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売れない声優の私が、なぜか大富豪に見初められました。  作者: つきしろえにし
第二章 VTuber・マリナ、始動。
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第35話「始まりの数字」

会議室には、黒瀬、新井、藤田、桐生、そして梓の5人が集まっていた。


 全員が席に着いたところで、黒瀬は正面に座る新井へ目を向けた。


 神代に東京での生活拠点を勧めたのが、新井だという話は聞いている。


 本来なら、神代がどこに部屋を借りようと、本人の自由だ。黒瀬が口を出すようなことではない。


 そう思って、このまま会議を始めるつもりだった。


 けれど、どうしても一言だけ言っておきたかった。


「新井」


「はい?」


「神代様に東京での生活拠点を勧めたそうですね」


 新井は一度だけ瞬きをしてから、ああ、と納得したように頷いた。


「ああ、あれですか。勧めたいうても、別に無理やりやないですよ。マリナの活動が始まったら東京に来る機会も増えるでしょうし、毎回ホテル取るより、拠点があった方が楽やないですかって」


「それに、俺だけやないですよ。桐生さんも部屋探しを手伝ってたでしょう」


「ちょっと、新井君。そこで私も巻き込む?」


「いや、このままやと俺だけ悪者みたいになるでしょ。桐生さんも共犯ですよ」


「共犯って、言い方が悪い」


「桐生が手伝ったことも聞いています。ただ、発端は新井でしょう」


「発端いうても、提案しただけですよ。そもそも、神代さんが東京におったら何か困るんですか?」


 黒瀬は返す言葉を探すように、わずかな間を置いた。


「……福岡という適度な距離感は、非常に優秀だったんですが」


「いや、適度な距離感いうて福岡と東京ですよ? 遠すぎるでしょ!」


「何かあれば来ていただける。普段はいない。ちょうどいい距離です」


「それ、距離感やなくて物理的な距離の話ですやん」


「同じ意味です」


「絶対ちゃいます」


 藤田がとうとう吹き出した。


「黒瀬さん、神代さんのこと嫌いなんですか?」


「嫌ってはいません」


 黒瀬は即座に否定した。少しだけ早すぎる返答だった。


「プロジェクトが始まってからの彼の仕事ぶりと、マリナに対する姿勢は信頼しています。出資についても感謝しています。ただ……常駐されると、色々と調整が増えます」


「つまり、嫌いではないけど、近くにはいてほしくないということですか?」


「藤田」


「はい、すみません」


 藤田は笑いながら両手を上げた。


 梓はそのやり取りを聞きながら、以前の出来事を思い出していた。


 東京オフィスを初めて見に行った日。窓の外にスカイツリーが見えた時、神代は少しだけ嬉しそうにしていた。


 けれど、その隣に黒瀬が立っていることに気づいた途端、残念そうな顔をしていた。


『で、横見たら黒瀬さん』


『あぁ~……ってなるでしょ?』


 本人がいないところで、そんなふうに言っていたのを梓は覚えている。


 神代さんは、黒瀬さんとスカイツリーを見るのは微妙だと言っていた。


 黒瀬さんは、神代さんとは福岡くらい離れている方がちょうどいいと言っている。


(この2人……)


(お互い、ちょっと距離を取ってるんだ)


 けれど、仲が悪いわけではないのだろう。


 つい先ほども、黒瀬は神代が準備した広告について、朱莉へ事実を淡々と説明していた。神代もまた、黒瀬がマリナを預かる事務所の代表であることを、きちんと信頼しているように見えた。


 必要な時には同じ方向を向く。


 でも、普段は少し離れていたい。


 梓には、なんだか不思議な関係に思えた。


「……話が逸れました。会議を始めます」


 黒瀬はそれ以上取り合わず、手元の資料へ視線を落とした。新井はまだ何か言いたげだったが、藤田から小さく手で制され、渋々口を閉じる。


「まず、昨日行われたマリナの初配信について、正式に結果を確認します。藤田」


「はい」


 藤田がノートパソコンの画面を開いた。


「昨夜の時点で確認した数字ですが、現在のチャンネル登録者数は、およそ2万5000人です。初配信終了時点の登録者数としては、Nexus Liveの最高記録になります」


