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売れない声優の私が、なぜか大富豪に見初められました。  作者: つきしろえにし
第一章 それぞれの選択
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23/45

第23話「ライバル」

Xにて、登場キャラクターのビジュアルを掲載しています。


興味がありましたら、プロフィールから覗いてみてください。

マリナ役のオーディションから数日後。


 昼過ぎに目を覚ましたアリアは、枕元で震えるスマートフォンへ手を伸ばした。


 画面に表示されていたのは、見覚えのない番号だった。


 一度は放置しかけたが、先日のオーディション結果かもしれない。身体を起こし、軽く喉を鳴らしてから通話ボタンを押す。


「はい、西山です」


『突然のお電話、失礼いたします。Nexus Liveの黒瀬です』


 眠気が一瞬で引いた。


「あ、先日はどうも」


『今、お時間はよろしいでしょうか』


「大丈夫です」


 返事をしながら、アリアはベッドの上で背筋を伸ばした。


 黒瀬から直接連絡が来たということは、結果についてだろう。もっとも、マリナ役に選ばれていないことは、オーディションを終えた時点で分かっていた。


 あの場でマリナになっていたのは、自分ではない。


『先日の選考について、改めてご連絡いたしました』


「はい」


『残念ながら、マリナ役としての採用は見送らせていただくことになりました』


「分かりました」


 落胆はなかった。


 予想していた結果だったし、アリア自身も、あの場にいたアズサの声を聞いて納得している。


 ただ、一つだけ気になっていた。


「……あの、黒瀬さん」


『なんでしょう』


「一つ聞いてもいいですか」


『どうぞ』


 アリアは膝の上に置いた毛布を指先でつまんだ。


「アズサ……中村アズサは、どうなりましたか?」


 電話の向こうで、わずかな間が空く。


『中村さんには、マリナ役として正式に参加していただくことになりました』


「そっか」


 胸の奥に残っていたものが、するりとほどけた。


 アリアは小さく息を吐く。


「よかった」


『本人からは、まだ聞いていませんか』


「たぶん、全部ちゃんと決まってから話すつもりなんだと思います。そういうところあるから」


 アズサは、自分の中で整理がつくまで余計なことを言わない。


 喜んでいたとしても、不安が残っていれば、誰かに報告するのは後回しにするだろう。


『なるほど』


「すみません。話を止めちゃって」


『構いません。それでは、本題に戻ります』


 黒瀬の声が、再び仕事の温度へ戻った。


『西山さんの演技力、声域の広さ、即興への対応力について、弊社では高く評価しています』


「ありがとうございます」


『特に、求められた役柄へ短時間で対応しながら、それぞれの声を明確に演じ分けていた点は印象に残りました』


 褒められているはずなのに、アリアは素直に喜べなかった。


 それは、これまで何度も評価されてきた部分でもある。


 幅広い役を演じられる。


 どんな要求にも対応できる。


 けれど、最後にはいつも同じ言葉が続いた。


 何でもできるが、決め手に欠ける。


「それで、近々やるオーディションに参加してほしい、ということですか?」


『いいえ』


 黒瀬は即座に否定した。


『今回は、選考のご案内ではありません』


「違うんですか?」


『西山さんに、弊社所属のライバーとして活動していただきたいと考えています』


 一瞬、言葉の意味を理解できなかった。


 アリアはスマートフォンを耳から離し、画面を確認する。


 通話相手は間違いなく黒瀬だ。


「……それって」


『正式なオファーです』


 アリアは瞬きを繰り返した。


「私、マリナには落ちたんですよね?」


『はい』


「でも、ライバーとしては採用したい?」


『そのとおりです』


 黒瀬の声に迷いはない。


『西山さんは、マリナではありませんでした』


 はっきりと言い切られる。


 それなのに、不思議と嫌な気はしなかった。


『ですが、ライバーとして見過ごせる人材でもありません』


 アリアはゆっくり身体を起こし、ベッドから足を下ろした。


「用意してある別のキャラクターがいるんですか?」


『現時点では、ありません』


「ないんですか?」


『既存のキャラクターへ、西山さんを合わせるつもりはありません』


 黒瀬は淡々と続ける。


『西山さんの声域と演技力を前提に、新しいライバーを立ち上げたいと考えています』


「私に合わせて、キャラクターを作るってことですか?」


『採用を受けていただけるのであれば、その予定です』


「……そこまでしてもらえるんですか」


『はい。それと、もう一つお伝えしておきたいことがあります』


「もう一つ?」


 黒瀬がわずかに間を置いた。


『デビューについては、中村さんのマリナより後になる予定です』


