これがお前の理想郷だよ、人間(七)
裏通りを進んだからか、肉塊とは遭遇しなかった。
無人の街。
だけど路地裏というのは、以前からだいたいこうだったと思う。街の機能は表通りに集中しているし、人もそこを通る。なんなら肉塊もそうだ。人だったころの習性かもしれない。
俺たちは周囲を警戒しながら散策を始めた。
どこかにコンビニかスーパーがあるはずだ。
俺が先頭に立ち、彼女は後ろ。女は三歩さがって歩け、という意味で俺が先行しているのではない。単に俺が前衛を担当し、彼女が後衛を担当しているというだけの話だ。
「あのー、ツキさんよ……」
「はい」
俺が振り向きもせずに声をかけると、彼女はかいがいしく追いついてきた。フォーメーションが崩れてしまうのだが……。
「まだ、ちゃんと謝ってなかったと思って。ごめんなさい」
「えっ? なんですか急に……」
「前回の俺は、ちょっと……いや、かなり身勝手過ぎた。その件については、本当に申し訳なく思ってる」
「なんで謝るんですか? なにも気にしないでください。私の使命は、人間さまのお世話をすることなんですから」
逆にサイコパスか?
嫌だったから俺を拒絶したんじゃないのか?
使命ならなんでもいいのか?
それはそれで怖いのだが。
「とにかく、前回みたいな関係はやめにしよう」
「前回って?」
言わせたいのか?
本当にサイコさんなのか?
俺はあえてスルーして、こう続けた。
「君には君の都合があるとは思うけど……。今回は、ちょっと違う感じで行かせてもらおうと思ってる」
「はい……」
なんだか分かっていないような生返事。
不安そうな表情でこちらを覗き込んでくる。体を傾けると、長い髪がサラサラゆれて愛らしく見える。俺はもうこの女を好きになりたくないのに。
「俺が言いたいのはそれだけ。まあ、次の審判までよろしく頼むよ」
「はい……」
やはり釈然としない表情。
なんとお思っていないのだろうか?
そんなワケはないのに。
*
誰が仕入れて誰が店頭に並べているのかは知らないが、店にはまともな食料が並んでいる。まるで誰かの「こうだったらいいのに」を具現化したみたいに。
買い物客のつもりなのか、店内には肉塊どももいた。俺は買い物をするまえに、まっさきにそいつらを射殺した。バカのフリをして、中身が人間の可能性もある。幸い、店内での発砲は、あまり外に音が響かない。遠慮なく殺せる。
「今日はなにが食べたいですか? 煮魚? ハンバーグ?」
「君の食べたいものでいいよ」
「それがいちばん困ります……」
二人並んで商品を選んでいると、まるで恋人同士みたいだ。
ぜんぜん違うのに。
そもそも、俺はこういう感想を抱いて、ひとりで浮かれてしまうからダメなのかもしれない。些細なところから勘違いがエスカレートするのだ。彼女は使命でやっているだけ。俺はそれに巻き込まれているだけ。それ以上の関係ではない。
*
商品はカートごと拝借した。
金も払っていない。
他の人類が絶滅したのをいいことに、やりたい放題だ。
そう。
街のすべては、唯一の人間が自由にできる。
なにをぶんどってもいい。
どの建物に入ってもいい。
壊してもいい。
本来なら「その代わり、管理も一人でしなければならない」となるところだが。管理は謎の力で実行されている。スーパーも、コンビニも、雑貨屋も、水道も、発電施設も、なにもかもが正常に稼働している。
この状況は、俺にとってあまりに都合がいい。
俺というか、たった一人の「人間さま」にとって。
*
「タコパ、楽しみです」
「ピーナッツ入れると意外とうまいんだよね」
「そうなんですか」
肉塊に遭遇することなく、俺たちは自宅へ戻った。
ゲートを閉じて施錠して、中に入る。
「あ、おかえり。遅かったじゃん」
誰かいた。
そいつは白い布を巻いただけの格好で、応接室のソファで横になっていた。テーブルには茶まで置かれている。まるでこいつの実家のように。
