第10話「人の手」
第九話 職人
教えられた住所は、駅から十分ほど歩いたところにあるマンションだった。
築年数はそれなりに見える。エントランスに管理人はいない。
部屋番号を押すと、しばらく間があってから、低い声が返ってきた。
「……はい」
「神代です。メールした」
「……ああ、どうも」
自動ドアが開いた。
通されたのは、六畳ほどの部屋だった。
カーテンは閉まっている。昼過ぎなのに照明がついていた。
机の上にモニターが二台。手前に液タブ。足元には資料の束が積み上がっていて、床が半分ほど見えない。
部屋の隅に、飲み終わったペットボトルがまとめて置いてあった。
「どうぞ」
矢野は椅子を一つ引いて、自分は作業椅子に座った。
三十代の半ばくらいだろうか。痩せていて、髪は伸びかけのまま放ってある。
目は合わなかった。
「わざわざ、すいません」
「いえ」
それきり黙った。
俺は部屋を見回した。矢野はモニターの方を向いている。何かを待っている風でもない。
こういう間が苦手な人間は多いと思う。
俺は特に困らなかった。工場のラインで十年やっていると、隣の人間と一言も喋らない八時間くらい平気になる。
しばらくして、矢野が口を開いた。
「……メールにも書きましたけど」
「はい」
「これ、AIですよね?」
俺は少し笑った。
見る人が見れば、分かるものらしい。
「そうです。画像生成AIで作りました」
矢野の手が止まった。
初めてこちらを見た。一秒ほどで、また視線が下がる。
「三年ほど前に、暇だったので触ってみて。それから少しずつ直してきました」
「三年」
矢野は三面図へ目を落とした。
「……ちょっと、いいですか」
そう言って、キーボードを叩き始めた。
モニターに入力欄が表示される。
矢野は短い文章を打ち込んだ。俺には読み取れないくらい速かった。
数秒待つと、画像が四枚並んだ。
全員、若い女性だった。髪の色は違う。服も違う。
俺は身を乗り出した。
「……あ」
顔が、同じだった。
目の大きさ。鼻の位置。輪郭の落ち方。全部そろっている。
「こうなるんです」
矢野は淡々と言った。
「みんなが可愛いと思う顔を集めて、真ん中を出してくるので」
俺は四枚を順番に見た。どれも整っている。どれも悪くない。
どれも、記憶に残らない。
「神代さんの子も、たぶんこの中に入ります」
言われて、俺は三面図を思い浮かべた。
髪の色と、目の色と、チョーカー。決めたのは全部そこだった。
顔そのものは、いじった覚えがない。
「……そうかなあ」
俺はそう言った。
「俺は可愛いと思うけど」
「可愛いですよ」
矢野はあっさり頷いた。
「可愛いんですけど、平均なんです」
平均。
「VTuberって、今もう何千人もいるんで。三ヶ月経って覚えてもらえるかどうかで」
矢野は椅子を少し回した。
「破綻がないことって、そんなに強くないんですよ」
そこから先は、技術の話になった。
線が繋がっていないところがあること。髪の重なりが物理的に成立していないこと。パーツごとに切り分けようとすると、下に何もないので描き足すしかないこと。
その描き足しは結局、人が描くことになる。
「だったら最初から、人に描いてもらった方が早いです」
矢野はそう締めた。
怒っている風ではなかった。単純に困っている顔だった。
俺はしばらく黙っていた。
自分が三年かけていじってきたものが、専門家の目には三分で問題点が並ぶ程度のものだったらしい。
悔しいとは思わなかった。
もともと俺は何も作れない。それは知っている。
「わかりました」
俺は頷いた。
「じゃあ、人に描き直してもらいます」
「はい」
「ただ」
矢野が顔を上げかけた。
「デザインは変えないでください」
俺は三面図の紙をテーブルに置いた。
「髪の色も、目の色も、チョーカーも。この形のままでお願いします」
矢野はしばらく紙を見ていた。
「……描き起こしになりますね」
「それで構いません」
「はい」
それ以上、何も聞かれなかった。
「心当たり、ありますか」
俺が聞くと、矢野は少し考えてから答えた。
「一人います。仕事が早い人で」
「助かります」
「雨宮トワさんっていうんですけど。……たぶん、ご存じないと思います」
「雨宮トワ」
どこかで見た名前だった。
数秒で出てきた。
「群青のフラグメントの人ですか」
矢野の動きが止まった。
「……知ってるんですか」
「知ってますよ。三期までやったやつでしょう」
「そうです」
「あれ、二期の後半が良かったですよね。主人公が海に落ちるとこ」
「……あそこ、原画も回してました」
「マジですか」
俺は思わず前に出た。
「あの回、めちゃくちゃ良かったですよ。特に水の中で目を開けるカット」
矢野は口を少し開いたまま、何度か瞬きをした。
「……あの、そこ、褒められたことないです」
「なんでですか。一番いいとこじゃないですか」
「……はあ」
矢野は視線を下げた。
「僕、あれ観てこの仕事入ったんで」
ぼそりと言った。
「専門通ってる時に一期がやってて。それで」
一期。俺が工場にいた頃だ。
この人はあの頃、まだ学校にいたらしい。
耳のあたりが少し赤くなっているように見えたが、部屋が暗いのでよくわからなかった。
「雨宮トワさんとは、何度か組んでます」
少し経ってから、矢野が言った。
「あの人の絵で、アバターを作ったこともあるので」
「アバター」
俺はそこで止まった。
嫌な予感がした。というより、たぶん当たっている予感がした。
「それって」
鞄からノートパソコンを出して、開いた。
ブックマークの中から、一つ選んで再生する。
画面の中で、女の子が振り向いた。
「これですよね」
