第45話「用意されたもの」
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仕事の都合で毎日更新が難しくなってきたため、今後は毎週月曜日の更新を基本にします。
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次回更新は9月7日(月)を予定しています。
更新頻度は少し落ちますが、物語はこれまで通り続いていきますので、のんびりお付き合いいただけると嬉しいです。
翌朝、ネクサスライブの会議室。
指定された10時の少し前に到着したアリアは、すでに席についていた佐伯と森川に軽く頭を下げた。
「おはようございます」
「お、おはようございます。西山さん」
「おはようございます。昨日はお疲れ様でした」
森川がそう声をかけると、アリアは少し照れくさそうに笑った。
「こちらこそ。森川さんも、昨日はありがとうございました」
「いえ。大きなトラブルもなく終われてよかったです」
森川の言葉に、佐伯が小さく何度も頷く。
「ほ、本当に、よかったです。私、途中からずっと手が冷たくなっていて……」
「奈緒ちゃんの方が緊張してたんじゃないですか?」
「そ、それは……否定できないです」
佐伯が困ったように笑う。
そのやり取りを見て、森川も穏やかに目を細めた。
昨日の配信前とは、少しだけ空気が違っている。
森川はもう、新井の代わりとして見られているわけではなかった。少なくともアリアは、昨夜の配信を支えてくれた人間として、森川をちゃんと見ていた。
やがて会議室の扉が開き、黒瀬と高木が入ってくる。少し遅れて、藤田もノートパソコンを抱えて姿を見せた。
「おはようございます」
黒瀬が全員を見渡し、席に着く。
その表情はいつも通り淡々としていたが、机に置かれた資料の枚数は少なくなかった。
「では、昨日の彩瀬アリア初配信について、簡単に振り返ります」
黒瀬の言葉に、アリアの背筋が自然と伸びた。
「まず数字からです」
黒瀬は手元の資料をめくる。
「配信終了時点での登録者数は、2万1800人。最大同時接続数は、4100人でした」
「……4100」
アリアが小さく呟く。
昨日、配信後に聞いた数字ではある。
けれど、改めて会議の場で告げられると、数字の重みが少し違って聞こえた。
「広告展開を行っていたことを考慮しても、非常に強い数字です」
黒瀬は淡々と続ける。
「登録者数だけで見れば、神城マリナの初配信時を下回っています。ですが、最大同時接続数では上回りました」
その言葉に、アリアが瞬きをする。
「マリナより……?」
「同時接続数では、です」
黒瀬はそこをはっきり区切った。
「登録者数、視聴維持率、配信後の伸び、SNS反応。見るべき数字はいくつもあります。1つの数字だけで優劣を決めるものではありません」
「はい」
アリアは素直に頷いた。
それでも、胸の奥が少しだけ熱くなる。
梓に勝った、とは思わない。
そんな単純な話ではないことくらい、アリアにも分かっている。
けれど。
ちゃんと、届いた。
昨日の自分の声は、誰かに届いたのだ。
「ただし」
黒瀬が資料から顔を上げる。
「この数字を西山さん個人の力だけで出したものと見るのは、正確ではありません」
その言葉に、アリアの表情が少し引き締まる。
「神代様による広告展開の効果も、確実に含まれています。広告の掲出から時間は経っていますが、彩瀬アリアの名前とビジュアルを事前に認知していた視聴者は少なくありません」
「神代様……?」
アリアが小さく首を傾げた。
「神代様って、マリナのプロデューサーの?」
「はい。神代悠一様です」
黒瀬は頷いた。
「現在、神代様は神城マリナのエグゼクティブプロデューサーであると同時に、ネクサスライブに対しても大きな支援を行ってくださっている出資者です」
「出資者……」
「彩瀬アリアの広告展開にも、神代様の支援が入っています。ですから、昨日の数字には、配信前から作られていた認知と期待の効果が含まれています」
