119話 崩落の外輪山(第一層)と、絶壁羊の極上スパイシーチョップ
極寒の氷谷(第二層)を抜け、俺たちは神の庭からの完全脱出を阻む最後の関門――『第一層』へとたどり着いた。
そこは、カルデラをぐるりと囲む巨大なすり鉢状の壁、すなわち外輪山の内壁だった。
「なるほど、最後はシンプルに絶壁越えってわけか。だが……こいつは少し厄介だな」
俺が見上げる先にある斜面は、ただの岩山ではなかった。長年の風化で岩肌がボロボロに脆くなっており、少しでも手や足をかければ、ガラガラと崩れ落ちて大規模な土砂崩れを引き起こしそうな、極めて不安定な急斜面だったのだ。
『ピロロロッ。マスター、この岩盤は非常に脆いです。少しでも衝撃を与えれば、一気に崩落して私たちが飲み込まれる危険があります』
白き神の鳥であるシロが、上空を旋回しながら注意を促してくる。
『ニャァ……これじゃあ、我の爪で登るのも無理だニャ。滑り落ちて泥だらけになるニャ』
クロも崩れてくる小石を避けながら、困ったように尻尾を丸めた。
「ああ、無理に登るのは危ないな。こういう風化して崩れやすい斜面を安全にするための、土木工事の基本を見せてやろう」
俺はインベントリから、背負い式のエンジンコンプレッサーと、太いホースのついた『モルタル吹き付け機』を取り出した。
「現場じゃあ、山の斜面が崩れないように『吹付コンクリート』って技術を使うんだ。岩肌に直接、速乾性のモルタルを吹き付けて、斜面全体を強固なコンクリートの殻で覆っちまうのさ」
俺はタンクに特殊な速乾モルタル(魔力で吹き付け数秒後に硬化する特別製)をセットし、ノズルを斜面に向けた。
トリガーを引くと、バシュゥゥゥゥッ!! と勢いよく灰色のモルタルが噴射され、崩れそうな岩肌にピタリと張り付いていく。
「こうやって表面を固めながら、階段状の足場を造っていく。これで落石の心配はゼロだ」
俺が吹き付け機で安全な『コンクリートの道』を造りながら斜面を登っていくと、頂上付近で突然、頭上から巨大な影が降ってきた。
「メェェェェェッ!!」
透き通るような水晶の角を持った巨大な山羊――『クリスタルホーンシープ』だ。
本来ならこの脆い斜面を軽々と飛び回る魔物なのだろうが、俺がコンクリートで斜面をツルツルに固めてしまったせいで、足場を滑らせて俺の目の前に転がってきたのだ。
「おいおい、気をつけてくれよ。せっかく綺麗に均した足場が傷むじゃないか」
俺は、滑り落ちてきて目を回しているクリスタルホーンシープを、パイプレンチの柄で軽く叩いて気絶させ、ありがたく食材として確保させてもらった。
「さて、神の庭での最後のキャンプ飯といこうか」
頂上目前の安全なテラス部分で、俺は手に入れた羊肉の解体を始めた。
「羊の肉は旨味が強いが、独特の獣臭さがあって苦手な人も多い。この臭みを消し去るための下処理と魔法の粉の出番だな」
俺は骨付きの分厚いチョップを切り出し、それをインベントリにあったプレーンヨーグルトに漬け込んだ。
「乳酸菌が肉を柔らかくしつつ、ヨーグルトの成分が臭みの元を吸い取ってくれる。そして……ここで先日手に入れたアレを使う」
俺が取り出したのは、世界樹の桂皮だ。
シナモンや八角を思わせる、甘く高貴な香りを放つそのスパイスを細かく削り、塩コショウと一緒におろしたニンニク、ヨーグルトに漬けた羊肉にたっぷりと揉み込む。
フワァッ……!
スパイスを揉み込んだ瞬間、羊肉の獣臭さは跡形もなく消え去り、エキゾチックで食欲をそそる芳醇な香りへと一変した。
「これを、炭火でじっくりと焼き上げる」
七輪の上に置かれた網に肉を乗せると、ジューーッ…… と脂が落ち、煙と共にえも言われぬスパイスの香りが立ち昇った。
「そして仕上げだ。肉が焼き上がる直前に、こいつを表面にサッと塗る」
取り出したのは、世界樹のシロップだ。
ハケでシロップを塗ると、熱と脂に反応して表面が照り照りに輝き、カラメルのような香ばしさが加わった。
「さあ、完成だ。特製『クリスタルホーンシープの極上スパイシーチョップ、世界樹シロップの照り焼き風』だよ」
『ニャアアアッ! 匂いだけでお腹が鳴るニャ!』
クロが、骨付き肉にかぶりつく。
サクッ……ジュワァァァァッ!!
『――――ッッ!! ニャムゥゥゥゥッ!! な、なんだこの肉は!?』
クロが目を丸くして、夢中で肉を咀嚼する。
『羊の臭みが全くないニャ! ヨーグルトのおかげで肉が信じられないくらい柔らかくて、噛むたびに濃い旨味が溢れてくるニャ! そしてこのスパイスとシロップの組み合わせ……! 表面の甘辛いカリッとした食感と、スパイスの高貴な香りが、羊の脂と最高にマッチしてるニャァァ!』
シロも嬉しそうに羽を揺らしながら、小さく切り分けた肉を啄む。
『ピロロロッ! 素晴らしいマリアージュです。世界樹の恵みであるスパイスとシロップが、野性味あふれる羊肉を、まるで王宮のメインディッシュのような気品ある味わいに引き上げていますね』
俺も、骨を持って豪快に肉に食らいついた。
「……うん、こいつは美味い!」
ヨーグルトで柔らかくなった肉質。世界樹のスパイスがもたらす深い香りと、シロップの自然な甘みが、羊肉特有のクセを完全に「長所」へと反転させている。
炭火の香ばしさも相まって、一口食べればビールが無限に欲しくなるような、強烈な満足感があった。
「プハァッ……。よし、これで腹も膨れたな」
極上のスパイシーチョップで英気を養った俺たちは、コンクリートで固めた道の残りを登りきり、ついにカルデラ外輪山の頂上へと到達した。
振り返れば、世界樹がそびえる広大な『神の庭』の絶景が広がり、前を向けば、地平線の果てまで続く見知らぬ新大陸が俺たちを待っていた。
「全4層、完全攻略だな。さて、次はあの種を埋める場所を探しつつ、どんな美味いもんを探しに行くかな」
『ニャハハ! 次の街の飯が楽しみだニャ!』
吹き抜ける心地よい風を受けながら、四十代の設備屋と白き神の鳥、そして食いしん坊の黒猫は、新たな世界へ向けて大きく足を踏み出すのだった。
【第119話:完】
収穫: 神の庭からの完全脱出、クリスタルホーンシープの肉。
知識更新: 崩れやすい岩肌は、モルタルを吹き付けて表面を固めることで安全な道になる。羊肉はヨーグルトとスパイスで臭みを消し、シロップで照り焼きにすると、野性味と気品を兼ね備えた極上のご馳走に化ける。
現在の気分: スパイスの香りとシロップの甘み。現場の疲れを癒やすには、こういうガツンとくる肉料理が一番だな。新しい土地には何があるのか、少しワクワクしてきたよ。




