これがお前の理想郷だよ、人間(十)
「ツキさん、少し、話をしないか?」
ある日のこと。
俺は食料調達に出かけることなく、ツキを呼び止めた。
まあ調達する必要がないくらい食料であふれていたからというのもあるが。
「はい、もちろんです」
ツキは無表情だった。
事務的な態度というか。
ソファで横になっていたツバキは、大儀そうに身を起こした。
「じゃ、あたしは席を外そうかな」
「悪いな」
この宗教施設には瞑想室もある。
だが誰も瞑想には使っていない。いまではもっぱら横になって漫画を読むのに使われている。
ツバキが退室すると、静かだった部屋がさらに静まり返った。
もともと街の音はないから、俺たちの立てた音以外にはなんの音もしない。
手で促すと、ツキはソファに腰をおろした。
俺はその対面に座る。
「先に謝ることがある」
「えっ」
俺は指輪を外して、テーブルに置いた。
「マスターから指輪を借りていた。相手の感情が見えるものだ。これで君の感情を見ていた」
「そ、そうですか……」
困惑したような態度だ。
見た目だけは。
しかし内部では、俺に対する殺意が降り切れそうになっている。
「人の心を覗くようなマネをして申し訳ないと思ってる。だからこれはもう使わない」
「私は構いませんよ」
「それでもだ。その上で、率直な意見を聞きたい。君は、俺を殺したいと思っているのか?」
こんな質問をすべきではないのかもしれない。
だが、もうすでに分かり切っていることを、この極限に近い状態で確認しないというのは、なんだかバカげているように感じられた。
彼女はおそらく人間ではないが、心がある。心があるなら、パラメータを覗いて終わらせるのではなく、対話すべきだろう。
彼女の膝の上に置かれた手が、ぴくっと動いた。
「こ、殺……えっ?」
「正直に言って欲しい。いや、責めてるんじゃないんだ。原因は間違いなく俺だろうし。その上で、今後、君がどうしたいのか知りたい。俺は君に恩がある。これ以上、俺のせいで不快な思いをして欲しくない」
「いえ、でも……私……」
「知りたいんだ。君がどうしたいのか。できる限り応じたいと思ってる」
単に「死ね」と言われても困るが。
まあその場合でも、互いにムリのない妥協点を探す手掛かりにはなると思う。いや、ならないか。それでも、なにも知らないまま現状を維持するよりはマシだろう。たぶん。
ツキのか細い手が、震えはじめた。
指輪を外してしまったから、どんな感情かは分からないが。
「わ、私……」
「うん」
「私も……自分でも、どうしたいのか……」
分からない?
芽生えてしまった殺意に戸惑っている、ということか?
「いいんだ。あせらないでゆっくり考えよう。自分の感情を否定しなくていい。俺に死んで欲しいと思ってるなら……。もちろん言葉通りに死ぬのは難しいけど。たとえば、住む場所を分けるとかはできるはずだ」
「でも、そしたらお世話が……」
「それはマスターの意思だろう。いまは君の意思を優先してくれ」
「でも、そしたら私の存在意義が……」
「ツバキはもっと自由にやってるじゃないか。マスターの存在とは関係なく、君には君の存在意義があるんだ」
「あるんでしょうか……?」
「あるよ……」
彼女があまりにかたくなだから、俺も不安になってきた。
機械なのか?
いや、機械でもいい。少なくとも心はある。俺にはそう見えている。もし心がないのなら、殺意だって抱かないはずだ。
俺はカップのコーヒーをすすった。だいぶ前にいれたものだから、さめてしまっている。
それでも、コーヒーに頼りたかった。間を持たせたくて。
彼女はじっと自分の手を見つめ、震えを抑え込んでいた。
「じつは、マスターから聞いてしまいました。このままだと、あなたがまた怪物になってしまうということ」
「うん」
「解決策も知ってます。その銃で……」
「それはやらない」
すでにツバキには確認している。
審判で八つ裂きにされても彼女たちは生き返る。あれは痛みを与えるだけの行為だからだ。だが、この銃で撃たれたらもう生き返れない。これは特別な銃なのだ。なぜそんな機能が与えられているのかは知らないが。
会話が途絶えたので、俺はかすかに呼吸をしてこう尋ねた。
「もしそうまでして、この状況から逃れたいのだとしたら……」
「ち、違います! 人間さまのせいでは……」
「俺のせいじゃないとしたら、誰のせいなんだ?」
「ですから、それは私の……」
自己犠牲、というわけか。
そうするのが正しいと思い込んでしまっているんだろう。
彼女自身、みずからの殺意のやり場に困っているのだ。本当は俺を責めたいのに、自分に転嫁して解決した気になっている。そうしないと、使命と矛盾してしまうから。
典型的な洗脳の手法だ。
だが、よく分からない。
もしツキが洗脳されているのだとしたら、ツバキはなぜあんなに自由な状態で放置されているのだろう?
