第42「担当じゃないんですか?」
彩瀬アリアのデビュー配信を翌日に控え、ネクサスライブの会議室には関係者が集まっていた。
宣伝担当の藤田由香、マネージャーの佐伯奈緒、プロデューサーの高木慎吾。そして、デビューを控えたアリアが席に着いている。
「いよいよ明日かぁ……」
アリアは机に置かれた資料を眺めながら、小さく息を吐いた。
緊張していないと言えば嘘になる。しかし、それ以上に、ようやく自分のアバターで配信できるという期待の方が大きかった。
やがて会議室の扉が開き、黒瀬凌太が1人の男性を連れて入ってきた。
「お待たせしました」
黒瀬に続いて入ってきた男性を見て、アリアが首を傾げる。
見覚えのない顔だった。
黒瀬は席へ向かう前に、男性をアリアへ紹介した。
「こちらは森川です。今後、西山さんの配信機材と技術対応を担当します」
「森川拓海です。よろしくお願いします」
森川が人当たりのよい笑顔で頭を下げる。
「あ、よろしくお願いします」
アリアも反射的に頭を下げたあと、黒瀬と森川を交互に見た。
「あの……機材担当は、新井さんじゃないんですか?」
「新井はマリナチームの担当です。現在は、ほぼ専属で動いています」
「ほぼ、専属……」
アリアが小さく繰り返す。
「梓、ずるいなぁ……」
アリアの口から零れた名前に、藤田の眉がわずかに上がった。
「西山さん……」
佐伯が困ったように名前を呼び、森川へちらりと視線を向ける。
「あ……」
その視線を追ったアリアも、ようやく本人が目の前にいることを思い出した。
一方、高木は聞かなかったことにするように、黙って資料へ目を落としている。
紹介されたばかりの森川は、早くも居心地が悪そうに身体を縮めていた。
藤田が森川の方へ身を寄せ、小声で囁く。
「彼女、悪気はないのよ」
「本当ですか? 僕、だいぶ残念がられてますけど……」
「新井君じゃなくて残念なのは本当だと思う」
「そこは否定してほしかったなぁ……」
森川は困ったように笑いながら、さらに肩を落とした。
「森川が不在だったため、初回の立ち上げだけ新井に代わってもらいました。西山さんの担当は、基本的に森川です」
黒瀬が淡々と説明する。
「そう、なんですか……」
返事とともに、アリアの肩がわずかに落ちた。
すぐに森川へ笑顔を向けたものの、声に滲んだ落胆までは隠しきれていない。
「……よろしくお願いします、森川さん」
「うん。よろしく」
森川は笑顔で応じながら、気まずそうに頬を掻いた。
「でも、新井さん、何かあったらすぐ駆けつけますって……」
ぽつりと漏れた一言に、会議室の空気が再び止まった。
「新井が、そのように言ったのですか?」
「はい。何かあったら、すぐ駆けつけますって言ってくれました」
「分かりました。確認します」
黒瀬はスマートフォンを取り出すと、新井へ電話をかけた。
「私です。今、少しよろしいですか」
黒瀬は席を離れ、会議室の隅へ移動する。
「以前、西山さんに、何かあればすぐ駆けつけると伝えましたか?」
電話の向こうから返ってくる新井の説明を、黒瀬は口を挟まずに聞いていた。
「先に佐伯さんか、担当の機材班へ連絡するように伝えた。そのうえで、あなたが空いていれば駆けつけると言ったのですね」
再び新井の返事を聞く。
「自分が担当だとは一言も言っていないと。分かりました」
黒瀬は短く礼を告げ、通話を終えた。
席へ戻ると、アリアが答えを待つように黒瀬を見上げる。
「新井は、西山さんに何かあった場合、まずマネージャーの佐伯さんか、担当の機材班へ連絡するように伝えたそうです。そのうえで、自分が空いていればすぐ駆けつける、と」
「はい。それは聞きました」
黒瀬はそこで一度言葉を区切った。
「新井は、自分が西山さんの担当だとは一言も言っていません」
「……え?」
