第33話「二人の視線」
今回は、Nexus Liveのナンバーワンとナンバーツーが本格登場です!
マリナの初配信を見た、正反対な二人の反応をお楽しみください!
黒いブルゾン姿の杉田朱莉は、自室のモニターに映る配信画面を、腕を組んだまま睨んでいた。
金髪の長い髪は、高い位置でハーフツインに結ばれている。髪を留める黒いリボンが、苛立つように小さく揺れた。
見るつもりなんてなかった。
渋谷の街頭ビジョンで、天城レイナの次に現れた新人。
公式動画でも、新人枠の最後に置かれていた新人。
そのマリナが、今日デビューする。
気に入らない。
だからこそ、気になった。
「……別に。どんなもんか、見ておくだけだし」
誰に聞かせるでもなく呟き、朱莉は再生画面へ視線を戻した。
組んでいた腕をほどき、右手の親指を口元へ運ぶ。
考えを巡らせる時、親指の爪を噛んでしまうのは、朱莉の昔からの癖だった。
待機画面が切り替わる。
深紅の髪が揺れた。
「こんばんは。マリナです」
画面の中で、金色の瞳がこちらを見た。
広告でも、動くマリナの姿は見ていた。
けれど、短く編集された映像で見るのと、配信で話しながら絶えず動く姿を見るのとでは、受ける印象がまるで違う。
演者の呼吸や、ほんのわずかな表情の変化まで、そのまま画面へ伝わっている。
ポニーテールが、顔の動きに少し遅れてついてくる。
毛先まで、妙に滑らかだった。
「……何よ、それ」
声に出すつもりはなかった。
顔を傾けても、輪郭が不自然に崩れない。
視線を横へ向ければ、瞳だけでなくまぶたまで自然についてくる。
ポニーテールは大きく揺れているのに、身体の動きを邪魔していなかった。
肩を動かせば、羽織ったシャツまでわずかに遅れて揺れる。
朱莉には分かった。
これは、ただ金をかけただけのモデルではない。
演者がどう動くかまで考えて、細かく調整されている。
自分の日向ヒマワリを毎日のように動かしているからこそ、その差が嫌でも見えた。
モデルがいい。
そう認めた瞬間、朱莉は小さく眉を寄せた。
マリナはコメントを読み上げながら、画面の向こうへ笑いかけている。
「ここ家にしていい?」
少しだけ間を置いてから、マリナは言った。
「いいよ。ここは私の部屋だから、ゆっくりしていって」
コメント欄が、目に見えて速くなる。
朱莉は鼻で笑った。
「そんなので喜ぶんだ」
けれど、その声は聞き心地がよかった。
低くて、少しかすれていて、それでいて重くなりすぎない。言葉の終わりにほんの少しだけ残る余韻まで、わざとらしくない。
聞き取りやすい。
一音一音の輪郭がはっきりしているのに、発音を意識しているような固さがなかった。
息の支えも、言葉の置き方も安定している。
朱莉の前歯が、親指の爪を少し強く噛んだ。
ただの素人ではない。
知名度だけで連れてきたインフルエンサーでもない。
少なくとも、声を使うための訓練を受けている。
「……この子、前に声の仕事でもしてた?」
答えは出ない。
けれど、その考えだけは頭から離れなかった。
コメントを拾うタイミングも妙だった。
流れてきた言葉をすぐに掴むわけではない。
一度画面を見て、ほんの短く考えるような間を置いてから返す。その間があるから、返ってきた言葉が妙に印象に残る。
「……新人のくせに」
口の中で呟く。
朱莉はコメント欄の入力欄をクリックした。
『新人なのに、ずいぶん慣れてるじゃない』
そこまで打ち込み、送信キーへ指を置く。
けれど、押す直前で止まった。
「……こんなところに書いてもしょうがないでしょ」
入力した文字を、すべて消した。
マリナが衣装を見せるため、画面の中で身体を動かした。
またコメントが流れる。
胸元の話。
朱莉は、次の反応を待った。
困るか。慌てるか。少しくらい、空気が止まるか。
けれどマリナは、ほんの少しだけ眉を上げただけだった。
「……まあ、仕方ないならしょうがないか」
コメント欄が笑いで埋まる。
マリナも、少しだけ笑っている。
余裕がある。
初配信なのに。
「……何なのよ」
朱莉は椅子の背から身体を起こした。
自分がここまで来るのに、どれだけ配信を重ねてきたと思っているのか。
数字が伸びない日にも配信した。
思うように笑えない日にも、日向ヒマワリとして画面の前に立った。
そうやって積み重ねて、ようやくNexus LiveのNo.2まで上がってきた。
それなのに、あの新人は最初から用意されている。
モデルも、広告も、集まる視線も。
