第34話「同じ場所に立つ資格」
マリナの初配信から、一夜が明けた。
梓は昨日の配信についての振り返りと、今後の予定を確認するため、Nexus Liveを訪れていた。
専属マネージャーの美咲と並び、事務所の廊下を歩いていく。
「昨日はお疲れさま。ちゃんと寝られた?」
「一応は。でも、まだちょっと興奮してるみたいで」
「あはは。初配信の次の日なんて、そんなもんだよ」
昨日のことを思い出す。
画面を流れていった大量のコメント。
自分の声へ返ってきた反応。
自分が笑えば、画面の中のマリナも笑う。
何度もテストしてきたはずなのに、本番となるとまるで違って見えた。
まだ少しだけ、現実感がない。
「今日は昨日の数字を確認して、次の配信の予定を決めて。それから今後の企画も少し詰めようか」
「はい」
「ゲーム配信とかもやってみたい?」
「ゲームですか? 私、あんまり上手くないですけど」
「下手でもいいの。むしろ、その方が盛り上がったりするから」
「そういうものなんですか?」
「そういうもの」
美咲が笑う。
そんな他愛のない話をしながら、廊下の角を曲がろうとした時だった。
「だから、納得できないって言ってるんです!」
少し先から、尖った声が響いた。
梓と美咲は同時に足を止めた。
声の主は、梓より少し年下に見える女性だった。
その声には聞き覚えがある。
デビュー準備の合間、勉強のためにNexus Live所属ライバーの配信を見て回った。その中で、何度も聞いた声だった。
明るく、可愛らしく、画面の向こうへ元気を振りまく声。
けれど今は、その面影がほとんどない。
女性は眉を吊り上げ、黒瀬へ詰め寄っていた。
「昨日のマリナの配信、見ました」
「はい」
「あのアバター、何なんですか」
黒瀬は表情を変えなかった。
「何、とは?」
「分かるでしょう!」
女性の声が一段高くなる。
「表情も、髪の動きも、顔を傾けた時の動きも。私たちが使ってるモデルと全然違うじゃないですか!」
梓の肩が強張った。
「広告といい、アバターといい……」
女性は苛立ちを隠そうともせず、黒瀬を睨む。
「私たちより断然目立ってるじゃないですか!」
(……私のことだ)
立ち去った方がいい。
そう思った。
けれど、足が動かなかった。
隣で美咲が声を落とす。
「日向ヒマワリさん」
「え?」
「演者は杉田朱莉さん。うちのナンバー2」
その名前なら、もちろん知っている。
Nexus Liveを代表する人気VTuberの1人。
明るいアイドル路線で人気を集め、天城レイナに次ぐ位置まで上がってきたライバーだった。
美咲が小さく息を吐く。
「配信ではあんなに可愛いのにね。黒瀬さんに真正面から食ってかかるなんて、相当気が強いわ」
梓も思わず朱莉を見る。
黒瀬を相手に、ここまで真正面から言える人がいるとは思わなかった。
黒瀬は朱莉の言葉を最後まで聞き、それから静かに口を開いた。
「言いたいことは分かりました。ただ、いくつか誤解があります」
「……何ですか」
「まず、モデルについてです」
声はいつもと変わらず淡々としていた。
「マリナのプロジェクトは、社外の出資者が発起人です。キャラクターを企画したのも、モデルの制作費を負担したのもその方です」
朱莉の眉が動いた。
「……社外の?」
「はい」
「それ、初めて聞きましたけど」
「マリナは弊社所属ですが、プロジェクトの成り立ちは通常の所属ライバーとは異なります。弊社が新人1人のために、特別にあのモデルを用意したわけではありません」
朱莉は納得しきれない様子で口を閉じた。
「一方、彩瀬アリアのモデルについては、弊社の新しい標準仕様で制作しています」
「ほら」
朱莉がすぐに食いつく。
「結局、新人だけじゃないですか」
「違います」
