これがお前の理想郷だよ、人間(四)
「うー、うー」
俺は街をさまよいながら、天に呼びかけている。
助けて。
許して。
神さま……。
バランスが不安定だから、すぐに転ぶ。
そして転んでしまうと、自力では起き上がれない。壁や柵の助けが必要になる。幸い、転倒のダメージは少ない。分厚い腹で着地するからだ。ただし息が持たない。少し動くとぜえぜえする。
銃はどこだ?
人間はどこだ?
首と胴体が合体しているから、キョロキョロするのも容易ではない。
いや、ありえないだろ。
なんなんだこの重たい体は。
これからずっと肉塊として生きるのか?
そして英雄気取りの人間に、遊び半分で撃ち殺されるのか?
ふざけるんじゃねーよ……。
俺の人生、なんだと思ってんだよ。
俺がなにか悪いことをしたのか?
したならしたでいい。
せめて説明してくれ。
納得できない。
許せない。
悪魔め……。
少し前まで最高だった。
俺はこの世界の王だった。英雄だった。やろうと思ったことはなんでもできた。醜い肉塊を好きなように殺せた。キレイな女もいた。すべてが俺のものだった。
でも……。
そうだ。
どれも俺がみずからの力で入手したものではなかった。
銃も、女も、マスターとやらが用意したものだ。俺はそれを自分の所有物みたいに使っていただけだ。
なにもかもが借り物。
「うー、うー」
それでも、こちらに選択肢があったとは思えない。
銃は自衛のために必要だった。
女だって……俺がお願いして来てもらったわけじゃない。勝手に来て、勝手にお世話を始めたのだ。
俺はなにも悪くない。
動物として当然の反射をしただけだ。
たとえば、まぶしい光に目をつむったら、それだけで罪となるのだろうか?
もしそれを罪だというのなら、悪いのは神のほうだ。自分でそうなるよう仕組んでおいて、実際そうなったら地獄に突き落とすのだから。
「うー、うー」
誰か。
誰か俺の声を聞いてくれ。
俺をここから救い出してくれ。
神さま……。
さっき言ったのはウソです。
神さまはなにも悪くありません。
悪いのは悪魔です。
悪魔のせいでこうなっているのです。
だから助けて……。
「うー、うー」
日が暮れてゆく。
視界が効かなくなってくる。
何度か肉塊とすれ違ったが、完全に目がイッていた。
まともなのは俺だけだ。
いや、かつて俺から銃を奪おうとしていた個体もいたのだ。たぶんだが、そいつにはまだ自我がある。手を組めないだろうか。ムリか。結局は奪い合いになるのだ。銃はひとつしかない。
こんなに重たい体で、人間を追い回すなんて不可能だ。
相手は素早いだけでなく、銃まで持っている。
チャンスがあるとすれば、そいつが初めてどこかに現れて目を覚ました瞬間だろうか。まだ状況を理解していない。銃の扱いにもなれていない。すぐにパニックを起こす。考えうる最良の条件がそろっている。
出現地点はどこだ?
もしかして、公園?
だとしたら、さっきの公園で待ち伏せするのが最良の選択だったのでは……。
クソ、ずいぶん移動してしまった。
いまから引き返すのは重労働だ。
なぜ俺はこんな……よく分からない場所に来てしまったのだろうか。
どこをどう来たのかも分からない。
ショックで頭がどうにかなってしまっている。
ああ、このまま脳を浸食されて、身も心も肉塊になってしまえたら……。
なにも考えずに済むなら、それでいいじゃないか。
なにも考えずに済むなら……。
*
どうやら立ったまま眠っていたらしい。
便利な体だ。
まあ確かに、棒立ちしている肉塊を何度も見かけた気がする。あれは眠っていたのか。単に無気力なのかと思っていたが。
ともかく、公園だ。
どこかの公園にいなくては。
可能性は低いかもしれないが、それでも、なにもしないよりはいい。
ん?
視界の端に、なにか素早く移動するものを見つけた。
人間だ!
走っている!
向こう側の歩道!
ああ、すぐに追いつきたいが、車道は車で埋め尽くされている。そして俺の体は、それを乗り越えられない。
眺めているうちに、男の背はどんどん遠ざかっていった。
とても追いつけそうにない。
はぁ。
チャンスなんてないも同然じゃないか。
待ち伏せもできない。
走っても追いつけない。
近寄れば撃たれる。
ただ、逃げた方向だけは把握できた。
そいつはそこで安全地帯を見つけて、定住するかもしれない。
出入りする瞬間、そいつは最大限の注意を払う。
そして食料を調達する道すがら、ずっと警戒している。
最初の数日はピリピリしている。隙がない。
やがて肉塊との戦いに慣れたそいつは、少し余裕を得る。
肉塊が、たいした脅威でないことを知るのだ。
練習と称し、面白半分に殺し始める。
このとき近づくのは危険だ。
では、そのあとは?