「『空いていれば』というのも、新井自身の業務に支障がない場合という意味です。西山さんの担当を引き受けるという話ではありません」
「じゃあ、私が勝手に勘違いしていたってことですか?」
「そういうことになります」
「そんな……」
アリアの肩が、先ほどよりも分かりやすく落ちた。
その様子を正面から見せつけられている森川は、とても気まずそうに視線を泳がせていた。
何も悪いことはしていない。今日初めて顔を合わせ、正式な担当として挨拶をしただけだ。それなのに、まるで自分が新井の代わりに入り込んだような空気になっている。
隣に座っていた藤田が、そんな森川の肩にそっと手を置いた。
「理不尽ね……」
「本当に、なんで僕がこんな目に……」
森川が力なく呟く。
そんなやり取りが交わされる中、黒瀬は何事もなかったかのように手元の資料を開いた。
「では、明日のデビュー配信について最終確認を始めます。配信の流れについては、高木から説明をお願いします」
「はい」
高木もまた、アリアと森川の様子には触れず、淡々と資料をめくった。
「基本的には、最初に簡単な挨拶をしてもらい、その後はアバターの紹介からです」
高木は資料に目を落としながら説明を続ける。
「名前や好きなもの、これからどんな活動をしていきたいか。そのあたりを一通り話してください。表情や衣装についても、視聴者に見せながら紹介してもらいます」
「紹介が終わったあとは?」
「コメントを拾いながら、自由に話してもらって構いません。決まった台本はありません」
アリアが少し意外そうに瞬きをする。
「本当に自由に話していいんですか?」
「はい。西山さんの場合は、話す内容を細かく決めるより、その場でコメントに反応してもらった方が良さが出ると思っています」
「なるほど。つまり、いつもどおりの私でいいんですね」
「限度は守ってください」
黒瀬が間を置かずに釘を刺した。
「まだ何もしてませんよ?」
「だから今、言っています」
アリアが不満そうに唇を尖らせると、藤田が小さく吹き出した。
「配信時間は1時間程度を予定しています」
高木は何事もなかったように説明へ戻る。
「終了時間が近づいたら、森川さんから合図を出します。今後の活動予定と次回の配信について告知して、最後の挨拶で締めてください」
「森川さんから……」
アリアが森川へ視線を向ける。
「はい。僕が合図を出します」
森川は気を取り直したように答えた。
「分かりました。見逃さないようにします」
「何か問題が起きた場合も、まず僕か佐伯さんに伝えてください」
「……はい」
一瞬だけ間があったものの、今度はアリアも素直に頷いた。
「それと、初回ですべてを話す必要はありません」
高木は資料から顔を上げ、アリアをまっすぐに見る。
「デビュー配信は、自分のことをすべて知ってもらうための配信ではありません。視聴者に、次も見たいと思ってもらうための配信です。少し話し足りないくらいで構いません」
「じゃあ、出し惜しみしてもいいんですね」
「言い方は少し違いますが、考え方としてはそれで結構です」
高木がわずかに苦笑すると、アリアは納得したように頷いた。
「説明は以上です。何か質問はありますか?」
「今のところは大丈夫です」
アリアが答えると、高木は資料を閉じた。
それを確認した佐伯が、手元の予定表へ目を落とす。
「西山さん、明日は配信開始の2時間前に集合をお願いします。音声とトラッキングの確認、それから本番前の最終打ち合わせを行います」
「分かりました。遅刻しないように来ます」
「そこは絶対にお願いします」
佐伯が念を押すと、アリアは胸を張った。
「大丈夫です。明日はちゃんと彩瀬アリアとして来ますから」
そう答えた声には、先ほどまでの落胆を吹き飛ばすような明るさが戻っていた。
いよいよ明日、彩瀬アリアがデビューする。




