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売れない声優の私が、なぜか大富豪に見初められました。  作者: つきしろえにし
第二章 VTuber・マリナ、始動。
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40/46

第40話「オクルス・ウィギランス」

もしよければ、「好きな回」「好きなキャラ」「印象に残った場面」など、皆さんがこの作品をどう感じているのか教えていただけると嬉しいです。


一言だけでも大歓迎です。何卒よろしくお願いします~

「こんばんは。マリナです」


 いつもの低く、わずかにかすれた声が配信に乗る。


「来てくれてありがとう。そして……おかえり。今日もお疲れ様」


@低音主食:おかえり助かる

@bluecoffee_17:ただいま!

@riku_042:今日も声がいい

@after5man:間に合った


「今日は、みんなから送ってもらったマシュマロに答えていくよ」


 配信画面の隅に、机の上を映したワイプが表示される。


 イラスト配信で使った手元カメラを、新井が静観の眼BOXを真上から映せるように調整していた。


 黒い箱へ、梓の手が添えられる。


「質問はスタッフが選んで紙にしてくれたんだけど、私は中身を見てません。ここからランダムで引いて、その場で答えます」


 ワイプの中で、箱の正面に貼られた金色の眼が見えるように、少し向きを変える。


「そして、これがPお手製の静観の眼BOXです」


@納期は来月:手作り!?

@安全第一:投入口の虎テープで草

@mugi_08:急に現場感出すな

@no_name404:想像以上に段ボールだった


「可愛いでしょ?」


@草餅侍:かわ……いい?

@soraP_31:マリナが言うならかわいい

@保護具着用:危険箇所ヨシ!

@room_702:眼力はある


「可愛いよね?」


@kome_88:はい

@月曜だけ休み:圧を感じる

@低音主食:かわいいです

@cider_210:異論ありません


「よろしい」


 満足そうに頷き、梓は虎テープに囲まれた穴へ手を入れた。


@hachi_26:相変わらず手がきれい

@草餅侍:実際に引くところ見えるのいいな

@指先観測班:指長いな

@late_shift_07:手元カメラ助かる


「配信が終わったら、Pこだわりの静観の眼BOXをXに上げるね。じゃあ、最初はこれ」


 ワイプの中で、引いた紙を開く。


「マリナさん、最近一番ハマってることはなんですか?」


 少し考えるように首を傾けた。


「最近? インスタントコーヒーの飲み比べかな。あと、イラスト描くこと」


@milk_no_sugar:インスタントコーヒー飲み比べ渋いなw

@mono_113:結局イラスト好きなんだね

@tomato_404:違い分かるもんなの?

@rinrin_39:おすすめ知りたい


「意外に違うのよ。メーカーによって。苦味が強かったり、香りが違ったり」


 紙を机の端へ置き、次を引く。


「マリナさんの本体は、チョーカーの眼って本当ですか?」


「本体?」


 マリナは眉を寄せ、自分の首元を見下ろした。


「本体ってどういうこと? 本体は私じゃない?」


@nora_318:本人も困惑してて草

@低音主食:静観の眼が本体じゃなかった

@金曜だけ本気:眼がしゃべってる可能性は?

@ramune77:まだ本体説を諦めてない


「しゃべってるのも私だから」


 その疑惑を即座に否定し、チョーカーの中央へ指を添える。


「これは世界に一つしかない、私のオリジナルよ」


@mikanbox:世界に一つだけってなんかいいな

@aozora_56:大事にしてるの伝わる

@草餅侍:でも本体疑惑は消えてない

@watcher_001:眼だけに見守ってるんだな


「チョーカーのグッズが出たら、君たちのは贋作だからね」


 そう言って、マリナは可笑しそうに笑った。


@replica_eye:まだ作ってないのに贋作扱いされた

@草餅侍:じゃあ公式を出してから言ってくれw

@watcher_001:本物を売る予定あるんですか?


 続けて引いた紙に目を落とし、少しだけ動きが止まった。


「その眼、名前ないんですか?」


「名前……あるよ」


 なぜか先ほどより声が小さい。


「……オクルス・ウィギランス」


@blacktea_24:厨二病www

@lumen_09:急に強そうな名前出てきた

@mono_113:静観くんでよくない?

