127話 鳴き風の峡谷の自励振動と、風乗り飛魚のサクサク天ぷら
地下都市ジオフロントを抜け、地上へと戻った俺たちは、切り立った岩壁が延々と続く鳴き風の峡谷へと足を踏み入れていた。
谷の底には激流が流れており、向こう岸へ渡るためには、谷に架けられた巨大な鉄製の吊り橋を渡るしかない。
だが、その吊り橋の前には立ち入り禁止の看板が立てられ、地元の商人たちが足止めを食らって困り果てていた。
「どうしたんですか? なぜ橋を渡らないんで?」
俺が尋ねると、商人の中の一人が青ざめた顔で橋を指差した。
「旅の職人さん、あの音を聞いてくだされ。谷に強風が吹くたびに、橋が凄まじい悲鳴を上げてグワングワンと揺れるんです。あれは風の精霊が怒っている証拠……今渡れば、橋ごと谷底へ振り落とされてしまいます」
確かに、谷を吹き抜ける風に合わせて「ゴォォォォォッ!!」という地鳴りのような轟音が響き、巨大な鉄の橋が波打つように激しく上下に振動している。
『……マスター。この谷を吹き抜ける風には、精霊の怒りや魔力的な干渉は感じられません。純粋に物理的な風の力だけで、あのような巨大な橋が揺らされているようです』
白き神の鳥であるシロが、俺の肩で不思議そうに首を傾げた。
その時、頭の中に直接ナビの無機質な音声が響いた。
【ナビ:橋梁の構造をスキャン。強風が橋の骨組みに当たることで背後にカルマン渦が発生し、それが橋の固有振動数と一致。深刻な自励振動を引き起こしています】
「なるほどな。風の精霊の怒りなんかじゃない。前世の橋梁設計でも度々問題になる、空気力学的な共振ってやつだ」
俺は腕を組み、橋の構造を見つめた。
「風が四角い障害物にぶつかると、その後ろに規則正しい空気の渦ができる。その渦が橋を揺らすリズムと、橋が元々持っている揺れやすいリズムが偶然ピッタリ合っちまって、揺れがどんどん増幅されてるんだよ。昔のアメリカで、これと同じ現象で崩落した巨大な吊り橋があったくらいだ」
「そ、そんな恐ろしい現象が……! じゃあ、風が止むまで何日も待つしかないのか……」
絶望する商人たちを前に、俺はインベントリから『三角柱の形をした金属カバー』と、固定用のクランプを取り出した。
「風が止むのを待つ必要はない。風の当たり方を少し整えてやればいいだけさ」
俺は揺れる橋の入り口に立ち、風が直接ぶつかる橋の側面の鋼材に、三角柱のカバーを次々と取り付けていった。
「四角い面に風がぶつかるから渦ができる。こうやって、風上に尖ったカバーを取り付けて、風の流れを綺麗に受け流す形に変えてやるんだ」
数十分後。
谷を吹き抜ける強風は変わらないにも関わらず、橋の不気味な悲鳴はピタリと止み、波打つような激しい振動も嘘のように収まっていた。
「お、おおおおっ! 橋の揺れが止まった! 風の精霊の怒りが鎮まったぞ!」
商人たちが歓声を上げ、安全になった橋を渡り始めた。
「さて、人助けも終わったし、俺たちも渡るか」
俺たちが橋の中央付近まで来た時、谷底からの強い上昇気流に乗って、銀色に輝く魚の群れが飛び出してきた。
『ニャアッ! 魚が空を飛んでるニャ!』
クロが素早くジャンプし、空を舞っていた大きな魚を前足で見事に叩き落とした。
「こいつは……『風乗り飛魚』か。強風の谷をグライダーみたいに滑空する魔物だな」
発達した巨大な胸ビレを持つその魚は、身が引き締まっていて極上の出汁が取れそうだが、新鮮な身をそのまま食べるのも最高だ。
「よし、今日の飯は決まりだ。飛魚のような脂肪分の少ない魚には、高温の油で旨味を閉じ込める天ぷらが一番だ!」
俺は安全に渡りきった対岸で、カセットコンロと分厚い天ぷら鍋を取り出し、たっぷりの油を注いで火にかけた。
「天ぷらを油で揚げる料理だと思ってる奴は素人だ。天ぷらの本質は、油を熱媒体として使った脱水作業なんだよ。衣の中の水分を瞬時に蒸発させ、その空いた隙間に素材の旨味を閉じ込めるんだ」
俺はインベントリから非接触型赤外線温度計を取り出し、油の温度をピッタリ180度に調整する。
「そして衣作りだ。小麦粉を氷水で溶くのが絶対のルール。水がぬるいと小麦粉から粘り気が出てしまい、揚がった時にベチャッとした重い衣になっちまうからな」
冷水でサッと溶いた薄い衣に、三枚に下ろした飛魚の身を潜らせて、180度の油へ静かに投入する。
ジュワァァァァァッ!!
小気味よい油の音が鳴り響き、衣の水分が抜けていく香ばしい匂いが広がる。
「よし、衣が固まって泡が小さくなってきたら引き上げ時だ。余熱で中までふんわりと火を通す」
カラッと揚がった飛魚の天ぷらに、前回ジオフロントでもらった岩塩を少しだけ削って振りかける。
「完成だ。特製『風乗り飛魚のサクサク天ぷら岩塩添え』だよ」
『ニャアアアッ! 黄金色で美味しそうニャ!』
クロが、熱々の天ぷらにかぶりつく。
サクッ……フワァァァッ!!
『――――ッッ!! ニャ、ニャムゥゥゥゥッ!!』
クロの瞳孔が丸くなり、ヒゲがピクピクと震える。
『な、なんにゃこのサクサク感は!? 衣が羽みたいに軽くて、噛んだ瞬間に心地よい音がするニャ! そして中から、飛魚の引き締まった身のあっさりとした旨味とフワフワの食感が飛び出してくるニャァァ!』
シロも嬉しそうに白い羽をパタパタと羽ばたかせる。
『見事な温度管理ですね。衣のグルテンを抑え、適正温度で水分だけを飛ばしたことで、素材の風味が一切逃げていません。岩塩のミネラルが、飛魚の上品な甘みを完璧に引き出しています』
俺も、揚げたての天ぷらを口に放り込んだ。
「……うん、美味い!」
サクッとした衣の食感の直後、飛魚特有のクセのない淡白な旨味が口いっぱいに広がる。
油のコクと岩塩の塩気が絶妙にマッチして、これはいくらでも食べられそうだ。
「やっぱり、正確な温度管理で作った天ぷらは裏切らないな」
強風による空気力学的な脅威は、設備屋の整流知識によってあっさりと解決された。
そして谷を吹き抜ける心地よい風を感じながら、俺たちはサクサクの天ぷらの食感を存分に楽しむのだった。
【第127話:完】
収穫: 鳴き風の峡谷の突破、風乗り飛魚。
知識更新: 強風による橋の振動(カルマン渦起因の自励振動)は、風上に整流板を取り付けて空気の流れをスムーズにすれば抑えられる。天ぷらは衣を冷水で作り、180度の正確な温度で揚げる脱水作業である。
現在の気分: サクサクの衣にフワフワの白身。天ぷらにはやっぱり塩が一番合うな。次はどんな食材を揚げてやろうか。




