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売れない声優の私が、なぜか大富豪に見初められました。  作者: つきしろえにし
第二章 VTuber・マリナ、始動。
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第36話「兼任祝い」

Nexus Liveでの会議を終えたあと、梓たちは東京オフィスへ向かっていた。


 次に予定しているイラスト配信へ向けて、手元を映すカメラの位置や配線を確認するためだ。


 梓が使っているペンタブレットの大きさを調べ、机のどこへ置くのかを確認する。新井は必要な機材を洗い出し、藤田は配信画面に収めた時の見え方を考える。美咲も、配信中に余計なものが映り込まないよう、事前に確認しておく必要があった。


 駅へ向かう道を歩きながら、新井が小さく息を吐いた。


「黒瀬さん、絶対に神代さんのこと根に持ってましたよね」


「まだ言ってるの?」


 藤田が呆れたように横目を向ける。


「だって、そうでしょう。東京に拠点を勧めた話から、報告は必ず事前にせえいう話まで、全部つながってますやん」


「新井君が先に話を進めるからでしょう」


 美咲がそう返すと、新井は納得できないように眉を寄せた。


「俺は勧めただけですよ。実際に部屋を借りたんは神代さんですやん」


「でも、きっかけを作ったのは新井君でしょ?」


「桐生さんも『私も探します』言うて、ノリノリで部屋探してましたやん」


 美咲がすぐに新井を振り返る。


「ノリノリじゃない。神代さんには東京の土地勘がないから、手伝っただけ」


「物件の候補、何件も送ったんでしょう?」


「条件に合いそうな部屋を絞っただけよ」


「それを世間ではノリノリいうんですよ」


「言わない」


「2人とも、まあまあ。落ち着いてください」


 梓は困ったように両手を上げ、2人の間へ声を挟んだ。


「俺が勧めるんはダメで、桐生さんが物件探すんはええんですか?」


「勧めた人と、決まったあとの手伝いをした人は違うでしょ」


「でも、部屋を借りるんを後押ししたんは一緒ですやん」


 美咲と新井は、梓の声が聞こえていないかのように言い合いを続ける。


「一緒にしないで」


「十分一緒やと思いますけどね」


「いい加減にしてください!!」


 声優として鍛えてきた、腹の底から響く声が通りに響いた。


 美咲と新井が、同時に口を閉じる。


 少し前を歩いていた人まで、驚いたように振り返った。


「神代さんが東京に部屋を借りるくらい、本人の自由じゃないですか! それに、みんな神代さんにはお世話になってるんですから、それくらい……」


 そこまで言ったところで、梓は周囲の視線に気づいた。


 先ほどまでの勢いが嘘のように、声が小さくなっていく。


「……いいと思います」


 梓は少しだけ肩を縮めた。


「大きな声を出して、すみません……」


「いや、こっちこそすみません」


 新井が素直に頭を下げる。


「私も。ちょっと熱くなりすぎたね」


 美咲も気まずそうに視線を逸らした。


「梓ちゃん、止めようと思えば止められるのね」


 藤田だけが、どこか感心したように梓を見ていた。


 再び歩き出しながら、梓は会議の冒頭で交わされた会話を思い出していた。


 神代がどこに部屋を借りようと、本人の自由だ。


 黒瀬もそう分かっているはずなのに、どうしても新井へ一言言わずにはいられなかったらしい。


 仕事では神代を信頼している。


 けれど、普段は福岡にいるくらいがちょうどいい。


 黒瀬と神代の関係は、やはり少し不思議だった。


 会議で決まった新井の兼任について、藤田が口を開く。


「これからは、機材以外の話でも呼ばれることが増えそうね」


「そうでしょうね。黒瀬さんが『それぞれの立場から調整してください』言うてましたし」


「会議にも来て、東京オフィスの機材を用意して、初配信にも最後まで立ち会ってたものね」


「それは機材班の仕事です」


「今日からは、それ以外の意見も求められるってことよ」


「仕事が増える話だけ具体的なんですよね。手当の方は考えておきますで終わったのに」


 新井は、黒瀬の声を真似るように少しだけ低い声を出した。


 その時、美咲の鞄の中でスマートフォンが震えた。


