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「おはようございます、レン様。」
朝の光なんて地下には届かないけれど、マーリエはいつもそう言って起こしてくれる。どこに太陽があるわけでもないのに、彼女の声だけは不思議と“朝”の匂いがする。
この日課も、もう随分と続いている。まだ幼児の体で、歩くのもおぼつかない頃から、マーリエは毎日わたしに話しかけてくれていた。あれか、赤子に話しかけないと言語を覚えられないっていう、あの教育理論みたいなやつだろう。まあ、ありがたいことに違いない。
話す内容は、その日によってまちまちだ。世界に伝わる神々の話とか、昔の英雄譚とか、マーリエ自身の若いころの話とか。とにかく“声を聞かせること”が目的らしく、脈絡はなくても続いていく。けれど、意外と面白い。
この世界では――神様が、思ったよりも身近にいるらしい。
「この大地を支えるのは、世界樹様のお力。根は地の底まで届き、枝は雲を突き抜けるほど高い。すべての生命はその加護のもとにあるのですよ、レン様」
そう言いながら、マーリエは手元の木の枝を振るようにして“世界樹”の形を空中に描いて見せる。
どうやら、世界の中心には本当に世界樹が存在しているらしい。国の建国神話にも関わっていて、この国の王家は“世界樹に選ばれし血筋”なんだとか。つまり、父が仕える王家ってのは、神話の時代から続いてるわけだ。どうりで「悪魔の子」とか言って色々警戒するわけだよな、宗教観が濃い国だ。
神々の数は多い。火の神イグラ、風の女神エリュシア、水の女神メルヴァ、土の神グラン――いわゆる属性神ってやつだ。でもそれだけじゃない。生命を司る神、商いを守る神、旅路を導く神、果ては“寝つきを良くする小神”なんてのまでいる。聞いていて、なんか日本の八百万の神に近いなと思った。あっちは信仰というより習慣に近かったけど、この世界では“実在”してる節がある。
数百年前までは、神が実際に降臨していたそうだ。天界と地上の行き来が完全に断たれる前は、神託や奇跡が日常のようにあったという。今でも神託はたまにあるらしく、神官や巫女を通して神の声が届くらしい。マーリエ曰く、「神の声は暖かくも厳しく、聞いた者の心を真っ二つに割る」とのこと。どんな心理的ダメージだよ、と内心で突っ込む。
過去には“天使”も降りてきたらしい。神の代理人として地上に現れ、罪人に神罰を与えたという。王家の記録書に残っているらしく、その“天罰”の描写は地獄絵図だそうだ。天使のくせに情け容赦なし。翼の輝きの下で、街が一夜にして焼け落ちたとか。……うん、怖いな。
もちろん、その対になる存在――悪魔たちもいた。神が秩序を司るなら、悪魔は混沌を司る。彼らは人間の心を惑わし、時には虐殺し、時には甘い声で取引を持ちかける。神々の“創造”に対する“否定”として存在しているらしい。まるでプログラムのバグみたいだ。
マーリエはそんな話を、まるで昔話のように語る。けれどその声の底には、どこか現実味があった。彼女自身、若い頃に“神託を受けた”人を見たことがあるという。その人は三日三晩、寝ずに何かを呟き続け、四日目の朝に“天に召された”らしい。死因はわからず、ただ体から光が抜けていったのを見たと。マーリエはそれを「神が迎えにきた」と言っていた。
……そういうのを聞くたびに思う。
この世界、思ったより“ファンタジー”がリアルだ。
神がいて、天使がいて、悪魔もいる。で、わたしはその“悪魔の生まれ変わり”扱い。うん、もう笑うしかない。
マーリエが話を終える頃、わたしは彼女の手の中でうとうととしながら考えていた。
もし本当に悪魔ってのがいるなら――いつか話してみたい。どんな気持ちで人間を惑わせるのか、神に敵対するってどういう感覚なのか。
……ま、まずは言葉をちゃんと覚えてから、だな。
マーリエの歌声が、また静かな地下室に満ちていく。地上の朝は見えないけれど、この地下にも確かに一日が始まる。




