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誘拐(後編)

7.

「質屋に行って、まだ帰ってきていないということは……」 

 伊達はキャンディを抱き上げた。

 「何となくですが、賭場に行っている気がします。」 

 河村の言葉に、伊達は軽くため息をついた。

「脅されて、仕方なくという可能性もあるしな。」


 伊達は腕の中のキャンディを見やった。キャンディは、すでにうとうとと眠り始めている。「賭場が開かれていそうな場所は、いくつか心当たりがありますが……橘さんがいる所となると……」


「梓に連絡を取るか。」


 伊達と河村は近くの駅へ向かい、梓に電話をかけた。橘が質屋に行ったと聞いた梓は、「もう放っておくか」と言いつつも、行きそうな場所を二、三挙げた。


「去年、文士が麻雀賭博で検挙されたろ。直木三十五の追悼麻雀な。あのとき、俺がかなり釘を刺したんだ。家の不名誉になるから賭博はやるな、やるならバレるなって……」


「弁護士の倫理観については、帰ってから話そう。」

 そう言って、伊達は受話器を置いた。


 二人は、梓から聞いた賭場を何軒か回ったが、橘の姿はどこにもなく、手がかりもまるで得られなかった。


「……もう帰りましょうか。だいぶ冷えましたし。この子がいなければ、魔術倶楽部でホットワインでも頂きたいところですね。」


 河村は、伊達の腕の中で眠るキャンディの背をそっと撫でた。その言葉に、伊達がはっとしたように顔を上げた。


「……足がつきにくい……高額……上流階級……」


 二人は顔を見合わせ、同時に声をあげた。


「東京魔術倶楽部!」



8.

 倶楽部の入り口でキャンディを見た支配人は、静かに言った。

「当倶楽部には、小さなご家族をお連れのご婦人方も多くいらっしゃいますので、慣れております。」 

 そう言って、清潔なクッションを敷いた籠を伊達に差し出した。

 伊達はキャンディをそっと籠に入れ、メインホールの扉を開けた。

 

 ホールは煌びやかなシャンデリアの下、真冬とは思えないような熱気に包まれていた。橘はブラックジャックのテーブルで、チップの山を築いていた。


「……橘。」 

 伊達が背後から橘の耳を引っ張った。

「あいたたた。バレたか」

 橘はディーラーに精算の合図を送る。


「せめて連絡を入れてください。心配したんですよ。」

 河村が呆れたように言う。

「悪い、悪い。でもこういうのって流れがあるからよ。途中で手を止めたくなかったのさ。」「何が流れだ。」 

 伊達がもう一度、耳を引っ張った。

「悪い、悪い。訳を話すから、耳を離してくれよ。ちぎれちまう。」


 三人はカウンターに移り、橘はビールを、伊達と河村はホットワインを頼んだ。

「で、どういう事情なんだ?」

 伊達が少し苛立った口調で橘を問い詰めた。河村は何も言わず、静かにホットワインを飲んでいる。

「誘拐自体は、狂言じゃなくて本当にあった。俺、被害者ね。」


 優子を拐おうとしたのは、某華族に雇われている運転手と、その同郷の友人だった。二人は東北の寒村の出身で、昨年の大凶作で友人の家が困窮し、妹の身売り話が持ち上がった。話を聞いた運転手が同情し、身代金目的の誘拐を企てたというのが真相だった。


「話を聞いたら、つい同情しちまってさ。賭けで金を増やそうとしたわけ。」

 橘はジャケットのポケットから札束を取り出し、無造作に数え始めた。


「君は人として間違ってはいないが、いろいろと間違いすぎている。」


 伊達が眼鏡を押し上げ、橘に静かに説教をはじめた。河村はそれを聞きながら、三杯目のワインを空けた。

 伊達の説教がひと段落したところで、橘が口を開いた。


「儲けは四百円。目標まであと二百円か……」


 河村が静かにグラスを置き、ため息をついた。

「明日、久しぶりに制服を仕立てに行こうと思っていたんですよ。普段はこんなに持ち歩きませんが。」

 そう言ってポケットから財布を取り出し、札を抜いてテーブルに置いた。 

 一円札まで合わせて、ちょうど百円だった。


 伊達もうんざりしたような顔をして、財布からすべての札を取り出した。こちらも、ちょうど百円。

「……私は洋書の引き取りだ。広尾の屋敷に戻れば金はある。」


「倶楽部って、ツケ効きますかね……」

 河村が少し困ったように眉をひそめた。

「それくらいは俺が出すよ。」

 橘がすかさず言った。

「では遠慮なく、もう一杯。」

 河村の言葉に、橘はほっとしたように笑った。


「このあと、誘拐犯に金を渡しに行くけど……一緒に来るか?」

 橘が伊達と河村に問いかけた。河村は首を横に振った。

「たくさん歩いて疲れましたし。橘さんが信じてるなら、それでいいでしょう。」

 伊達は少し考えてから口を開いた。

「まぁ、橘は意外と人を見る目はあるからな。しかし、万が一ということもある。それにまだ説教が足りない私はついて行こう。」


 追加のワインを飲み干した河村は、「私はこれで」と言って席を立った。


 店を出ると、冬の真夜中の冷え込みが骨身に染みた。河村は鹿角の実家に思いを馳せる。林檎は不作だったが、自身の仕送りもあって、どうにか生活はできている。けれど、もし来年も同じような天候だったら──。


「この国は、どこに向かうのでしょうか。」 河村は小さくつぶやき、ゆっくりと歩き始めた。 


 月のない空に、少し雲がかかりはじめていた。

話がだぶっていました。ご指摘ありがとうございました!

好きぃぃぃ。

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