 画面を確認した美咲が足を緩める。


「神代さんからだ」


「神代さん?」


 梓も足を止めた。


「今、東京オフィスにいるって。私たちが戻るなら、鍵を開けておくそうよ」


「神代さん、今日は自分の部屋の準備じゃなかったんですか?」


「そのはずなんだけど……」


 美咲が返信を送る。


 ほどなくして、再びメッセージが届いた。


「『来れば分かる』だって」


 美咲は短い文面を見つめ、わずかに首をかしげた。


「なんやろ。また何か買ったんちゃいます?」


 新井の言葉に、3人の視線が自然と集まる。


「どうして俺を見るんですか」


「一番ありそうなことを言っただけよ」


 藤田が肩をすくめる。


 神代なら、あり得る。


 梓も否定できないまま、4人は東京オフィスへ向かった。


     * * *


 東京オフィスの玄関を開けると、先に来ていた神代がリビングから顔を出した。


「おかえり」


「ただいま戻りました」


 美咲が答え、4人が順に中へ入る。


 リビングへ足を踏み入れたところで、梓は見慣れないものに気づいた。


 壁際に、白いウォーターサーバーが置かれている。


 上部には新しい水のボトルが取り付けられ、隣には紙コップまで用意されていた。


「ウォーターサーバー?」


 藤田が真っ先に近づく。


「そう。今日、設置してもらった」


 神代は、少し得意そうに胸を張った。


「配信の前後に水は飲むだろうし、お湯も出るから、コーヒーとかお茶もすぐ作れるよ」


「いいじゃないですか。これ」


 藤田が給水口を覗き込み、素直に声を弾ませる。


「わざわざペットボトルを買ってこなくてよくなりますね」


 美咲もウォーターサーバーの横に置かれた説明書を手に取った。


「梓ちゃんも、配信中に飲む水をここで用意できるね」


「はい。助かります」


 梓が頷くと、新井も冷水用のレバーを確かめる。


「普通に便利ですやん。神代さん、ええもん置きましたね」


「でしょ?」


 4人の反応に満足したのか、神代の表情がさらに明るくなる。


 そして、思い出したように付け加えた。


「先に言っておくけど、プロジェクトの予算からじゃないからね。俺の自腹だからね」


「誰もまだ聞いてませんよ」


 美咲が笑う。


「あとでプロジェクトの備品と混ざるといけないから、一応ね」


「分かりました。ウォーターサーバーは神代さんが用意したもの、と覚えておきます」


「うん」


「というわけで、俺が福岡にいる時は、美咲さんがお水の管理をお願いできます?」


「管理って、交換用の水を受け取ったり、残りを確認したりすればいいんですよね?」


「うん。代金は俺が払うから」


「それくらいなら大丈夫です」


「ありがとうございます」


 神代が頭を下げる。


 これで東京オフィスへ来た時に、冷たい水も温かい飲み物もすぐに用意できる。


 小さな変化だったが、梓には、この部屋がまた少し過ごしやすい場所になったように思えた。


「そうだ。神代さんに報告があります」


 説明書をテーブルへ置き、美咲が新井へ視線を向ける。


「今日の会議で、新井君が正式にマリナプロジェクトのチーム員を兼任することになりました」


「え?」


 神代が目を瞬かせた。


「新井君、最初からマリナプロジェクトのメンバーじゃなかったの?」


「違いますよ」


「でも、最初の顔合わせにもいたよね?」


「それは機材班として立ち会っただけです」


「どういうシステムなの?」


「機材班は、基本的にどこか1つのプロジェクトへ専属でつくわけやないんです。機材の設置や配信中のトラブル対応が必要になった時に、その日動ける班員が行きます」


「毎回、同じ人が来るわけじゃないんだ」


「そうですね。大がかりな設営なら何人かで入りますし、ちょっとした修理なら、その時に手が空いてる人間が行きます。基本は持ち回りです」


 神代は意外そうな顔で新井を見た。


「じゃあ、マリナチームを立ち上げた時に新井君が来たのは?」


「たまたまですわ。あの日、俺の予定が空いてたんで」


「たまたまなの?」


「たまたまです」


「東京オフィスの準備も?」


「最初の打ち合わせに出た俺が一番話を分かってたんで、そのまま担当することが増えただけです。別に専属やったわけやないですよ」


