これがお前の理想郷だよ、人間(十一)
その晩、俺は銃を奪われないように警戒しながら寝た。
漠然とした違和感を抱きながらも。
*
翌朝、目を覚ましたときには、すでに二人が朝食を始めていた。
窓からはやわらかな日差し。部屋はトーストとコーヒーの香ばしいにおいに包まれている。幸福な朝と表現していい。雰囲気が死んでいることを除けば。
ツキも、ツバキも、会話もなく、もそもそとトーストをかじっていた。
俺を起こさないための配慮かもしれないが。
「おはようございます。すみません、起こしてしまいましたよね?」
「いや、大丈夫。おはよう」
ツキは無表情のまま……いや少しこちらを気にかけたような様子で、声をかけてきた。
ツバキもトーストをもぐもぐしながら「おあよ」と便乗。
夜中に何度も起きてしまったせいで、睡眠が浅かったのだろう。おかげで起床が遅くなってしまった。
「ちょっと顔洗ってくるよ」
「はいどうぞ」
ツキはなんてことない顔で応じてくれる。
ほぼ無表情だが、少しだけ……普段とは違う感じがする。こちらを観察しているみたいな。例の指輪をしているから、メーターが気になるのかもしれない。
*
俺は応接室に戻ってトーストをかじり始めた。
二人はすでに食事を終えて、コーヒーを飲んでいる。砂糖とミルクをたっぷり混ぜて。
俺は気取っているわけではないが、ブラックのまま飲む。味にこだわりがないだけだが。カフェインさえ摂取できればそれでいいという考えだ。
ふと、ツバキがソファにふんぞり返った状態で、「あのさー」と切り出した。
いったい俺とツキのどちらに言っているのやら。
単にこれだけの発言で、室内がピリついてしまう。いや、俺が気にしすぎなだけかもしれないが。
「お兄さんさ、このあとデートしない?」
「なんだよ、デートって」
どうせ公園に行って……いつものアレが始まるんだろう。
俺もそうしたい気持ちはヤマヤマだが……。
急いでコーヒーを飲み終えたツキが、今度は本当の本当に無表情で応じた。
「行ってきたらどうですか? 後片付けは私がやっておきますので」
「待ってくれ。昨日の話を忘れたのか? 君は休憩だ。片付けは俺がやる」
「使命が……」
「命令だ」
「でも、あなたの命令よりも、マスターからの使命のほうが優先されるので……」
頑固過ぎる。
なぜ自分で自分を追い詰めるんだ。ほかの生き方が分からないみたいに。
いや、「みたい」じゃなくて、本当に分からないのかもしれない。
ツバキが悪い笑みを浮かべた。
「え、いいじゃん。ツキちゃんやるって言ってんだからさ。行こ?」
「いや、これは大事なことだから……」
俺が言いかけている最中に、ツキは「大丈夫です。行ってきてください」と告げ、自分の食器を片付け始めた。
これはもうなにを言っても聞かないヤツだろう。
*
その後の交渉も虚しく、俺はツバキとデートに出かけた。
というか、俺に言わせれば、家を追い出されたようなものだ。使命だなんだと言い張って、俺の話など聞こうともしない。
公園に向かう途中、だいぶ遠くに肉塊を見つけた。俺はクッションを押し付けながら、そいつの胴体を撃ち抜いた。距離があったから、小指ほどのサイズ感だったが。クッション越しでも当たった。
命がけでやっているだけあって、上達も早いのかもしれない。
まあ、射撃の腕があがったところで、他に使い道もないのだが。
「あのさー、あたし、聞いちゃったんだけど」
歩きながら、ツバキはそう切り出した。
ロクでもないことを言い出しそうな気がする。
「なにを?」
「ツキちゃん、お兄さんの銃奪って死のうとしてたよね?」
「まあ、そうだな……」
ツキから相談を受けたとは思えないから、きっと盗み聞きしていたのだろう。
悪い子だ。
どういうつもりか、ツバキは笑っていた。
「お兄さん、あんときどう思った?」
「どうって……。あせったよ」
「で、寝てる間に銃を盗まれないかと思って、不安になって寝不足になっちゃった?」
「そうだよ。悪いかよ?」
すると今度は、ぷーくすくすと煽るような笑いが出た。
「やば。思考力ゼロになってんじゃん」
「なるだろ、そりゃ」
頭がまっしろになる、という状態だ。
実際に白いかどうか分からないが、適切な解決策を導き出せなかったのは事実だ。
「でもさあ、肝心なこと忘れてるよね。その銃、あたしらには使えないってこと」
「えっ?」
「だってそうじゃん。お兄さんにしか使えないんだよ、その銃」
「……」
そういえばそうだ。
巫女たちは戦えない。
なぜかというと、この銃は俺専用だからだ。他の誰にも扱えない。だから巫女が一緒にいても、人間は無防備に寝ていられる。ずっとそうだ。あまりのショックですっかり忘れていた。
ツバキは満面の笑みでこちらの顔を覗き込んで来た。
「騙されちゃったねぇ?」
「べつに……」
あれが演技だったかどうかは分からない。
彼女も混乱していた可能性がある。
「あれれ? 怒らないの? 悔しくないの?」
「彼女の行動を茶化したくない」
「ふぅーん」
