第30話「カウントダウン」
数日後。
梓は再びNEST東京オフィスを訪れていた。
今日は神代、新井、藤田、桐生も揃っている。
新井はテスト用のトラッキングカメラをリビングに設置し、ノートパソコンをプロジェクターへ接続していた。
画面を確認しながら、新井が言う。
「矢野さんから最新版のデータ届いてますんで、今日はこれ動かしてみましょか」
「最新版ですか?」
「はい。ほぼ完成版と思ってもらって大丈夫ですよ」
梓は白い壁へ目を向けた。
第1回マリナプロジェクト制作会議で、完成間近まで仕上がったマリナはすでに見ている。
けれど、そこから矢野がさらに調整を加えたモデルを、自分の動きで確かめるのは今日が初めてだった。
「中村さん、こっち来てもらっていいです?」
「はい」
新井に呼ばれ、トラッキング用のカメラの前へ移動する。
「オーディションの時、模擬配信したって聞いたので。基本はその時と同じです」
新井が画面を確認した。
「普通に顔動かしたり、喋ったりしてもらえれば大丈夫ですよ」
「分かりました」
プロジェクターの画面が切り替わった。
白い壁いっぱいに、深紅の長い髪を高い位置で結んだ少女が現れる。
マリナ。
梓は試しに瞬きをした。
マリナも瞬きをする。
ゆっくり右へ顔を向ければ、ほとんど遅れを感じさせずにマリナも同じ方向へ顔を向けた。
長いポニーテールが、動きからわずかに遅れてついてくる。
反対へ首を傾ける。
髪が肩の向こうへ流れ、身体の動きが止まったあとも、毛先だけが柔らかく揺れた。
「すごい……」
梓が思わず笑う。
マリナも同じように笑った。
「やっぱすごいですね、矢野さんのモデル」
新井が感心したように画面を見つめる。
「これだけ髪長いのに、動きめっちゃ自然ですわ」
「すごい。動きが全然引っかからないね」
藤田も画面から目を離さない。
「自分で動かしてるのに、不思議な感じです」
梓がもう1度笑う。
その表情まで、マリナは滑らかに拾っていた。
神代だけは、しばらく何も言わなかった。
「神代さん?」
「……いや」
ようやく口を開く。
「すごいなと思って」
その目は、ずっとマリナへ向けられていた。
「本当に動いてるんだなあ……」
梓も改めて画面を見る。
神代が長い時間をかけて形にしてきた少女が、今は自分の動きに合わせて笑い、瞬きをしている。
「梓ちゃん」
桐生が声をかけた。
「せっかくだし、何かひと言言ってみてよ」
「ひと言ですか?」
「うん。マリナとして」
「そうですね……」
何を言おう。
少し考えているうちに、ふと悪戯心が湧いた。
「神代さん」
「ん?」
「マリナの方、向いててください」
「分かった」
神代が素直に壁へ向き直る。
金色の瞳が、まっすぐ神代を見つめていた。
梓は少しだけ口元を緩める。
そして、マリナの声で言った。
「悠一さん。私に魂をくれて、ありがとう」
「…………」
神代の身体が、ふるふると震え始めた。
「……神代さん?」
「スパチャしなきゃ、スパチャ!!」
突然、神代が財布を取り出した。
「神代さん!?」
桐生が笑いながら止めに入る。
「1万円でいい? 1万円?」
「なんで金額確認してるんですか!」
「今のは1万円でしょ!」
「現金はスパチャちゃいますって!」
新井まで笑いながら神代の腕を押さえた。
「悠一さんだって! 聞いた? みんな?」
「聞きましたから!」
「他のライバーの子は、こんなふうに名前呼んでくれないよ?」
「そら神代さんのこと知らんのやから当然でしょ」
少し離れたところでは、藤田が肩を揺らして笑っている。
梓もとうとう堪えきれなくなった。
その笑いに合わせて、壁の中のマリナも楽しそうに笑った。
結局、神代が財布から取り出した1万円札は、テーブルの上に残された。
トラッキングを終了し、全員がテーブルを囲んだあとも、そのままだった。
「神代さん、早くその1万円札しまってください」
藤田に言われ、神代は1万円札へ手を伸ばす。
「はいはい」
「じゃあ、みんなでなんか食べてよ」
神代はそのまま、1万円札を桐生へ差し出した。
「私に渡すんですか?」
「マネージャーでしょ?」
「そういう仕事じゃないんですけど」
桐生は苦笑しながらも受け取った。
「……こほん」
藤田が軽く咳払いをする。
「話を戻しますね」
「お願いします」
神代は何事もなかったように姿勢を戻した。
「まず、マリナのデビューですけど。1か月後を目安に考えてます」