「初配信にも、最後までいたよね?」


「あの機材を設置したんが俺でしたからね。何かあった時も、別の班員へ引き継ぐより俺がいた方が早いでしょう」


「それ、実質もうメンバーじゃない?」


「やってることは近かったですけど、立場は機材班からの応援です」


「私も、新井さんがマリナの担当だと思っていました」


 梓が正直に告げると、新井は少し困ったように頭を掻いた。


「中村さんまでですか」


「いつも来てくださっていたので……」


「まあ、そう見えますよね。でも今日までは、たまたま俺が続けて担当してただけなんです」


 新井は自分の胸元を指した。


「頼まれた機材を用意して、設置して、何か壊れたら直す。企画の中身や今後の方針まで考える立場やなかったんです」


「今日からは、そこも変わるのね」


 藤田が話を引き取った。


「これからは機材を頼まれるのを待つだけじゃなくて、企画の段階から参加する。実現するには何が必要か、機材面から意見を出してもらうのよ」


「それで正式な兼任なんだ」


 ようやく理解した神代が頷いた。


「私がマネジメント、藤田さんが企画、新井君が機材。それぞれの立場から、3人で神代さんの提案を現実的な形へ調整します」


 美咲が続ける。


「あと、決定する前に黒瀬さんへ報告することも念を押されました」


 新井は、会議で念を押された時を思い出したように、小さく息を吐いた。


「じゃあ、その辺りは、これまで通り俺が黒瀬さんに話せばいいんだね」


「そうです。広告の話の時みたいに、直接共有してもらえたら」


 神代は納得したように頷いた。


「分かった。決める前にちゃんと相談する」


「その方が早いですからね」


「うん。伝言ゲームにする必要はないね」


 神代の返事に、美咲は安心したように頷いた。


「それで、新井君。仕事が増えるなら、給料の話はしたの?」


「しましたよ。考えておきますって言われましたけど」


「じゃあ、俺が月に2万円くらい出そうか?」


「ええんですか?」


「ダメよ!!」


 藤田の鋭い声が、新井の返事へ重なった。


 神代と新井が、同時に藤田を見る。


「なんで?」


「神代さんが個人的に、Nexus Liveの社員へ毎月お金を渡したらダメに決まってるでしょう」


「仕事が増える分を払うだけだよ?」


「それを決めて支払うのは会社です」


「そういうもの?」


「そういうものです」


 藤田はきっぱりと言い切った。


「でも藤田さん、兼任してるんですよね。給料は上がったんですか?」


 新井が尋ねると、藤田が答えるより先に美咲が口を開いた。


「藤田さんには、マリナプロジェクトの兼任手当が月に2万円ついてるよ」


「上がってるんですか」


「上がったわよ。2万円」


 藤田が認める。


 新井はしばらく無言で藤田を見つめた。


 それから、ゆっくりと顔をしかめる。


「ほんなら黒瀬さん、答えほとんど決まってますやん」


「まあ……前例はあるわね」


「それやのに、間を置いて『考えておきます』ですよ」


 新井は会議室での黒瀬を再現するように、わざと低い声で言った。


「やっぱり、根に持ってましたやん」


「何を?」


 神代が聞き返す。


 新井の動きが止まった。


「……いや」


「今、黒瀬さんが何かを根に持ってるって言ったよね?」


「言いました?」


「言ったよ」


 神代が周囲を見回すと、美咲と藤田は揃って視線を逸らした。梓も何と答えればいいのか分からず、黙って手元へ目を落とす。


「何の話?」


「大した話じゃないです」


 美咲が即座に答えた。


「そうよ。会議中の、ちょっとした行き違い」


 藤田もすぐに続く。


「何でみんな、急に目を合わせなくなるの?」


 神代が3人を順に見回し、最後に梓へ視線を向けた。


「梓ちゃん、何の話?」


「えっ……」


 会議で黒瀬が口にした言葉が、梓の頭に浮かぶ。


 何かあれば来てもらえる。


 普段はいない。


 福岡という距離がちょうどよかった。


 それをそのまま神代へ伝えていいのだろうか。


 梓は助けを求めるように美咲を見た。


「ほら、俺が事前報告を忘れたんちゃうかって、ずいぶん念を押されたんです。そんだけですわ」


 新井が慌てて話を引き取る。


