第13話「答えは、まだ」
正式な顔合わせから、数日が過ぎた。
俺は再び、Nexus Liveの会議室にいた。
向かいには黒瀬さん。その隣に、制作、プロモーション、配信運営の担当者が並んでいる。俺の隣には矢野くんが座っていた。
テーブルの中央には、雨宮トワさんに描き直してもらったマリナの三面図と、何枚もの企画資料が広げられている。
今日は、マリナプロジェクトを正式に立ち上げるための打ち合わせだった。
「まず、配信形態について説明します」
制作担当が資料を開いた。
「初動はLive2Dで進めます。イラストをパーツごとに分け、演者の表情や動きに合わせてモデルを動かす形式です」
「はい」
「3Dモデルは、制作費も期間も大きくなります。まずはLive2Dで活動を始め、軌道に乗った段階で3D化を検討するのが現実的でしょう」
「3Dになると、できることも増えるんですよね」
「イベントへの出演やダンス企画、立体的な演出が可能になります。ただし、活動開始の段階から必要なものではありません」
「そこは全部お任せします」
専門的なことは、専門家に任せた方がいい。
俺が口を出したところで、できることが増えるとは思えなかった。
ふと隣を見る。
「矢野くん、3Dも作れるんですか」
「できますよ」
あっさりした返事だった。
制作担当が顔を上げる。
「えっ」
矢野くんがそちらを見た。
「……何かありました?」
「いえ。Live2Dと3Dの両方を高い水準で扱える方は、あまり多くないので」
「……はあ」
矢野くんは視線を落とした。
どうやら、すごいことを言われた自覚がないらしい。
俺も詳しくは分からない。ただ、この人に頼んでよかったということだけは分かった。
「次に、演者の選考についてです」
黒瀬さんが資料を1枚めくった。
「応募の受付は来週から開始します。一般公募に加え、いくつかの声優事務所にも候補者の推薦を依頼します」
「声優と、VTuber志望者の両方ですか」
「はい。現時点で、どちらかに絞るつもりはありません」
「分かりました」
「一次選考は、音源による審査です。提出された音声から、声質と表現力を中心に候補者を絞ります」
「台本はどうしますか」
プロモーション担当が尋ねた。
「通常であれば、こちらで指定した台詞を用意します」
黒瀬さんが答え、それから俺を見た。
「応募要項について、何か希望はありますか」
「あります」
この話は、最初からお願いするつもりだった。
「応募者に見せるのは、この三面図と最低限のプロフィールだけにしてもらえませんか」
「最低限というと」
「名前、年齢、身長、誕生日、血液型、職業。そのくらいです」
「性格設定は?」
「伏せてください」
会議室が静かになった。
制作担当が、マリナの設定資料へ目を落とす。
「性格欄を空白にするということですか」
「はい」
「台本も渡さない?」
「渡さないでほしいです」
「では、何を収録してもらうんですか」
俺は三面図を見た。
深紅の髪。黄金色の瞳。黒いチョーカー。
この子を見て、どんな声を思い浮かべるのか。
そこから聞きたかった。
「この子が喋っていると思える音声を、応募者自身に考えてもらいたいです。内容は自由で、1分以内くらいで」
プロモーション担当が眉を寄せた。
「かなり応募者任せになりますね」
「そうですね」
「判断材料が少なすぎて、困ると思います」
「困ると思います」
その人が少し戸惑った顔をした。
「困ってほしいんです」
「……困ってほしい?」
「設定と台本を渡して、そのとおりに上手く演じられる人を探しているわけじゃないので」
黒瀬さんが俺を見た。
「では、何を探しているんですか」
言葉にしようとして、少し考える。
「この子を見て、自分で声を見つけられる人です」
上手く説明できている気はしなかった。
それでも続ける。
「絵を見て、どういう人なのかを考えて。どんな声で、どんな言葉を話すのか。そこまで自分でたどり着ける人がいいです」
「神代様の中には、答えがあるんですか」
「……あると思います」
「思います?」
黒瀬さんの眉が、わずかに動いた。
自分でも頼りない答えだとは思う。
