↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
売れない声優の私が、なぜか大富豪に見初められました。  作者: つきしろえにし
第一章 それぞれの選択
PR
12/45

第12話「聞いていない!!」

今回は少し長めです。

お時間のあるときに、暇つぶしにでも読んでいただければ嬉しいです。

約束の時間の五分前、受付から内線が入った。


「神代様がお見えです」


「お通ししてください」


 私は資料を揃えて立ち上がった。


 三週間と言っていた東京滞在も、そろそろ終わりに近い。企画を受ける旨は先週のうちに伝えてある。今日は、正式な顔合わせの場だった。


 制作担当とプロモーション担当に加え、経理と法務の担当者にも同席させている。


 今後の実務を担う二人の紹介だけでなく、先週の会議で残した費用と権利の扱いも、今日ここで整理する予定だった。


「あ、それと」


 受付の声が続いた。


「お連れ様が、もう一名いらっしゃるのですが」


 私は手を止めた。


「……何名でお通ししますか」


「二名で」


 そう答えて、受話器を置いた。


 聞いていない。



 会議室に入ってきたのは、確かに二人だった。


 一人は神代。スーツも仕草も、前回と変わらない。


 その後ろに、もう一人。


 痩せた男だった。三十代半ばくらいだろうか。ジャケットは着ているが、どこか借り物めいて見える。髪も伸びかけのまま、あまり整えられていない。


 目が合わない。というより、こちらを見ていなかった。部屋へ入るなり、隅に置かれた機材ラックへ目を向けている。


「お世話になります」


 神代が頭を下げた。


 私は営業用の笑みを作る。


「こちらこそ、お待ちしておりました」


 それから、視線を隣へ移した。


「……そちらは?」


「あ、はい」


 神代はまったく悪びれずに答えた。


「モデラーの矢野さんです。動かす人がいた方が早いと思って、連れてきました」


「矢野です」


 男が小さく頭を下げる。


 名刺を出そうとして鞄の中を二度探り、諦めたように手を引っ込めた。


「……すいません。持ってなくて」


「いえ」


 私は名刺を受け取るために差しかけていた手を戻した。


 隣で、制作担当が身を乗り出している。


「あの、失礼ですが」


 いつもより少し高い声だった。


「矢野ユタカさん、ですか?」


 男が顔を上げた。


「はい」


「えっ」


 制作担当がこちらを見た。明らかに目を見開いている。


「黒瀬さん、あの矢野さんです。朝比奈ルルのモデルを作った人ですよ」


「ああ」


 プロモーション担当も声を上げた。


「あの髪の。すごいって話題になったやつ」


 二人が同時に話し始める。


 矢野は視線を落としたまま、「はあ」とだけ返していた。


 私は資料を持つ手に、少しだけ力を入れた。



 モデラーの選定は、本来こちらの仕事だ。


 制作の座組みを組み、外注先を決めるのも、事務所の裁量に属する。


 先週の社内会議で、神代との窓口は私が引き受け、現場へ直接指示はさせないと決めたばかりだった。


 だが、その方針を本人へ伝えるより先に、外部の職人が一人、もう連れてこられている。


 順序が違う。


 ただし神代は、Nexus Liveの現場へ指示を出したわけではない。自分でモデラーを探し、その本人を連れてきただけだ。


 こちらが引こうとした線を越えたのではない。


 線を引く前に、その向こう側まで走っていた。


 私は横目で制作担当を見た。まだ矢野に話しかけている。この人が今どれだけ興奮しているか、長い付き合いなのでよく分かった。


 矢野ユタカという名前は、私も知っている。数年前からフリーで活動し、大手からの依頼も断っていると聞く。うちの規模では、まず捕まらない相手だった。


 その人間が今、目の前で借り物めいたジャケットを着て座っている。


 筋を通してほしいと言ったところで、では断るのかという話になる。


 断る理由が、またひとつもなかった。



「では、始めさせていただきます」


 私は座り直した。


「先週お伝えしたとおり、弊社として、この企画を正式にお受けいたします」


「ありがとうございます」


 神代が頭を下げた。


「まず、今後の進行についてご説明します。応募の受付、一次審査、そこから最終候補までの絞り込みは、弊社が主導します」


「はい」


「実務の窓口は、この二人です。制作面とプロモーション面で分けています」


 二人が順に頭を下げた。


「それと、企画上の位置づけですが」


 私は神代を見た。


「この企画のエグゼクティブプロデューサーは、神代様ということになります」


「エグゼクティブプロデューサー」


