第44話「行くよ、アリア!」
配信開始まで、あと10分。
アリアは自宅の一室に作られた配信部屋で、静かにその時を待っていた。
本格的な防音室ではない。壁には四角い防音シートが隙間なく貼られ、床には厚手のカーペットが敷かれている。窓を覆う遮音カーテンの向こうには、いつもと変わらない夜の街がある。
けれど今夜、この部屋から始まるものは、昨日までとは違っていた。
机の上には、新井が設置した配信機材が並んでいる。モニターには配信開始前の待機画面。その横には、コメント欄と現在の視聴待機人数が表示されていた。
数字は、少しずつ増え続けている。
アリアはヘッドホンを耳に当て、マイクの位置をもう一度確かめた。
声優になりたかった。
どんな役でも演じられるようになれば、きっと必要としてもらえる。そう信じて、少女の声も、少年の声も、大人の女性も、老人の声も覚えた。
求められたものには応えられた。
それでも、選ばれなかった。
何でもできる。でも、何も一番ではない。
そう言われ続けるうちに、自分の声が何のためにあるのか分からなくなった。
所属していた事務所を辞め、声優になることも諦めた。
それでも捨てきれなかった声を、黒瀬が拾ってくれた。
声優ではない。
今度は、自分自身が物語の中心に立つ。
画面の中では、彩瀬アリアが待機している。
ミルクティーベージュの髪。その毛先には、ターコイズとコーラルの色が揺れている。明るい琥珀色の瞳に、白いショート丈のアウター。黒のノースリーブインナーとショートパンツ。腰元から垂れたプリズムカラーの布が、動きに合わせて光を変える。
彼女は、西山アリアとは違う。
けれど、紛れもなく自分だ。
「ここからだよね」
呟くと、モニターの中のアリアも同じように口を動かした。
配信開始まで、残り1分。
待機画面の向こうにいる誰かが、自分の声を待っている。
声優としては届かなかった声が、今度はどこまで届くのだろう。
残り10秒。
アリアは背筋を伸ばした。
5。
4。
3。
2。
1。
配信開始時刻になり、アリアは開始ボタンへ指を置いた。
「行くよ!! アリア!!」
勢いよくボタンを押す。
待機画面が消え、彩瀬アリアの姿が映し出された。
「はじめまして~! 彩瀬アリアで~す!!」
底抜けに明るい声が、配信に乗る。
「今日からネクサスライブで活動することになりました! みんな、よろしくね~!」
開始と同時に、コメント欄が一気に流れ始めた。
@nanashi_01:きたーwwww
@KyoChannel:新人2人目~!
@みかんソーダ:かわいい~!
@Riku88:待ってた!
@草餅侍:マリナちゃんから来ました
@aqua_line:声めっちゃ明るいな
@夜更かし猫:初配信おめでとう!
「わあ、すごい! みんな来てくれてありがとう!」
アリアが大きく手を振ると、画面の中のアバターも満面の笑みで手を振った。
「マリナのところから来てくれた人もいるんだ。ありがと~! 今日は最後まで楽しんでいってね!」
流れていくコメントを目で追いながら、アリアは昨日の打ち合わせを思い出す。
まずは、アバターの紹介。
「じゃあ最初に、私のことをちゃんと見てもらおうかな。みんな、画面に注目~!」
アリアは配信画面を操作し、アバターの全身が映るように切り替えた。
「まずは髪! ミルクティーベージュなんだけど、毛先にターコイズとコーラルが入ってるの。動くと色が変わって見えるんだよ」
アバターがくるりと横を向く。
@Mikan_Soda:髪色かわいい
@Leo_7:インナーカラー好き
@白湯うまい:横顔たすかる
@rinrin:三面図ほしい!
「三面図もそのうち見せたいね~。次は目!」
顔を画面いっぱいに寄せる。
「琥珀色なんだけど、外側に青緑のリングが入ってるの。表情によってちょっと変わるから、よく見ててね」
@kuro_neko:近い近いw
@TomaX:目きれい
@ゆきだるま:表情めっちゃ動くな
「でしょ? 笑ったり、驚いたり、困ったり……いろんな顔ができるんだよ」
笑顔、驚き顔、困り顔と、次々に表情を切り替える。
「そして、このアウター! ちゃんと着てます!」
@Riku88:ちゃんと着てます草
@nanashi_01:誰と比べてるんだw
@草餅侍:マリナちゃんはちゃんと着ないからな
@aqua_line:新人同士で差別化されてる
「誰と比べてるんだろうね~?」
わざとらしく首を傾げてから、アリアはアウターの袖を見せた。
「白をベースに、プリズムみたいな色が入ってるの。胸と背中には、水滴と波紋をイメージしたマークもあるよ」
次に腰元へ画面を寄せる。
「ここもお気に入り。動くたびにキラキラして、色が変わって見えるんだ」
@KyoChannel:衣装かなり好き
@夜更かし猫:ストリート系似合う
@rinrin:水面モチーフいいね
「ありがとう! 私もすっごく気に入ってる!」
再び上半身の表示に戻すと、アリアは胸元へ手を当てた。
「じゃあ次はプロフィール!」
画面の端にプロフィール欄が表示される。
「年齢は20歳! 誕生日は12月12日。身長は163センチで、血液型はO型です!」
@Leo_7:20歳!
