第37話「相棒」
初配信を終えてから、マリナは数回の雑談配信を重ねていた。
大きな企画があるわけではない。最近あったことや、気になったものについて話し、流れてくるコメントへ返していく。
そんな配信の最後に、いつからか決まって流れる言葉ができていた。
@低音主食:おつマリナ
最初に使い始めたのは、何度か見かけたその名前だった。
マリナが拾って返したことで、次の配信から少しずつ真似をする人が増えていった。
@nightowl_19:おつマリナ~
@草餅侍:おつマリナ
@rice_004:またねー
@user_5872:おつマリナ
@mugi_tea:今日もおつかれ
「うん、おつマリナ。またね」
今では配信の終わりを告げる挨拶として、少しずつ定着し始めている。
そして今日は、前もって告知していたイラスト配信の日だった。
* * *
配信開始を数時間後に控えたNEST東京オフィスでは、新井が最後の確認を行っていた。
机の端に固定されたアームから、小型のカメラがペンタブレットへ向けられている。
梓がペンを動かすと、モニターに表示された配信画面の右下で、同じように右手が動いた。
映っているのは手首から先と、使い込まれた板型ペンタブレットだけだ。
「はい、もう一回、端から端まで動かしてみてください」
「こうですか?」
「そうです。上も下も切れてへんので、その位置で大丈夫ですね」
新井が録画を止め、短いテスト映像を再生する。
梓の右手が動き、その少し先を追うように画面上へ線が引かれていく。声やモデルの動きにも、目立つずれはなかった。
「遅延も問題なし。これでいけます」
新井はペンタブレットの位置を確かめると、モニターの横に立つ梓を手招きした。
「イラスト配信用の画面は、もうこっちで組んであります。作画ソフトもデスクトップ全部やなくて、ウィンドウだけ映すようにしてるんで、通知とか別の画面が配信に出る心配はありません」
新井がキーボードの端にあるキーを指した。
目印として、小さな青いシールが貼られていた。
「手元を出したいときは、これ押してください」
キーを押すと、配信画面の右下に手元映像が現れた。
「もう一回押したら消えます。同じキーに表示と非表示、両方割り当ててるんで、押すたびに切り替わります」
もう一度押した。
手元のワイプが消えた。
「分かりました」
「最初は下手に触らん方がええですね。カメラもペンタブも今の位置で画角合わせて、配信画面の配置も動かんようにロックしてます。何かおかしかったら桐生さん呼んでください」
隣で説明を聞いていた美咲が頷く。
「この青い印のキーで手元を表示。もう一度押せば消える。カメラとペンタブの位置は動かさない。何かあったら新井君に連絡ね」
「完璧です。さすが桐生さん」
「私まで試されてたの?」
「中村さんだけに任せるより安心なんで」
「それ、どういう意味?」
「褒めてるんですって」
笑いながら、新井が工具と余ったケーブルを鞄へ収めていく。
「ほな、俺はこの辺で。今日はこのあと、彩瀬アリアちゃんの配信機材を設置せなあかんので」
「新井君、忙しいのね」
「新人二人が続きますからね。今がいちばん立て込んでます」
鞄を肩へ掛けたところで、新井が入り口を振り返った。
「……神代さん、結局来ませんでしたね」
「神代さんなら、今日は買い物してから来るって言ってたよ」
「ええ……」
新井が腕時計を見る。
「すれ違いかあ。もうちょい早よ来てくれたらよかったのに」
「本当に神代さんのこと好きね」
「別に、そういうんやないですけど」
そう言いながらも、新井はもう一度だけ入り口を見てから部屋を出ていった。
それから30分ほど経った頃だった。
「お疲れさま」
扉の開く音とともに、神代が紙袋を片手に入ってきた。
「神代さん、お疲れさまです」
「差し入れ買ってきたよ」
神代が紙袋をテーブルの上へ置く。
「吉祥寺で有名なケーキ屋らしいんだけど。シュークリーム」
「わ、ありがとうございます」
梓が袋を覗き込む。
美咲も隣から顔を寄せた。
「神代さん、こういうお店よく知ってますね」
「いや、知らないよ。調べた」
「そこは調べたんですね」
「何を買えばいいか分からなかったから」
神代はそう答えながら、部屋の中を見回した。
「あれ? 新井くんいないんだ」
「30分くらい前に出ましたよ。アリアちゃんのところに機材を設置しに行きました」
「ああ、そっちか」
梓がくすりと笑う。
「両思いじゃないですかー」
「なにそれ」
神代が眉を寄せた。
「いや、新井くんいると思って人数分買ってきたからね。余っちゃうじゃない?」
「はいはい。そういうことにしときましょう」
美咲が笑いながら紙袋を受け取る。
「いや、本当にそうだから」
「藤田さんが聞いたら喜びそうね」
「なんで藤田さんまで出てくるの?」
