118話 沈黙の氷谷(第二層)と、永久凍鮭の炙り黄金チーズ卵黄ソース
前回の泥沼地帯(第三層)の突破から数日。
北西ルートからの完全脱出を目指す俺たちは、神の庭の次なる関門である『第二層』へと足を踏み入れていた。
「……なんだ、随分と冷え込んできたな」
第三層の密林から一転、目の前に広がっていたのは、木々も地面もすべてが青白い氷に覆われた沈黙の氷谷だった。
音一つない静寂の中、氷漬けにされた古代の魔物たちの姿が彫像のように無数に立ち並んでおり、どこか物悲しくも恐ろしい景色が広がっている。
『ピロロロッ……マ、マスター、外気温がマイナス40度を下回りました。さしもの私の羽も、この極寒では凍りついてしまいそうです……』
『ニャァァァッ! 寒いニャ! 肉球が地面にくっつくニャァ!』
白き神の鳥であるシロが、自慢の美しい羽毛をボールのように丸く膨らませてガタガタと震え、クロも俺の足元にすがりついてきた。
「まあ、慌てなさんな。冬場の屋外現場の寒さ対策なら、とっておきがあるからな」
俺はインベントリから、キャスターのついた大砲のような筒状の機械――『業務用ジェットヒーター』を取り出した。
真冬の建設現場などで、コンクリートの凍結を防いだり、吹きさらしの作業空間を強制的に暖めるための、強力な熱風機だ。
スイッチを入れる。
ブォォォォォォォォッ!!
筒の先から勢いよく真っ赤な熱風が吹き出し、俺たちの周囲数十メートルの空間を一瞬にして「春」のような暖かさに変えた。
「どうだ? これが設備屋の暖房力ってもんだ。少しここで暖を取っていこう」
『ピロロロッ……助かりました。羽の霜が溶けていきます』
『ニャアッ! あっという間にポカポカになったニャ!』
だが、ジェットヒーターの熱風が周囲の氷を溶かした瞬間、ピキピキッ!と不気味な音が谷に響き渡った。
ズバァァァッ!!
溶けた氷の地面の中から、巨大な氷の塊を纏った魔物が飛び出してきた。
全身が分厚い氷の結晶で覆われた、丸太のように巨大な魚――『永久凍鮭』だ。
「氷の中を泳ぐ鮭か。ヒーターの熱に反応して飛び出してきたんだな」
永久凍鮭が、絶対零度の冷気ブレスを吐き出してくる。
だが、俺はヒーターの吹き出し口をそのまま鮭に向けた。
ゴォォォォォォッ!!
猛烈な熱風が冷気を完全に相殺し、鮭の纏っていた氷の装甲をドロドロに溶かしていく。
「おいおい、こっちは暖を取りたかっただけなんだけどな。……まあ、装甲が剥がれればただのデカい魚だ」
俺は身体強化を乗せた特大パイプレンチを静かに振り抜き、空中に飛び出していた鮭の脳天にクリーンヒットさせた。
「さて、第二層の厄介者も片付いたことだし、せっかくだから飯にするかな」
俺はヒーターで暖められた空間のど真ん中で、手に入れた『永久凍鮭』をまな板に乗せた。
だが、氷の装甲を剥がしたとはいえ、極寒の環境にいた鮭の身自体がカチコチの冷凍状態になっている。
『ニャア……石みたいに硬いニャ。ヒーターの熱風ですぐに溶かすかニャ?』
クロが前足でツンツンと突くが、俺は首を横に振った。
「凍った肉や魚を早く食べたいからって、熱風を当てたりお湯をかけたりするのは感心しないな。急激な温度変化を起こすと細胞膜が破裂して、旨味のドリップが全部流れ出しちまうんだよ」
俺はインベントリから大きなタライを取り出し、そこに氷と水をたっぷりと張った。
そして、密閉袋に入れた冷凍鮭を、その氷水の中に沈める。
「こういう時は氷水解凍が一番なんだ。水は空気よりずっと熱を伝えやすい。0度の氷水で包み込むことで、細胞を壊さず、チルド状態を保ったまま綺麗に解凍できるんだよ」
数十分後。袋から取り出した鮭は、ドリップを一滴も出さず、まるでたった今釣り上げたばかりのようにツヤツヤと輝いていた。
極厚の身には、芸術的なまでの白い脂がビッシリと乗っている。
「いい解凍具合だ。こいつを分厚く切り分け、皮目だけをガスバーナーで炙ってみよう」
ゴォォォッ!!
バーナーの炎が皮を焦がし、身の表面の脂がジュワジュワと溶け出して食欲をそそる香りを放つ。
「そしてソース作りだな。主役はこれにしよう」
俺が取り出したのは、安価で大量に手に入る『加熱用チーズ』と、新鮮な卵だ。
「スーパーなんかで売ってる加熱用チーズは、しっかり火を通してやった方が滑らかになって美味しいんだ」
小鍋に加熱用チーズと少量のミルクを入れ、弱火でかき混ぜる。チーズが完全に溶け、トロトロの状態になったら火から下ろす。
「ここからが少しコツがいる。鍋の粗熱を少し取ってから、卵黄を投入して素早くかき混ぜるんだ。熱すぎると卵黄がボソボソに固まっちまうから、余熱だけで火を通す感覚だな」
チーズのコクと卵黄の濃厚さが完璧に乳化した、黄金色の特濃チーズ卵黄ソースの完成だ。
俺は、脂の滴る炙りサーモンの上に、この黄金のソースをたっぷりと回しかけた。
「さあ、完成だ。特製『永久凍鮭の炙りトロ・黄金チーズ卵黄ソースがけ』だよ」
『ニャアアアッ! チーズと焦げた魚の匂いがたまらないニャ!』
クロが真っ先に、一切れを口に放り込む。
サクッ……ジュワァァァァッ!!
『――――ッッ!! ニャ、ニャムゥゥゥゥッ!!』
クロの瞳孔が限界まで開き、全身の毛がブワッ!と逆立った。
『な、なんだこの口溶けは!? 氷水解凍のおかげで、サーモンの旨味がしっかり残ってるニャ! 皮の香ばしさと、トロの甘い脂が口の中で溶けるニャ!』
シロも嬉しそうに羽をパタパタとさせている。
『ピロロロッ! 熱でトロトロになったチーズの塩気と、卵黄のコクが、鮭の脂をとてもまろやかに包み込んでいます。極上の味わいですね!』
俺もサーモンを一口食べ、その濃厚な美味さに思わず息を吐いた。
「……うん、美味いな」
炙った鮭の脂と、加熱用チーズの滑らかな溶け具合。そして卵黄のまろやかさ。これらが一体となって、極寒の氷谷にいることを忘れさせてくれるような、優しく温かい味がした。
「ジェットヒーターと美味しいサーモン。これで第二層もクリアだな。残るはあと一層、気をつけて進むとするか」
熱々のソースとサーモンで胃袋と体を温め、俺たちはカルデラ完全脱出への最後の関門(第一層)に向けて、氷の谷を静かに歩み出していくのだった。
【第118話:完】
収穫: カルデラ第二層の突破、永久凍鮭。
知識更新: 冷凍食材は「氷水解凍」が最もドリップを出さずに美味しく解凍できる。加熱用チーズは熱を通し、少し冷ましてから卵黄と混ぜることで、滑らかな黄金のソースになる。
現在の気分: 炙りサーモンとチーズと卵。少し肌寒い場所で食べる脂の乗った魚は、やっぱり最高に美味い。残るカルデラの層はあと一つだな。