黒瀬は即座に返した。
「既存ライバーのモデルについても、順次新しい仕様へ更新する予定です」
朱莉の表情が止まった。
「……は?」
「現在使用しているモデルを一斉に更新することはできません。制作には時間も費用もかかります。ですから、順番に進めていきます」
「そんな話、聞いてませんけど」
黒瀬の眉がわずかに寄った。
「聞いていない?」
「はい」
「各担当マネージャーには、すでに説明するよう伝えてあります」
「私は聞いてません」
朱莉はきっぱりと言い切った。
黒瀬は数秒黙った。
「……分かりました。その件はこちらで確認します」
「だったら」
朱莉は引かなかった。
「どうして新人が先なんですか」
「杉田さん」
黒瀬は静かに問い返した。
「これから新しく制作するモデルを、わざわざ現在の仕様に合わせて作る理由がありますか?」
「……」
「一度古い仕様で制作して、数か月後に新しい仕様でもう一度作り直す。時間も費用も二重にかかります」
朱莉の口が閉じた。
「既存ライバーには、現在活動に使用できるモデルがあります。新人はこれから作る。その違いです」
「でも……」
「モデルの出来だけでライバーの人気が決まるわけではありません」
黒瀬の声に変化はない。
「それは、杉田さん自身が一番よく分かっているはずです」
朱莉が顔を上げる。
「あなたは現在のモデルで、ここまで結果を出してきたんですから」
「……」
「ただし、モデルの表現力が活動の幅に影響することも事実です。だからこそ、既存ライバーについても順次更新していきます」
朱莉は唇を結んだ。
「モデルについては以上です」
黒瀬は一度言葉を切った。
「次に、広告の話をしましょう」
朱莉の目つきが再び鋭くなる。
「そっちはあります」
「どうぞ」
「なんで新人2人が、私たちの後なんですか」
間髪入れずに返した。
「公式チャンネルの動画もそうです。所属ライバーを全部出した後に彩瀬アリア。その次がマリナ」
徐々に声へ熱が戻っていく。
「まだデビューもしてない新人が、どうして私たちより後に出てくるんですか。何年もやってきた人間には、順番ってものがあるでしょう」
梓の胸が重くなる。
その気持ちは、分からなくもなかった。
自分は昨日デビューしたばかりだ。
それなのに、広告では何年も活動してきた先輩たちの後に名前が出た。
自分自身でさえ、あの並びを初めて見た時には落ち着かなかった。
「杉田さん」
「はい」
「公式動画は最後まで見ましたか?」
朱莉の視線が止まる。
「……」
「杉田さん?」
「……見てません」
「どこまでですか」
「マリナが出たところまでです」
「では、新人2人が最後を飾ったわけではありません」
「……え?」
「マリナの後に、所属ライバー全員が並ぶエンドカードが入っています」
朱莉の顔が固まった。
「最後まで見ていれば分かったはずです」
「……」
「新人2人を所属ライバーの後に配置したのは、次にデビューする2人だからです。実績順でも、人気順でも、序列を示したものでもありません」
「でも、街頭ビジョンだって……」
「そちらも最後まで見ていませんね?」
「……」
朱莉が黙る。
その反応だけで十分だった。
「街頭広告については、そもそもの企画がマリナのためのものです」
「え?」
「費用を負担したのも、先ほど話した発起人です」
朱莉の目がわずかに見開かれた。
「その方から、せっかく広告を出すのであれば所属ライバーも一緒に出してはどうか、と提案をいただきました」
「……じゃあ」
「弊社の所属ライバーは、マリナの広告企画へ加えていただいた側です」
黒瀬は淡々と続けた。
「特別扱いを受けているのが誰かという話をするのであれば、広告について恩恵を受けているのは、むしろ既存ライバーの方です」