「アズサより?」


『マリナはすでにモデル制作やデビューに向けた準備が進んでいます。同時期に立ち上げるのは難しいでしょう』


「まあ……そうですよね」


『ですが』


 黒瀬の声が少しだけ強くなる。


『西山さんには、いずれ中村さんのマリナと互いに刺激を与え合える存在になっていただきたいと考えています』


 アリアは瞬きをした。


「……マリナと?」


『はい』


「それって、ライバルになれってことですか?」


『競わせるつもりはありません』


 黒瀬はすぐに否定した。


『中村さんには中村さんの強みがある。そして、西山さんには西山さんにしかない強みがある』


 一拍。


『同じものを目指す必要はありません。違うものを持っているからこそ、並んだときに互いを高められると私は考えています』


「……なるほど」


『もちろん、これは現時点での私の考えです。まずは西山さん自身の活動を形にすることが先ですが』


「いや」


 アリアの口元が緩んだ。


「それ、めちゃくちゃ面白そうですね」


 声優としては、役に自分を合わせるのが当たり前だった。


 台本を読み、求められる声を探し、誰かが思い描いた人物へ近づいていく。


 今度は逆だという。


 自分を見てから、キャラクターが作られる。


「……それ、めちゃくちゃ面白そうですね」


 思わず声が弾んだ。


『前向きに検討していただけるということでしょうか』


「はい。詳しい話、聞かせてください」


『ありがとうございます。では、改めて打ち合わせの日程をお送りします』


 通話が終わったあとも、アリアはしばらくスマートフォンを見つめていた。


 マリナにはなれなかった。


 けれど、自分としてなら必要だと言われた。


「アズサはマリナで、私は私か」


 口にしてみると、思っていた以上に心地よかった。



       * * *



 通話を終えた黒瀬は、机の上に置いていた一冊のファイルを手に取った。


 表紙には、一人の名前が印刷されている。


 西山アリア。


 オーディションの最中から、気になっていた。


 マリナではない。


 それは早い段階で分かっていた。


 だが、だからといって審査を終えるには惜しかった。


 声を変えさせた。


 別の役柄を演じさせた。


 予定になかった即興も試した。


 要求を変えるたびに、西山アリアは違う答えを返してきた。


 しかも、そのどれもが一定以上の水準にある。


 マリナ役を決めるためのオーディションだった。


 その場で、黒瀬はもう一人を見つけていた。


 ファイルを持ったまま席を立つ。


 オフィスの奥にある一室の前で足を止め、二度ノックした。


「どうぞ」


「失礼します」


 扉を開ける。


 デスクに向かっていた橘シュウジが顔を上げた。


 Nexus Liveを黒瀬とともに立ち上げた共同創業者。


 現在は取締役を務めている。


 本来なら、橘が代表を務めてもおかしくはなかった。


 それでも橘は、立ち上げの際に黒瀬を代表取締役へ推した。


 自分より、お前の方が向いている。


 理由はそれだけだった。


「どうした?」


「一件、ご報告があります」


「珍しいな。お前がわざわざ俺のところまで報告に来るなんて」


 黒瀬は向かいの席へ腰を下ろした。


「先日のマリナ役オーディションに参加していた一名へ、私の裁量で所属のオファーを出しました」


 橘の眉が上がった。


「……もう出したのか?」


「はい」


「じゃあ相談じゃなくて、事後報告じゃないか」


「申し訳ありません」


「別に謝らなくていいよ。お前の裁量でやれる範囲だろ」


「ありがとうございます」


「で?」


 橘が椅子の背にもたれる。


「相手は?」


「先ほど連絡しました。前向きに話を進めたいとの了承を得ています」


 橘が少しだけ目を丸くした。


「へえ」


 それから、黒瀬の顔を見る。


「珍しいな」


「何がです?」


「お前が自分から演者にオファー出すなんて」


「そうですか?」


「そうだろ」


 橘は笑った。


「俺、お前と何年一緒にやってると思ってるんだ」


 黒瀬は何も返さず、手にしていたファイルを机の上へ置いた。


「マリナのオーディションで見つけました」


「その子を?」


「西山アリア。声優として活動していますが、これまで大きく芽が出たわけではありません」


 ファイルを橘の方へ滑らせる。


「ですが、演技力はあります。声域も広く、要求への対応も早い。即興にも強い」


 橘がファイルを開いた。


 オーディション時の評価。


 声域。


 演技傾向。


 即興への対応。


 黒瀬がまとめた所見が並んでいる。


 数ページめくったところで、橘の手が止まった。


「……お前、ずいぶん色々やらせてるな」


「審査ですから」


「これ、マリナ役のオーディションだよな?」


「そうですが」


「途中からマリナと関係ないことまでやらせてないか?」