もしかして、マスターは洗脳などしていないのか?
ツキという個体が、周囲の環境から学び、みずからの個性によって現在の意見を導き出してしまっただけ……ということか?
個性の問題なのだとしたら……。
この「審判」というシステムのある状況下で、彼女を抱えておくのは「リスク」ということになる。彼女は、絶対に人間を怪物に変える存在なのだ。
ふと見ると、彼女の視線は、自分の手からテーブルに移動していた。テーブルというか、指輪だ。気になるのかもしれない。
「その指輪、もしよかったら付けてみなよ」
「えっ?」
「俺の感情が見えるはずだ」
たぶん性愛だけが異様に突出しているはずだ。
そして彼女は知るだろう。
そんな人間に気をつかう必要はないのだと。
彼女が「えっ? えっ?」と困惑していたので、俺は指輪をそっと彼女のほうへ動かした。
「状況を判断するなら、情報は多いほうがいい」
「でも……」
「遠慮することはない。ツバキもつけたよ」
「ツバキさんも……」
不審そうに下から見上げてくる。
べつに俺が勧めたわけじゃない。彼女が最初にそれを拾って、こちらが判断を加える前につけたのだ。選択肢などなかった。
俺はつけるのを待ってるよとばかりに、横を向いてコーヒーをすすった。
彼女はそれでも迷った様子だったが、おずおずと指輪に手をのばし、自分の指にはめ込んだ。つぶらな瞳でこちらを見つめてくる。以前は愛らしいと感じた目だが、いまは耐えがたいものを感じる。俺のダメなところをすべて見られるのだ。なんだかんだ言って、この女を性的に搾取することしか考えていない、ということを。
彼女の呼吸が荒くなっていった。
目に涙までためて。
しばらくそっとしておいたほうがいいかもしれない。
そう思って気を抜いていると、ふと、彼女が立ち上がり、こちらへ近づいてきた。目の前まで。以前はずっと近くにいたのに、これだけ近づいたのは人間に戻ってから初めてかもしれない。
彼女は、すっと手を伸ばしてきた。
腰のあたり。
俺はその手をつかんだ。
「なにをする気だ?」
「死なせてください……」
俺の銃を奪って、自分を撃つつもりだったのか?
「いったん冷静になってくれ。死にたいほどイヤなのは分かったから」
「違います……」
彼女は泣くのをこらえているが、あきらかに無表情を保てていない。恨むような目をしている。
「違うなら、なぜ死ぬなんて言うんだ」
「あなたのためにも、私は死んだほうがいいから……」
「俺のためを思うなら、そんなこと思わないでくれ」
なんだこの会話。
彼女は、俺を殺したかったんじゃないのか?
でも殺してしまうとマスターの使命と矛盾するから、自分を消そうとした。
そう予想していたのだが。
なんだか、そうではない気がしてきた。
互いに、言葉はなかった。
俺も彼女の腕をつかんだまま、動けなかった。もし手を離したら、彼女は銃を奪って自殺してしまう。
「私の存在が、あなたを苦しめてる……」
「それは逆だろう。俺のせいで君が苦しんでるんだ」
「だったらお互いが、お互いを苦しめてるんです。なおさら不幸じゃないですか……」
最悪だ。
なぜこんな結論になる?
俺は慎重に、彼女の手を解放した。
「頼む。これは命令だ。死なないでくれ」
「それは……」
「少し、感情を整理するための時間が必要だと思う。家事は俺とツバキでやるから。君はしばらく休憩しててくれ。これも命令だ。拒否権はない。いいね?」
「……」
命令などしたくないが、彼女の命がかかっているなら話は別だ。使えるものはなんでも使う。
溜め息が出そうだ。
なぜ俺は、もっと早く彼女と対話しなかったのだろうか。
状況をあまりにも簡単に考えていた。
以前みたいな強要をしなければ、彼女は俺を見直すだろうと考えていた。だが、それは本当に、単に俺の個人的な願望であって、事実とは無関係の虚構だったのだ。俺は自分勝手にゴールを設定して、そこにすべてを導こうとしていた。それは彼女にとってのゴールではなかったのに。
結局、独りよがりなのは以前と同じだ。俺はなにも変わっていない。自分をいい人間だと思いたかっただけ。
なぜ俺はこんななんだろうか。
どうあがいても好きな相手を傷つけてしまう。
つらすぎる。
俺みたいなヤツは、肉塊になって永遠にのたうち回るのがお似合いなのかもしれない。いや、でもそれは本当に避けたい。あんなにみじめな思いをするのは絶対にイヤだ。
クソみたいな選択肢しかない。このままでは誰も救われない。
なにもかも忘れて、ツバキにあまえたい。
あの子は……俺を拒絶しない。
小さな体で、なんでも受け入れてくれる。
俺はツバキと次のルートに入りたい。
(続く)