粗を探すつもりだった。
新人のくせに持ち上げられすぎている理由を、見つけるつもりだった。
なのに、見れば見るほど気に入らないところばかりが増えていく。
モデルがいい。
声がいい。
コメントへの返しも、変に媚びていない。
そのうえ、渋谷の広告まで出していた。
机の上で、スマートフォンの画面が光った。
『いい加減、機嫌を直してください。先週からお伝えできていない、今後のアバター更新についてお話があります』
担当マネージャーからのメッセージだった。
広告を見たあの日から、朱莉がまともに話を聞こうとしないせいで、伝達事項が1週間も滞っている。
朱莉は返信もせず、スマートフォンを伏せた。
今は、そんな話を聞く気になれない。
「モデルもいい。配信も悪くない。そのうえ広告まで……」
朱莉は親指の爪を、さらに強く噛んだ。
マリナがまたコメントへ何かを返している。
楽しそうな声だった。
「……もういい」
マウスを動かす。
配信画面を閉じると、部屋が急に静かになった。
黒くなったモニターに、自分の顔だけがぼんやり映っている。
「明日、黒瀬さんに直接言ってやる!!」
ぱきっ。
口元で、小さく乾いた音がした。
「……あ」
朱莉は親指を離した。
噛み続けていた爪の先が、わずかに割れている。
「またやった……」
さっきまでの勢いが消え、朱莉の肩が落ちた。
「ネイルサロンの予約、取らなきゃ……」
割れた爪を恨めしそうに見つめる。
そして、堪えきれなくなったように顔を上げた。
「もう! 全部、新人2人のせいよ!」
それだけ言って、朱莉は椅子の背にもたれた。
*
――同じ頃。
青みのある黒髪を高めのハーフアップにまとめた花澤綾音は、背筋を伸ばしてモニターの前に座っていた。
白いトップスの上には、淡いラベンダー色のカーディガンを羽織っている。
広告で見た時から、マリナのことは気になっていた。
だからこそ、最初の一声も、最初の表情も見逃すまいと、青灰色の瞳を待機画面へ向けている。その顔は、普段からは想像できないほど真剣だった。
やがて、待機画面が切り替わる。
深紅のロングポニーテールが揺れ、金色の瞳がこちらを見た。
ナンバーワンらしく、少しは落ち着いて見よう。
「こんばんは。マリナです」
低く、少しかすれた声が届く。
綾音の青灰色の瞳が、わずかに見開かれた。真剣に結ばれていた口元が、少しだけ緩む。
「来てくれてありがとう」
「ふへっ……」
小さな笑いが、綾音の口元から思わず漏れた。身体も自然と前へ傾いていく。
「そして……おかえり。今日もお疲れ様」
「ふへへっ……」
今度は、もう抑えられなかった。
ナンバーワンらしく落ち着いて見る。
――そんなことは、もうどうでもよくなった。
「可愛すぎる~♡ やっぱり広告で見るより、生配信ばい~♡」
それまでの真剣な表情は見る影もなく崩れ、綾音はモニターのすぐ近くまで顔を寄せた。
広告で目にした時よりも、声と表情が重なったマリナは、ずっと魅力的に見えた。
「コメントしよ~。読んでくれるかな~」
綾音はキーボードへ手を伸ばした。
@ayaneru1024:美人すぎてたまらんばい
送信したコメントは、勢いよく流れる文字の中へすぐに消えていった。
「いや~、無理か。コメント欄の流れ早いし」
少し残念そうに言いながらも、その目は楽しそうに画面を追っている。
深紅のロングポニーテール。
金色の瞳。
肩から落ちたベージュのシャツ。
画面の中で、マリナが顔を左右へ動かす。
長い髪が、さらりと揺れた。
「何このポニーテール。サラサラじゃん。凄い」
綾音は、さらに画面へ近づいた。
髪の揺れ方もすごい。
瞳も綺麗。
でも、それより。
「表情まで……めちゃくちゃ可愛いな」
コメントを追いながら、思わず笑みをこぼした時の顔。
少し恥ずかしそうに視線を逸らした時の顔。
そのどれもが、綾音の好みをまっすぐ撃ち抜いてくる。
コメント欄が胸元の話で盛り上がり、マリナが少しだけ眉を上げた。
「……まあ、仕方ないならしょうがないか」
綾音の口元が緩む。
「強い。かわいいのに強い」
「こりゃたまらんばい……」
綾音が喘ぐように声を漏らす。
その少しあと、画面の中のマリナが何かに気づいたように目を細めた。
「ふふっ」
「あっ、今の!」
綾音の指が勢いよくキーボードを叩く。
@ayaneru1024:思わずこぼれた笑い最高によか フーッ!! フーッ!!
@milkcoffee_7:最後の人どうしたw
@404listener:猫おる?