@みかんソーダ:誕生日覚えやすい
@TomaX:163ちょうどいい
@白湯うまい:O型っぽい
「O型っぽいって何~? まあ、細かいことは気にしないタイプだけど!」
笑いながら次の項目へ進む。
「好きなことは、雑談、歌、ゲーム、声真似! ASMRとかシチュエーションボイスもやってみたいし、みんなと一緒にいろんな企画にも挑戦したいな」
@aqua_line:声真似!?
@Riku88:いろんな声ってどんなの?
@nanashi_01:声優みたい
@草餅侍:声の幅気になる
声優みたい。
そのコメントに、ほんの一瞬だけ目が止まる。
けれど、アリアはすぐに笑った。
「いろんな声? そうだねぇ。赤ちゃんから、おばあちゃんまで!」
次の瞬間、マイクから赤ん坊の泣き声が響いた。
「ふぇ……ふぇぇ……うわあああん!」
@KyoChannel:!?
@夜更かし猫:急に始まったw
@Mikan_Soda:赤ちゃんおる
@Leo_7:うますぎる
泣き声がぴたりと止まる。
そして間を置かず、しわがれた老婆の声が続いた。
「やれやれ、最近の若いもんは元気じゃのう」
@Riku88:振れ幅www
@白湯うまい:同一人物!?
@aqua_line:おばあちゃん自然すぎる
@草餅侍:これは強い
コメント欄が加速する。
アリアは得意げに笑ったあと、声を切り替えた。
「だからこれから、君たちにいっぱい聞かせてあげるから!」
今度は、爽やかで中性的な青年の声だった。
@rinrin:イケボ!?
@TomaX:今の好き
@みかんソーダ:急に刺してくるじゃん
@KyoChannel:声のデパートだ
@nanashi_01:天才か?
元の明るい声へ戻り、アリアが笑う。
「まだまだあるからね~。これからの配信を楽しみにしてて!」
その言葉に応えるように、期待のコメントが次々と流れていく。
やがて、その中にマリナの名前が現れた。
@haru_kaze:マリナとはどんな関係?
@草餅侍:マリナちゃんのライバルって本当?
@Riku88:同期ではないんだよね?
「マリナとの関係?」
アリアは少しだけ考えるふりをしてから、胸を張った。
「マリナとはライバルだよ! そして、いい友人!」
@aqua_line:ライバルきた
@Leo_7:いい関係だ
@夜更かし猫:熱い
@草餅侍:マリナちゃんにも聞かせたい
「今はマリナがちょっとだけ先を走ってるけど、すぐに追いつくからね!」
その声には、冗談だけではない強さがあった。
「コラボもしたいよ。たぶん、ずっと雑談になるかも。置いてきぼりにならないように、ちゃんとついてきてね!」
@KyoChannel:絶対見る
@Mikan_Soda:雑談コラボ待ってる
@nanashi_01:話止まらなそうw
@草餅侍:マリナちゃん頑張れ
そこへ、別のコメントが流れる。
@rinrin:ファンネーム決めよう
@TomaX:呼び名ほしい
@白湯うまい:今日決めちゃう?
「ファンネームかぁ。そうだね、みんなのことを呼ぶ名前、欲しいよね」
アリアは腕を組み、少し考える。
そして、いたずらっぽく笑った。
「そういえば、マリナの民は何て呼ばれてるの?」
@草餅侍:知ってるだろw
@aqua_line:月見草
@夜更かし猫:マリナのファンは月見草だよ
@KyoChannel:知らなかった演技が上手い
@nanashi_01:棒読みで聞くなw
「へえ~、月見草っていうんだ~。知らなかったな~」
@Riku88:知ってたのに知らなかった棒読み演技が上手い
@Mikan_Soda:さすが声の演技が得意
@草餅侍:白々しいw
「もう、みんな細かいなぁ!」
アリアが笑う。
「でも、月見草か。綺麗でいいよね。だったら私のところも、ちゃんと意味のある名前にしたいな」
アリアは自分のアウターへ視線を落とした。
「ちょっと待ってね」
マイク越しに、キーボードを叩く音が聞こえる。
数秒後、アリアは顔を上げた。
「これにしよう」
画面に文字が表示される。
イリデセント・リプルズ。
「私のアウターのデザインって、1滴の雫から波紋が生まれてるでしょ?」
アバターの背中を映し、ロゴを指し示す。
「だから、イリデセント・リプルズ。水滴を落とすのは私。そこから広がっていく波紋は、君たちってこと」
@aqua_line:おしゃれ
@rinrin:意味いいな
@TomaX:ちょっと長いw
@Leo_7:個人はなんて呼ぶの?
