14話
王都の朝は、騒がしい鐘の音で幕を開けた。
「……ん? なんだ、火事か?」
宿屋のベッドで身を起こすと、窓の外から慌ただしい馬の蹄の音と、鎧の擦れる甲高い音が連続して聞こえてきた。
『むニャ……。うるさいぞ、ミツトメ。我の朝寝坊を邪魔するとは、不敬な奴らめ』
枕元で丸まっていたクロが、不満げに尻尾をパタパタと打ち鳴らす。
【ナビ:おはようございます、マスター。王都の治安維持部隊および近衛騎士団が、深夜から大規模な作戦行動を展開している模様です。表通りに出る際はご注意を】
「近衛騎士団が動くって、ただの事件じゃないな」
嫌な予感がした俺は、手早く身支度を整え、クロを肩に乗せて宿を出た。情報収集と言えば、やはり冒険者ギルドだ。
ギルドに足を踏み入れると、そこは蜂の巣をつついたような大騒ぎになっていた。
依頼の掲示板の前に人だかりができ、誰もが深刻な顔でヒソヒソと話し込んでいる。
「おっ、ミツトメ! こっちだ!」
人混みの中から、昨日飲み明かしたばかりのアレックスが手を振っていた。彼もまた、いつも以上に険しい顔つきだ。
「アレックス、随分と物々しい空気だな。何があったんだ?」
「なんだ、まだ知らねぇのか。今朝方、王宮から公式な発表があったんだよ。……有力貴族である伯爵家の当主と一族郎党が、国家反逆罪で捕縛された」
「国家反逆……?」
俺はピクリと眉を動かした。伯爵家といえば、俺が護衛してきた辺境伯家の次男ルークに、強引な婚姻話を持ちかけていたあの政敵の家ではないか。
「ああ。どうやらあの伯爵、裏で東の隣国とベッタリ繋がっていたらしい。昨日俺が話した『キナ臭い噂』ってやつの、一番の元凶だったのさ」
アレックスが声を潜め、事の顛末を語り始めた。
伯爵家の狙いは、国境の守りを一手に担う辺境伯家を内部から崩壊させることだったという。
長女を襲撃し、同時に次男に婚姻を迫ることで辺境伯家を揺さぶり、精神的にも物理的にも隙を生み出す。その混乱の最中に、隣国の大軍を国境になだれ込ませる……という、戦争前の恐ろしい布石だったのだ。
「幸いなことに、辺境伯の長女も、王都へ向かっていた次男も無事だった。計画に狂いが生じて焦った伯爵が、隣国の密偵と接触したところを、王家の暗部に一網打尽にされたって話だ。……だが、これで東の隣国との戦争は、いつ始まってもおかしくない状況になっちまった」
「……なるほどな」
俺は冷静に頷きながら、脳内の相棒に問いかけた。
(おい、ナビ。あの時馬車を襲ってきた暗殺者たち……)
【ナビ:はい。単なる貴族の私兵にしては練度が高すぎると申し上げましたが、彼らは隣国の正規の特殊工作員だったと推測されます】
(だから、俺の『身体強化』があんなインフレを起こしたわけだ)
【ナビ:その通りです。マスターは知らず知らずのうちに、国家間の戦争のトリガーをヘシ折って、最悪の事態を未然に防いだことになります。誇ってよろしいかと】
(冗談じゃない。そんな英雄みたいな実績、絶対にバレるわけにはいかない)
俺は心の中で全力の拒否反応を示した。
もし俺がルークたちを助けた張本人だと王家に知られでもしたら、「お前、強いなら戦争の最前線に行ってこい」と強制徴用されるに決まっている。
地球で炎上した現場の火消しに駆り出され続けた日々がフラッシュバックする。もうあんな胃の痛い思いは御免だ。
「おい、ミツトメさん? どうかしたか、顔色が悪いぜ」
「いや……戦争が起きるかもしれないって聞いて、少し肝が冷えてね。Bランク以上の冒険者は、国から招集がかかるんだろう?」
「ああ。俺みたいなCランクも、後方支援に回されるかもしれない。……だが、あんたはEランクだったな。強制力はないから、今のうちに王都を出て、西の安全な地域へ逃げた方がいいぜ。あんたの淹れるあの美味い酒が、戦火で無くなっちまうのは惜しいからな」
アレックスの言葉に、俺は深く頷いた。
「忠告、本当に感謝する。アレックスも死ぬなよ」
「へっ、お互いにな」
ギルドを出ると、俺はそのまま宿に戻り、早々とチェックアウトを済ませた。
『おいミツトメ、王都の美味い屋台飯を巡る予定はどうしたのだ?』
「予定変更だ。この街はこれから、ひどく血生臭くて忙しくなる。俺たちの求める『スローライフ』とは対極の場所だ。さっさと西へ向かうぞ」
『むぅ……仕方ない。だが、次の野営ではとびきり美味い飯を要求するぞ!』
王都の西門を抜け、のどかな平原へと続く街道を歩き出す。
背後の王都からは、出陣の準備を進める軍馬の嘶きが微かに聞こえていた。辺境伯の親子も、今頃は領地を守るために奔走していることだろう。
(すまんな、ルーク。国を守るのは若くて情熱のある勇者や騎士の仕事だ。五十代のおっさんは、静かな田舎でビールを飲ませてもらうよ)
【ナビ:見事な責任逃れです。とはいえ、戦火を避けるのは生物として最も理にかなった生存戦略。西の商業都市メルトン方面へのルートを案内します】
(ところで、西に商業都市があることや、そのルートはどうやって情報を仕入れているんだ?)