梓も堪えきれずに笑った。
美咲がシュークリームを冷蔵庫へ入れに行くあいだ、神代は配信用のモニターを覗き込んだ。
梓が青い印のついたキーを押した。
画面の右下に、ペンタブレットの上を動く梓の右手が映し出された。
「へえ。こんな感じでやるんだ」
「もう一回押すと消えます」
「なるほどね」
神代は少しだけ画面を眺め、それから梓へ尋ねた。
「今日、何描くの?」
「それは見てのお楽しみです」
「教えてくれないんだ」
「配信までのお楽しみです」
「俺にも?」
「神代さんにもです」
「じゃあ、楽しみにしておくよ」
* * *
配信開始10分前。
梓は防音室の中で、一人モニターに向かっていた。
目の前には配信待機画面。
隣のモニターには作画ソフトが立ち上がり、ペンタブレットもいつもの位置に置かれている。
何度かペンを持ち直す。
「……よし」
雑談配信は何度かやった。
けれど今日は、自分が絵を描くところを見せる。
それだけで、いつもとは少し違う緊張があった。
一方、防音室の外。
リビングでは、美咲がテーブルにノートパソコンを広げていた。
配信ページを開き、開始前から流れ始めているコメントを確認している。
その隣では、神代がソファに腰を下ろして画面を覗いていた。
「もう人いるんだ」
「待機してくれてる人ですね」
「まだ10分前なのに」
「楽しみにしてくれてるんじゃないですか?」
「ありがたいねえ」
神代が画面を眺めた。
@nox_018:待機
@低音主食:今日はイラスト回
@miso_soup_26:何描くんだろ
@user_6418:間に合った
@haru_053:手元映るの楽しみ
コメントは、まだゆっくりと流れていた。
そして、配信開始の時刻になった。
待機画面が切り替わり、画面の中央にマリナの姿が映し出される。
「こんばんは、レヴェナンツのみんな」
マリナがいつものように、ゆっくりと口元を緩めた。
「おかえり。今日もお疲れさま」
@mikan_88:キタ━(゜∀゜)━!
@低音主食:ただいま
@koma_17:こんマリ~
@tuki_090:間に合った
@sato_41:こんばんマリナ
「今日は予定してた、雑談しながらイラスト配信やるよ」
コメントの流れが一段速くなる。
@user_2634:お手並み拝見
@note_7:何描くの?
@K_081:絵描けるの楽しみにしてた
@納期は来月:画伯回だったりする?
@milk_tea:何描くんだろ
マリナは流れていくコメントを眺めながら、小さく笑った。
「今日は私自身を描くよ」
少し間を置く。
「正確には、私のデフォルメ。ちびマリナね」
またコメントが流れ始める。
@mono_113:普段はどんな絵描くんですか?
「いろいろ描くよ。キャラクター、風景画、動物、それから食べ物とか」
@sketch_09:やはり天才か……
@note_7:守備範囲広すぎる
@草餅侍:全部見せてください
「今日は背景まで入れて、一枚のイラストとして完成させるつもり。最後まで付き合ってね」
マリナは青い印のついたキーを押した。
画面の右下に、小さなワイプが現れる。
使い込まれた板型ペンタブレットと、その上でペンを持つ梓の右手が映し出された。
@sugar_01:お、手元きた
@hima_479:手きれい
@低音主食:ほんとに手元映るんだ
@user_A318:指ほっそ
@sui_204:こういうの見るの好き
梓はコメントを見て、ペンを持ったまま自分の手へ視線を落とした。
(……手も見られてるのか)
考えてみれば当然だった。
わざわざ映しているのだから、見られるに決まっている。
(これから、もうちょっと手入れ気をつけよう……)
「手が綺麗?」
マリナが小さく笑う。
「ふふ、それも含めて楽しんでいって」
@hima_479:ありがとうございます
@miso_soup_26:いや~ほんと手がきれいすぎる
@ayaneru1024:描いてるところを見ないで手だけ見てます
@sui_204:手元カメラ大正解
@低音主食:ペン持つ指まで絵になる
「手だけじゃなくて、描いてるところも見てよ」
口にしてから、梓は少しだけ嬉しくなった。
こういう言葉が、以前よりずっと自然に出てくる。
何を言えばマリナらしいのか、考えてから喋っているわけではない。
(……なんか、すらすら出てくる)
そのことが、少しだけ嬉しかった。
梓はペン先をキャンバスへ運ぶ。
雑談を続けながら、輪郭を取り、髪の形を整え、特徴的なポニーテールを大きめに描いていく。
頭身は低く、丸みのあるデフォルメ。
それでも、金色の瞳や首元のチョーカーなど、マリナらしい特徴はきちんと残していく。
話しながらでも、ペン先はほとんど止まらなかった。
@sketch_09:普通に上手くない?
