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終 -Endpoint-  作者: 不覚たん


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9/11

これがお前の理想郷だよ、人間(九)

 コンビニで甘いものを手に入れた俺たちは、それなりに警戒しながら自宅を目指した。


 けだるい昼下がり。

 黒ずんで苔だらけのブロック塀、錆びた鉄柵、どこかの家の庭の樹木……。住宅街だからか、歩を進めるたびにそんな景色が繰り返される。風がないせいか、すべてが止まって見える。

 この街は死んでいるのか?

 しかし日差しはやわらかい。

 まるで苦しみもなく、眠るように死を迎えたかのように。


 肉塊の姿はない。

 動いているのは俺たちだけ。


「そういえば、最初、公園でなにを慌ててたんだ?」

 俺がそう尋ねると、ツバキは忘れていたのか「へっ?」と生返事をした。

「ああ、メガネのこと?」

「メガネって?」

「あたし、マスターにメガネちょうだいってお願いしたの。それをつければ好感度が分かるから」

 メガネ?

 だが、俺たちが拾ったのは指輪だ。

 好感度が分かる。


「なにが違うんだ?」

「その指輪には、メガネ以外の機能もついてるんだ。いろんな道具の上位版……っていうのかな。たぶんマスターは、このあともあたしがいろいろ要求すると思って、先に指輪を渡してきたんだと思う」

 ヤバそうなアイテムだな。

 子供にライターを与えるようなものじゃないのか?

「どんな機能があるんだ?」

「んー。まあ教えてもいいけど、あんまりズルするとすぐ審判になりそうだしなぁ」

「なら、知らないほうがよさそうだ」

 暴発しないならそれでいい。


 それにしても、じつに穏やかだ。

 ぬるい休日の午後みたいな。

 こういう日に、昼間から酒を飲んで一日を台無しにするのは最高だ。こんなことなら酒ももらってくるんだった。


 俺はひとつ呼吸をした。

 いまが春なのか秋なのかも分からない。

 分かるのは、夏や冬でないということだけ。


「ところで、マスターってのは公園が好きなのか?」

「なんで?」

 俺の問いに、彼女はきょとんとした顔で首をかしげた。

 なんではこっちのセリフなのだが。

「事あるごとに公園が使われるじゃないか。たまには別の場所でもよさそうなもんなのに」

「別の場所って? 人の家とか?」

「それ以外でも」

 すると彼女はふっと笑った。

「でも公園が一番じゃない? みんなの場所なんだから」

「いうほどみんなの場所かな? 管理してるのは自治体だし、たびたび排除的な活動もおこなわれてる。あんまりみんなの場所って感じはしないけどな」

「それでも、他の場所よりは自由でしょ?」

 マスターってのは、そういうことを気にするタイプなのか?

 もしかすると、悪魔ではなく神なのかもしれないな。あるいはその両方か、どちらでもない可能性もあるが。


 *


 帰宅すると、エプロンをしたツキが出迎えてくれた。

「お帰りなさい」

 無表情。

 いや、無表情なだけならいい。

 殺意が半数を超えている。いや、八割……九割くらいはある。


 え、なんで?

 今回はいちども手を出していないのに?

 最大限配慮したつもりだったのに?


 俺の顔を見て、ツバキも察したらしい。

「た、ただいまー。ツキちゃん、あまいもの食べたくない? いっぱい持ってきたから食べなよ?」

「いえ、先ほどお昼を済ませましたので」

「お昼?」

「お二人の分も作ったのですが、もうさめてしまいましたね」


 昼などとうに過ぎている。

 彼女は朝食の後片付けをしただけでなく、俺たちの昼食まで作って待っていたのだ。


 俺は思わず慌ててしまった。

「ご、ごめん。あとで食べるから、捨てないでおいて欲しいな」

「はい。捨てませんよ。でも、これは私が食べます。お二人のぶんは、また新しく作り直します」

 殺意のメーターが地味にぷるぷる震えている。震えながら微増している気がする。自分の意見を言わない代わりに、溜め込むタイプの性格だったか……。


 ツキは表情を変えずに告げた。

「いまコーヒーを用意しますね」

「ま、待った! 自分でやるよ!」

「でも、これは私の使命ですから」

「使命とかいいから!」

「えっ?」

 さすがに迷惑そうな顔。

 俺の言動はすべてが裏目に出ている。

 メーターの振動はとどまることがない。

 まるで噴火する前の胎動。このままでは100パーセントを突破しそうな勢いだ。


 俺が次の言葉を出せずにいると、彼女はなんとも言えない顔で給湯室へ行ってしまった。

 応接室には棒立ちの二人。


 ツバキが半笑いで近づいてきた。

「え、どうなの?」

「ほぼ上限に近い」

「あらら……」

 このままではルート分岐どころか、審判の前に爆発しかねない。

 なんとか誤解を解きたい。


 いや、誤解という言い方は失礼か。

 彼女は彼女の感じた通りに判断しているだけだ。

 それを誤解などと呼ぶのは、あまりに俺の都合を優先しすぎている。つまり、俺の振る舞いが問題なのだ。俺が彼女の神経を逆なでしている。


 世の男たちは、これをどう乗り切っているのだ?