【ナビ:お答えします。冒険者ギルドに到着するたびに、本棚の本の背表紙を触れていただいていますが、物に触れる事によってアーカイブの情報源になります。対象に本の内容も含まれます】
(あの行動にそんな意味があったとは・・・。引き続きよろしく頼む)
【ナビ:承知いたしました】
太陽が真上に昇る頃、王都の喧騒が完全に聞こえなくなった小川のほとりで、俺は足を止めた。
「よし、この辺りで昼飯にしよう」
空間魔法から『折りたたみテーブル』と『シングルバーナー』を取り出す。
今回の対価は、王都でいくつかこなした修理依頼で稼いだ貨幣だ。
(呼び出すのは……『レトルトのビーフカレー(辛口)』と、『パックご飯』、そして『ステンレスの深皿』だ)
ポコン、と現れた見慣れたパッケージに、思わず顔がほころぶ。
鍋でお湯を沸かし、カレーとご飯を同時に湯煎する。数分後、熱々のご飯を深皿に盛り、その上からドロリとした濃い茶色のルーをかけた。
途端に、クミンやコリアンダーといった複雑なスパイスの暴力的な香りが弾け飛ぶ。
『ニャアアアッ!? な、なんだこの刺激的な匂いは! 目が、鼻がチカチカするのに、無性に食欲をそそられるぞ!』
クロがテーブルに前足を乗せ、目を丸くして身を乗り出してきた。
「これは『カレー』っていう俺の故郷の料理だ。お前には少し刺激が強すぎるかもしれないが……ほら、ルーを落とした端っこの肉をやるよ」
スプーンでほろほろになった牛肉の塊を小皿に取り分けてやると、クロはフンスフンスと匂いを嗅いでから、恐る恐る口に含んだ。
『……っ!! 辛い! が、美味い! 肉の旨味と未知の香草が口の中で踊っておる!』
「だろう? 俺たちおっさんの胃袋を支えてきた、最強のソウルフードだからな」
俺も大きなスプーンでカレーとご飯を掬い、口いっぱいに頬張る。
「……んんっ! 完璧だ」
ピリッとした辛さが舌を刺し、溶け込んだ野菜と牛肉のコクが後から追ってくる。戦乱の足音から逃げ出し、のどかな自然の中で食べる日本のカレー。この背徳感が、スパイスの味を何倍にも引き立てていた。
【ナビ:東の空に、軍事用の狼煙が上がったのを確認しました。どうやら、本当に開戦したようですね】
遠くの空に上る黒い煙を一瞥し、俺はカレーを飲み込んでから、食後の『アイスコーヒー』を召喚した。
「頑張れよ、見知らぬ勇者たち。俺はこっちで、俺の平和を守らせてもらう」
グラスの氷をカラリと鳴らし、俺は平和な西の空へと歩き出した。
巨大な運命の歯車から華麗にドロップアウトした、四十五歳の気ままな一人旅。
世界がどうなろうと、俺と俺の胃袋だけは、絶対にスローライフを全うしてやるのだ。
【第14話:完】
収穫 : 戦乱からの華麗なる逃亡、極上のビーフカレー。
知識更新 : Eランク冒険者は、徴兵を免れる最高の隠れ蓑である。
現在の気分: 危機一髪を抜け出した後のカレーは格別。