俺は銃を構えなかった。どう見ても巫女だ。ツキとは似ていない。そいつは黒髪だが、肩まであるかどうかというショートヘア。気の強そうな顔立ち。小柄。
「分かってると思うけど、あたし、新しい女ね。ツバキ。よろしくぅー」
よろしくではない。
俺は溜め息にならないよう、静かに息を吐いた。
「えーと、つまり……。どういうこと? まさか、ツキさんの代わりに?」
「違う違う。お兄さん、二週目でしょ? だから女も二人目が来たの。分かるじゃん、それくらい」
「分からない。事前になんの説明も受けていない」
「なんか買ってきたの? 甘いのある?」
こいつ……。
ツキは袋をあさった。
「チョコレートでよければ」
「お、いいじゃんいいじゃん。で、名前は? まだ聞いてないんだけど」
「ツキです」
「知らない子だね。最近生まれたばっか?」
「はい……」
「じゃ、あたしのほうが先輩だ? あー、いいからいいから。気ぃ遣わないで。あたしそういうの気にしないタイプだから。まあ座んなよ」
お前の自宅ではない。
ツバキはチョコを一人でむさぼりながら、こう続けた。
「あー、でも新人ちゃんかぁ。じゃあ、なんも分かってないでしょ? なんかマスターに言われた通りにやりゃいいみたいな? 分かるぅ」
「マスターのお言葉は絶対です」
「ま、別に逆らう必要はないけどさ。真面目にやったところで、べつになんもないから。ほどほどにやんなよ。ほどほどにね。あんまムリしてももたないから」
「……」
ツキは、露骨にツバキを警戒していた。
直感的に怪しんでいるというよりは、マスターのことを悪く言われてカチンと来ている感じか。
俺は向かいのソファに腰をおろしつつ、しいて話題を変えた。
「なぜまた女性なんだ? 俺が男だから?」
するとツバキはふっと鼻で笑った。
「お兄さん、本気で言ってんの? お兄さんの好みが女だからでしょ? もし男が好きなら男が来てるよ。お兄さんの性別は関係ありませーん。実際、こっちもどっちでもいいしね。女同士ってことも何回もあったし。ま、あたしのことはさ、そっちの一号みたいに使ってよ。それがあたしらの『使命』だからさ」
そう言ってさめた茶をずびずびとすすった。
じつにやさぐれている。
しばらく会話が途切れると、ツバキはキョロキョロと俺たちの顔を交互に見た。
「えっ? もしかしてあたし、二人の邪魔してる?」
「いや、そんなことはないよ。仲間が増えるのは歓迎だ。人が増えれば、できることも増えるし」
「おー、三人でヤりたい感じ? お兄さん、欲張りだなぁ」
「そういう意味ではない」
この女たちは、どうあっても人間を堕落させるつもりなのか。
「あたしさぁ、体ちっちゃいじゃん? だからやべー男にモテんだよね。なんか子供服とか着せられるし。ウサ耳とかもあったなー。あれはキモかったわ。あ、でもお兄さんが望むならウサ耳つけるよ。でもウサ耳って、激しく動いてるとズレてくんだよね。ズレたほうが興奮する変態もいたけど。そう考えると人間ってヤバいよね」
クソ。
想像だけで堕落しそうになってしまう。
なんとかこいつの口をふさがなくては
「これからタコパするんだけど、君もどう?」
「え、食べる食べる。っていうか、参加しないって選択肢はないでしょ。そんなんされたら泣くからね、あたし」
「じゃあ、準備するから、手伝って欲しいんだけど」
するとそのとき、立ち上がろうとする俺の肩を、ツキが抑えた。
「準備は私がします。人間さまは座っていてください」
彼女の手には、少し力が入っていた。絶対に立たせないぞという意思が感じられる。
「いや、でも言っただろ。これからは対等にやっていくって。主従みたいな関係はやめるんだ」
「私の使命は、人間さまのお世話をすること。それを決めたのはマスターです。私はそのお言葉に逆らうつもりはありません」
「一緒にやるくらいいいじゃないか」
