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初売り(1/4)



1.

 御用納めの日。軍医学校で教官としての職務を終えた河村は、半年ぶりに東京魔術倶楽部へ顔を出した。

 カウンター席で伊達とチェスに興じていた橘は、河村の姿を見つけると、ぱっと目を輝かせた。

「ずいぶん久しぶりだな。元気にしてたか?」「ええ、誰かさんのおかげで、半年間しっかり勉強できましたよ。」


 河村は外套を脱ぎながら答えた。

「変わってなくて安心したよ。」 

 橘の言葉に、河村はわずかに眉を寄せる。

「変わってますよ。……もう、絶対に厄介ごとには関わりませんからね。」


 そう言いながら、河村は外套をハンガーにかけ、ソファにゆっくりと腰を下ろした。懐かしい感触がした。


「封じ手にしようぜ!」

 橘はメモ用紙に次の一手を書きつけると、それをボーイに渡し、何かを耳打ちした。 

 そしてカウンターを離れ、河村の向かいに腰を下ろす。 

 伊達はしょうがないなという顔で、駒の配置をメモしていた。


「半年間、何をしていたんだ?」 

 橘の問いに、河村は軽く膝を叩きながら天井を見上げた。

「研究ですよ。凍傷の。」

 橘が次の質問に移ろうとしたところで、ボーイがココアを運んできた。

「俺の奢りだ。六月は迷惑かけたからな。」 河村はココアを見て、嬉しさと苦笑が入り混じったような表情で笑った。


「ありがたくいただきます。」

 十二月の寒さで冷えた身体に、甘さがじんわりと染み込む。

「来年も初詣に行かないか?二日はどうだ?」 橘は河村に声をかけたあと、伊達の方に目を向けた。

「ええ、行きましょう。」 

 河村がカップを置きながら応じる。

「すまないが、その日は先約がある。」

 伊達は手帳を確認することなく、即答した。


「じゃあ、今年と同じく、二人で初詣だな。」「待ち合わせは何時でも構いませんが、遅れないでくださいね。」


 河村が、そう言ってテーブルに目を落とすと、誰かが置いた新聞の見出しが、目に留まった。 一年の出来事をまとめた記事である。 

〈満州国建国〉〈東郷元帥の国葬〉〈東北地方の大凶作〉──そんな文字が並んでいた。


 国葬の混乱、再教育、自分に仕掛けられた毒。


 ──終わったはずの出来事が、記事の見出しから立ち上がってくるようだった。

 東北の凶作……実家は大丈夫だろうか。仕送りの額は増やしたが、不安が胸をかすめる。


「来年は明るい年になると良いですね。」

 

 その声は、どこか祈るように響いた。


2.

 一月二日、河村は去年と同じように神田明神で橘を待っていた。 

 待ち合わせ時刻を五分過ぎたころ、橘が姿を現した。


「今年は、ずいぶん早いですね。」

 河村は、意外そうな顔をした。

「目覚ましを三つかけたからな!」

 橘は得意げに胸を張ると、参道の方へと向きを変えた。その時、ごった返す初詣客の中に、見覚えのある後ろ姿が目に入った。──伊達だ。あいつは背が高いから目立つな。ここからでは見えないがおそらく隣には……。


「神田明神はやめとこうぜ。」

 橘は河村の手を引いて、その場を離れた。 

 事情を尋ねられたが、面倒なので「借金取りがいた」とだけ答えると、河村はすんなり納得したようだった。


「湯島天神にしましょうか。」

 河村は北の方を指しながら言った。

「姪っ子の学業成就でも祈るかな。」

 二人は並んで湯島天神へと向かった。

 

 湯島に着くと、河村は真剣な顔で賽銭箱に五十銭を入れた。


 ──今年は厄介ごとに巻き込まれませんように。


「何をお願いしたんだ?」

 社を離れてから、橘が尋ねた。

「橘さんが大人しくしてくれますように、ですかね。」

「なんだよ、それ。」


 橘は御神籤の方をちらりと見てから、河村の顔をじっと見つめた。──目が「引こうぜ」と言っている。


「最近、凶か大凶しか見たことないんですよ。」

「今年は違うかもしれないぜ?」

 河村は小さくため息をついてから、気を取り直すように籤に手を伸ばした。


 失物と住居以外、ろくなことが書かれていない。

「どうだった?」

 橘が手にした『大吉』をひらひらさせながら、覗き込んでくる。

「通常運行ですね。」

 河村は静かに、『凶』の文字を橘に差し出した。


「よし、景気づけに倶楽部で飲もうや。」 

 橘は河村の背中をぽんと叩き、電停へと歩き出した。

 ところが、近くの停留所には妙な人だかりができている。

「電気系統の故障で、復旧にはしばらくかかるらしいぞ。」

 前に並んでいた紳士が、あきらめ顔で列を離れ、歩き出す。


「山手線に乗りますか?」 

 河村はそう言って列を抜け、御徒町方面へと歩き出した。橘も小さく頷き、その後に続く。

 中央通りを歩き、松坂屋の前に差し掛かる。店の前では、初売りに来た客たちが楽しそうに紙袋を抱えている。駅はもう目と鼻の先だ。


「ちょっと小便。すぐ戻る。」 

 橘の声に、河村が振り返った。

「もう少し、我慢できませんか?」

「俺は現地主義なの。」

 そう言って橘は角を曲がり、路地の方へと向かった。

「……変なもの拾ってこないでくださいよ。」「拾うかよ、そんな都合よく──」

 路地に入った橘が、すぐに向きを変えて戻ってきた。

「子供が落ちてるんだけど……」 

 

 河村は「今年もか…」と天を仰ぐのだった。

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