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終 -Endpoint-  作者: 不覚たん


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2/11

これがお前の理想郷だよ、人間(二)

 小人閑居して不全をなす、と、古人は行った。

 もしかしたらそうなのかもしれない。

 だがこの世界に、人間は俺しかいないのだ。最低の人間も、最高の人間も、それは俺のことだ。俺以外の肉は、人間ではない。


 朝の四時、なぜか目が覚めた。

 いや、「なぜか」というなら、むしろ問題は別のところにある。時間などもはや俺を拘束しないのに、なぜかいつも確認してしまうことだ。直らない病気みたいに。


 お気に入りのシューズを履いて、俺はホテルを出た。

 まだ太陽はのぼってはいない。

 だがビルのはるか向こう側が、かすかに白んでいた。

 夜なのに、薄明るい。

 夜なのに、朝の予感がある。

 朝の四時というのは、俺にとっては意味不明な時間である。存在しなくていい。俺とは無関係だからだ。だけど、ある。いったいなんのために。


 そこは雑居ビルに挟まれた狭い路地。

 誰も乗ることのない放置された自転車。

 中身も入ってないのにジージー音を立てている自動販売機。

 誰にも回収されない空き缶とペットボトル。

 それが俺の住む街。

 俺にお似合いの街。


 肉塊が一体、あてもなく歩いていた。

 遠慮がちに壁際を。

 襲ってくる気配はない。


 俺はしかし銃を取り出して、そいつに狙いをつけた。

 足を打てば、そいつはもうそこから動けなくなる。胴を撃っても痛みで転げる。頭を撃てば即死する。どこを撃ってもいい。どこを撃つかは俺の気分次第。

「ばーん」

 バカみたいにつぶやいて、俺は結局トリガーを引かなかった。

 あまりに殺し過ぎたせいで、この近辺から肉塊が減ってしまった。つまり平和になったということだが。同時に、世界が空疎になったということでもあった。ゲームの世界からNPCが消えたときのように。

 あまりに寂しいじゃないか。

 モブがいるからヒーローがいるのだ。


 そうだ。

 王は、民に承認されているから王なのだ、と、誰かも言っていた。

 民を失った王は、もはや王ではない。そんなのは……ただの個人だろう。


 価値は虚しい。

 他の人間が消え去れば、すべてが手に入るはずだった。

 しかし手に入ったすべては、もはやなにものでもなくなってしまった。


 もしかすると俺は、みんなが欲しいと思っているものを、同じように欲しがっていただけなのかもしれない。だからその「みんな」が消えてしまえば、その価値も消滅してしまう。

 金だって、希少だから価値があるんじゃないか。

 まあ金には電気的な特性もあるにはあるが。希少性によってそれ以上の価値が付与されている。


 月は、あるんだかないんだか、うっすら空と同化している。

 まるでいまの俺みたいに。

 世界を手に入れたのに、俺の存在は希薄になっている。


 他者が必要だ。


 *


 欲しくもない食料を手に入れて、俺はホテルに戻った。

 戻る途中で、まだうろうろしていた肉塊を射殺した。やはり自宅の前をうろつかれるのは目障りだと思った。


 部屋に入ると、先客がいた。

 俺は荷物を取り落とし、慌てて銃を構えた。


 なぜだ?

 鍵はかけていたはず。


 若い女だ。

 俺の幻覚でなければ……。

 そいつはベッドに腰をおろしたまま、余裕の表情で微笑していた。柔和で従順そうな顔立ち。艶めく長い黒髪。長いまつげとくりくりした瞳。まっしろな布をまとっただけの衣装。さらされた華奢な肩口がまぶしく見えた。


「だ、誰だ……?」

 久しぶりに人と会話するから、ねばりついたような声になってしまった。


「私はツキと申します。マスターの言葉をお伝えするための巫女のようなもの」

 声も美しかった。

 か細いながらも、透明感があって聞き取りやすい。


「敵じゃないのか?」

「もちろんです。むしろ人間さまのお世話をするのが私の使命ですから」

「世話……?」

「はい。お世話です」


 いや、ほかに優先して聞くべきことがあるはずなのだが。

 長いこと孤独を感じていたせいか、俺はこの女がどこかに行かないようにと、それだけを考えていた。もちろん下心しかない。あわよくば好き放題してやりたい。

 俺はすべてを許されたのだ。

 確証はないが、おそらくそうだ。

 そうとしか考えられない状況だ。


 女は笑顔のまま、少し寂しそうに言った。

「銃をおろしてはくれませんか?」

「あ? ああ、失礼。動揺してて」

「大丈夫ですよ」

 優しい表情と声で許してくれる。

 この女、もしかすると俺に好意を抱いているのでは?