@kota_881:正式名称覚えられないw


「静観くん?」


 マリナはもう一度、首元の眼へ視線を落とした。


「……静観くんっていう、ゆるキャラを描いてみようか」


 梓は静観の眼BOXの横に置かれていたメモ用紙と黒いペンを手に取った。


 手元カメラに映る紙へ、大きな眼をひとつ描く。その周りを丸い輪郭で囲み、短い手足をつけると、静観の眼はあっという間に気の抜けた姿へ変わった。


「こんな感じ?」


@mono_113:静観くん爆誕

@pen_tab_06:描くの早っ

@yuru_chara部:一つ目なのに妙にかわいいw

@coffee_break21:足みじかいの好き


「じゃあ、今日からこの子が静観くんね」


 正式名称が明かされてから、わずか数分。


 静観の眼は、ゆるキャラの静観くんとして紙の上に生まれていた。


 防音室の外では、4人が配信画面を見つめていた。


「……梓ちゃん、こういうの好きなの?」


 桐生が呟く。


「でも、オクルス・ウィギランスって神代さんがつけたんじゃないんですか?」


 藤田に聞かれ、神代は首を横に振った。


「違うよ。元々ウジャトの眼がモチーフなんだけど、制作中にAIが勝手に『静観の眼』って名前をつけたのよ」


「じゃあ、オクルス・ウィギランスは?」


 4人の視線が、画面の中のマリナへ集まる。


「梓ちゃんがつけたみたいだね」


「中村さん、思ってたよりそっち側ですやん」


 新井が妙に感心したように言った。


「まあ、面白いからいいじゃん」


 神代は笑いながら、静観くんで埋まり始めたコメント欄を眺めた。


     ◇


「次。マリナさんって苗字ないんですか?」


「苗字?」


 マリナは首を傾けた。


「たしかに、ほかのライバーの子は持ってるよね。苗字ねぇ……」


 一瞬だけ考える。


 浮かんだのは、つい先ほどまで静観の眼BOXを抱えていた男の顔だった。


「神代かな。神代マリナ……」


 口に出してみると、思いのほか馴染んだ。


@name_pending:神代マリナ爆誕

@mono_113:めっちゃ馴染んでる

@yuki_330:なんかしっくりくる

@cloud_404:フルネーム強いな


「……あ」


 勝手に使っていい苗字ではない気がする。


「神城の方ね。お城の『城』」


@edit_now:今変えた?