「……そうだったんですね」
「それに、モデルもそうです」
黒瀬は資料から顔を上げ、アリアを見た。
「神代様の出資と、神代様が連れてきた矢野さんがいなければ、今の彩瀬アリアはありません」
その言葉に、アリアは思わず息を止めた。
画面の中で笑い、声を変え、たくさんのコメントを受け止めていた彩瀬アリア。
昨日、ようやく自分のものになったと思えた姿。
その始まりにも、梓のそばにいる人の力があった。
「……私のアバターも、神代さんが?」
「正確には、神代様の出資によって制作体制が整い、矢野さんの協力によって現在の形になりました」
黒瀬の説明は淡々としていた。
けれど、だからこそ重かった。
「もちろん、西山さん自身の魅力がなければ成立しません。ですが、昨日の成功は、西山さん1人で作ったものではありません」
「はい」
アリアは膝の上で、そっと指を握る。
「そのうえで、来てくれた視聴者を引き止めたのは西山さんです」
黒瀬はそこで、少しだけ声を柔らかくした。
「そこもまた、事実です」
アリアは顔を上げた。
胸の奥にあった浮ついた熱が、少しだけ形を変える。
嬉しさではなく、重さ。
重さではあるけれど、不思議と嫌ではなかった。
「……分かりました」
アリアは小さく頷いた。
悔しくないと言えば嘘になる。
けれど、用意されたものがあるなら、使えばいい。
広告も、モデルも、名前も、期待も。
全部背負って、それでも最後に見られるのは自分だ。
「じゃあ私は、用意されたものを全部使って、マリナの横に立ちます」
その声に、迷いはなかった。
佐伯が息を呑み、高木が静かに口元を緩める。
森川も少しだけ驚いたようにアリアを見た。
黒瀬はしばらくアリアを見つめたあと、短く頷く。
「その意識で構いません」
そこで一度、言葉を切る。
「ただし、横に立つだけで満足しないでください」
「もちろんです」
アリアは笑った。
「その先も、ちゃんと見に行きます」
会議室に一瞬だけ静かな間が落ちた。
黒瀬はアリアを見つめたあと、再び手元の資料へ視線を落とす。
「では、SNSとコメントの反応についても確認します。藤田」
「はい」
藤田はノートパソコンを開き、手元の資料に目を落とした。
「昨日の配信後、彩瀬アリアに関する投稿はかなり伸びています。傾向として多かったのは、神城マリナとの対比ですね」
「対比……ですか?」
アリアが首を傾げる。
「ええ。マリナが落ち着いた印象で見られているのに対して、西山さんは明るく、反応が速く、場を動かすタイプとして受け取られています」
藤田は資料を1枚めくった。
「同じ新人でも、視聴者にはかなり違う方向性に見えているようです。静かに引き込む神城マリナと、明るく巻き込む彩瀬アリア。そういう並び方ですね」
「それ、悪くないんですか?」
「むしろ良いです」
藤田ははっきり頷いた。
「似たタイプの新人が続くより、印象が分かれた方が見てもらいやすいです。どちらが上かではなく、どちらも違う魅力がある。そう受け取られています」
藤田がそう締めると、黒瀬が静かに口を開いた。
「ただし、西山さんが今後比較される相手は、神城マリナだけではありません」
アリアが黒瀬を見る。
「マリナ以外にも、ですか?」
「はい。明るく、反応が速く、場を動かすタイプとして受け取られているのであれば、弊社の日向ヒマワリと同種のライバーとして見られる可能性があります」
「日向ヒマワリ……」
その名前に、アリアの表情が少し変わった。
ネクサスライブのナンバー2。
明るく華やかで、テンポの良い配信を武器にしている人気ライバー。
「つまり、私はこれから日向ヒマワリさんと比べられるってことですか?」
「そうなります」
黒瀬は淡々と頷いた。
「神城マリナとの対比は、新人同士の並びとして見られている面が大きい。ですが、彩瀬アリアの強みが“明るさ”と“場を動かす力”にあると認識されれば、次に比較されるのは既存の人気ライバーです」