 いくつかの情報を総合すると、そう考えるのが妥当であろう。この女はこのあと俺の「お世話」をするというのだから。


「人間さま、ひとつだけ先にお伝えしておきます」

「うん」

 人間さまという聞きなれない言葉には違和感があるが、いまはスルーしておこう。

 なにせ誰かと会話するのは、この状況が始まってからは彼女が初めてなのだ。

「私は人間さまをお世話するために、先ほど作られた命に過ぎません。ですので、人間さまが望まない場合、別の命に変更することもできます」

「別の命って?」

「もし私が死ねば、新しい巫女が派遣されます。ですので、私がお好みでない場合、その銃で命を消していただく必要があります」

 なにを言っているんだこいつは……。

 数秒前まで下世話な興奮をおぼえていたのに、少し萎えてしまった。

「そんなことしないよ」

「ありがとうございます。人間さまに嫌われないように、頑張ってお世話させていただきますね」

 にこりと愛嬌のある笑み。

 媚びているだけかもしれないが。

 どちらでもいい。

 この美しい女の命は、俺が握っているのだ。


 *


 買ってきた食料も床においたまま、さっそく俺は「お世話」をしてもらった。

 女はどんな要求にも応じてくれた。

 嫌な顔もせず。

 いや、表情をゆがめることはあったが……。少なくともノーとは言わなかった。


 俺はよほどこの世界に愛されているらしい。

 生きていて、初めて神に感謝したい気持ちになった。いや、そいつが神じゃない可能性もあるが。そんなことはたいした問題じゃないだろう。極上のサービスを提供してくれるのなら、そいつの名前はなんだっていい。


 終わったと思ったらシャワーを浴びて、体がかわく前にまた始めた。

 永遠に終わらせたくなかった。

 彼女は本当に愛らしい声をしていた。

 ずっと聞いていたい声をしていた。


 *


 気がつけばまた朝の四時。

 女はぐったりしていた。

 俺も体に力が入らなかった。空っぽだ。だが、動き回りたくて仕方がなかった。シャワーを浴びて、しばらく部屋をうろうろしたあと、女に「少し出かけてくる」と告げて外出した。


 なにもかもが素晴らしい。

 太陽よ、さっさと姿を見せて、世界を明るく照らし出して欲しい。

 人類がコンクリートを塗りたくって作った、この石の街を。


 踊り出したい気分だった。

 俺は散歩のついでにトリガーを引いて、そこらの肉塊を射殺した。当てようと思えばどこにでも当たる。当たれば死骸になる。あふれだした血液がアスファルトにたまって、排水溝に流れているのをいつまでも眺めた。朝の陽ざしが液面にキラキラと反射するのが美しかった。


 なにもかもが俺のもの!

 世界が虚しいなんてのは戯言だ!


 *


 俺はデパートから宝石を持ち帰った。

 きっと喜んでくれるだろう、と。

 もしかすると彼女はいなくなっているかも、なんて不安を抱きながら。途中から走って帰った。


「おかえりなさい」

「ただいま……」

 いた!

 きちんと身だしなみを整えて、私は清楚です、みたいな顔をして。

 しかし清楚なんかじゃないのはもう知っている。

 どこを触ってもぷにぷにしている。男を興奮させるだけのメスの体だ。


 俺はポケットに突っ込んでいた宝石を取り出して、ベッドにぶちまけた。

 ネックレス、指輪、髪飾りなど。職人がカットした色とりどりの宝石が、硬質なLEDの光を繊細に反射している。

「これは?」

「見つけたんだ。あげるよ」

「私に? なぜです?」

 なぜ?

 なんだこいつは……。

 普通、宝石を渡されたら喜ぶものだろう。最初の言葉は「ありがとう」しかない。それ以外の言葉を出してくる意味が分からない。

「嬉しくないのか?」

「戸惑っておりまして。人間さまのお世話をするのは私のほうなので……」

「じゃあ、いらないんだ?」

「えっ?」

 俺はすっかり気分が萎えてしまった。

 ベッドの上の宝石を集め始めた。それを握りしめて、すぐ脇のシャワールームに入り、トイレに放り投げて流した。

 女はきょとんとしていた。

 どうやらこいつには常識というものが備わっていないようだ。まあ、そうでもなければ会ったばかりの男にあんな好き放題させないだろう。つまりこいつもまともな意思のない肉なのだ。遠慮する必要はない。


 俺はベッドに仰向けになった。

「なあ、お世話してくれよ」

「はい?」

「はいじゃなくてさ。役目でしょ?」

「はい。お望みとあらば」

「丹念にね」

 べつに俺は強制してない。

 本人がやるというからやってもらっているだけだ。


 俺は溜め息をつき、拳銃を手に取った。

「ほかの子はさぁ」

「えっ? あ、はい?」

 なにも分かっていない顔。

 その額に銃口を突きつける。

「もう少し、常識があったりするのかなぁ?」

「あの……」

「言いたいこと、分かる? あんまり物分かり悪いようだと、この先やっていけないよ?」

「ごめんなさい……」

「いいからお世話して」

「はい……」

 ま、可哀相だからこの辺にしておこうか。

 けど、これでさすがに理解しただろう。

 理解していなかったらヤバい。

 別にウソでもいいのだ。だが俺の世話をするのが仕事なら、きちんとやって欲しい。俺は危険をおかして肉塊と戦い、戦利品を持ち帰ったのだ。こいつは家で待っていただけ。その意味をきちんと考えて欲しい。


 *


 相変わらず声と反応だけはいい女だ。

 媚びるのが得意なだけかもしれないが。


 別の女は、どんな感じなのだろうか。

 もっと物分かりがよくて、自分の求められた行動をできる女だろうか。

 しかし見た目が好みじゃなかったら?

 そのときはアタリが出るまでルーレットするハメになるんだろう。それも面倒だ。またイチから教育し直しだろうし。

 ひとまずこの女を、まともに機能するよう調整する方向で行こうと思う。


 どうやら、人の上に立つというのもそれなりに大変であるらしい。


(続く)

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