追っ手の騎馬が入れないような深い森の中へと足を踏み入れた。
適当な切り株をテーブル代わりにし、俺はインベントリからスタンピードの穴からこっそり回収した魔物の素材を対価に、現代日本の食材を召喚した。
(呼び出すのは……『カツオの柵(刺身用のブロック)』、『ニンニク』、『生姜』、『ミョウガ』、『青ネギ』。そして『極上ポン酢』だ)
氷で冷やされた新鮮な赤身のブロック肉が、まな板の上に現れる。
「クロ、出番だ。この肉の表面だけを、一瞬で、焦げ目がつくまで一気に焼き上げろ。中は絶対に生の状態を残すんだ」
『ふふん、造作もないことだ! 我の深淵の炎、とくと味わうがよい!』
クロの尻尾から放たれた黒い炎が、カツオの柵を包み込む。
ジュワァァァッ!!
凄まじい高火力が、カツオの表面の皮を一瞬にしてパリッと焼き上げ、余分な水分と臭みを吹き飛ばした。ほんの数秒で、完璧な焼き目がつく。
「よし、ストップ!」
炎が収まると、そこには見事な『カツオのタタキ』のベースが出来上がっていた。
悪魔の炎で炙られたせいか、普通の藁焼き《わらやき》とは違う、なんとも言えないスモーキーで野性的な香りが漂っている。
俺はよく研いだ包丁でカツオを分厚く切り分け、深皿に並べた。
その上に、スライスしたニンニク、千切りの生姜、ミョウガ、そして小口切りの青ネギをこれでもかと山盛りに乗せる。
最後に、柑橘系の香りが爽やかな極上ポン酢を、上からドバドバと回しかけた。
『おおお……! なんだこの美しい料理は! 薬味の香りが鼻を突き抜けるぞ!』
「これぞ男の料理、カツオのタタキのニンニクマシマシだ。さて、合わせる酒は……」
俺はさらに魔石を少し消費し、『キンキンに冷えたクラフトビール(IPA)』の缶を二本召喚した。
強烈なホップの香りと苦味が特徴のIPAなら、このパンチの効いたカツオのタタキに負けることはない。
「さあ、食うぞ。クロの魔法の開眼祝いだ」
『うむ! いただくぞ!』
箸で分厚いカツオの切り身を掴み、たっぷりの薬味と一緒に口へ放り込む。
「……っっ!!」
表面の香ばしい皮と、内側のねっとりとした濃厚な赤身の旨味。そこに生ニンニクの暴力的な辛味とポン酢の酸味が絡み合い、脳髄を直接殴られるような美味さが爆発した。
クロの黒炎による炙りは、まさに一瞬だったため、中の身に一切の熱が入っておらず、最高の舌触りを保っている。
すかさず、IPAの缶を煽る。
「くぁぁぁぁっ!! たまらん!」
柑橘系のフルーティーな香りと、ガツンとくる強烈な苦味が、カツオとニンニクの風味をさっぱりと洗い流し、次の一口を強烈に要求してくる。
『美味い! 美味いぞミツトメ! 我の炎が、この魚のポテンシャルを極限まで引き出しておる! 我は天才料理猫かもしれない!』
顔をポン酢まみれにしながら、クロが狂喜乱舞してカツオを貪っている。
【ナビ:悪魔の業火を炙り調理に使うとは、贅沢の極みですね。マスターの逃亡生活における食のQOLは、確実に上昇しています】
「逃亡生活って言うな。俺はただ、マイペースに旅をしているだけだ」
ビールを飲み干し、ふぅと息を吐く。
王都の連中が血眼になって俺たちを探していると思うと少し胃が痛いが、まぁいい。
俺の基礎知識には有能なナビがいて、隣には魔法(物理調理用)が使えるようになった相棒がいる。
どんな追っ手が来ようと、森の奥深くでこうして美味い飯と酒が楽しめるなら、スローライフとしては及第点だ。
「さて、腹も膨れたし、少しペースを上げて西の国境を越えるとするか」
『うむ! 次はどんな美味いものが待っておるのだ!』
二本の尻尾を揺らす黒猫を肩に乗せ、俺は追跡者の手の届かない深い森の奥へと足を踏み入れた。
伝説の『黒猫の大賢者』の、誰にも見られないのんびりとした逃避行は、こうして始まったのだった。