@Aki_55:え、プロじゃん
@納期は来月:線に迷いなさすぎて草
@mori_32:これガチで上手いやつ
@Y_102:しゃべりながら描けるのすご
「これでもデザイナーだからね」
マリナは少しだけ得意げに返し、そのまま前髪へ線を足していく。
「そこは期待してもらっていいよ」
コメントを拾って、返して、また線を引く。
いつも一人で描いていた時間に、今日はたくさんの声が混ざっていた。
やがて、線画が形になった。
デフォルメされたマリナが、キャンバスの中央でこちらを見ている。
「よし。線画はこんな感じかな」
マリナが少し満足そうに呟いた、そのときだった。
@user_77ab:化石みたいなペンタブ使ってて草
「……」
一瞬だけ、言葉が止まった。
すると、そのコメントにつられるように次々と流れ始める。
@oldschool_13:たしかに型が古いww
@tea_052:年季入りすぎてて草
@納期は来月:物持ち良すぎるだろ
@neko_403:いつから使ってるんだこれ
@chao_88:逆にまだ動くのすごい
梓は手元のペンタブレットへちらりと視線を落とした。
そして、少し呆れたような声で返す。
「失礼だな……私の相棒に対して」
その言葉に、コメント欄が再び加速した。
@oldschool_13:相棒(かなりの古参)
@tea_052:化石から相棒に昇格した
@neko_403:相棒でも古いものは古いw
@user_390:急に愛着湧いてきた
@納期は来月:別れは突然に来るぞ
@草餅侍:やめろ縁起でもないw
@朝型JINJA04:相棒さん現役何年目ですか
「何年目……?」
梓はペンタブレットへ視線を落とした。
買った時期を思い返し、何気なく答える。
「8年目かな?」
@oldschool_13:8年!?
@tea_052:ガチの相棒だった
@neko_403:いや待って
@朝型JINJA04:マリナ20歳だから12歳から使ってるのか……
@納期は来月:小学生からの相棒で草
「あっ……」
そこでようやく、梓も気づいた。
マリナは20歳。
梓がこのペンタブレットを買ったのは18歳の頃だが、マリナの年齢から逆算すれば、12歳から使っていることになる。
(しまった……)
@grass_09:誘導尋問うますぎる
@草餅侍:やるな@朝型JINJA04
@bluecoffee:何気ない質問で設定を崩したw
@user_390:名探偵おる
@朝型JINJA04:普通に聞いただけなんだが
「……8年目は8年目。そこから先の計算は禁止」
マリナは少しだけ目を細めた。
「いいね?」
@oldschool_13:はい
@tea_052:圧が強いw
@user_390:分かりました
@納期は来月:答え合わせは済んでるんだよなあ
@朝型JINJA04:何も見なかったことにします
「よろしい」
そのまま線画の内側へ色を置き始めた。
深紅の髪に、金色の瞳。
黒いチョーカーと衣装にも順番に色が入っていく。
頭身を落としたちびマリナは、ころんとした愛らしさがありながら、どこを見てもちゃんとマリナだった。
さらに足元へ線を足していく。
やわらかな草の上に、膝を抱えてちょこんと座るちびマリナ。
梓はその周囲へ、風に揺れる草を描き足した。画面の奥まで緑の草原を広げ、その上を覆うように青い空を塗っていく。
空には、ゆっくりと流れていくような白い雲。
誰かが来るのを待っているように、ちびマリナは草原の真ん中で少しだけ顔を上げていた。
@nocturne_4:背景まで描くんだ
@rainy_26:青空と草原めっちゃ合う
@unit_091:一枚絵になってきた
@低音主食:完成が見えてきた
@moko_712:ちょこんと座ってるのかわいい
梓は全体の色合いを確かめ、最後に小さな光を描き加えた。
「――できました」
完成したイラストを画面いっぱいに表示した途端、コメント欄が一気に加速した。
@mikan_88:かわいいいいいい!!