 昨夜の打ち上げでも聞いた数字だった。


 それでも、改めて正式な記録として告げられると、梓の背筋が自然と伸びる。


「最大同時接続者数は3800人。こちらも、新人の初配信としては十分に成功と言える数字です」


「ただし、チャンネル登録者数については、広告の効果によるところが大きいでしょう」


 黒瀬が冷静に付け加えた。


「初配信終了時点で最高記録だったことは評価します。しかし、現時点でマリナ自身の実力によって獲得した2万5000人だとは考えない方がいい」


 黒瀬は資料を机へ置き、梓を見る。


「今後の配信で、その人たちにどれだけ残ってもらえるか。重要なのは、ここからです」


「はい」


 梓は真剣な表情で頷いた。


 2万5000人という数字は、昨日の自分なら、ただ喜ぶしかなかっただろう。


 けれど黒瀬の言葉を聞くと、同じ数字が少し違って見えた。


 広告を見て、たまたま初配信へ来てくれた人もいる。Nexus Liveの新人だからと、様子を見に来てくれた人もいる。昨日の配信を面白いと思って、もう一度見たいと登録してくれた人も、きっといる。


 その全部を、同じ2万5000人として喜んでいいわけではない。


 次に配信をした時、どれだけの人がまた画面を開いてくれるのか。


 そこで初めて、昨日の配信がどう受け取られたのか分かるのだろう。


「神代さんも、同じことを言ってました」


 桐生が口を開く。


 黒瀬の眉が、ほんのわずかに動いた。


「……神代様が?」


「昨日、配信が終わったあとに。登録者が増えたのは広告の効果も大きい。見つけてもらうところまでは自分たちでできるけど、次も見に来てもらえるかは、マリナと梓ちゃん次第だって」


「言うてましたね」


 新井も頷いた。


「あの人、普段の金銭感覚はぶっ飛んでますけど、数字の見方は意外と冷静なんですよ。増えた人数より、なんで増えたんかを見てるっちゅうか」


「……そうですか」


 黒瀬は短く答え、資料へ視線を戻した。


 表情はほとんど変わっていなかったが、紙を押さえる指先にだけ、わずかに力が入っている。


「ただ、広告で見つけてもらえたこと自体は、間違いなく大きいですよね」


 藤田が画面を切り替えた。


「投稿した初配信の切り抜きも、いつもよりかなり反応がいいです。『広告で見かけた子だ』っていうコメントも多かったし、マリナに興味を持ってくれた人はちゃんといる」


「だから、広告が無駄やったわけではないです」


 新井が続ける。


「むしろ、これだけ最初に人が来る状況を作るのは普通は難しいですから。ただ、来てくれた人に次も来てもらうんは、配信でしかできへん。黒瀬さんが言いたいんは、その話でしょう」