「上手く言葉にできないんです。クールだけど、冷たいわけじゃない。静かだけど、人を突き放す感じでもない」
指先で、三面図の端を軽く押さえる。
「低い声が合う気はしています。でも、低ければ誰でもいいわけじゃない」
「それでは、審査基準としては曖昧すぎます」
「なので、最終候補までは皆さんに選んでほしいんです」
演技力も、配信者としての適性も、俺には判断できない。
そこを分かったふりはしたくなかった。
「皆さんが、誰を選んでも活動できると思う人まで絞ってください。その中にこの子の声があれば、たぶん聞けば分かります」
「たぶん、ですか」
「はい」
黒瀬さんは、すぐには何も言わなかった。
エグゼクティブプロデューサーらしい答えではないのかもしれない。
けれど、分からないものは分からない。
まだ聞いたことのない声の正解を、先に説明することはできなかった。
「分かりました」
黒瀬さんが資料へ書き込む。
「一次選考は、三面図と最低限のプロフィールのみを提示。性格欄は空白。指定台本は用意せず、応募者がマリナを表現した1分以内の音源を提出する形式にします」
「ありがとうございます」
「ただし、募集要項には最低限の説明が必要です。『添付資料から人物像を解釈し、自由に音声表現を行ってください』と記載します」
「それでお願いします」
「性格設定を意図的に伏せていることも、応募者には説明しないんですね」
「はい」
思わず少し笑った。
「答え合わせは、審査の場でやりたいので」
「答えを説明できないのに、答え合わせはできるんですか」
「……聞けば、たぶん」
また同じ言葉になった。
黒瀬さんは小さく息を吐いたが、それ以上は言わなかった。
「一次通過者には、二次選考として実技審査を行います」
配信運営担当が進行案を開いた。
「指定台詞、簡単な質疑応答、フリートーク。この3つを予定しています」
内容を聞きながら、少し引っかかった。
「それだと、まだ声優のオーディションに近くないですか」
「近い、というのは?」
「声を当てる人だけを探してるわけじゃないですよね」
俺は矢野くんを見る。
「選考用に、簡単なLive2Dモデルを作ることってできますか」
「できます」
ほとんど考えずに答えが返ってきた。
「完成版じゃなくて、顔と口と、最低限の表情が動くくらいでよければ。二次審査までには間に合います」
「それを、応募者に動かしてもらいたいです」
黒瀬さんが俺を見る。
「オーディションで、ですか」
「はい。実際に画面の中へ入ってもらった方が分かると思います」
俺は三面図へ目を戻した。
「この子の声を出せるかだけじゃなくて、この子として画面の前にいられるかを見たいです」
配信運営担当が、資料へ何かを書き加えていく。
「では、模擬配信形式にしましょう。簡単な自己紹介とフリートーク。それから、こちらで用意した仮のコメントへ反応してもらう」
「いいと思います」
「1人あたり5分程度でしょうか」
「十分です」
そこまで聞いたところで、もう1つ思いついた。
「あと、途中でモデルを止めてみませんか」
全員の手が止まった。
「……止める?」
「はい。顔の動きが反映されなくなるとか、口だけ動かなくなるとか」
「意図的にトラブルを起こすということですか」
「そうです」
プロモーション担当が困った顔をした。
「応募者には酷ではありませんか。本番の審査中に、急にモデルが止まるんですよね」
「酷だと思います」
「認めるんですか」
「はい」
酷ではある。
ただ、準備してきたことだけを上手く出せる人を選びたいわけでもなかった。
「なぜ、そこまでする必要があるんですか」
黒瀬さんに尋ねられ、少し考えた。
「演じている間は、みんな準備してきたものを出すと思うんです」
「当然でしょう」
「でも、予定外のことが起きたら、準備してきたものが一度崩れますよね」
「崩れたところを見たいと?」
「その後です」
自分でも、何を見たいのか完全には分かっていない。
けれど、崩れた瞬間そのものではないことだけは分かった。
「崩れたあとに、どう戻ってくるのかを見たいです」
「どんな反応が正解なんですか」
「分かりません」