 黒瀬は一拍置いた。


「適性を見るためです」


「何の?」


「ライバーとしての」


 橘が顔を上げた。


「その時点でもう別の審査になってるじゃないか」


「結果的には、そうなりましたね」


「結果的にねえ」


 橘が呆れたように笑う。


「で、そこまで試したら、思った以上に良かったと」


「はい」


「なるほど」


 橘はもう一度資料へ目を落とした。


「声優として芽が出なかったからといって、そのまま才能を枯らせるのは惜しいと判断しました」


「それで、こっちに引っ張る?」


「その方がいいかと」


「既存のキャラクターに入れるのか?」


「いえ」


 黒瀬は即答した。


「彼女に合わせて、新しく作ります」


 橘の手が止まった。


「そこまでやるのか」


「中途半端に拾うつもりはありません」


「モデルは?」


「神代様が連れてこられた矢野さんに依頼しようと思っています」


「マリナと同じ人か」


「はい」


「もう話はした?」


「まだです。これから打診します」


 橘が黒瀬を見る。


「演者には先にオファー出したのに?」


「それとこれとは別です」


「はいはい」


 橘は小さく笑った。


「そういうことにしとくよ」


 黒瀬は無視した。


 橘は再び資料をめくる。


「でも、なんで今なんだ?」


「今?」


「いい人材を見つけた。それは分かった」


 ファイルを閉じる。


「でも、マリナの立ち上げだけでもこれから忙しくなるだろ。それなのに、同じ時期にもう一人立ち上げる理由は?」


 黒瀬は少しだけ考えた。


「マリナと対になる存在がいれば、お互いを高め合えるのではないかと考えています」


「対になる存在?」


「同じタイプを作るという意味ではありません」


 黒瀬は資料へ手を置いた。


「中村さんには中村さんの強みがあり、西山さんには西山さんの強みがある」


「競わせるのか?」


「そのつもりはありません」


 黒瀬は首を振った。


「ただ、同じ時期に活動を始める相手がいることは、互いにとって悪くないでしょう」


「まあな」


「片方が伸びれば、もう片方も刺激を受ける。持っているものが違えば、一緒にできる企画も増えます」


 橘は黙って聞いている。


「マリナだけが成功して終わりでは、Nexus Liveとしては意味がありません」


「なるほど」


「マリナをきっかけに、もう一人育てられるのであれば、その方が事務所としても強くなる」


 橘が黒瀬を見た。


「ちゃんと代表やってるじゃないか」


「何ですか、それは」


「褒めてるんだよ」


「そうですか」


「だからお前を代表にしたんだけどな」


 黒瀬はわずかに眉を寄せた。


「今、それは関係ないでしょう」


「そうか?」


「そうです」


 橘は楽しそうに笑った。


「まあいい。それだけか?」


「あとは……」


 黒瀬が少しだけ言葉を止める。


「まだあるのか」


 黒瀬は机の上の資料へ視線を落とした。


「神代様の見る目は、本物だと思っています」


 橘の表情がわずかに変わった。


「中村さんのことか?」


「ええ」


 黒瀬は頷いた。


「少なくとも、中村さんに関しては、私たちより先に見つけていた」


 二次審査が終わるよりも前。


 神代はアズサの声を聞き、その中にマリナを見つけていた。


 理屈より先に。


 迷うこともなく。


「この子でいいんじゃないかな」


 あのときは、選考中に口を出されたことの方が問題だった。


 だが。


 結果だけを見れば、神代の直感は正しかった。


「あの人は、先にマリナというキャラクターを作った。そのうえで中村さんを見て、彼女の中にマリナを見つけた」


「ずいぶん評価してるんだな」


「その点については」


「その点については、ね」


 橘が笑う。


「だから、少し興味があります」


「何に?」


「神代様が見つけた中村さんと」


 黒瀬は、西山アリアの資料を指先で軽く叩いた。


「私が見つけた西山さん」


 一拍置いた。


「どこまで並べるのか」


 橘がしばらく黒瀬を見た。


 やがて、口元がゆっくり上がる。


「……お前、それ神代さんに対抗してるだろ」


「違います」


 即答だった。


「いやいや。今のを聞いて、そう思わない奴はいないぞ」


「自分の判断が正しかったか、確認したいだけです」


「それを対抗意識って言うんだよ」


「言いません」


「言う」


「言いません」


 橘が声を立てて笑った。


「変わらないな、お前」


「何がです?」


「昔から負けず嫌いだ」


 黒瀬の眉がわずかに動いた。


「この話は終わりです」


「図星か」


「橘さん」


「分かった分かった」


 橘は笑いを収め、再びファイルを開いた。


「まあ、いいんじゃないか」


 何ページか見返す。


「お前がそこまで買ってるなら、やってみろよ」


「ありがとうございます」