送ったコメントを見て、綾音は我に返った。
「しまった……コメントまで気持ちが入ってしまった」
画面の中では、マリナがまた次のコメントを探していた。
リスナーとの距離を測るように、でも迷いなく言葉を返していく。
綾音は頬杖をついた。
「喋り方も好きだなあ」
モデルの出来も、広告の順番も、登録者数も、どうでもよかった。
ただ、画面の中の女の子が可愛い。
その一点だけで、十分だった。
綾音はふと口元を拭った。
「おっと、よだれ垂れちゃった……いけない、いけない。私はNexus Liveのナンバーワンライバーなんだから」
一度だけ姿勢を正す。
けれど、数秒も保たなかった。
「はぁ~……この低くて艶のある声、子宮に響くばい……♡」
すぐにまた、モニターへ顔を近づける。
マリナが笑うたび、綾音まで笑ってしまう。
「会いたいな~。どんな子なんだろう」
画面の向こうにいるマリナは、まだ綾音のことを知らない。
「今度、黒瀬さんにコラボお願いしてみようかな。マリナと同じ画面に並んでみたい」
綾音は、モニターの左右の縁を両手で掴んだ。
今にも画面の中へ入り込みそうなほど顔を近づけ、再びマリナへ食い入るように見入った。
* * *
翌日。
「黒瀬さーん。ちょっとお願いがあるんですけど」
Nexus Liveの廊下を歩いていた黒瀬を、花澤綾音が呼び止めた。
「何でしょうか」
「私、マリナとコラボしたい」
前置きもなく、綾音は言った。
「昨日の配信を見たんですけど、もう、すごく可愛くて。できれば早めにお願いしたいな~って」
「コラボ自体は構いません」
「ほんと?」
綾音の顔がぱっと明るくなる。
「ただし、少し待ってください」
「え~」
喜んだのも束の間、綾音は露骨に肩を落とした。
「現在、天城レイナの新しいモデルは制作中です。完成するまでは、マリナとのコラボは控えてください」
「モデルの差を気にしてるんですか?」
「気にします」
黒瀬は即答した。
「でも、私は別に気にしないけどな~」
「花澤さんが気にするかどうかだけの問題ではありません」
綾音が首を傾げる。
「完成度に大きな差がある状態で2人を並べれば、視聴者の関心が配信内容ではなく、モデルの違いへ向く可能性があります」
黒瀬は淡々と続けた。
「それでは、花澤さんにもマリナにも余計な比較がつきまといます。せっかくコラボをするのであれば、2人の魅力をきちんと見てもらえる状態で行うべきです」
「私はマリナと同じ画面に並べたら、それだけでいいのに……」
綾音が残念そうに唇を尖らせた。
「それと、マリナにはまだ時期尚早です」
「時期尚早?」
「昨日デビューしたばかりです。まずは1人での配信に慣れてもらいます。コラボは、もう少し経験を積んでからです」
「配信経験ねぇ~」
綾音は何かを想像するように目を細めた。
「私が手取り足取り、優しく教えてあげるのに……はぁ、はぁ」
「花澤さん」
黒瀬が咳払いをする。
「……はっ」
綾音は我に返り、すっと姿勢を正した。
「失礼しました」
「とにかく、天城レイナの新しいモデルが完成し、中村さんが配信に慣れるまで待ってください」
「分かりました~」
しぶしぶ答えた綾音が、ふと眉を上げる。
「中村さん?」
「はい」
「中村、何ちゃん?」
「中村梓さんです」
「梓ちゃんね~。名前まで可愛い。絶対、本人も可愛い」
「花澤さんより年上ですよ」
綾音の動きが止まった。
「……てことは、お姉さん?」
「そうなりますね」
次の瞬間、綾音の顔が再び輝いた。
「いいですね! お姉さんも好きです!」
「何の報告ですか」
「大事な報告です」
黒瀬は何も答えず、眼鏡の位置を直した。
「じゃあ、コラボできるようになったら絶対に連絡してくださいね」
「分かりました」
「約束ですよ~」
念を押すように黒瀬を指差し、綾音は踵を返した。
(本人に会ったら、何て呼ぼうかな~。梓さん……普通すぎる。梓おねーちゃん? 梓ねえさんもいいな~)
まだ会ってもいない相手との距離を、頭の中ではすでに縮め始めている。
(コラボの時は、マリナおねーちゃんかな~。私の方が先輩だけど……まあ、そんなこと関係ないばい)
「ふへへっ……」
怪しい笑い声を漏らしながら、綾音はにやにやと頬を緩ませ、その場を立ち去っていった。
その背中を見送り、黒瀬が小さく息を吐く。
「黒瀬さん!!」
休む間もなく、今度は背後から鋭い声が飛んできた。
振り返ると、杉田朱莉が険しい表情でこちらへ向かってくる。
「何ですか、杉田さん。あなたもマリナとのコラボについてですか?」
「コラボ?? 誰が?? 違います!!」
「花澤さんは、マリナとのコラボの打診でしたよ」
朱莉の眉がぴくりと動いた。
「綾音のやつ、また可愛いからって手が早い!!」
すぐに首を横へ振り、本来の目的を思い出したように黒瀬を睨む。
「そうじゃありません!!」
朱莉の声が、Nexus Liveの社内に響き渡った。
Nexus Liveのナンバーワンとナンバーツー、どちらもかなり癖の強い人物になりました。
黒瀬代表の苦労は、まだまだ続きそうです。
綾音と朱莉、どちらの反応が印象に残ったでしょうか?
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綾音と朱莉のキャラクタービジュアルは、Xにて公開しています。
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