 ネットを見る限り、男女はいつも対立している。なんで一緒にいるのか分からないレベルで。そんなに互いを嫌いなのに、いつでも互いの存在を欲している。バカみたいだ。俺には人間というものが分からない。


 ツバキは声をひそめて言った。

「まあ、でも、ひとつだけ簡単な方法があるよね」

「えっ?」

「リセットしちゃえばいいんだよ。お兄さんの持ってる銃でさ」

 この女……。

 他意はないのかもしれないが、あまりにおぞましい提案だ。


 だが、それをやらずにいたら、ツキの殺意は半数を超えたまま審判の日が来るだろう。すると俺はまた肉塊になる。今度は人間に戻れず、自我を失うことになるかもしれない。

 もしやったら? 次はツキの代わりに、俺に殺意を抱かない女が現れるかもしれない。そしたら俺は肉塊になることなく、別ルートに入ることができる。


 自分の都合で女を殺すか。

 自分を殺すか。


 これはべつに究極の選択じゃない。

 答えなど最初から出ている。

 誰しも自分を殺す選択を選ばない。

 まあ選んでもいいが。それは偽善じゃない。自分の好きなほうを選んだというだけの話だ。

 俺は自己犠牲を美談にしたくはないのだ。美談にでもせねばやっていられない状況ならともかく。それが美談になってしまうと、他者にもそれを強いることになる。絶対にあってはならない。俺はそこに善とか悪とかの情報を付記すべきでないと考える。付記してもいいが、個人の内心にとどめておくべきものだろう。


 しかしその上で、この答えを出すのは簡単ではない。

 ツキは人間ではない。マスターとやらが作った肉人形だ。あるいはAIみたいな存在かもしれない。

 殺したところで、殺人にはならない。

 理屈の上ではそうだ。

 そうだが、じゃあ俺はそれを選ぶのか、というと……。

 これは理屈を超えている。少なくとも人間の、という表現が適切でないなら、少なくとも俺の理屈を超えている。


 価値に優先度をつけられない場合、どちらを選んでも同等の傷を負う。

 どちらを選んでも後悔の度合いは変わらない。

 新たな情報が追加されない限りは。

 問題は、新たな情報が追加された場合に、後悔の度合いが変化するということだ。人間はいつもそれを怯えている。


 *


 夕飯は、ハンバーグだった。

 ツキだけがチキンライスを食べた。昼に俺たちのために作ってくれたものだ。それをあたため直して、文句も言わずに食べていた。

 当然、メーターは下がらなかった。


 後片付けも、またひと悶着あってからツキがやることになった。

 もはや彼女の行動は止められない。

 メーターも下がらない。


 応接室のソファに残された俺とツバキは、なんとも言えない空気の中、壁越しに食器を洗う音を聞いていた。


「メーターがヤバい」

 俺の口からはそれしか出てこなかった。

 赤いメーターがずっとぷるぷるしている。気になって他のなにも目に入らない。もはや夢に出てくるレベルだ。


「あー。まー、ね……」

 ツバキも手の打ちようがないのか、視線を泳がせている。


 選択するしかない。

 このまま肉塊になるか、ツキを射殺するか。もちろん射殺せずに問題を回避できるなら、それに越したことはないのだが。

 もちろんその他のルートもありえる。


「あれが最大まで行ったらどうなるんだ?」

 なかば分かり切ったことだが、俺はそう尋ねた。

 ツバキは、しかし意外と平然とた表情だ。

「殺されるかもって思ってるの? それはないと思うよ。心って、そこまで単純じゃないからね。もし限界に達しても、その限界を超える別のなにかがあれば、それは実行されない。あの子の場合、マスターの使命とかね」

 お世話をするという使命の優先度が、自分の意思より高いということか。

 まあそうなんだろう。

 そうじゃなかったら、あれほど自由にさせてはくれなかったはずだ。


「はぁ。俺はなんでこんなに嫌われてるんだ……」

「心当たりはないの?」

「ある」

「じゃあダメだね」

 そう。

 ダメなのだ。


 単にツキが面倒な性格というだけならば、俺だってこんなに悩んだりはしなかったかもしれない。だが、この事態を招いた原因は俺なのだ。そうである以上、ツキを責めるわけにはいかない。

 俺が肉塊になってアスファルトを転がっていたとき、彼女は俺に救いの手を差し伸べてくれた。あのとき、彼女の姿は天使に見えた。絶対に彼女を不幸にしてはいけないと思った。

 なのに……。


 *


 家にいるのが次第につらくなってきた。

 だから俺は食料調達の名目で、毎日のように外出した。ツバキもついてきた。そしてすることがなくて、二人で公園に行って……。


 ツバキはいつでも愛らしかった。

 口ではいろいろ言ってくるが、素直なところもあって。

 ウサギみたいにぴょこぴょこ跳ねて。

 小柄で、弱くて、ひとなつっこくて。

 こちらに殺意を抱くこともない。

 俺も彼女には優しくした。できるだけ丁寧に、壊さないように扱った。


 きっと相性がいいのだろう。

 最初に出会ったのが彼女ならよかったのに、と、何度も考えてしまう。

 もしそうだったら、俺は一度も肉塊になることなく、別ルートとやらに入れたはず。肉塊にならないのだから、ツキに助けてもらうこともなかった。誰にも負い目なく、ただツバキだけを愛していられた。


 ツキの赤いメーターは、震えながらじわじわ伸びている。

 遠からず審判の日が来てしまう。


 選択しなくては。


 公園でツバキのお世話を受けている場合ではない……。


(続く)

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