「ただし、矢野さんが受けてくれるとは限らない。駄目だった場合の候補は考えておけ」


「もちろんです」


 黒瀬はファイルへ手を伸ばした。


 橘は渡しかけて、その手を止めた。


「西山アリア、か」


「はい」


「面白くなりそうだな」


 黒瀬は少しだけ間を置いた。


「そうですね」


 マリナではない。


 中村アズサでもない。


 西山アリアにしかできないものが、確かにある。


 神代が見つけたものと。


 自分が見つけたもの。


 どちらが上かを決めたいわけではない。


 ただ。


 並んだ先に何が生まれるのか。


 それを、黒瀬は少しだけ楽しみにしていた。


 ファイルを受け取り、静かに席を立った。

   

 * * *


 その日の夜。


 アリアはベッドの上でスマートフォンを眺めていた。


 昼間、黒瀬から届いた打ち合わせの日程を確認していると、画面上部に着信が表示される。


 中村アズサ。


「……アズサ?」


 少し意外に思いながら、通話ボタンを押した。


「もしもし?」


『アリアちゃん。今、大丈夫?』


「大丈夫だけど。どうしたの?」


『あの……』


 電話の向こうで、アズサが言葉を探している。


 珍しい。


 何か言いづらそうにしているのが、声だけでも分かった。


『この前のオーディションなんだけど』


「うん」


『……私、受かった』


 申し訳なさそうな声だった。


 アリアは一瞬だけ黙って、それから笑った。


「知ってるよ」


『……え?』


「黒瀬さんから聞いた」


『黒瀬さんから?』


「うん。今日、電話かかってきたから」


『……そうなんだ』


 少し気の抜けたような声が返ってくる。


「何その反応」


『いや……アリアちゃんも受けてたから、なんて言おうかなって思ってて』


「ああ」


 アリアは小さく笑った。


「そんなの気にしなくていいって。ちゃんとアズサが選ばれたんでしょ?」


『うん』


「だったら、おめでとう」


 今度は、少し間があった。


『……ありがとう』


 さっきよりも、ほんの少しだけ声が軽くなった。


 アリアは枕へ背中を預ける。


「それで? 声優の方はどうするの?」


『辞めるよ』


「……え?」


 思わず身体を起こした。


「声優、辞めるの?」


『うん。マリナ専属でやることにしたから、事務所も退所することにした』


「ちょっと待って」


 アリアは眉を寄せた。


「アズサ、あんなに声優にこだわってたじゃん」


 何度も同じオーディション会場で顔を合わせてきた。


 落ちても。


 仕事がなくても。


 アズサだけは、ずっと声優を続けていた。


 だからこそ、アリアには分からなかった。


「なんで?」


 電話の向こうが少し静かになった。


『私も、最初は迷った』


「うん」


『声優を辞めたら、六年間やってきたことを全部捨てるみたいな気がして』


 アリアは黙って聞いた。


『でも、違うなって思った』


「違う?」


『六年間声優やってきたから、マリナに選ばれたんだと思う』


 ゆっくりとした声だった。


『声も、演技も、役を考えることも。今までやってきたことがなかったら、たぶん私じゃなかった』


 一度、息を吸う音がする。


『だから、置いていくんじゃなくて、全部持っていこうかなって』


 アリアは何も言わなかった。


『声優をやってきた私のまま、マリナになろうと思ってる』


「……そっか」


『うん』


 不思議と、それ以上聞くことはなかった。


 アズサがそこまで考えて決めたのなら。


 たぶん、もう何を言っても変わらない。


 それに。


 アリアは昼間の黒瀬との会話を思い出した。


 マリナより後になる。


 けれど、いずれ互いに刺激を与え合える存在になってほしい。


 アリアの口元が、ゆっくりと緩んだ。


「じゃ、先に行ってて」


『え?』


「私もすぐに追いつくから」


 電話越しに、アリアはニヤリと笑った。


『……え?』


「なんでもない」


『何それ』


「こっちの話」


『……?』


 まだ納得していない様子のアズサに、アリアは笑う。


「じゃあ、頑張ってね」


『うん。ありがとう』


「またね」


『またね』


 通話を切った。


 アリアはスマートフォンをベッドの上へ置く。


 その画面には、昼間届いたNexus Liveからのメッセージがまだ表示されていた。


     * * *


 通話を終えたアズサは、しばらくスマートフォンを見つめていた。


「……すぐに追いつくって、何だろ」


 首を傾げる。


 そういえばアリアは、ライバーのオーディションをいくつも受けていると言っていた。


 もしかすると。


「アリアちゃんも、オーディションに受かったのかな……」


 答えの分からないまま、アズサはスマートフォンをテーブルへ置いた。



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