@低音主食:完成キタ━(゜∀゜)━!
@koma_17:背景まで完成してる!
@tuki_090:青空と草原めっちゃ合う
@sato_41:ちょこんと座ってるの可愛すぎる
@姉属性過激派:私を待ってます
@草餅侍:いや俺だが
@納期は来月:待ちマリナ
@tea_052:名前ついたw
@user_390:待ちマリナ、グ ッ ズ 化 決 定 ! !
@oldschool_13:これは欲しい……
@朝型JINJA04:アクスタでお願いします
@neko_403:ぬいぐるみも頼む
@ayaneru1024:10個買います!!
@低音主食:大口購入者おって草
「待ちマリナって……勝手に名前をつけないでよ」
そう言いながらも、マリナは画面の中のちびマリナを見て、小さく笑った。
「……でも、悪くないかも」
@mikan_88:公認いただきました
@tea_052:待ちマリナ爆誕
@tuki_090:運営さん見てるー?
@姉属性過激派:保存用、観賞用、一緒に待つ用で3つください
@草餅侍:用途が全部おかしい
@納期は来月:量産体制に入ります
@低音主食:勝手に作るなw
「まだグッズにするとは言ってないからね?」
@oldschool_13:まだ、って言った
@tea_052:言質取りました
@user_390:グ ッ ズ 化 決 定 ! !
「決定してない。いいね……?」
@oldschool_13:はい
@tea_052:本日二度目の圧
「このイラストは、あとでXに上げるね」
@oldschool_13:保存しますた
@tea_052:早すぎるwww
@mikan_88:まだ上がってないぞ
@低音主食:未来から来たやついるw
@草餅侍:時空を超えて保存する古参
@oldschool_13:スクショという文明があってだな
@user_390:本当に古の掲示板の住人だった
「配信画面を保存したの? あとでちゃんとしたのを上げるから、そっちも保存してね」
マリナは少し笑った。
「じゃあ今日はこの辺で。来てくれてありがとう」
流れていたコメントが、少しずついつもの言葉に変わっていく。
@低音主食:おつマリナ
@laundry_43:おつマリナ~
@tori_sio:おつマリナ
@mirai_02:楽しかったー
@sleepy_09:おつマリナ!
「うん、おつマリナ。またね」
マリナが小さく手を振る。
数秒後、配信画面は終了画面へ切り替わった。
* * *
配信を終えた梓が防音室から出ると、リビングでは美咲と神代が待っていた。
「お疲れさま」
「お疲れさまでした」
梓が肩の力を抜きながら返す。
美咲はノートパソコンを閉じると、立ち上がった。
梓は神代を見た。
「神代さん」
「ん?」
「私のペンタブって、古いんですか?」
神代が一瞬きょとんとしてから、笑った。
「あのコメント、気にしてんだ」
「……ちょっとだけ」
「気にしてないのかと思ったよ」
配信では、何でもないことのように返していた。
けれど、やはり少し引っかかっていたらしい。
神代は防音室の方へ視線を向ける。
「まあ、たしかに年季は入ってるけど」
そこで梓を見る。
「相棒なんでしょ?」
「……はい」
「じゃあ、誰になんと言われようとも大切にしないとね」
梓は少しだけ目を丸くした。
それから、防音室の中へちらりと目を向ける。
そこには、長く使い続けてきたペンタブレットがある。
声優になる前から使ってきた。
声優になってからも、絵を描くことだけはやめなかった。
誰かに見せるためでもない。
評価してもらうためでもない。
仕事にするためでもない。
ただ、自分が好きだから描いていた。
そんな時間を、ずっと一緒に過ごしてきた相棒だった。
今日は、その相棒で描いた絵を、たくさんの人が見てくれた。
笑われもした。
褒めてももらった。
コメントを読みながら描くのは、思っていたよりずっと楽しかった。
「そうですよね。ありがとうございます」
梓は神代に笑いかけた。
「それより、梓ちゃん。さっきはちょっと危なかったわね」
美咲に言われ、梓は気まずそうに視線を逸らした。
「……ペンタブの使用歴ですよね」
「そう。すぐに年齢と結びつけられてたでしょう?」
「でも、12歳から使っていても、別におかしくはないでしょ」
神代はそう言うと、感心したように梓を見た。