「ちょっといい?」
「なんですか?」
「これって、俺たちで決めていいの? 黒瀬さんの許可とかいらない?」
「候補日は担当チームで決めます。事務所全体の予定と重ならないか確認して、黒瀬さんへ報告する流れですね」
「へえー」
神代は感心したように頷いた。
「じゃあ、このチームの責任者って誰なの?」
一瞬、静かになった。
梓、桐生、藤田、新井。
4人の視線が、一斉に神代へ向く。
「……え?」
神代が自分を指さした。
「俺?」
「企画の責任者は神代さんです」
藤田が答える。
「実質、現場の責任者は美咲になりますね」
「私ですね」
桐生があっさりと認めた。
「なるほど。俺が責任者で、現場は桐生さんなのね」
「そういうことです」
「それなら安心だ」
「神代さんに現場まで回されたら、こっちも困りますから」
「俺も困るよ」
新井が小さく笑った。
藤田は予定表へ目を戻す。
「……話を戻しますね」
「はい」
「1か月後。美咲はどう?」
「私は大丈夫だと思う」
桐生が頷いた。
「梓ちゃんも、もうホテルの仕事は終わってるし。今ならかなり時間取れるよね?」
「はい。もうシフトを気にしなくていいので」
「新井は?」
「俺も1か月あれば十分やと思いますよ」
新井も頷く。
「機材は揃ってますし、トラッキングも今見た感じ問題ないです。あとは中村さんに実際の配信環境に慣れてもらえれば」
「配信ソフトの使い方とかですか?」
「それもですね。あとはコメント見ながら喋ったり、何かトラブル起きた時の対応とか。その辺は実際にやりながら覚えてもらう方が早いと思います」
「お願いします」
「任せてください」
1か月。
思っていたよりも近い。
けれど、不思議と怖さだけではなかった。
「私も……1か月後でやってみたいです」
「じゃあ、その方向で進めよう」
桐生が言った。
藤田が予定表へ書き込んでいく。
「細かいところまで決まったら、黒瀬さんにはまとめて報告しますね」
「了解」
「初配信って、時間はどのくらいやるの?」
神代が尋ねた。
「30分から1時間くらいですかね」
桐生が答える。
「最初ですし、長くても1時間くらいで考えてます」
「新人のデビュー配信って、アバターのお披露目やってるじゃん。あれもやるの?」
「やりますよ」
「今日みたいな感じ?」
「今日みたいに最初から全部見せるとは限りませんけどね。顔から少しずつ見せたり、表情や全身を見せたり。その辺はこれから構成を考えます」
「なるほどね」
梓も小さく頷いた。
本番では、今日こうして動かしたマリナを、今度は自分が視聴者へ見せることになる。
神代が予定表を眺めながら、藤田へ顔を向けた。
「俺、しばらくやることなさそうなら、一旦福岡帰ってもいい?」
「大丈夫ですよ。必要な確認があれば連絡しますから」
「よかった。あっちの事務仕事が溜まってるんだよね」
「福岡に戻るんですか?」
梓が尋ねた。
「うん。一旦ね。向こうの仕事を片づけたら、デビュー前にはまた戻ってくるよ」
「神代さん、お土産お願いしますわ」
新井がすかさず言った。
「お土産? 何がいい?」
「通りもん!」
梓が即答した。
「中村さん、めっちゃ早いやないですか」
「好きなんです」
「じゃあ通りもん買ってくるよ」
神代が笑う。
「そういや神代さん、こっちに拠点作らないんですか?」
新井が聞いた。
「拠点?」
「東京来るたびホテル泊まるんも、結構バカにならんでしょ?」
「ああ、住むところか」
神代は少し考える。
「それも考えてるよ。そろそろ物件探すかな」
「この辺の不動産屋だけ、私の方で調べておきましょうか?」
桐生が言った。
「いいの?」
「デビュー前に戻ってくるなら、ここへ通いやすい場所の方がいいでしょう。物件を選ぶのは神代さんにやってもらいますけど」
「そうだなあ。リビングと、あと1部屋仕事部屋があればいいかな。ここより狭くていいよ」
「自分たちが使う部屋より狭くていいんですか?」
梓が思わず尋ねる。
「いいって。寝れて、PCがネットに繋がってれば」
神代はそこで1度言葉を切った。
「もちろん光回線ね」
「そこは大事なんですね」
「そこは大事」
梓は思わず笑った。
「分かりました。不動産屋を何件か調べておきますね」
「お願いします」
これでひと通り決まったかと思ったところで、神代が「あ」と声を上げた。
「そうだ。藤田さん、もう1個相談したいことあるんだけど」
