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今日も絵を描いている。
描くものは、部屋のデッサンだ。
いや、正確に言うと「この部屋で見えるものすべて」だ。
外の世界なんて知らない。窓もない地下の部屋だし、庭も見えない。だから、描けるのは床、絨毯、ベッド、おもちゃ、壁紙の黄色……そして、インク壺や羽ペンといった日常の小物くらい。
何せ、描いていいものが本当にない。
外の世界を見たことがないはずの私に、想像で描いた「お外の景色」を偽装することもできない。いや、やろうと思えばできるかもしれない。だけど、想像で描いたのだと誤魔化せるようなものが思いつかないのだ。
それでも、描くのが楽しい。手が勝手に動く。
鉛筆を走らせる感触、線を重ねて影を作る感覚、消しゴムで調整する細やかさ。五歳にしては贅沢すぎる道具を、私は一生懸命に使う。
前に、眠っている母を描いたことがある。
その時は、マーリエが泣いた。
泣いたけど、泣きながら「本当に記憶力が良いですね」と褒めてくれた。
私は、描いた絵をただの紙としてではなく、何か手元に置いておきたいと思った。
だから、母の絵と、マーリエの絵は、今も部屋の壁に飾ってある。
寝る前に眺めて、少しだけあたたかい気持ちになる。
そして、自画自賛だが……本当に上手くなったと思う。
線の強弱も影の付け方も、構図も、前世では想像もできなかったレベルだ。
ブランケットのしわひとつ、積み木の影、ベッドの高さのバランス。観察眼が研ぎ澄まされているのが、自分でも分かる。
ぶっちゃけ、このまま練習していけば、画家レベルまでいけるんじゃないかと、本気で思う。
モチベーションが、今までにないくらい湧き上がってくる。
五歳の小さな手でも、世界を切り取ることはできる。
狭い地下の部屋でも、線と影と色で「自分の世界」を作り出せる。
――これは、ただの暇つぶしじゃない。
これは、私がこの世界で自由に生きていくための、小さな訓練でもあるのだ。
私は、鉛筆を握り直し、次の線を紙に落としていく。
部屋の角、壁紙の模様、ベッドの曲線、積み木の積み上げ方――全部、自分の目で見た通りに。
でも、同時に少しだけ想像も混ぜる。
もし、この部屋が外の庭に続いていたら……もし、この光が窓から差し込んでいたら……
紙の上で、ほんの少しだけ自由にしてやる。
描いている間、時間はあっという間に過ぎていく。
やっぱり、絵を描くことは、私にとって「暇つぶし」以上の何かだ。
いや、正確に言うと「暇つぶし」が、世界そのものになっているのかもしれない。