「それに、コメント欄を圧で抑えたね、梓ちゃん。さすが」
「抑えたつもりはなかったんですけど……」
「『いいね……?』は、かなり効いてたよ」
「『何も見なかったことにします』って言われましたからね……」
梓が困ったように眉を下げると、美咲は苦笑した。
「結果的に話は流れたけど、油断はしないでね。今回はペンタブを8年使ってるって情報だけで済んだけど、ほかの発言と組み合わさったら、別のことまで分かるかもしれないから」
美咲はそこで表情を改め、梓をまっすぐに見た。
「そういう小さな情報を積み重ねて、本人を特定しようとする人もいるの。梓ちゃん、これからは気をつけてね」
「はい……気をつけます」
「まあ、年齢がなんとなく伝わってるライバーもいるし、それを武器にしてる人もいるからね。年齢が推測されること自体は、必ずしも悪いことじゃないと思う」
神代は腕を組み、少し考えてから続けた。
「ただ、梓ちゃん自身の身元までたどられないようには、気をつけないとね。とりあえず、身の回りの情報が漏れそうなものを配信で扱うときは、事前に一度打ち合わせをした方がいいかもしれない」
「そうですね。私もその方がいいと思います」
「はい。これからは、配信で扱う前に相談します」
梓が神妙に頷く。
美咲はその返事を聞くと、張り詰めていた空気を解くように表情を緩めた。
「さて、真面目な話はここまで。せっかく神代さんが買ってきてくれたんだから、シュークリーム食べましょうか」
「はい。私、コーヒー淹れます」
それから3人は、梓が淹れたコーヒーとシュークリームを囲んだ。
ひと口食べた神代が、思い出したように顔を上げる。
「あのちびマリナなんだけど……」
「待ちマリナですか?」
「もうその名前で定着してるんだ」
「本人公認らしいですよ」
美咲に言われ、梓は少し気まずそうにコーヒーカップへ口をつけた。
「……つい、悪くないかもって言っちゃったので」
「まあ、実際いい名前だと思うけどね」
神代はそう言ってから、ソファのそばに置いていた自分のノートパソコンをテーブルへ持ってきた。
「俺もマリナのデザインをAIで作ってたときに、ちびマリナを考えたことがあるんだよ」
「そうなんですか?」
「ちょっと待ってね。たしか、この辺に……」
神代がいくつかのフォルダを開き、その中から一枚の画像を表示した。
「これ」
ノートパソコンを2人の方へ向ける。
美咲と梓は、示し合わせたように画面へ顔を寄せた。
そこには頭身を小さくした、別のちびマリナが映っていた。
「へえ、こっちも可愛いですね」
「本当だ。ちゃんとマリナだわ」
「でしょ?」
神代は少し得意そうに答えたあと、画面に映るちびマリナを眺めた。
「ただ、今日梓ちゃんが描いた方が可愛いと思う」
「えっ?」
「グッズにするなら、梓ちゃんの絵を使った方がいいんじゃないかな」
梓は手にしていたコーヒーカップを止めた。
「……グッズにするんですか?」
「もちろん、グッズにするかどうかはNexus LiveとNESTで話し合ってからだけどね」
神代は梓が描いたちびマリナを見ながら、穏やかに続けた。
「自分の描いたものが実際に形になるっていう感覚を、梓ちゃんにも知ってほしいんだ」
美咲がシュークリームを持ったまま、目を丸くする。
「神代さんが、いいこと言ってる……」
「なんで驚くの?」
「そのシュークリーム、何か入ってました?」
「入ってないよ。俺だって、たまにはいいことくらい言うでしょ」
「たまにって認めるんですね」
「そういう意味じゃないから」
2人のやり取りを聞きながら、梓は小さく笑った。
自分の描いたものが、形になる。
これまで絵は、誰にも見せず、自分だけで楽しむものだった。
けれど今日、たくさんの人が自分の絵を見て、可愛いと言ってくれた。欲しいとまで言ってくれた。
画面の中では、草原に座るちびマリナが、今も誰かを待っている。
もしかしたら、いつか本当に画面の外へ出て、誰かの手元へ届く日が来るのかもしれない。
「……形になったら、嬉しいです」
梓は、少し照れながらそう答えた。
自分だけのものだった絵が、誰かに届くものになる。
その感覚を想像すると、胸の奥が少しだけ温かくなった。
待ちマリナが誰かのもとへ旅立つ日を、梓も少しだけ楽しみに思った。