「1人1人は、リプルかな。みんなでリプルズ!」
@Mikan_Soda:リプル了解
@夜更かし猫:今日からリプル
@KyoChannel:イリデセントは虹色って意味か
@白湯うまい:アリアらしい
「そう! 虹色に光る波紋。私の声がみんなに届いて、そこからいろんな色に広がっていったらいいなって」
そのとき、流れていたコメントの1つが目に入る。
@Riku88:新人2人の陰陽感出てる。やるなぁネクサスライブ
@aqua_line:マリナが月でアリアが太陽みたい
@rinrin:静と動って感じでいいな
@草餅侍:月見草とリプルズ、並ぶと映える
「私とマリナが、月と太陽?」
アリアは嬉しそうに目を細めた。
「いいね、それ。じゃあ私は太陽かな。みんなのところまで照らしにいくよ!」
@nanashi_01:まぶしいw
@Mikan_Soda:太陽系ライバー
@KyoChannel:月と太陽のコラボ待ってる
@草餅侍:マリナちゃんは月が似合う
「でしょ~? でも太陽だって、月がいないと寂しいからね」
そう言ってから、アリアは少しだけ照れたように笑った。
その後は、好きな食べ物や、やってみたいゲーム、歌ってみたい曲の話など、取り留めのない雑談が続いた。
初配信とは思えないほど会話は途切れず、アリアは流れてくるコメントを次々と拾っていく。
気づけば、終了予定の時刻が迫っていた。
「えっ、もうこんな時間?」
@夜更かし猫:早すぎる
@Riku88:まだいける
@Mikan_Soda:初配信お疲れさま
@草餅侍:楽しかった
@aqua_line:次回待ってる
「私ももっと話したいけど、今日はここまで!」
アリアは名残惜しそうに笑いながら、大きく手を振った。
「来てくれてありがとう! 今日から君たちは私のリプルだよ。これから一緒に、もっともっと大きな波紋を広げていこうね!」
コメント欄が、別れの挨拶で埋まっていく。
「それじゃあ、また次の配信で会おうね! おつアリア~! ばいばーい!」
アリアが配信終了ボタンを押す。
画面が暗転し、配信が終了した。
ヘッドホンを外した途端、部屋の静けさが戻ってくる。
「……終わったぁ」
背もたれに身を預け、息を吐く。
けれど、その顔には大きな笑みが浮かんでいた。
「楽しかった……!」
アリアは椅子から立ち上がり、配信部屋を出た。
リビングへ戻ると、ソファーに座っていた佐伯と森川が立ち上がる。
「お疲れさまでした」
2人の声が重なった。
「楽しかったー!」
アリアは弾むような足取りでソファーへ向かい、そのまま佐伯の隣へ腰を下ろした。
「初配信とは思えないくらい盛り上がってましたね」
森川が感心したように言う。
「す、すごいです、アリアさん……!」
佐伯も目を輝かせ、すぐ隣のアリアを見つめていた。
「ありがとう、奈緒ちゃん、森川さん!!」
アリアは2人へ満面の笑みを向けた。
森川がノートパソコンの配信データを確認する。
「最大同時接続数、4100人。配信終了時点の登録者数は2万1800人ですね」
「4100人……」
アリアが数字を噛み締めるように繰り返す。
「4100人って、新人の初配信としてはかなりの快挙じゃないですか?」
森川が佐伯へ問いかける。
「く、詳しいデータは確認しないと分かりませんけど……私がこれまで見た新人の初配信では、過去最高じゃないでしょうか」
「過去最高? 本当に?」
アリアが勢いよく佐伯へ顔を向ける。
「か、確認しないと分からないですけど、私が知る限りでは……」
佐伯は押されるように答えながらも、嬉しそうに頷いた。
アリアはもう一度、画面に並ぶ数字を見る。
登録者数は2万1800人。
マリナが初配信を迎えた時点の2万5000人には、まだ届いていない。
けれど、最大同時接続数はマリナの3800人を上回った。
アリアはそっと拳を握る。
「待ってて、梓。すぐ追いつくからね!」
小さな声だったが、そこに迷いはなかった。
その後、佐伯と森川は機材周りの片づけと確認を終え、帰り支度を始めた。
玄関で靴を履きながら、佐伯が振り返る。
「あ、あの、明日はネクサスライブで、今日の配信結果の共有と振り返りをしますので……午前10時に会議室へお願いします」
「はーい。奈緒ちゃんも今日はありがとう!」
「い、いえ。こちらこそ、お疲れさまでした」
「森川さんも、ありがとうございました!」
「お疲れさまでした。今日はゆっくり休んでください」
佐伯と森川が部屋を出ていく。
玄関の扉が閉まり、広い部屋に静けさが戻った。
アリアはしばらく扉を見つめたあと、配信部屋の方へ顔を向ける。
「……本当に、始まったんだ」
その呟きは彩瀬アリアの明るい声ではなく、何者にも選ばれなかった西山アリア自身の声だった。
けれど今度は、その声を待ってくれる人がいる。
1滴の雫から生まれた波紋は、もう広がり始めていた。