たぶんマスターから女が派遣される。
女のために張り切って殺し始める。
危険度が高い。
俺にチャンスはないのか?
否。
そいつはやがてみずからの力を過信し、余裕をぶっこき始めるだろう。
外で飲酒に及ぶなどの愚かな行動をとる。
俺が独自に算出した統計によれば、100パーセントの確率でそうなる。
銃は油断はできないが。
それでもチャンスがあるとすれば、この時期だろう。
つまり……いまは「待つ」しかない。
もちろんただ待つ必要はない。
情報を集めて、策をアップデートしながら待てばいい。
一口に情報といっても、得られるものは限られている。ヤツの住居。周辺の地形。生活サイクル。できれば癖や趣味なども。とにかく行動に影響を与えそうなものはすべて、知れるだけ知っておく必要がある。
できればダイエットもしておきたいところだが。
肉塊は食事を取らなくても死なないようだから、やるだけムダだろう。自動車の中に閉じ込められた肉塊は、どう考えても食事をとっているように見えなかったが、豊満な肉体を維持し続けていた。
フィジカルは改善できない。
改善できるのはメンタルのみ。
よく考えるんだ。
見た目はどうあれ、俺は人間なのだ。つまり、道具を使って戦うことができる。いやまあ、以前のように道具を使える体じゃないから困っているのだが。しかしモノをつかむことはできる。なんならパワーだけは以前よりある。
できることが減ったんじゃない。
できることが変わっただけだ。
いや冷静に考えれば、減っていると言わざるをえないが。いいのだ。いまはあくまでポジティブに考えよう。
*
ヤツの住居を特定するのは……まあバカみたいに大変ではあったものの、不可能ではなかった。
ヤツは肉塊を見ると発砲する。
そして発砲すると音が鳴る。
この人のいない街で、デカい音を立てるヤツはすぐに目立つ。
俺は毎日慎重にその音を聞き、徐々に距離を詰めていった。
音だけで正確な位置を割り出すのには苦労したが。最終的に特定できたのだからまあよかった。時間をかけすぎたせいで、すでに女連れだったのも……まあ隙を産み出す材料としては歓迎すべきだろう。
ヤツが住み着いているのはタワーマンションの最上階。
なぜかエレベーターは問題なく稼働しているから、何階だろうと不便なく暮らせているようだ。
ヤツはかなり狡猾だ。自分は部屋にいたまま、食料の調達は女にやらせている。おかげで接触のチャンスがない。
女は丸腰だから、肉塊に襲われて死ぬかもしれない。だがもし死んだところで、別の女が派遣されてくる。男にとっては痛くも痒くもないというわけだ。
最低のクズ野郎だ。
いまにして思えば、俺の態度もクソそのものだったが。
そのクソにも劣るド畜生がいるとは思わなかった。世界は広い。どんな分野でも、一位になるのは難しい。それがたとえ最下位争いだとしても。
俺は道路を挟んでマンションの向かいから、じっと様子をうかがい続けた。
少し背の高いバンに身を隠して。
さっき女が外出した。
男の動きはない。
なんとかして男を引きずり出したい。
さて、どう攻略すべきか?
この手の正解は一つではない。
もっと言えば、目的さえ果たせるのなら、最善の策である必要すらない。
銃さえ手に入ればいい。他はどうなろうと構わない。
んー、しかし……。
あの女、ツキによく似ている気がする。彼女は公園で殺されたはずだから、別人だとは分かっているのだが。
視力がよくないせいで、いまいち断定できない。
あの巫女は、マスターがそのときどきで作っているらしい。だから何度も作っているうち、手癖で似たようなのを作ってしまうだけなのかもしれない。絵を描くとき、なにも考えないでいると、似たような絵になるのと同じ現象だ。たぶん。
いや、いまは女のことはどうでもいい。
男をどうにかしなければ。
すでに店を回ってスタンガンやら催涙スプレーやらは確保した。拳銃は手に入らなかったが、代わりにクロスボウは用意できた。
とにかく外に出てくれれば、殺せる状態になっている。
待つか……。
いや、時間は俺の味方じゃない。
あまり時間をかけすぎれば、俺は思考を失う。それがいつなのかは不明だが。
それに、あの男だって、いつまでもこの世界で好き放題できるわけじゃない。いつかは俺みたいに肉塊に変えられる日が来る。もしそうなればイチからやり直しだ。
少し急いだほうがいいかもしれない。
たとえば女を捕まえて、家に帰さないようにする。そしたら男は外に顔を出すくらいはするだろう。もし女のことを心配をしていなかったとして、それでも食料は調達する必要がある。俺たち肉塊と違って、あいつらは食わないと死ぬからな。
となると、女をターゲットに含めるのは悪い選択肢じゃないかもしれない。
俺も愛する女を失ったのだ。
お前も同じ苦しみを味わうがいい。
(続く)