即答すると、妙な沈黙が落ちた。
「分からないんですか」
「はい」
「それでは審査にならないでしょう」
「上手い冗談を言える人がいいのか、落ち着いて説明できる人がいいのか。それは俺にも分かりません」
紙の上のマリナを見る。
普段は落ち着いていて、静かに周囲を見ている。
けれど、何が起きても完璧に振る舞える人ではない気がする。
「演技が外れたときに、その人の何が出るかを見たいんです」
「何が出るか」
「慌てるのか、黙るのか、誰かに助けを求めるのか。それでも、画面の向こうにいる人へ話しかけようとするのか」
言葉にしても、まだ輪郭しかなかった。
「たぶん、見れば分かると思います」
黒瀬さんは、しばらく俺の顔を見ていた。
「条件を付けます」
「はい」
「全員に同じ形で実施すること。トラブルへの対応だけで合否を決めないこと。応募者を必要以上に混乱させないよう、停止時間も短くします」
「分かりました」
「モデルの不具合は、数秒間のトラッキング停止程度に留めます。音声は切りません」
「それでお願いします」
黒瀬さんが配信運営担当へ視線を向けた。
「進行案を作ってください。復旧の合図と、審査員側の対応も統一します」
「承知しました」
「あの」
それまで黙っていた矢野くんが手を挙げた。
「二次審査、見学させてもらうことってできますか」
「理由を伺っても?」
「声が決まってからモデルを作ると、詰められる部分が減るので」
いつもより少し速い口調だった。
「喋り方の癖とか、口の開き方とか、笑うときの間とか。首をよく傾ける人なのか、目を細めて笑う人なのか。先に見ておけば、その人に合わせて動きを作れます」
やはりこの人は、自分のことより、作るものの話になるとよく喋る。
言い終えると、矢野くんは視線を落とした。
「……駄目ならいいです」
「いえ」
黒瀬さんが首を振った。
「席を用意します」
「ありがとうございます」
矢野くんは小さく頭を下げた。
会議の終わりに、黒瀬さんが今後の日程を確認した。
「募集開始は来週。応募期間は2週間です。その後、一次選考と通過者への連絡を行い、二次オーディションは今日から4週間後を予定しています」
4週間後。
そのときには、俺が最後の1人を選ばなければならない。
テーブルには、応募者へ渡す予定のプロフィールが1枚残されている。
20歳。
160cm。
7月11日生まれ。
A型。
フリーランスのデザイナー。
数字と事実だけが並び、その下にある性格欄だけが空白になっている。
俺の中には、マリナの輪郭がある。
クールだけど、冷たくない。
静かだけど、突き放さない。
低い声が似合う。でも、ただ低いだけでは違う。
そこまでは分かる。
その先を、どう言葉にすればいいのかは分からなかった。
だから、空白のまま渡す。
こちらが答えを教えて、そのとおりに演じてもらうのではなく、何も知らないままこの子を見て、俺と同じところへたどり着く人を探す。
もしかすると、俺がまだ知らないところまで連れていってくれる人を。
全員が資料をまとめ始めたところで、俺は黒瀬さんへ声をかけた。
「すみません、黒瀬さん。俺、一度福岡に戻ります」
「ええ。東京には3週間滞在されていたんでしたね」
「事務所をずっと空けていたので、向こうの仕事も溜まっていて。細かい作業を全部お任せする形になってしまって、申し訳ありません」
「それはこちらの仕事です」
黒瀬さんは、手元の資料を揃えた。
「神代様は出資者であり、この企画のエグゼクティブプロデューサーです。応募の受付や選考の準備といった実務は、我々に任せてください」
「ありがとうございます」
「ただし」
席を立ちかけた俺を、黒瀬さんが呼び止めた。
「二次オーディションまでに、答えは考えておいてください」
「……答え」
「あなたが何を見つけたら、『この人だ』と思うのかです」
4週間。
それだけあれば答えが見つかるのかと聞かれても、分からない。
今の俺にあるのは、輪郭だけだった。
「考えてみます」
そう答えて、席を立つ。
「矢野くんも、モデルの方よろしくね」
「はい」
俺はテーブルの上のマリナをもう一度見てから、会議室を出た。