 神代が、その言葉をゆっくり繰り返した。


「あの、アニメとか映画の最後に流れるやつですか?」


 私の手が止まった。


 制作担当が、小さく息を吸うのが聞こえる。


「……表記としては、そうなります」


「へえ」


「企画全体の責任者です」


 私は少し姿勢を正した。


「予算と方向性に関わり、デザインとキャスティングについて最終承認を行う。その立場を、神代様に担っていただきます」


「なるほど」


 神代はテーブルへ目を落とした。


 深く考えている顔ではない。


 そういうものか、と受け止めているだけに見えた。


「そのうえで、一点」


 私は続ける。


「最終的に、どなたにこの子を演じていただくか。その決定は、神代様にお願いしたいと考えています」


 神代が顔を上げた。


「……いいんですか?」


「はい」


「俺、素人ですけど」


「存じています」


 私は声を変えなかった。


「最終候補までは、こちらで責任を持って絞ります。誰を選ばれても、タレントとして成立する方だけを残す。その中から、この子に誰の声を入れたいかを決めていただきたい」


 神代は黙って聞いていた。


「数字や実績だけでは測れない部分があります。この子を作った神代様の判断を、最後は信じます」


 しばらく、沈黙が落ちた。


 神代はテーブルの一点を見つめたまま、動かなかった。


「……分かりました」


 それまでより、少し低い声だった。


「しっかり選びます」


 私は何か言おうとして、やめた。


 言葉が見つからなかった。


 この人は、ついさっきまで自分の肩書きの意味すら知らなかった。それが今、人ひとりの人生に関わる決定を任され、初めて表情から軽さが消えている。


 何を考えたのかは分からない。


 ただ、その重さを受け取ったことだけは分かった。



「あの」


 沈黙を破ったのは、矢野だった。


「絵、出していいですか」


「どうぞ」


 神代が頷く。


 矢野は鞄からタブレットを取り出し、テーブルの中央へ置いた。



 画面を見て、私は言葉を失った。


 深紅の髪。黄金色の瞳。黒いチョーカー。


 三方向から描き起こされている。


 先週見たものと、同じ子だった。


 同じ子のはずなのに、もう別物に近い。


「……これは?」


「描き直してもらいました」


 神代があっさり答えた。


「AIのままだと動かすのに向かないと言われまして。元の印象は変えないようにお願いしています」


 制作担当がタブレットを引き寄せた。


 指で拡大し、戻し、別の資料へ切り替えていく。色番号の一覧。瞳の拡大図。チョーカーの展開図。


「……これ、どなたが?」


「雨宮トワさんです」


 答えたのは矢野だった。


 制作担当の手が止まる。


「雨宮トワさん?」


「はい」


「『群青』の?」


「そうです」


 部屋が静かになった。


 プロモーション担当が、小さく口を開けたまま画面を見ている。


 私は膝の上で指を組んだ。


 先週、私たちは会議室で、生成AIの三面図をそのまま制作には使えないと判断した。元の印象を残したまま、プロに描き起こしてもらう必要がある、と。


 その説明を、私は今日これから神代へするつもりだった。


 だが、必要だった工程は、すでに終わっている。


 一週間の間に、目の前の男は業界でも名の知られたモデラーを見つけ、その紹介で第一線のイラストレーターへ描き直しを頼んでいた。


 こちらには、一言もないまま。


「素晴らしいと思います」


 私はそう言った。


 実際、そう思った。



「では、最後に契約と費用の扱いについて確認させてください」


 私は法務担当へ視線を送った。


「まず、キャラクターの権利についてです」


 法務担当が資料を開く。


「雨宮トワさんが描き直したデザインと、矢野さんが制作するモデルの著作権を、どなたが保有する形にするか。神代様のお考えを伺えますか」


「雨宮さんと矢野くんには、こちらから報酬を支払っています」


 神代が答える。


「なので、権利もNESTにあると思っていたんですが」


「報酬をお支払いしただけでは、著作権は移転しません。譲渡について、別途契約を結ぶ必要があります」


「そうなんですか」


 神代は目を瞬いた。


 それから、隣へ顔を向ける。


「矢野くん。マリナのモデルの著作権、NESTへ譲ってもらう形で大丈夫?」


「いいですよ。報酬も十分いただいてますし」


 矢野は、ほとんど考えずに答えた。


「では、正式な契約書はこちらで用意します。必要な修正や衣装追加、将来の立体化などを行える範囲も、契約の中で整理します」


「お願いします。雨宮さんにも確認します」


 神代はスマートフォンを取り出し、その場でメールを送った。