会議室の空気が、少しだけ引き締まる。
「それは、良いことでもあります。すでに戦える土俵へ上がったという意味ですから」
黒瀬はアリアを見た。
「ただし、同時に厳しいことでもあります。日向ヒマワリと同じ方向で見られる以上、単に明るいだけでは埋もれます」
「……分かりました」
アリアは少しだけ唇を結ぶ。
「私の持っている武器を、最大限に生かします」
声の幅。
反応の速さ。
場を明るくする力。
それが自分の武器だという自覚はある。
黒瀬は短く頷いた。
「その判断は間違っていません」
しかし、すぐに言葉を続ける。
「ですが、日向ヒマワリは一枚上手です」
「……でしょうね」
アリアは素直に頷いた。
「今の西山さんと同じように、明るさと反応の速さを武器にしてきたライバーです。ただし、彼女には積み上げてきた配信経験と、すでに定着している視聴者があります」
黒瀬の声は冷静だった。
「同じ方向性に見られる以上、比較されます。そして比較されるなら、現時点では日向ヒマワリの方が強い」
「はい」
アリアは唇を結ぶ。
悔しさはある。
けれど、否定するつもりはなかった。
「だからこそ、西山さんには“声”があります」
黒瀬がそう続けると、アリアの目がわずかに動いた。
「日向ヒマワリにはない、彩瀬アリア固有の武器です。そこを曖昧にしないでください」
「……はい」
アリアはゆっくり頷いた。
「明るさで並んで、声で違いを出す。そういうことですね」
「その理解で構いません」
黒瀬はそう答えると、手元の資料を1枚めくった。
「では、今後の配信スケジュールについて確認します。高木、お願いします」
「はい」
高木が資料を手に取り、アリアへ視線を向ける。
「今後の配信ですが、まずは西山さんの強みを分かりやすく見せられる内容を中心に組んでいきたいと考えています」
「私の強み……声、ですか?」
「はい。ですので、声の付いていないゲームの配信を検討しています」
アリアが少し目を丸くした。
「ゲームのキャラクターに、私が声を当てるってことですか?」
「そうです。複数の登場人物が出てくるゲームであれば、声の幅を自然に見せられます。初配信で反応の良かった声の使い分けも、企画として活かしやすい」
高木は資料へ目を落としながら続ける。
「ただし、それだけだと負担が大きいので、マシュマロ配信や雑談配信も含めて検討していきたいと思っています。視聴者との距離を縮める回も必要です」
「マシュマロって、質問を募集するやつですよね」
「はい。西山さんの場合、質問に対する反応の速さも武器になります。声真似や即興芝居に繋げられるものも拾えるはずです」
「それ、面白そうですね」
アリアが素直に目を輝かせる。
「面白いと思います。ただし、自由にやりすぎると話が散らかる可能性があります」
高木の言葉に、黒瀬が静かに頷いた。
「なので、最初の数回はテーマを絞ります。声の幅を見せる回、視聴者と距離を縮める回、彩瀬アリアのキャラクターを定着させる回。大きく分けると、この3つです」
「なるほど……」
アリアは資料を覗き込みながら、小さく笑った。
「私、けっこう忙しくなりそうですね」
「忙しくなってもらわないと困ります」
黒瀬が淡々と返す。
「昨日の数字は、次も見たいと思わせることに成功した結果です。ですが、本当に大事なのは2回目以降です」
「分かってます」
アリアは背筋を伸ばした。
「来てくれた人を、次も来たいって思わせればいいんですよね」
「その通りです」
黒瀬は資料を閉じた。
「では、その方向で進めてください。今回は以上です」
「お疲れ様でした」
会議室にいた全員が頭を下げる。
黒瀬はそれに軽く頷き返し、会議室を出ていった。
扉が閉まる。
その音が消えてから、藤田が小さく息を吐いた。
「佐伯さん」
「は、はい」
「黒瀬さん、珍しく褒めてたわね」
「えっ?」
佐伯が目を丸くする。
「褒めて……いましたか?」
「褒めてたわよ。かなり」
藤田は椅子の背にもたれながら、少しだけ口元を緩めた。