「その通りです」


 黒瀬は頷いた。


「広告は入口を作る手段です。継続して見てもらえる理由までは作れません」


 梓はその言葉を、胸の内で繰り返した。


 入口を作ってもらったのなら、その先で待っていたい。


 次に来てくれた人へ、また来てよかったと思ってもらえるように。


「配信内容については、こちらでも確認しました」


 黒瀬が話を戻す。


「初配信とは思えないほど落ち着いていました。コメントの流れが速い中でも、拾うものと流すものを判断できていた。言葉に詰まる場面もほとんどありませんでした」


 昨夜も新井たちから褒められたことを思い出し、梓は少しだけ照れたように視線を落とした。


「特に、最初の挨拶は良かったと思います」


 黒瀬の言葉に、梓は顔を上げた。


「最初の……ですか?」


「『おかえり。今日もお疲れさま』と話したところです」


 あれは、事前に用意していた言葉ではなかった。


 ホテルで最後の夜勤を迎えた日。飛行機の欠航で帰れなくなった客へ、同じ部屋に延泊できることを伝えた。


 戻れる部屋があると分かった時、その人はほっとしたように笑っていた。


 帰れなくなった夜でも、戻れる場所があるだけで、人は少し安心できる。


 その時に感じたことが、ずっと梓の中に残っていた。


「あの時、コメントの流れが一度変わりました」


 藤田が、配信の記録を画面へ表示する。


「それまでは『始まった』『動いた』っていう反応が中心だったけど、挨拶の後から『ただいま』って返す人が一気に増えてる。あの一言で、マリナがどういう距離感のライバーなのか、少し伝わったんだと思う」


「私も、あそこは良かったと思う」


 桐生が梓へ視線を向けた。


「練習の時には、言ってなかったよね」


「はい。マリナの配信を、誰かが帰ってこられる場所にできたらと思っていたんです」


 梓は、初配信で流れていったコメントを思い出す。


「本番で皆さんのコメントを見たら、本当にここへ帰ってきてくれたような気がして。気づいたら口にしていました」


 用意していた台詞を読んだわけではない。


 ただ、来てくれた人を迎えるつもりで声を出した。


「その感覚は覚えておいてください」


 黒瀬は静かに言った。


「決めた言葉を正確に読むことより、誰に向けて言うのかを意識した方が、中村さんの声は伝わります」


 梓は小さく頷いた。


 声優として台本を読む時にも、似たことを考えてきたはずだった。


 けれど配信では、台詞の先にいる相手から、すぐに言葉が返ってくる。


 それが今までの仕事とは違い、そして、少し嬉しかった。


「自分でも、思っていたより話せたとは思います。でも……」


「でも?」


「配信中は、コメントを追うのに夢中だったんです。終わったあとで3800人に見られていたと聞いたら、急に怖くなってしまって」


「配信中に人数を意識しなかったのは、悪いことではありません」


 黒瀬は即座に答えた。


「視聴者数を確認するたびに反応が変わるより、目の前のコメントへ集中できた方がいい。少なくとも昨日の配信では、それが良い方向に働いていました」


「はい」


 梓が頷いたところで、新井が思い出したように口を開いた。


「……それも昨日、神代さんが同じこと言うてましたね」


 黒瀬の眉が、ほんのわずかに動いた。


「そうですか」


「はい。言い方は違いますけど、内容はほとんど同じです」


「……正しい判断が一致しただけです」


(正しい判断に、先も後もない)


 それでも、配信事務所を率いる自分が梓へ伝えるべきことを、神代はすでに2つとも先に伝えていた。


 どうやら、神代への評価をもう少し改める必要があるらしい。


 それ自体は喜ばしいことのはずなのに、ほんの少しだけ面白くなかった。


 藤田には、普段ほとんど表情を変えない黒瀬が、珍しく複雑そうな顔をしているように見えた。


「黒瀬さん、少し悔しそうですね」


「違います。神代様への評価を改めていただけです」


 黒瀬は何事もなかったように、手元の資料へ視線を戻した。


「ただし、一度うまくできたことと、安定して続けられることは別です」


 梓が顔を上げる。


「昨日と同じようにコメントを拾い、話題を広げ、決められた時間まで一人で配信を進められるか。それを何度か経験してもらう必要があります」


「配信に慣れる必要がある、ということですか?」


「そうです」


 黒瀬は頷いた。


「昨日は初配信だったからこそ、自己紹介やモデルの紹介という話すべき内容がありました。次の雑談配信では、そうはいきません」


 梓は小さく息を呑む。


 確かに、昨日は名前や好きなこと、マリナの姿について話すことで、自然に時間が過ぎていった。


 けれど、それを話し終えた後はどうするのだろう。


 コメントを読みながら話す。言葉にすれば簡単だが、何千人もの視線の先でそれを続けるのは、昨日より難しいことのように思えた。


「沈黙を怖がりすぎないことも必要です」


 黒瀬は続ける。


「コメントを読む数秒の間まで、無理に埋めようとする必要はありません。昨日の中村さんは、焦って早口になることもなかった。その間の取り方は、今後も大切にしてください」