@suzume_18:訂正が早いw

@低音主食:神城マリナも似合う

@kanji_test:お城の方ね、了解


「今変えてないよ。最初から神城。うん」


 言い切ってから、紙を脇へ置く。


 リビングでは、藤田が隣に座る神代を見た。


「神代さん、顔が嬉しそうですよ」


「いや、別に」


「すごく嬉しそうですよ」


 神代は誤魔化すように、配信画面を指さした。


「神城だって言ってるでしょ。字が違うから」


 桐生は、次々と流れていく『神城マリナ』の文字を見て、わずかに眉を寄せた。


「……これ、ちょっとまずいかもしれないわね」


 神代が美咲へ顔を向ける。


「仮の苗字でしょ?」


「仮でも、活動名に関わることを配信中に決めたように見えるもの。終わったら黒瀬さんに報告しておくわ」


 美咲はそう言って、コメント欄に残る『神城マリナ』の文字をもう一度見た。


 マリナが次の紙を開く。


「レヴェナントになったら、何か福利厚生ありますか?」


「福利厚生ねぇ……」


 考えるように指先を頬へ当ててから、ほんの少し笑う。


「私がいること?」


@benefit_39:福利厚生が本人w

@shirokuma_05:それが一番手厚い

@姉属性過激派:永久雇用でお願いします

@週休三日希望:採用情報どこですか


「永久雇用は知らないけど。いる間は、いてくれたらいいよ」


 さらりと付け足し、次の紙へ手を伸ばす。


「マリナさんって朝強いですか? それとも夜型ですか?」


「……夜型かな。まあ、朝も弱くないけど」


@nightowl_73:夜の女だった

@asahi_0612:朝も弱くないの強い

@納期は来月:生活リズムどうなってんの

@shift_worker9:夜勤適性ありそう


「前からそんな感じ。夜中でも割と平気だし、朝になったら朝になったで動けるよ」


 ホテルの夜勤で身についた生活を細かく話すことはせず、そこで言葉を切った。


「次。マリナさんに『おかえり』って言われるためだけに仕事行ってます。責任取ってください」


「責任とは?」


 表情を変えないまま、問い返す。


 数秒待っても、当然、紙から答えは返ってこない。


 マリナは無言で箱へ手を入れた。


@草餅侍:急に詰められてて草

@logic_224:責任の定義から入るのやめてw

@sender_unknown:送ったやつ今ごろ震えてそう

@paper_no_reply:紙は答えてくれないぞ


「質問者がいないと話が進まないので、次」


 新しい紙を開く。


「マリナさん、怒ったら怖そう。怒ってください」


「怒るの?」


 マリナはマイクを見て、それからコメント欄へ視線を戻した。


「……イヤホンの人は気をつけてね」


@earphone_user:え

@volume_12:ガチのやつ?

@低音主食:音量下げました

@speaker勢:ちょっと離れます


「みんなが音量下げるの、ちょっと待つか」


 急かさず、数秒。


「ほんとに下げてね。ほんとに」


 椅子に座り直し、マイクとの距離を取る。


 角度を調整し、ひとつ息を吸った。


「いい加減にしなさい!!」


 腹の底から出た声が、防音室の空気を震わせた。


 声量は凄まじい。それでも音は潰れず、言葉の輪郭は鮮明なまま配信に乗っている。


 閉じた扉を隔てたリビングにまで、かすかにその声が届いた。


「……すごいな、梓ちゃん」


 神代が思わず呟く。


 画面の中では、先ほどまでの迫力が嘘のように、マリナが心配そうにコメント欄を見ていた。


「……みんな大丈夫かな?」


@鼓膜無事です:生きてるw

@低音主食:急に心配してくれるの好き

@care_after:怒られた直後に介護されてる

@防音室の壁:こっちは震えた


「大丈夫そうね。よかった」


 ほっとしたように息をつき、また箱へ手を入れる。


「マリナさん、朝どうしても起きられません。目覚ましに設定したいので、一発で起きる一言ください」


「……じゃあ、さっきのでいい?」


@草餅侍:再放送www

@alarm_0700:もう嫌な予感しかしない

@sleepy_514:お願いします

@音量戻した人:また下げます


 梓は再びマイクから少し離れた。


「いい加減にしなさい!!」


@double_hit:二発目www

@wake_up_30:目覚ましには強すぎる

@低音主食:毎朝怒られたい

@二度寝常習犯:これは起きる


「毎朝は嫌。自分で起きて」


     ◇


「マリナさんに罵られたいです。お願いします」


 読み終えたマリナは、紙とコメント欄を交互に見た。


「これ、姉属性過激派くんでしょ?」


@姉属性過激派:なんで分かったんですか!?

@guess_easy:本人おって草

@fast_confession:自白が早い

@log_reader:普段の行いですね


 マリナは少しだけ目を細めた。


「……ざぁこ♡」


 甘い声で囁いた直後、読んだ紙を机の上へ放った。


 ぱしん、と乾いた音がマイクに乗る。


「はい、次」


@姉属性過激派:ありがとうございます!!!!