「黒瀬さんが、あの場で『事実です』って認めたでしょう。あれ、相当よ」
「そ、そうなんですか?」
「そう。あの人、数字が良いだけじゃ褒めないから」
藤田の視線が、アリアへ向く。
「来てくれた人を帰らせなかった。それを認めたってことは、昨日の配信内容そのものを評価してるってこと」
アリアは一瞬、言葉に詰まった。
褒められた。
そう言われても、黒瀬の口調はいつも通り淡々としていて、正直あまり実感はなかった。
「……分かりにくいですね、黒瀬さん」
「分かりにくい人なのよ」
藤田がさらりと返す。
「でも、見るところは見てるわ」
その言葉に、アリアは少しだけ背筋を伸ばした。
会議室の空気が、少しだけ緩む。
高木は資料をまとめ、佐伯は慌てたように予定表を確認している。
アリアは少し迷ったあと、藤田へ視線を向けた。
「あの、藤田さん」
「なに?」
「藤田さんって、梓のところにも行ってるんですよね?」
「ええ。マリナチームの宣伝も見ているから」
「じゃあ……神代さんって、どんな人なんですか?」
その名前が出た瞬間、藤田の手が少しだけ止まった。
「どんな人、ね」
藤田は椅子の背にもたれ、少し考えるように視線を上げた。
「一言で言うなら、変な人よ」
「変な人……」
「ええ。かなり」
藤田は迷いなく頷いた。
「でも、神城マリナと中村さんのことになると本気ね。そこだけは疑わなくていいと思う」
「神城マリナと、梓……」
「ネクサスライブへの支援も、彩瀬アリアの広告も、モデル制作への出資も、結果的には会社全体に広がっている。でも、最初にあの人を動かしたのは、神城マリナと中村さんだったんだと思う」
アリアは黙って聞いていた。
自分のアバターにも、その人の力が関わっている。
けれど、その視線の先に自分がいるわけではない。
それが少し不思議で、少し悔しくて、少しだけ納得できた。
「広告だってそうよ」
藤田は、少しだけ呆れたように笑った。
「マリナ1人だけを大きく出すと角が立つからって、結局ネクサスライブの全ライバーを広告に載せちゃう人だもの」
「全ライバーを……?」
「そう。普通は予算も調整も大変だから、そんな簡単にはやらないわ。でも神代さんは、それで中村さんがやりやすくなるならって、まとめて通してしまう」
藤田は肩をすくめる。
「だから変な人なのよ。見ているのは神城マリナと中村さんなのに、動かすお金と影響だけは会社全体に広がっていく」
「……梓、ずるいなぁ」
ぽつりと漏れた声に、藤田が苦笑する。
「そこに戻るのね」
「戻りますよ。だって、ずるいですもん」
「まあ、たしかにずるいわね」
藤田はあっさり頷いた。
「神代さんがついている時点で、他のライバーとは条件が違うもの」
アリアは少しだけ目を丸くした。
否定されると思っていたのかもしれない。
「でも、そこでライバーの人気が決まるわけじゃないわ」
藤田の声は、先ほどより少しだけ真面目だった。
「広告で目に入る機会は増やせる。モデルの質も上げられる。配信環境も整えられる。でも、見続けてもらえるかどうかは本人次第よ」
藤田はアリアを見る。
「昨日、4100人が来たのは支援の力もある。でも、その人たちが最後まで見たなら、それは西山さんの力でもある」
「……私の」
「ええ。そこは黒瀬さんも認めていたでしょう」
アリアは少しだけ視線を落とした。
ずるい。
羨ましい。
悔しい。
その感情は消えない。
けれど、それだけで終わる話でもない。
「じゃあ、私も見続けてもらえるようになればいいんですね」
「そういうこと」
藤田は頷く。
「神代さんが誰を見ているかと、視聴者が誰を好きになるかは別の話よ」
その言葉に、アリアはゆっくりと息を吐いた。
用意されたものがある。
届かせてくれた人がいる。
けれど、そこから先は自分の声で進むしかない。
アリアはもう一度、膝の上で指を握った。
「……分かりました」
小さく呟いた声には、悔しさと、少しの笑みが混じっていた。