「そうよ。根に持ってるは言いすぎ」


 藤田も重ねて念を押した。


「それだけ?」


 神代がもう一度、梓を見る。


「は、はい。報告は忘れないように、という話です」


 嘘ではない。


 ただ、すべてを話していないだけだった。


 神代は4人の顔を順に眺めたあと、納得したのかしていないのか、曖昧な笑みを浮かべた。


「何か知らないけど、黒瀬さんも可愛いところあるじゃん」


 全員の表情が固まる。


「今度会った時に言ってみようかな」


「やめてください!」


 美咲、新井、藤田の声が綺麗に重なった。


「絶対に言わない方がいいと思います」


 梓も慌てて付け加える。


「そこまで?」


 神代だけが、不思議そうに首を傾げていた。


     * * *


 ひとしきり話したあと、4人はイラスト配信に使う機材の確認を始めた。


 新井が配信机の前へ立ち、何も置かれていない天板を見回す。


「中村さん、使ってるペンタブの機種って分かります?」


「はい。型番までは覚えていませんけど、機種名なら分かります」


 梓が答えると、新井はスマートフォンを取り出した。伝えられた機種名を入力し、表示された製品情報を確認する。


「これですか?」


 画面を向けられ、梓は掲載されている写真を確かめた。


「はい。これです」


「横幅は40センチ弱か。思ってたより大きいですね」


 新井はポケットから小さなメジャーを取り出し、配信机の上へ伸ばした。


「ここにペンタブを置くとして、キーボードは奥に逃がせますね。右側に資料を置くなら、カメラは左から撮った方が邪魔にならんかな」


「私は右手で描くので、左側からの方が手にも当たらないと思います」


「ですよね」


 新井は机の左端へ手を添え、カメラスタンドを固定できる厚みがあるかを確かめる。


「この辺にスタンドをつければ、手元は映せそうです。当日は実物を置いてから、角度を調整しましょう」


「今日、取りつけなくても大丈夫なの?」


 神代が横から尋ねる。


「ペンタブ本体がないんで、今つけても正確な位置は決められません。大きさが分かれば、必要なスタンドとケーブルは用意できます」


「なるほどね」


「当日は少し早めに来てもらって、実際に描く姿勢に合わせて調整します」


「分かりました」


 梓は自分が絵を描く時の姿勢を思い出しながら頷いた。


「配信画面に入れた時の大きさは、仮で作っておくわ」


 藤田がノートパソコンを開く。


「手元を大きくしすぎるとマリナが隠れるし、小さすぎると何を描いているか分からない。当日の映像を見て、最後に調整しましょう」


「梓ちゃんは、ペンタブとペンを忘れないようにね」


 美咲が念を押す。


「はい。それは絶対に持ってきます」


「スマートフォンや資料が映り込まないように、その辺りも当日確認しよう」


「分かりました」


 美咲が映り込みを確認し、藤田が画面の見せ方を考え、新井が必要な機材を割り出していく。


 先ほど黒瀬が話していた3人の役割が、すぐに形になっていた。


「こうやって見ると、3人とも必要だね」


 少し離れた場所から見ていた神代が、感心したように頷く。


「それを黒瀬さんが説明したんでしょう」


 藤田が呆れたように返した。


「説明を聞くのと、実際に見るのは違うから」


 今日は、机の広さと必要になる機材を確認するだけだった。


 実際にカメラを取りつけ、梓の手元がどう映るかを確かめるのは、イラスト配信の当日になる。


 確認を終える頃には、窓の外が少しずつ夕方の色へ変わり始めていた。


 新井がメジャーをしまい、藤田がノートパソコンを閉じる。


「これで、今日確認することは終わりね」


 美咲が全員を見回す。


 神代は壁の時計を見てから、思い出したように尋ねた。


「みんな、このあと仕事は?」


「私は今日は直帰です」


 美咲が答えると、藤田も頷く。


「私もです」


「俺も今日はもう終わりですね」


 新井が鞄へノートパソコンをしまう。


 神代は最後に梓を見る。


「梓ちゃんは?」


「私も、今日はもうありません」


 全員の返事を聞いた神代は、少しだけ考えるように視線を巡らせた。


「じゃあ、新井君の兼任祝いに、寿司でも取る?」


「えっ、ほんまですか?」