@paper_sound:音立てて捨てたのわざとでしょwww

@m_404:ほかのドMもニッコリ

@night_bus_12:ありがとうございます

@desk_worker03:ありがとうございます

@夜更かし常習犯:ありがとうございます

@冷蔵庫のプリン:ありがとうございます

@残業戦士03:ありがとうございます

@匿名希望M:ありがとうございます


「増えた……」


 流れていく同じ言葉を見て、わずかに呆れた声を漏らす。


「僕もそのチョーカーになりたいです」


「チョーカーになって何すんの」


 今度は堪えきれずに笑った。


「なったら私、外して眼の方を下にして置いとくね」


@reverse_side:扱いひどくて草

@姉属性過激派:それでもなりたいです

@detail_eyes:眼を下にされるの妙に解像度高い

@floor_view:床しか見えないじゃん


「それでもいいんだ……」


 少し引いた声のまま、次の質問を読む。


「もし1日だけ別のVTuberになれるなら、誰になりたいですか?」


「別のVTuber……」


 今の配信部屋。


 自分専用に調整された機材。すぐ外で見守ってくれているスタッフ。そして、自分の動きに合わせて瞬くマリナ。


 思い浮かべたあとで、答えはすぐに出た。


「……私かな?」


@another_v:別のVTuberとは

@current_save:現状に満足してて草

@低音主食:転生拒否された

@route_fixed:このルート継続で


「だって、今のままでいいし」


 照れ隠しもせず、そう言った。


「無人島に1個だけ持っていけるなら、何を持っていきますか?」


「なんでもいいの?」


 紙に確認するように問いかける。


「じゃあ、船かな……。インドアの私は、無人島は無理……」


@boat_first:帰る気満々で草

@納期は来月:サバイバル開始前に撤退してる

@indoor_88:インドア宣言かわいい

@survival_zero:最適解ではある


「食料とかナイフとか持っていっても、帰れなかったら困るでしょ」


 極めて現実的な答えを残し、さらに1枚。


「もし一週間だけ仕事も予定も全部なくなったら、何して過ごしますか?」


「一週間か……」


 少し迷ってから、まだ行ったことのない場所を口にする。


「福岡、行ってみたいかな?」


「ずっと外に出るのは無理だけどね。何日か見て回って、あとはホテルでのんびりしたい」


@草餅侍:福岡いいぞ

@明太子は飲み物:待ってます

@travel_note21:意外と旅行派?

@hotel_stay派:ホテルでのんびり分かる


 その答えを聞いた神代の口元が、無意識に緩んだ。


「案内する気満々の顔してますね」


 藤田に指摘され、神代は咳払いをした。


「まだ何も言ってないでしょ」


「顔には出てますよ」


     ◇


「自分のグッズを1個だけ作れるなら、何が欲しいですか?」


「レヴェナントTシャツかな。普段使いできるのがいいよね」


@goods_wait:欲しい

@納期は来月:全面に静観くんで

@plain_design:普段使いとは

@shirt_09:ワンポイント希望


「全面は嫌。小さく静観くんが入ってるくらいがいい」


@mono_113:黒地にワンポイントなら着たい

@服は黒しかない:受注いつですか

@order_open:グッズ会議お願いします

@size_L希望:サイズ展開も頼む


「まだ作るって決まってないから。P、聞いてる?」


 配信越しに突然呼ばれ、神代が画面を指さした。


「聞いてるよ」


「返事しても届きませんよ」


 桐生が笑う。


「もし自分にキャッチコピーをつけるなら、何にしますか?」


「……帰還者の護り手、かな」


@copy_writer0:好きじゃんwww

@dark_side_7:そっち側確定

@低音主食:オクルス・ウィギランスの名付け親だもんな

@guardian_24:普通にかっこいい


「いいでしょ、別に。護る方の『護り手』ね」


 少し早口で補足する姿に、コメント欄はさらに盛り上がった。


「マリナさんの配信を見始めてから、母に『最近楽しそうね』と言われました。責任取って、母にも挨拶してください」


「また責任取るの?」


 一度はそう返したものの、すぐにカメラへ向かって手を振る。


「じゃあ、お母さんを配信画面に連れてきて。……お母さん、こんばんは~。いつも見てくれてありがとうございます」


@greeting_01:急に礼儀正しい

@低音主食:お母さん見てるー?