 法務担当が次の資料を用意している間に、テーブルの上でスマートフォンが震える。


「雨宮さんも大丈夫だそうです。契約書ができたら送ってください、と」


「……早いですね」


「仕事中じゃなかったみたいです」


 神代は何でもないことのようにスマートフォンを伏せた。


 矢野は、報酬を十分にもらっていると言った。

 雨宮トワも、ほとんど迷わず了承している。


 一体、いくら払ったのだろう。


 聞くべきことではない。少なくとも、今この場で確認する議題ではなかった。


 二人が良いと言うなら、問題はない。


 私は浮かんだ疑問を胸の内にしまった。


「著作権をNESTへ集約すること自体に、弊社から異論はありません」


 法務担当が続ける。


「ただし、弊社が演者の選考、育成、配信管理、営業まで担う以上、契約期間中の独占的な利用権は必要です」


「独占的な利用権?」


「契約期間中、マリナを弊社以外の事務所で活動させたり、弊社の承諾なく第三者へ利用させたりしない、ということです」


 私は言葉を引き継いだ。


「明日、別の会社へ移しますと言われてしまえば、こちらも事業として動けません。神代様を疑っているわけではありませんが、互いのために契約へ残しておきたいんです」


「そんなことはしませんよ」


 神代はすぐに答えた。


「でも、契約にしておくべきなのは分かります。活動中の運営は、Nexus Liveさんへお任せします」


「配信、宣伝、企業案件、イベント。モデルの調整や衣装追加に必要な外部委託についても、運営上必要な範囲で弊社が行える形にします」


「はい。ただ、グッズについては別にしてください」


 神代が言葉を挟んだ。


「どのような商品を出すのか、権利者であるNESTにも事前に確認をお願いします」


「NESTの承認を得たうえで、商品化を進めるということでしょうか」


「はい。俺からグッズの企画案を出すこともあると思います。その場合も、こちらだけで勝手に進めず、Nexus Liveさんへ相談します」


「双方の事前承認を必要とする形ですね」


「それでお願いします」


 法務担当が資料へ書き加える。


「活動終了後の扱いはいかがしますか」


「過去の配信を残すのは構いません」


 神代は少し考えてから続けた。


「ただ、活動終了後に新しく配信したり、商品を出したりする場合は、NESTへ確認してください」


「販売中の商品の在庫や、すでに進行している案件については、一定の猶予期間を設けさせてください」


「それも大丈夫です」


 法務担当が頷き、手元の資料へ書き込んでいく。


「次に、費用の支払いについて確認します」


 今度は経理担当が口を開いた。


「弊社が制作窓口となって見積もりと発注内容を取りまとめ、契約名義と請求先はNESTとする形でよろしいでしょうか」


「はい。キャラクターデザイン、モデル制作、衣装追加など、マリナそのものにかかる費用は、Nexus Liveさんを窓口にしてNESTが負担します」


 神代は迷わず答えた。


「日常的な配信管理や営業、人員にかかる費用は、弊社で負担するという認識でよろしいでしょうか」


「はい。そちらまで全部こちらで持つつもりではありません」


「承知しました」


「発注前の見積書と、支払いに必要な請求書は、なるべく早めに俺へ送ってください。そちらで立て替えが発生した場合は、領収書を添えてもらえれば、すぐに精算します」


 経理担当が頷き、ペンを持ち直す。


「それから、収益の配分ですが」


「配信の広告収入、スーパーチャット、企業案件については、演者さんとNexus Liveさんで分けてください。俺の取り分は要りません」


 制作担当とプロモーション担当が、ほとんど同時に顔を上げた。


「神代様の取り分を、設けないということですか」


「はい」


「マリナの制作費をご負担いただいたうえで?」


「その分、演者さんの比率を高くしてほしいです」


 神代は指を二本、テーブルへ置いた。


「俺の希望は、演者さんが七で、御社が三です。難しければ六対四でも構いません。どちらにしても、演者さんの方を多くしてください」


 経理担当が私を見る。


 通常なら、その場で決められる話ではない。


 ただ、マリナそのものにかかる費用をNESTが負担し、そのうえ配信収益を要求しない。条件として、こちらに不利なものではなかった。


「プラットフォーム手数料や決済手数料などを差し引いた後の入金額を、分配の対象とする形でよろしいですか」


「それでお願いします」


「企業案件については、内容ごとの直接経費を確認し、同じ比率を基本として契約案を作成します」


「はい」


「では、グッズの収益についてはいかがでしょうか」


 神代の表情が、わずかに変わった。