「……はい」


「まぁ、困ったらコメントに助けてもらったらええんですよ」


 新井が、少しだけ気楽な口調で言った。


「『何話したらええですか』って聞いたら、ああいう人らは勝手にいっぱい投げてくれますから」


「でも、特定の人のコメントに頼りすぎると、それ以外の人が話に入りづらくなりませんか?」


 梓の問いに、黒瀬は一度、新井へ視線を向けてから口を開いた。


「その心配は分かります。ただ、新井の言うように、コメントを話題のきっかけにすること自体は問題ありません」


「すべてのコメントに答える必要はありません。拾ったコメントをその人だけとの会話で終わらせず、見ている全員が参加できる話題へ広げてください。それができれば、誰かを置いていくことにはなりません」


 梓は、昨日流れていったコメント欄を思い出した。


 誰かの言葉に返した時、似たような反応が次々と続き、そこから新しい話題が生まれていた。


 あの流れを、少しずつ自分のものにしていくしかない。


「それから、昨日の配信を見た花澤から、マリナとのコラボを希望する申し出がありました」


「えっ?」


 梓の目が大きく開く。


「花澤さんって……天城レイナさんですよね?」


「そうです」


「Nexus Liveのナンバーワンの?」


「本人は、その順位をほとんど気にしていないようですが」


 黒瀬の口調には、わずかな疲れが混じっていた。


「どうして、私と……」


「気に入ったそうです」


「気に入った?」


「それ以上の詳しい理由は、本人に聞いてください」


 黒瀬はそこで話を切った。


「……同じ画面に並ぶんですよね」


 梓は、ふと口にしていた。


「天城さんと」


 昨日まで、配信で見て勉強する側だった。


 コメント欄が盛り上がるタイミングも、話題を切り替える自然さも、何度も画面越しに見てきた。その人と、今度は同じ画面に映るかもしれない。


 嬉しいより先に、背筋が伸びるような緊張が来た。


「だからこそ、急がない方がいい。天城レイナの新しいモデルも、まだ完成していません」


 黒瀬の声は穏やかだった。


「花澤は、相手が緊張していても配信を成立させられる人です。ただ、その力に任せて一度コラボを終えるだけでは、中村さん自身の経験にはなりません」


「はい」


「一人で話すことに慣れてから並んだ方が、きっと中村さんも楽しいでしょう」


 その言葉に、梓は少しだけ肩の力が抜けた。


 自分にできないから止めるのではなく、できるようになってから楽しめるようにするための順番なのだ。


「分かりました」


 梓は素直に頷いた。


 天城レイナから声を掛けてもらえたことは嬉しい。だからこそ、実際に同じ画面へ並ぶ時には、自分もきちんと配信を成立させられるようになっていたかった。


「それで今後の予定ですが――」


「すみません」


 梓がおそるおそる手を挙げた。


「昨日、次はイラスト配信をやるって言ってしまいました」