@母です:こんばんは

@not_your_mom:偽物湧くの早い


「絶対違うでしょ」


 即座に偽物を見抜き、次を引く。


「推し変しようと思ってたんですが、行き先もマリナさんでした。どうしたらいいですか?」


「じゃあ、そのままいて」


@return_route:強い

@stay_here_11:逃がす気なくて草

@納期は来月:はい、います

@推し変失敗:戻ってきました


「自分で戻ってきたんだから、仕方ないね」


 口元にかすかな笑みを残したまま、次の紙へ目を通す。


「マリナさん、他のVTuberも見に行っていいですか?」


「え? いいですよ」


 あまりにも意外な許可申請に、素の敬語が出た。


@polite_mode:敬語www

@distance_3m:急に他人行儀になるなw

@低音主食:許可求められて困ってるじゃん

@free_viewer:許可いただきました


「好きな配信を好きな時に見てください。……で、帰ってきたら、おかえりって言うから」


@低音主食:帰る場所にしてくれるの好き

@home_button:結局戻されるやつ

@revenant_27:帰還者だからな

@ただいま予約:ちゃんと帰ってきます


 少しだけ柔らかくなった空気の中、次のマシュマロが開かれる。


「家族に『その人誰?』って聞かれたんですけど、なんて紹介すればいいですか?」


「……ちょっと何言ってるか分からない」


@family_meeting:正論www

@who_is_she:マリナ困ってるじゃん

@低音主食:説明する気すらなくて草

@vtuberで通じます:そのまま紹介します


「普通にVTuberでいいでしょ。『その人』はやめて」


「昨日、夢に出てきたんですけど、出演料って払った方がいいですか?」


「それ、別のマリナだよ。気をつけて」


@dream_guest:偽物おって草

@copy_marina:夢にまで類似品いるのかよ

@低音主食:急にホラー始まった

@sleep_log:本人にアリバイ確認するなw


「私は昨日、誰の夢にも行ってません」


 断言したことで、余計に怪談めいた空気が漂った。


     ◇


「マリナさんって20歳らしいですけど、その落ち着きは人生何周目ですか?」


「では質問です」


 マリナは紙を机へ置き、カメラへまっすぐ顔を向けた。


「何周目でしょう?」


@life_count:こっちに振るなwww

@loop_05:5周目くらい

@低音主食:少なくとも1周目の落ち着きじゃない

@save_dataなし:答え合わせできないやつ


「答えは、私も知りません」


 逃げ切るように次を引く。


「マリナさんに『働け』って言ってほしいです。明日から本気出します」


「じゃあ、みんなに言っとくね」


 小さく息を吸う。


「明日やろうは、バカヤロー」


@deadline_today:刺さる

@納期は来月:名前と一緒に見ないで

@start_tomorrow:明日から本気出すって言ってるだろ!

@task_zero:今やります


「……でも、明日からでいいから。頑張ってね」


@tomorrow_ok:明日でいいんかいwww

@soft_landing:最後急に優しいのずるい

@低音主食:はい、明日から頑張ります

@clock_2358:今日はもう休みます


「今日はもう遅いからね」


 現実的な理由を添え、箱の中を探る。


「マリナさん、静観くんと目が合うたびに『お前ちゃんとやってるか?』って言われてる気がします。気のせいですか?」


 マリナは自分の首元を見た。


 金色の眼は、いつもと変わらず正面を見つめている。


 少し考えてから、梓は先ほどより高い声を作った。


「お前、ちゃんとやっているか? ん?」


@frame_skip:急に喋る静観くんwww

@昭和アニメ履修済:目玉のおやじ感www

@低音主食:最後の「ん?」が妙に圧強い

@worklog_404:見張られてる気しかしない


「……こう言ってるのかもね。ちゃんとやってたら大丈夫」


 何が大丈夫なのかは説明しないまま、もう1枚を引く。


「静観くんだけの配信も見てみたいです。その間、マリナさんは休んでてください」


「私のチャンネルだから!!」


 今日3度目の大声は、先ほどよりずっと素に近かった。


「それは無理!!」


@channel_owner:全力拒否www

@eye_only_live:静観くん人気に嫉妬してる?