 真っ先に反応した新井へ、藤田が呆れたような視線を向けた。


「急に元気になったわね」


「そら、寿司いうたら元気にもなりますよ」


「何か食べられないものある?」


 神代はすでにスマートフォンを取り出している。


「私は大丈夫です」


 梓が答えると、美咲と藤田も頷いた。


「新井君は?」


「何でもいけます。高いやつでも大丈夫です」


「聞かれてるのは値段じゃないでしょう」


 藤田の突っ込みに、再び笑いが起きた。


     * * *


 しばらくして届いた寿司を、5人でリビングのテーブルへ並べた。


 それぞれの前に置かれた折箱の蓋を開けた瞬間、新井が勢いよく立ち上がった。


「マリナチーム最高ですわ!」


 東京オフィスのリビングに、弾んだ声が響き渡る。


「現金ねえ」


 藤田は呆れたように言いながらも、視線は艶のある大トロと雲丹に釘づけになっていた。口元も、隠しきれないほど緩んでいる。


「でも、これはテンション上がるわ。自分じゃ絶対に頼まないもの」


「本当にいいんですか、こんなに立派なお寿司」


 美咲も折箱を覗き込み、いつもより明るい声を上げる。


「もちろん。新井君の兼任祝いなんだから、遠慮しないで」


「神代さん、ありがとうございます!」


 新井は、先ほどまで手当の話で不満そうにしていたことなど、すっかり忘れたように両手を合わせた。


 梓も色鮮やかな寿司を前に、思わず頬を緩める。


「すごい……こんなお寿司、私も初めてです」


「せっかくだから、みんな好きなのから食べて」


「それぞれ同じものが入ってますけどね」


 美咲が笑いながら指摘すると、神代は「あ、そっか」と自分の折箱へ目を落とした。


「1人前で1万円くらいするんでしょう?」


 藤田の言葉を聞き、梓が持ち上げかけた箸を止める。


「1万円……」


「梓ちゃん、値段は気にしない方がいいよ。せっかくなんだから」


 そう言った神代は、配達員から受け取った領収書をきちんと財布へしまった。


 その様子を、藤田が見逃さなかった。


「神代さん、しっかり領収書はもらうんですね」


「そりゃ、もらうでしょ」


「前にみんなでピザを食べた時も、もらってましたよね?」


「経費で落とせる分は、ちゃんと落とさないと」


「そういうところは意外と細かいんですね」


「意外って何?」


 神代が不満そうに眉を寄せる。その隣で、新井が折箱と神代の顔を見比べた。


「神代さんって、いつもこんな高いもん食べてるんですか?」


「いや、家で食べる時は普通だよ。こういう時くらいしか、高いものは食べないよ」


「こういう時、ですか?」


 梓が尋ねると、神代は当然のように答えた。


「お祝いする時」


 梓は一度、新井へ視線を向けた。


「神代さんも、新井さんが正式にチームへ入ったこと、嬉しいんですね」


「そりゃ嬉しいよ。マリナのために動いてくれる人が、正式に1人増えたんだから」


 新井が寿司へ伸ばしかけていた箸を止める。


「……そんなこと言われたら、ちゃんと働かなあかんやつですやん」


「最初からちゃんと働きなさいよ」


 藤田がすかさず突っ込み、美咲が声を上げて笑った。


「今さら兼任を断るのはなしだからね」


「この寿司食べたら、もう逃げられへん気がしてきましたわ」


「さっき、マリナチーム最高って叫んでたでしょう」


「それはそれ、これはこれです」


 そう言いながらも、新井の表情はどこか嬉しそうだった。


 梓も笑いながら、改めて箸を手に取る。


「それじゃあ、いただきます」


 その声に重なるように、全員の「いただきます」がリビングに響いた。


 新しく置かれたウォーターサーバーの小さな動作音と、5人の笑い声が重なる。


 少し前まで、ここは配信のために用意されたばかりの部屋だった。


 けれど今は、同じ目標へ向かう人たちが集まり、準備をして、同じテーブルを囲んでいる。


 梓には東京オフィスが、マリナのためだけではなく、チームの皆が帰ってこられる場所にもなり始めているように思えた。


 マリナチームに新しい仲間が正式に加わった日。


 東京オフィスでの最初の祝いは、少し高すぎる寿司と、いつもより賑やかな笑い声に包まれていた。


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