ツバキは急につまらなそうな顔をして、ぷいと顔を向こうへやってしまた。
いったいどんな反応を期待していたのやら。
*
公園につくと、さっき煽られた仕返しをした。
べつに俺がサディストだからじゃない。
ツバキがそうしていいと言うから……。
自分でも気づかないうちにストレスがたまっていたせいか、くたくたになるまでやった。
ツバキは何度も「もうムリ」と言ったのに。
ちっともおさまらなかった。
終わってから、俺は水道の水をたらふく飲んで、ベンチに腰をおろした。
しばらく動けそうにない。
すぐに負けてしまうツバキを見ると、さらにいじめたくなってしまう。優しく丁寧に扱わなくてはと頭では思っているのに。もっともっといじめたくなってしまう。
女子トイレからツバキが出てきた。
「もー、見てよ。お兄さんが強くするから、ここんとこアザになっちゃった」
「ごめん……」
「これさー、ツキちゃんが見たら、なんていうかなぁ?」
「……」
なんとでも言えばいい。
べつに浮気してるじゃない。
俺はもうツキには手を出さない。付き合っているわけでもない。彼女がそれを望まない以上、俺はその意見を尊重するしかない。
そういう関係になっているのはツバキだけだ。
ツバキはぐっと顔を近づけてきた。
「本気にしないでよ。怒ってないよ」
「いや、そういうわけには……」
「そんな顔されると困っちゃうなぁ。じゃあさ、また甘いもの食べに行こうよ。そしたらちょっとは明るい気分になれない?」
「ああ、そうだな。そうしよう」
なんでこの子は、こんなに前向きなんだろう。
*
あちこち寄っていたら、また昼を過ぎてしまった。
ツキが怒っていないといいが……。
いや、なんだろう。
それどころでは……ない……ような……。
穏やかだった空に、煙があがっていた。
まるでどこかで火災でも発生したかのように、黒煙が、一ヵ所から真上にのぼっている。
俺たちの帰ろうとしていた方角。
偶然なんかじゃない。
襲撃だ。
駆け出そうとした俺は、ツバキに腕をつかまれた。
「なんだ? なんで止めるんだ?」
「落ち着いて。罠だよ」
「はっ?」
もちろん罠だろう。
俺たちがいなくなるのを見計らって、住居に火を放ったのだ。
首謀者は例の「ゆっくん」だろう。時間がかかったところを見ると、ずいぶん入念に準備をしたようだ。
どうやって俺たちの拠点を突き止めたのかは分からないが。まあ、俺がやったように、地道に音に耳を傾けたのだろう。クッションで音を抑制しているとはいえ。あんな大きな音を立てるのは火薬くらいしかない。時間をかければいつかはバレる。
ツバキはぐっと強く俺の腕をつかんでいた。
「どんな想像してるのか分からないけど、たぶん違うよ」
「違うって、なにが?」
「あれは建物を攻撃してるんじゃない。あたしたちが慌てて戻ってくるのを待ってるんだよ」
「……」
一理ある。
いや、一理どころか……。
「詳しく聞かせてくれ」
「前にも似たようなことがあったの。人間がいなくなってから火を放って、戻ってきたところを罠にハメるパターン。あいつら、ムリにゲートを乗り越える必要なんてないの。火をつければ、人間がカギを持ってきてくれるんだから」
なんてことだ。
完全に想定外だった。
「ありがとう。たぶん、君の意見は正しいと思う。このあとの提案は?」
「まっすぐ帰らないこと。迂回して背後をつこう。スピードだけ見たら、こっちのが完全に有利だから」
まだ終わっていないから結論は出せないが、いま俺は、おそらく彼女に命を救われた。
彼女の経験によって。
俺たちの拠点がバレている、ということは、敵は以前から俺たちの行動を観察していたはずだ。
基本的には、自宅と公園の往復。途中で店に寄って食料を調達する。そのルート上でたまに発砲する。
以上。
じつに分かりやすい行動傾向だ。
火をつければ、外出した俺たちがどのルートで戻ってくるかは予想するまでもない。
ちょっと認識がアマかったかもしれない。
いや、ツキの件で、それどころではなかったと言うべきか。
俺は念のため、こう尋ねた。
「あいつらは、まだゲートを突破してないと考えていいのか?」
「たぶんね。もし突破できるなら、火なんて起こさないで、敷地内で待ち伏せしてたほうがいいもん。そしたらあたしたちは、警戒しないで帰宅してたはずでしょ? でも火を起こしたってことは、こっちを警戒させてでもあそこに呼びたかったんだよ」
「なるほど。完璧に把握した」
周到な作戦だ。
少なくとも俺には思いつかなかった。
敵は肉塊とはいえ、頭の中身だけは普通の人間なのだ。特に、ああいうサディストみたいなヤツは、人を傷つける手段を考えるのだけは得意。
裏の裏をかいてくる可能性もある。
具体的になにを仕掛けてきているかは不明だが、大事なのは、アクシデントに遭遇したときに、慌てないことだ。奇襲というものは、こちらがパニックを起こさなければ被害を最小限に抑えられる。
ここからは、お望み通り知恵比べといこうか。
ただの肉塊ではなく、人間として、な。
(続く)