@main_cast:主役交代の危機

@姉属性過激派:サブチャンネルで静観くんチャンネルにしてください


「……私いらないの……?」


 声を落とし、肩までしょんぼりさせてみせる。


 コメント欄に慰めの言葉が流れ始めた、その瞬間。


「はい、次いくよ」


 何事もなかったように箱へ手を入れた。


@mode_change:切り替えはっやwww

@sadness_refund:今のしょんぼり返して

@低音主食:絶対ちょっと遊んだだろw

@caught_77:演技派だなぁ


「何のこと?」


 とぼけながら掴んだ紙は、これまでとは明らかに感触が違った。


「……なんかこれだけ大きいんだけど」


 箱から出てきたのは、何度も折り畳まれた紙だった。


 広げても、まだ折り目が残っている。


「え? これ読むの?」


@long_paper:始まったwww

@jackpot_88:当たり引いたな

@低音主食:読むまでがマシュマロです

@fold_count_6:何回折ってるんだこれ


 マリナは長い紙を両手で持ち直した。


「マリナさん、こんにちは。以前からどうしても気になっていたことがあるので、少し長くなりますが質問させてください」


 一文目は、まだ普通だった。


「まず、静観の眼のモチーフはウジャトの眼ですよね。ウジャトの眼といえばホルス神。ホルス神といえば古代エジプト。古代エジプトといえばファラオです」


 そこで一度、紙から目を上げる。


「……うん?」


@logic_jump:論理が飛躍し始めた

@低音主食:まだ入口です

@reader_204:ちゃんと読んでてえらい

@egypt_beginner:ホルス神までは分かった


「つまり、静観の眼を身につけているマリナさんは、実質ファラオということになります。ここまでは特に異論はないと思います」


「あるけど」


 間髪入れずに否定した。


「そして、我々はレヴェナントです。レヴェナントは帰還者。帰還者ということは、一度どこかへ行き、そこから帰ってきた者ということになります」


 紙に沿って視線が下がっていく。


「では、我々はどこから帰還したのでしょうか。私はここで一つの可能性に気づきました。我々レヴェナントは、古代エジプトから現代へ帰還した民なのではないでしょうか」


「……何の話?」


@lost_marina:マリナ置いてかれてるwww

@page_counter:頑張って読んで

@half_way_not:まだ半分いってないぞ

@低音主食:怪文書から逃げるな


「逃げてないよ。まだちゃんと読んでるでしょ」


 そう言いながらも、律儀に続きを読む。


「そう考えると、すべての辻褄が合います。マリナさんは静観の眼を身につけたファラオ。我々はその下へ帰還した民。そして配信が始まるたびにマリナさんが我々を迎え入れ、配信が終わるたびに我々は再び現世へ送り出される」


 読み上げる声は滑らかなままだが、表情には明らかな困惑が浮かんでいた。


「つまり、マリナさんの『おかえり』は単なる挨拶ではなく、長い時を越えて帰還した民を迎えるための儀式だったのではないでしょうか」


「違います」


@ritual_live:儀式だったのか

@official_denial:本人が否定してるぞ

@低音主食:異論は認めない

@welcome_back民:毎回参加してたらしい


「さらに考えてみてください。古代エジプト。ファラオ。民。ここまで揃っていて、まだ足りないものがあります。そうです。ピラミッドです」


「そうです、じゃないのよ」


 紙を少し持ち上げ、残りの長さを確認する。


「……まだあるんだけど」


@夜更かし常習犯:草

@残業戦士03:完読チャレンジ

@草餅侍:読み切れマリナ

@speed_reader:怪文書RTA始まった


「現在のところ、マリナさんの配信にはピラミッドが確認できません。これは非常に不自然です」


「普通です」


「もし今後、登録者数が増え、レヴェナントが十分な人数に達した場合、我々総出でピラミッドの建設を開始する必要があるのではないでしょうか」


「ないです」


 配信画面の向こうで、マリナは少しずつ敬語に戻り始めていた。


「建設予定地については、交通アクセス、資材搬入、周辺住民への配慮、日照条件、配信映えなどを総合的に検討する必要があります。また、建設にあたってはレヴェナント内で役割分担を行い、石を運ぶ者、設計する者、見守る者、休憩中に差し入れを配る者など、適材適所で配置することが重要だと考えます」


「……」


 梓は長い紙を持ち直し、残りの文章へ目を走らせた。


「静観の眼については、現場監督として高所から全体を見渡していただくのが適任でしょう。なお、安全面を考慮し、ヘルメットおよび安全靴の着用は必須とします。危険箇所には虎テープを貼ってください」


 桐生と新井の視線が、ゆっくりと神代へ集まった。


「俺じゃないよ?」


「誰も何も言ってませんよ」


 藤田が笑いを堪えながら答える。


 マリナはとうとう紙を机へ置いた。


「……もう最後だけ読む」


@skip_to_end:逃げたwww

@last_line_only:最後まで頑張って

@document_win:怪文書に負けるな

@低音主食:結論だけでも頼む


 長い文章の最後へ目を通す。


「……ところで、目玉焼きには何をかけますか?」


「…………」


 ファラオも、帰還した民も、ピラミッドも。


 そのすべてを無視するように、マリナは答えた。


「醤油かな」


@egg_しょうゆ派:そこだけ答えるんかいw

@document_lost:怪文書完敗

@seasoning_poll:醤油派了解

@pharaoh_info:ファラオの好み判明

@mono_113:結局聞きたかったのそれだけ説

@salt_and_pepper:ソース派もいます


「ファラオじゃないから」


 最後にそこだけは訂正し、怪文書を端へ追いやった。


「ということで、今日はここまで」


@after_story:まだ怪文書の余韻がすごい

@低音主食:楽しかった!

