第4話 揺らぐ記憶
これまで穏やかに流れていたアレスの日常に、静かな“歪み”が入り始めます。
理由の分からない胸の痛み。
思い出せそうで思い出せない記憶。
そして今回、ついにその断片が姿を現します。
彼が失ったものは何だったのか。
そして、なぜ今この世界にいるのか。
アレスの「過去」と「現在」が初めて交差する第4話、
ぜひ最後まで見届けてください。
ヴァルフレア家の朝は、相変わらず穏やかだった。
母・エリシアが鼻歌混じりに朝食を並べ、妹・ルナが眠い目をこすりながらアレスの服の裾を引く。
「お兄ちゃん、またぼーっとしてる。また難しい剣のこと考えてるんでしょ!」
「……してない。早く顔を洗ってこい」
ルナを軽くあしらいながらも、アレスの心象風景は、この眩しい光の差す部屋とは裏腹に、じっとりと暗い影に侵食され始めていた。
最近、妙な違和感がある。
胸の奥を突き刺すような、理由のない痛み。
何かを思い出しそうで、思い出せない――指の間から砂がこぼれ落ちるような、もどかしい感覚。
◇
その夜。
アレスは寝付けず、月明かりに照らされた窓辺に立っていた。
(……まただ)
胸の奥が、ゆっくりと熱を帯びる。
あの「熾火」が、脈動に合わせて熱を増していく。その瞬間、アレスの意識は現実の輪郭を失い、深い記憶の淵へと引きずり込まれた。
――気がつくと、そこは“知らない部屋”だった。
いや、知っている。
古びた木の机。安価だが手入れの届いた温かい灯り。生活の匂い。
前世の、孤独だったはずの自分が、唯一「自分」でいられた場所。
(……?)
そこに、誰かがいた。
今の父レオニスではない。けれど、どこか通じる優しさを持った、少し疲れた顔の男。
「無理するなよ。お前は頑張りすぎだ」
その声は、震えるほどに慈愛に満ちていた。
母もいた。エリシアのように柔らかい笑顔を湛えた女性が、甲斐甲斐しく立ち働いている。
そして――。
「お兄ちゃん!」
自分を呼ぶ、小さな妹の声。
今のルナと、声の高さも、無邪気さも、驚くほど重なっている。
(これは……俺の、記憶……?)
幸せだった。前世の自分は、決して「何もなかった」わけじゃない。
この家族がいた。けれど、何らかの理由でそれを見失い、最後は誰の記憶にも残らないまま死んだのだ。
場面がゆっくりと崩れていく。
次に視界を埋め尽くしたのは、白く、冷徹な空間だった。
鼻を突く消毒液の匂い。規則的に響く機械音。
誰かの泣き声が、遠くで重なり、木霊する。
「……行かないで」
「いやだ……目を開けてよ……っ!」
父、母、妹。
絶望に染まった彼らの声が、アレスの魂を抉る。
(ああ、そうか。俺は――)
何かを「終わらせてしまった」喪失感。
大切な人たちの涙すら拭えずに、すべてを放り出して消えてしまった。
◇
「……っ!」
アレスは、激しい動悸とともに目を開けた。
頬を伝うのは、冷たい涙。
けれど、目の前にあるのは静かな、ヴァルフレア邸の自室だった。
(今のは……夢か? いや、違う)
あれは紛れもない“記憶”だ。
今の家族――父レオニス、母エリシア、妹ルナ。
彼らの顔や雰囲気が、あの記憶の家族と重なるのは、単なる偶然なのだろうか。
もし、神様が「やり直し」をさせてくれているのだとしたら。
前世で拭えなかった家族の涙を、今度こそ守り抜けと言われているのだとしたら。
(だとしたら……俺は、あの地獄の炎だって使いこなしてみせる。二度も、大切な奴らを泣かせてたまるか)
アレスは窓の外を見つめ、震える拳を強く握りしめた。
静かな夜だ。何も起きてはいない。
けれど、アレスの直感が告げている。この理不尽なまでに幸福な時間は、そう長くは続かない。
闇の向こうで、自分たちを「無」へと誘う悪意が動き始めている。
「……まだ、分からないな。この力の使い方も、この運命の意味も」
アレスは自嘲気味に呟き、窓から離れた。
その瞳には、かつての「諦め」の色はない。
理性を焼き焦がすような熾火が、暗闇の中で静かに、けれど苛烈に燃え上がっていた。
第4話、ここまで読んでいただきありがとうございます。
今回はアレスの前世の記憶が描かれました。
これまで「ただの転生者」に見えていた彼ですが、
実はしっかりと“守れなかった過去”を抱えています。
そして重要なのは、
今の家族と前世の家族がどこか重なっている点です。
これは偶然なのか、それとも――。
また、アレスが持つ「熾火」の力も、
単なる強さではなく“感情”と強く結びついていることが
少しずつ見えてきました。
この先、彼はその力とどう向き合い、
何を守るために戦うのか。
物語はここから一気に加速していきます。
次回もぜひ楽しみにしていてください。