「確認しています」


「勝手に言ってしまって、すみません」


 黒瀬に代わり、藤田が話を引き取る。


「最初の会議でも、イラスト配信はやってみようって話が出てたから、問題ないわよ、梓ちゃん」


「はい。皆さんが絵を見たいと言ってくれたので、つい……」


「反応も良かったし、企画としてはそのまま進めていいと思う」


 藤田はノートパソコンを操作し、今後の予定を画面に表示した。


「ただ、イラスト配信は、昨日の配信より画面の見せ方が大事になると思う」


 藤田は、画面上に簡単な配信レイアウトの案を表示した。


 大きく取られた手元の画面。端には小さなマリナの姿と、コメント欄を確認するための余白。


「絵を描く手元をずっと大きく映すのか、途中でマリナの画面を大きくするのか。完成した絵を見せる時の切り替えも考えなきゃ」


「画面だけでも、そんなに決めることがあるんですね」


「ありますよ~。せっかく梓ちゃんが描くところを見せるなら、見やすくしないと」


 藤田は軽く言ったが、画面に並ぶ項目の多さに梓は目を丸くした。


 自分が絵を描くのは、紙やペンタブに向かっている時だけだと思っていた。


 けれど配信では、それを見ている人がいる。何を描くかだけでなく、どう見えるかまで考える必要があるのだ。


「ただ、実施する前に少し準備が必要かな。手元を映すなら、普段の雑談配信とは機材も画面構成も変わるから」


「手元用のカメラとワイプの設定が要りますね」


 新井が画面を覗き込む。


「ペンタブも実際につないで、配信ソフトと相性悪くないか確認せなあきません。ぶっつけ本番はやめといた方がええです」


「私のペンタブを持ってくればいいですか?」


「はい。使い慣れたやつの方がええでしょうし、一回持ってきてもらえます?」


「分かりました」


「使い慣れたものなら、テストもしやすいですね」


 桐生も同意する。


「初めての形式だし、まずは梓ちゃんが普段使ってる環境に近づけよう」


「ありがとうございます」


「じゃあ、テストの日を決めましょうか」


 新井がメモを取りながら言う。


「カメラの位置は実際に描いてもらわんと決められへんので。手で隠れへんか、ペン先が見えるか、コメント読む時に画面の切り替えがちゃんとできるか。一通りやりましょう」


「テストでも、少し絵を描くんですよね」


「もちろんです。せっかくなんで、画面にどれくらい線が見えるかも確認したいですし」


「……緊張します」


「まだ配信は始まってませんよ」


 新井の言葉に、会議室の空気が少しだけ和らいだ。


 新井はその場で必要な機材を確認し始めた。


「それと、イラスト配信までに何度か雑談配信を行いましょう」


 黒瀬が言った。


「昨日『次はイラスト配信』と話していましたが、必ずしも直後の配信でなければならないとは限りません。次に予定している企画がイラスト配信であることに変わりはありませんから」