@construction_0:ピラミッド建設の告知待ってます

@next_marshmallow:次回も待ってます


「建てません」


 きっぱりと言ってから、マリナは静観の眼BOXへ手を添えた。


「たくさん送ってくれてありがとう。今日読めなかった分は、またいつか読むかも」


 少しだけ身を乗り出し、いつもの穏やかな声に戻る。


「それじゃあ、明日も無理しすぎないでね。おやすみ。またね」


@低音主食:おつマリナ

@bluecoffee_17:おつマリナ!

@late_shift_07:おつマリナ

@viewer_3802:おつマリナ!


「おつマリナ」


 配信終了の操作を終え、梓はヘッドホンを外した。


 防音室の扉を開けると、リビングにいた4人が揃ってこちらを見た。


「お疲れさま、梓ちゃん」


「お疲れさまでした」


 桐生と藤田に迎えられ、梓は長く息を吐く。


「最後の、なんだったんですか……」


「マシュマロに怪文書を入れたら、梓ちゃんがどうするかなと思って」


 藤田は悪びれた様子もなく笑った。


「美咲さん。変な質問は入ってないって、言ってましたよね?」


「……私も、そのつもりだったんだけど」


 美咲の視線が藤田へ向く。


「怪文書はマシュマロの醍醐味でしょ」


「面白かったでしょ? コメント欄も盛り上がってたし」


「私は大変だったんですけど……」


「醤油って答えられたからいいじゃん」


 神代が笑うと、梓は呆れたように息を吐いた。


「そういえば梓ちゃん、中二病だったんですね」


 藤田が思い出したように言う。


「違います」


「オクルス・ウィギランス」


「……あれは、咄嗟に出ただけです」


「咄嗟にあれが出てくる時点で、結構好きですよね?」


 梓は答えず、藤田から目を逸らした。


「それにしても、神城マリナ。結構好評でしたね」


 藤田が言うと、美咲も頷いた。


「そうね。さっきも言ったけど、黒瀬さんには報告しておかないと」


 美咲がスマートフォンへ手を伸ばす。


 そのとき、梓は配信机に残してきた黒い箱を振り返った。


「あ。静観の眼BOX、あそこに置いたままでいいですか?」


「もちろん」


 神代が答える。


「あ。Xに上げるって言ったんでした」


 梓は防音室へ戻り、机の端に置かれた静観の眼BOXへスマートフォンを向けた。


 正面の金色の眼と、投入口を囲む虎テープが収まるように角度を整え、写真を撮る。


『本日のマシュマロ配信で使用した、Pお手製の静観の眼BOXです。

 配信後も防音室を静観してもらいます』


 短い文章を添え、梓は投稿ボタンを押した。


 間もなく通知が続けて届き、投稿の下に返信が並び始める。


@haru_latte:想像してた3倍くらい手作りで笑った

@anzen_yoshi:虎テープの主張が強すぎるw

@kuro_neko77:マリナが気に入ったなら可愛いということで

@illust_memo:静観くん、配信外でも見守ってるんだ

@ayaneru1024:かわいい~! 静観くんのグッズも欲しいです!


「……静観くんのグッズ?」


 梓が呟くと、後ろから画面を覗き込んだ藤田が笑った。


「グッズ候補、また増えましたね」


「これもですか?」


「さっき描いた絵、そのままステッカーにできそうじゃない?」


 藤田に言われ、梓は配信机に残した静観くんの絵を見た。


「こんな落書きでいいんですか?」


「もちろん、このまま製品にするわけじゃないですよ。採用するなら、梓ちゃんにちゃんと清書してもらって、商品用のデータに整えます」


「描き直すんですね」


「はい。でも、このゆるさは残してくださいね。神代さんも、そう思いますよね?」


「うん。Tシャツの端に小さく入れてもいいかもね」


「アクリルキーホルダーにもできそうですやん」


 新井まで加わり、5人は静観くんの絵を囲んだままリビングへ戻った。


 ステッカーならどの大きさがいいか。Tシャツへ入れるならどこがいいか。藤田が次々と案を出し、神代と新井がそれに乗る。美咲も途中から意見を挟み、話はしばらく途切れなかった。


 防音室の机の端では、虎テープに囲まれた静観の眼が、何も言わずこちらを見つめていた。


 こうして、神代お手製の静観の眼BOXは、配信が終わったあとも防音室に残されることになった。


 そしてリビングのソファでは、黒瀬への報告を打つはずだった美咲のスマートフォンが、画面を伏せたままになっていた。


 誰もそのことに気づかないまま、

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