「なんですか?」
「マリナ、デビュー前に広告で宣伝したいんだよね。1か月あったらいけるかな?」
「どういう広告を考えてます?」
「マリナだけだと、他のライバーさんに角が立つ気がするからさ。できればNexus Liveのみんなと一緒に出してほしいんだよね」
「事務所全体の広告にするってことですか?」
「そうそう。その中にマリナも入れてもらう感じ」
神代は少し考えた。
「ただ、順番が最初だと、新人をいきなり前に出すのもあれでしょ。かといって最後にしたら、新人がトリかよってなるしなあ」
「そこまで考えてたんですね」
「俺が広告費出してるからマリナだけ特別扱い、みたいに見えるのは嫌なんだよ」
藤田は少し考えてから頷いた。
「分かりました。その辺の見せ方は、こっちで考えます」
「お願い。もちろん広告費は俺が出すから」
「では、予算も決めないとですね」
「逆にいくらかかるのよ?」
「それはかなり幅があります。媒体と場所、期間でも変わりますし」
「街にある、ビルの外壁のでっかいやつあるじゃん」
「大型街頭ビジョンですか?」
「それ。それとYouTubeかな。Nexus Liveの公式チャンネルから出すやつ」
「その2つなら、1か月でも動けると思いますよ。街頭ビジョンは枠の空きも確認しないといけませんけど」
「じゃあ、その辺も含めてお願いしようかな」
そう言ってから、神代がスマートフォンを取り出した。
「あ、その前に黒瀬さんに連絡しとくわ」
「先にですか?」
「うん。また後から聞いてないってやんや言われるのもあれだし」
藤田が笑った。
「学習しましたね」
「俺だって学習するよ」
神代はその場で黒瀬へ電話をかけた。
数回の呼び出し音のあと、相手が出る。
『はい、黒瀬です』
「お疲れさまです。神代です。今ちょっと大丈夫ですか?」
『はい。どうされました?』
「まず、マリナのデビューなんですけど、1か月後を目安に進めることになりました」
『承知しました』
「それと、もう1個相談がありまして」
神代は、先ほど藤田へ話した広告案を黒瀬へ説明した。
Nexus Live全体の広告にマリナを加え、大型街頭ビジョンと公式チャンネルで展開する。費用はNESTが負担するという案だ。
一通り聞き終えると、電話の向こうの黒瀬が少し黙った。
『なるほど』
「どうでしょう?」
『神代様』
「はい」
『でしたら、公式チャンネルの告知動画について、1つ提案があります』
「提案?」
『既存ライバーの紹介が終わったあとに、“WHO’S NEXT?”として新人紹介の枠を設けましょう』
「新人紹介の枠?」
『はい。その枠の最後に、マリナを置いていただいて構いません』
「え、いいんですか?」
『その代わりと言ってはなんですが、こちらで現在デビュー準備を進めている新人ライバーを1人、マリナの前に加えていただけませんか?』
「新人?」
『はい』
「それは別に構いませんけど」
『ありがとうございます。その新人を加えるのは、公式チャンネルの動画だけです。街頭ビジョンについては、当初のお話どおり既存ライバーとマリナで進めてください』
「分かりました」
『新人については、まだ担当チーム以外には共有していません。この電話のあと、藤田へ正式な資料を送ります』
「お願いします」
通話を終え、神代はスマートフォンをテーブルへ置いた。
「……新人ライバーだって」
それから周囲を見回す。
「みんな知ってた?」
「知らないです」
藤田が首を振った。
「私も初耳です」
桐生も同じだった。
「俺も聞いてないですね」
新井まで否定する。
「じゃあ、本当に誰も知らなかったんだ」
神代が感心したように言った。
梓も知らない。
知らないはずなのに。
『じゃ、先に行ってて』
不意に、数日前の電話で聞いた言葉が蘇った。
『私もすぐに追いつくから』
アリアの声だった。
あの時は、何かのオーディションに受かったのだろうかと思っただけだった。
まさか。
そこまで考えて、梓は小さく首を振る。
「梓ちゃん?」
「いえ、なんでもないです」
藤田が手元のメモへ視線を戻した。
「では、広告についてはこちらで進めますね」
「お願いします」
1か月後。
マリナはデビューする。
その前に、まだ誰も知らないマリナの姿が、初めて世の中へ出ていく。
梓は、先ほどまでマリナが映っていた白い壁を見つめた。
その日が、少しずつ近づいていた。