「視聴者には、準備中だと告知しておくね」


 藤田が続ける。


「その間に何回か雑談配信をやって、梓ちゃんには配信そのものに慣れてもらう。イラスト配信の日程が決まったら、改めて告知する形でどうかな?」


「はい。それならお願いします」


「雑談配信では、昨日よりもう少しテーマを絞りましょう」


 桐生が予定表を確認する。


「初配信で全部は話せなかったし、マリナのことをもっと知ってもらう回にしてもいいと思う。コメントを拾いながら話を広げる練習にもなるから」


「分かりました。何を話すか考えておきます」


「最初は、無理に特別な企画を用意しなくていいよ」


 桐生は、梓を安心させるように続けた。


「昨日話しきれなかったこと。好きなものとか、絵を描く時のこととか。コメントで聞かれたことに答えるだけでも、十分に配信になるから」


「配信のために、面白い話を用意しないといけないのかと思ってました」


「それも、できるようになったら強いですけどね」


 藤田が画面から目を離して笑う。


「でも今は、梓ちゃんがどんな人なのかを知ってもらう方が先。初配信を見てくれた人は、マリナの見た目や声には興味を持ってくれたはずだから」


「昨日の続き、みたいな気持ちで来てもらえたらええんです」


 新井も頷く。


「『初配信で名前は覚えたけど、どんな子なんやろ』って思ってる人は絶対おるんで。そこで少しずつ、マリナのことを知ってもらう」


 梓は、マリナという名前を心の中で繰り返した。


 昨日は、画面の中でその名前を名乗るだけで精一杯だった。


 けれどこれからは、その名前の中に自分の好きなものや、考えていることを少しずつ重ねていくのだろう。


 そうして、画面の中のマリナを、見てくれる人の中に作っていく。


「あとは、長さも決めましょう」


 黒瀬が資料の一角を指した。


「次の雑談配信は、まず1時間を目安にしてください。昨日より短くて構いません。時間を伸ばすことより、最後まで自分のペースを崩さずに進めることを優先しましょう」


「1時間……」


 初配信の時は、気がつけば予定の時間が過ぎていた。


 それでも今回は、何を話すか自分で考えながら、その1時間を作らなければならない。


 不安がないわけではない。


 けれど、やってみたいという気持ちも、ちゃんとあった。


「日程は、テストの後に決めよう。無理に急いで、準備不足のまま始める必要はないから」


 桐生の言葉に、梓は頷く。


「はい。ちゃんと準備します」


「台本を固めすぎる必要はありません」


 黒瀬が釘を刺す。


「昨日の配信で良かったのは、用意した言葉ではなく、その場でコメントに反応できていたところです。話す内容を決めるのは構いませんが、読み上げるための台本にはしないでください」


「はい」


「イラスト配信の次は、何か考えていますか?」


 黒瀬に尋ねられ、桐生が予定表へ視線を落とした。


「マシュマロ配信をやろうと思っています。事前に質問を募集して、配信中に答えてもらう形です」


「話題を広げる練習にもなりそうですね」


「はい。梓ちゃんが一人で話すことに慣れてから、その次の企画として進めるつもりです」


「分かりました。では、その方向で準備を進めてください」


「新井はイラスト配信用の機材準備。藤田は告知と配信画面に必要な素材の確認。桐生は雑談配信を含めた日程調整をお願いします」


「了解です」


「分かりました」


「はい」


「それから、新井」


「はい?」


「あなたは機材班ですが、今後はマリナプロジェクトのチーム員も兼任してもらいます。もちろん、機材班の仕事を優先してください」


「理由、聞いてもいいですか?」


「神代様の提案を、現実的な形へ落とし込める体制が必要だからです。桐生はマネジメント、藤田は企画、新井は機材。それぞれの立場から、三人で調整してください」


 新井は少し考えるように黒瀬を見た。


「……要するに、三人で神代さんの面倒を見ろいうことです?」


「言い方には気をつけてください。ただ、否定はしません」


 黒瀬は新井と桐生へ、順に視線を向けた。


「それから、決まったことは必ず私にも報告してください。事後報告ではなく、決定する前に」


「報告だけ、ずいぶん念を押しますね」


「必要だと判断しただけです」


「いや、待ってください。それ、単純に仕事増えますやん」


「そうなりますね」


「給料も上がるんですよね?」


 黒瀬はわずかな間を置いた。


「……考えておきます」


「そこは即答ちゃうんですか」


 それぞれの役割が決まっていく。


 梓は、画面に表示された今後の予定を見つめた。


 数回の雑談配信。


 その先に、自分の絵を見てもらうイラスト配信と、届いた質問に答えるマシュマロ配信。


 そして、まだ先ではあるが、天城レイナとのコラボも待っている。


 初配信を終えたばかりなのに、次にやるべきことが次々と増えていく。


 けれど、不思議と嫌ではなかった。


「中村さん」


 黒瀬に呼ばれ、梓は顔を上げる。


「2万5000人は、あくまで始まりの数字です」


「はい」


「次も見たいと思ってもらえる配信を、1回ずつ積み重ねてください」


 梓は一度、深く息を吸った。


「分かりました」


 そして、はっきりと頷く。


「まずは、次の雑談配信からですね」


 マリナの次の一歩が、静かに決まった。


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