「製造費や販売手数料、保管費、発送費などの必要経費を売上から先に精算して、その後に残った純利益の七十パーセントをNESTがいただきます」


 経理担当のペンが止まった。


「七十パーセント、ですか」


「はい」


「それは、さすがに……」


 経理担当が言葉を濁し、こちらへ視線を向ける。


「商品企画や製造会社との調整、販売管理、在庫管理は、弊社が担うことになります。残りの三十パーセントから演者への還元も行うとなると、弊社側の取り分が少なすぎます」


「分かっています」


 神代はすぐに答えた。


「ただ、マリナのデザインやモデル、今後の衣装追加にかかる費用はNESTが負担します。それに、配信の広告収入やスーパーチャット、企業案件について、こちらは取り分を求めません」


「ですが、純利益の七十パーセントは、条件として受け入れるのが難しいです」


 神代は黙った。


 指先で、テーブルを一度だけ叩く。


「では、六十パーセント」


「神代様」


「これ以上は譲れません」


 それまで穏やかだった声が、初めて明確に相手を遮った。


「配信で生まれる利益は、演者さんと御社で分けてください。その代わり、マリナというキャラクターを使って生まれた利益については、権利者であり、費用を負担するNESTにも相応の取り分が必要です」


 経理担当が私を見る。


 六十パーセント。


 決して軽い数字ではない。


 だが、NESTがマリナの制作費を負担し、配信収益を要求しないことまで含めて考えれば、一方的な条件とも言い切れなかった。


「……純利益の六十パーセントをNESTへ。残りの四十パーセントを、弊社と演者で分配する形ですね」


「はい」


「必要経費の範囲と精算時期、在庫の扱いについては、契約書に明記させてください」


「お願いします」


 経理担当が、最後の一行を書き加えた。


 五億円を出資し、マリナそのものにかかる費用も負担する。

 配信で生まれる利益は演者と弊社へ譲りながら、成功した場合にNESTが回収できる道筋だけは、きちんと残している。


 神代という男は、飄々としているようでいて、肝心なところだけは確実に押さえてくる。

 採算を度外視しているのかと思えば、譲れない線では一歩も退かない。


 何を考えているのか、やはりよく分からなかった。



  * * *



 顔合わせは一時間ほどで終わった。


 二人が立ち上がると、制作担当がすぐに矢野を捕まえ、何かを尋ね始めた。矢野は目を伏せたまま、ときどき早口で答えている。


「神代様」


 私は声をかけた。


「少しだけ、よろしいですか」


「はい」


 廊下へ出て、扉を閉めた。


 神代は、いつもと変わらない顔で立っている。


「矢野さんの件です」


「あ、はい」


「素晴らしい人選だと思います。うちからでは、まず声も届かない方です」


「そうなんですか?」


 本当に知らなかったらしい。


「ただ」


 私は言葉を選んだ。


「制作の座組みは、本来こちらで組ませていただく部分です」


 神代が瞬きをする。


「今後、外部の方へ依頼される場合は、事前にご相談いただけますか」


 少し間があった。


「あ」


 神代の表情が変わった。


「すいません。そうですよね」


 あっさりと頭を下げる。


「いい人だったので、つい」


「……はい」


「今後は気をつけます」


 私は頷いた。


 それ以上、言うことがなかった。


 言えることもなかった。



 二人を見送ってから、私は会議室へ戻った。


 テーブルの上に、三面図のコピーが一枚残っている。


 深紅の髪の女の子が、静かにこちらを見ていた。


 この一週間で、この企画は私の知らないところで二度動いた。


 一度は、矢野ユタカを見つけたこと。


 もう一度は、雨宮トワにデザインを描き直してもらったこと。


 どちらも、先週こちらが問題として挙げた部分を、先回りして解決している。


 だから止められない。


 止める理由がない。


 ふと、思った。


 神代にとって、Nexus Liveはマリナを世に出すための器なのかもしれない。


 こちらを軽く見ているわけではない。むしろ、任せるに足ると判断したからこそ、あれだけの金を出したのだろう。


 それでも、あの人が見ているのは会社ではない。


 その向こうにいる、まだ声を持たない少女だけだ。


 もしこちらが断っていたとしても、きっと別の場所を探していた。


 本人は、そんなふうに考えたことすらないのかもしれない。


 あの人は、たぶん次も同じことをする。


 悪気がないからだ。


 だからこそ、止めにくい。


 胃のあたりが、少し重くなった気がした。


 私は資料を閉じ、会議室の電気を消した。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。