朱莉は何も返せなかった。
「それでも、新人2人だけを別にして宣伝するべきだったと思いますか?」
「……そういうわけじゃ」
「では、同じ広告に載せるべきではなかった?」
「……」
「あるいは、新人だから目立たない位置に置くべきだった?」
「そういう言い方してません!」
「では、どういう話ですか」
黒瀬は声を荒らげない。
ただ、まっすぐ朱莉を見ていた。
「……」
返事はなかった。
しばらくして、朱莉が視線を逸らす。
「……失礼しました」
短く頭を下げる。
それから踵を返し、足早に廊下を去っていった。
姿が角の向こうへ消える。
静けさが戻った。
黒瀬は小さく息を吐いた。
そして、こちらへ視線を向ける。
「中村さん。桐生も」
黒瀬は2人のそばに神代がいないことに気づき、周囲へ視線を巡らせた。
「神代様は?」
「今日は来られませんよ」
美咲が答える。
「東京に滞在する時に使う部屋を準備してます」
「東京滞在中の生活拠点ですか?」
黒瀬の眉がわずかに動いた。
「聞いていませんけど」
「神代さん個人のことなので、こちらから報告はしてませんよ」
美咲は不思議そうに首を傾げた。
「前に新井君が、東京にも生活拠点を作ったらどうかって話してまして。それで神代さんが本当に部屋を借りることになったので、私も物件探しを手伝いました」
「新井が……」
黒瀬の眉間に、ほんのわずかに皺が寄った。
まるで「余計なことを」とでも言いたそうな顔だった。
しかし、その視線がゆっくりと美咲へ戻る。
「……桐生も手伝ったんですか?」
「はい。神代さん、東京の土地勘があまりありませんから」
美咲は何が問題なのか分からない様子で、あっさりとうなずいた。
黒瀬は何も言わなかった。
ただ、その顔には先ほどとは別の言葉が、はっきりと浮かんでいた。
――お前もか。
どうやら黒瀬としては、神代にはこれまでどおり福岡から必要な時だけ来てもらう方が都合がよかったらしい。
けれど、神代の個人的なことに口を挟むつもりはないらしい。黒瀬は眼鏡の位置を直すと、うつむいたままの梓へ視線を向けた。
「中村さん。先ほどからうつむいていますが、どうしました?」
「あ……すみません。聞くつもりじゃなかったんですけど」
「なぜ中村さんが謝るんですか」
「いや、その……杉田さんと黒瀬さんの話を、途中から聞いてしまったので」
「構いません」
そう言われても、朱莉の言葉が胸に残っていた。
「……やっぱり、そう見えますよね」
「何がです?」
「私が、特別扱いされてるように」
昨日デビューしたばかり。
それなのに、大きな広告が出た。
最新のモデルがある。
配信するための環境まで用意されている。
自分が逆の立場なら、どう思うだろう。
黒瀬は少しの間、梓を見ていた。
「中村さん。勘違いしないでください」
「え?」
「あなたは厳正なオーディションを勝ち抜いて、マリナの演者に選ばれたんです」
梓は黙って聞く。
「誰かの好意だけで席を用意されたわけでも、特別扱いされて選ばれたわけでもありません」
一拍置く。
「そこは胸を張ってください」
「……はい」
「ただ」
黒瀬が少しだけ間を置いた。
「1つだけ、特別なことがあります」
「特別?」
黒瀬はどこか疲れたような顔をした。
「あなたには、頭のおかしいパトロンがついている。それだけです」
「……え?」
梓はきょとんとした。
頭のおかしいパトロン。
それが誰を指しているのか理解するまで、少し時間がかかった。
「……ふっ」
堪えきれず、息が漏れる。
「あの、黒瀬さん。それ、本人に聞かれたら……」
「事実です」
黒瀬は真顔で言い切った。
「弊社への出資には心から感謝しています。ですが、それとこれとは別です」
眼鏡の位置を直し、静かに息を吐く。