矢野が身を乗り出した。
「これです」
「これ見て、矢野さんに連絡したんですよ」
俺は再生位置を少し戻した。
「この髪の動き、すごいですよね。振り向いた時に、遅れて追いついてくるやつ」
矢野が息を吸った。
「そこ揺れ戻り入れてるんですよ止まる直前に一回だけ逆に戻してるんです物理演算そのまま当てると綺麗に止まりすぎて嘘っぽくなるんで減衰のカーブを手で描き直してて毛先だけ別レイヤーに切って遅延かけてるんですけど根本と毛先で速度差つけすぎると今度は毛が生き物みたいになるんでそこの塩梅が難しくて」
矢野の口が止まらなくなった。
さっきまでぼそぼそ喋っていた人間と、同じ声とは思えない速さだった。
「あとこの子ポニーテールなんで揺れる方向が一方向に偏るんですよ横向いた時に髪が体に埋まるんで当たり判定を三段階に分けてるんですけどそれやるとフレーム落ちる環境が出てくるんで軽い方の設定も別で作ってて配信環境によって切り替えられるようにしてます」
「はあ」
「あとまばたきです。まばたきって閉じる速さと開く速さ違うんですよ人間って。閉じるのは速くて開くのは遅いんです。そこ同じにすると全部人形になるんで」
「なるほど」
「なるほど?」
矢野がこちらを見た。
「わかってます?」
「半分もわかってないです」
俺は正直に答えた。
矢野は数秒黙ってから、目を伏せた。
「……すいません。喋りすぎました」
「いや」
声のトーンが元に戻っていた。
落差がすごい。
話が一段落したところで、俺は本題を出した。
「それで、この子なんですけど」
「はい」
「絵ができたら、動かしてもらえませんか」
矢野はしばらく黙っていた。
「……絵、見てからでいいですか」
「もちろんです」
「すいません。見ないと決められないので」
「わかります」
俺は頷いた。
そういうものだろうと思った。
「雨宮トワさんには、僕から話しときます」
矢野が立ち上がりながら言った。
「あの人、人と会わないんで。データだけでやります」
「会わない?」
「はい。打ち合わせも全部メールです」
あっさりしたものだった。
この人にとっては、それが普通なんだろう。
* * *
データが届いたのは、それから三日後だった。
ホテルの部屋でノートパソコンを開いて、添付ファイルを落とす。
本文は二行しかなかった。
――ご確認ください。修正があればお知らせください。
名前も名乗っていなかった。
俺はファイルを開いた。
三面図だった。
正面。側面。背面。
髪の色は変わっていない。目の色も変わっていない。チョーカーもそのままだった。
全部、俺が指定した通りだった。
なのに、別物だった。
髪の一本一本に流れがある。肩の落ち方に重さがある。シャツが体に沿って、沿いきらないところで少し浮いている。
俺が三年かけていじってきたものは、こういう風には見えなかった。
どう違うのかは、うまく言えない。
ただ、目の前のこれは、こちらを見ていた。
俺はしばらく画面から動けなかった。
資料には他にも何枚か入っていた。
色番号の一覧。顔のアップ。瞳の拡大図。
チョーカーだけを取り出した図面まであった。金の意匠の寸法と、留め具の位置と、広げた状態の展開図。
俺が「なんとなくかっこいいから」で置いたものに、全部理由がついていた。
この人の顔を、俺は知らない。
声も聞いていない。年齢も性別も知らない。
メールが二行来ただけだ。
俺は椅子にもたれて、もう一度画面を見た。
髪も、目も、チョーカーも、全部俺が決めたものだ。
その通りの形のまま、俺には一生描けないものになっていた。
人の手が入ると、こうなるのか。
この後、矢野がこれを動かす。
そこに声が乗る。
まだ良くなる。
俺は画面を閉じずに、しばらくそのままでいた。
* * *
三日後、俺はまた同じマンションに向かった。
部屋は前と変わらなかった。カーテンは閉まったままで、ペットボトルが一本増えていた。
「データ、来ました」
俺がそう言うと、矢野は無言で椅子を回した。
USBを受け取って、モニターに映す。
部屋が静かになった。
矢野は画面を見ていた。三面図を順番に送って、顔のアップを開いて、また戻した。
瞳の拡大図のところで手が止まった。
それから、チョーカーの展開図。
俺は黙って待っていた。
一分か、二分か。
矢野が椅子から立ち上がった。
「僕、これ、動かしてみたいです」
声が裏返っていた。
俺は思わず笑った。
「お願いします」
「ポニーテールいけますこれ。根本の位置が高いんで振り幅取れますし毛先の束が三つに分かれてるんで遅延をずらせます。この人わかってて描いてるんですよ動かす前提で描いてるんです。ここのシャツの浮きも肩を動かした時に一緒に動かせるように余白が取ってあるんで」
「はあ」
「あとチョーカーですね。これ固定物なんで普通は動かさないんですけど首を傾けた時にほんの少しだけ遅れさせると生きてる感じが出るんですよ。金のところに光を乗せて角度で反射を変えれば」
矢野は喋りながら、もうタブレットに手を伸ばしていた。
俺は椅子に座り直して、その横顔を見ていた。
この人が動かせば、この子は動く。
三年、モニターの中で止まっていたものが、もうすぐ動く。
「いいねえ、矢野くん」
口から勝手に出ていた。
矢野の手が止まった。
「……くん」
「あ」
俺は少し笑った。
「すいません。つい」
「……いえ」
矢野は目を伏せて、また画面に戻った。
直そうかとも思ったが、やめておいた。
「矢野くん」
「はい」
「よろしくお願いします」
矢野は画面を見たまま、小さく頷いた。
「……はい」
声はまた、ぼそぼそに戻っていた。