「座っていてください。私たちには、それぞれ役割があるんです。お世話を取り上げられたら、私は存在意義を失います」
そのために産み出された彼女にとっては、それがアイデンティティのすべて、ということか。
同じ条件で生み出されたはずの先輩は、そうでもないようだが。
ツバキはまた鼻で笑った。
「やりたいならやらせとけばいいじゃん。こんな立派な優等生がいて、マスターもきっと嬉しいと思うよ。ねぇ?」
「……」
返事はできない。
マスターとやらがなにを考えているのか、俺には分からないからだ。
ツキはカートを押しながら、ひとりで部屋を出た。
部屋には、ツバキと二人きりになった。
俺は大きく呼吸をした。
巫女が増えると思っていなかったから、俺のプランはすべてが組み直しになってしまった。まあプランといっても、ツキに嫌われないよう、なるべく紳士的に振る舞うという程度のものだが。
「ねえ、あの子なんなの?」
ソファに横になったまま、ツバキが尋ねてきた。
あまりいい印象は抱かなかったらしい。
「許して欲しい。少し繊細なんだ」
「なんかあったわけ?」
「なにも」
説明する義理はない。
きっとこじれる。
ツバキは遠慮なく鼻で笑った。
「なにも? え、ヤってないの?」
「な、なにを……?」
「元気な男と女が二人でさ。しかも女の側には拒否権がないんだよ? そしたら絶対始まることがあるじゃん?」
ある。
というか、俺にはあった。
「そうだけど。その件で、俺はかなり反省してるんだ」
「なに反省って? え、もしかしてヤりかた分かんなかったとか? あたしが教えたげよっか?」
「余計なお世話だ」
俺はこの話を打ち切りたかったのだが、彼女はなぜかニヤニヤしながら食いついてきた。
「溜まってんじゃない?」
「うるさい」
「我慢したっていいことないよ? あたしもそういう嫌いじゃないし。あ、それともアレかぁ? 嫌われるのが怖いんだ?」
「……」
それは否定できない。
俺はこれ以上、ツキに嫌われたくない。いや、これ以上、彼女に苦痛を味わわせたくないというほうが正確か。過去をなかったことにはできないから、せめてこの先は負担をかけずにやり過ごしたい。
ツバキはまだニヤニヤしている。この状況を楽しむかのように。
「ふんふんふんふん。はいはいはいはい。なーほーなーほー。なーほーね。はいはい。てことは、やっぱアレの出番かな」
「アレとは?」
彼女の態度から察するに、ダメなフラグがビシビシ立っている気がする。
嫌な予感しかしない。
「人間にとっては夢のような道具だよ。くれるかどうか、あとでマスターに問い合わせとくね」
「道具? 代償になにを差し出すんだ?」
俺がそう尋ねると、彼女はぷっと笑った。
「代償っ!? ないない。なんもないから。こんなんゴネたもん勝ちなんだから。ゴネ得よ、ゴネ得。むしろマスターは、あたしらがいろいろするの待ってんだよね。だから遠慮なんてすることないの」
なんだそれは?
そんなことが許されるのか?
俺はあまりにバカみたいだとは思ったが、いっそ尋ねてみることにした。
「マスターは、俺たちになにをさせたいんだ?」
「いや別に。希望とかないと思う。こっちがやったことに応じて、機械的に振り分けてるだけだから」
「振り分け? 俺の未来には分岐があるのか?」
「それ聞きたい?」
「もちろん」
もったいぶらずにすべての情報を提供して欲しい。
これから一緒にタコパする仲じゃないか。
ツバキは満面の笑みだ。新しい玩具を見つけた子供のような。
「じゃ、それを教えるかどうかは、明日決めようね」
「明日? なぜ今じゃないんだ?」
「いいからいいから。こっちにも段取りってものがあるの。けど、はぁ、これからお兄さんが情報欲しさに、あたしにどう接してくるのか楽しみだよ。ワクワクすぎて漏れそう」
漏らすな。
サディストなのか?
ただ性格が悪いだけならまだしも、なんらかの優位性を確信した上で言っていそうなのが怖い。
(続く)