「1人のVTuberのために、あれだけの金を『楽しそうだから』で投じる人を、まともとは呼べません」
「そこまで言います?」
美咲が横から笑う。
「言います」
即答だった。
梓もとうとう笑ってしまった。
確かに、普通ではない。
けれど。
普通ではない人が資金を出したことと、自分がマリナに選ばれた理由は別だ。
昨日、画面の中のマリナを動かしたのは自分だった。
コメントへ返したのも。
笑ったのも。
あの場所に立ったのも、自分だ。
黒瀬の辛辣な言葉は、優しく慰められるよりも、ずっと素直に胸へ落ちてきた。
「……ありがとうございます」
梓が言うと、黒瀬は少しだけ眉を上げた。
「礼を言われることではありません」
それだけ答えると、何事もなかったように歩き出した。
その背中を見送り、美咲が小さく噴き出す。
「黒瀬さん、前から言いたかったんだろうね。頭のおかしいパトロンって」
「あはは……」
「否定できる?」
「……難しいですね」
「でしょ?」
美咲が梓の背中を軽く叩いた。
「気にしない。梓ちゃんは自分の実力でここにいる。それは黒瀬さんも認めてるんだから」
「……はい」
「昨日の配信、ちゃんとやり切ったでしょ」
梓は少しだけ笑った。
「はい」
「よし。じゃ、打ち合わせ行こ。初配信の次の日から遅刻は格好つかないよ」
「あ、そうでした!」
先を歩き出した美咲を、梓は慌てて追いかけた。
その足取りは、さっきより少しだけ軽くなっていた。
* * *
同じ頃。
東京で借りたばかりの部屋で。
まだ荷ほどきも終わっていない室内に、いくつもの段ボール箱が積まれていた。
「ぶえっくしょん!」
大きなくしゃみが響いた。
神代悠一は鼻をすすり、首を傾げる。
「……誰か、噂でもしてるのか?」
そう呟いたものの、深く考えることもなくモニターへ視線を戻した。
同じ東京のNexus Liveで、自分が新しい呼び名を授けられていたことなど、知る由もなかった。
* * *
Nexus Liveを出た杉田朱莉は、1人で足早に歩いていた。
黒瀬の説明は理解できる。
マリナのモデルは、そもそも社外の人間が費用を出して作ったもの。
彩瀬アリアはこれから作るモデルだから、新しい仕様になった。
既存ライバーのモデルも順次更新される。
新しく作るモデルをわざわざ古い仕様で作り、あとからもう一度作り直す理由もない。
広告もそうだ。
公式動画には、マリナの後があった。
最後まで見なかったのは自分だ。
街頭広告に至っては、そもそもマリナのために用意されたものだった。
理屈では、何も間違っていない。
それでも。
18歳で日向ヒマワリとしてデビューしてから、何年も走り続けてきた。
天城レイナの背中を追いかけた。
数字が伸びない時期もあった。
企画を考えた。
歌った。
配信した。
少しずつ見てくれる人を増やして、ようやくナンバー2と呼ばれるところまで来た。
それなのに。
昨日デビューしたばかりのマリナは、最初から自分より滑らかに動く姿を持っていた。
大きな広告に映っていた。
そして、もう1人の新人も同じ場所へやってくる。
(あの2人が悪いわけじゃない)
分かっている。
マリナ本人に文句を言う筋合いではない。
彩瀬アリアだって同じだ。
それでも。
自分が何年もかけて上がった場所に、2人は最初から立っているように見えた。
簡単に笑って歓迎できるほど、朱莉は器用ではなかった。
昨日の配信を思い出す。
落ち着いた低い声。
流れていくコメント。
初配信だというのに、マリナは画面の中で堂々としていた。
アバターが良いだけではない。
それくらいは、朱莉にも分かっていた。
「……分かったわよ」
小さく呟く。
「そこに立つだけのものがあるのか」
朱莉は前を向いた。
「見せてもらうから!!」




