第23話 干し魚の香りに、海を目指す
乾物屋の店先には、魚の腹を開いて干したものが、木箱ごとに並べられていた。
銀色の皮が残る小魚もあれば、掌ほどの身を硬く乾かしたものもある。誠吾が足を止めたのは、薄い飴色になった小魚の箱だった。腹がきれいに取り除かれ、乾いた身の奥に脂の艶が残っている。
「米を売っている商人から、こちらを教わりましてね。旅中華の火輪という料理店をやっている、セイゴです」
箱を拭いていた女主人が顔を上げた。
「昨日、鳥の飯を炊いた店だね。あの人が魚を買いに来たとき、話していたよ。米を売る先まで見つかったと喜んでいた」
「俺も朝飯を分けてもらいました。魚の塩気が米と豆に移って、うまかったですよ」
女主人は箱の端から1枚取り、誠吾へ渡した。指でつまむと、身にはまだわずかな柔軟さがある。《食材眼》で状態を確かめ、鼻へ近づけると、乾いた魚の香りに、川魚とは違う匂いが混じっていた。
「それは河口から来る魚さ。塩をして腹を開き、風に当ててある。骨は外した方がいいけど、身は焼いても煮ても食べられるよ」
「少し水へ戻して、汁を見てみたいですね。汁にも塩が出そうなので、味付けはあとからにします」
「それがいい。最初から塩を入れて、辛くしてしまう人もいるからね」
女主人は店の奥から、小さな鍋を持ってきた。朝飯の残りだという芋と干し魚の煮物を、木皿へ少し取ってくれる。
芋は角が崩れかけ、煮汁を吸って淡く色付いていた。誠吾が匙を入れると柔らかく割れ、その間から湯気が出た。魚は身をほぐしてあり、噛むほどに塩気と旨味が広がる。芋と一緒に食べれば、その強さもちょうどよかった。
「汁までパンで食べたくなりますね。これなら、干した魚を買い置きしておく楽しみがあります」
「水で戻す時間が取れなきゃ、細く裂いて芋と煮てもいい。船乗りはもっと塩の強いのを持っていくけど、料理に使うなら、その箱の方が扱いやすいよ」
誠吾は食べ終えた皿を返し、小魚を選んで量ってもらった。
包みを作る女主人の手元で、魚同士が擦れて軽い音を立てる。彼女の話では、河口では朝の魚を焼いたり煮たりして食べ、残りを干し物にするという。潮の加減で入る魚が変わり、同じ店先でも日によって顔ぶれが違うらしい。
誠吾は代金を払いながら、河口までの道を聞いた。
「カルフェンで川沿いの道へ出て、下っていけば行けるよ。途中に船の荷を扱う集落もある。荷車が使っているから、あんたの店も通れるだろう」
「それなら、道を確かめながら行ってみます。干したのでこれだけ味があるなら、揚がったばかりの魚も食べてみたい」
女主人は包みの口を折り、紐を掛けた。
「向こうで魚を選ぶときは、帰りに干すつもりの分まで買い込まないことだね。新鮮なのを前にすると、つい手が伸びるから」
思い当たることのある誠吾は、笑って包みを受け取った。
*
その日の火輪は、いつもの炒飯と焼き餃子を中心に営業した。
新しい食材を買うたびに品書きを増やしていたら、仕込みも注文も散らばってしまう。干し魚はまず自分で扱ってみることにして、冷蔵庫へ収めた。昼には燻製肉を炒める香りが立ち、斑羽鳥の卵が米粒を黄色く包んだ。
客の間が空いたとき、誠吾は窓の脇へ小さな札を掛けた。
『明朝から、仕入れの旅に出ます』
皿を返しに来たダリオがそれを読み、日除けの向こうへ目を向けた。
「今度は海の方ですか。荷場にも魚や塩が上がってきますけど、俺は運ぶばかりで、向こうの飯までは知らないんですよね」
「干し魚を買ったら、現地でも食べたくなりましてね。川沿いに下ってみます。戻る頃に荷の予定が合えば、また昼飯を作りますよ」
「ガルムさんには、俺からも伝えておきます。今は頼んでいる分もありませんし、気兼ねなく行ってきてください」
ダリオは空の椀を重ね、その上へ匙を載せた。
「海の飯を出すようになっても、炒飯は残してくださいよ。仕事の途中だと、これを食べるつもりで歩いてくることがあるんで」
「そこは残します。帰ってきた日に困らないよう、米も調味料も積んでいきますから」
誠吾が答えると、ダリオは満足そうに手を上げて荷場へ戻った。
エルダにも、仕入れ代を払うときに出発を伝えた。彼女は明日の分を勧める代わりに、今日買った青玉菜の中から外葉の締まったものを選び直してくれた。
「途中でも使うなら、こっちがいい。帰ってきたら、またその日に出せるものを見せるよ」
「お願いします。この葉の甘さを覚えたら、餃子を包むときに欲しくなりますね」
夕方の営業を終えると、誠吾は旅に持ち出す分を整えた。清湯を冷やして小分けにし、肉や卵、野菜の量を確かめる。米や油は端末から補充し、洗剤と厨房用の紙も受け取った。
冷凍庫には包んだ餃子があり、棚には南の米、熟れ豆、干し魚が並んでいる。帰り道で買うもののために空きを残し、最後に土鍋2つを布で包んで固定した。
翌朝、城門へ向かう前に、火輪は赤鍋亭の前で止まった。
誠吾が持っていったのは、焼き上げた乳酪の餃子だった。以前、ローデルと食べる約束をしていたものだ。
「出発前に、これだけ届けておこうと思いましてね。乳酪を入れた餃子です。旅先で作ったものと同じ割合にしました」
ローデルは朝の仕事をしていた手を洗い、ミレナを呼んだ。2人が食べる間、誠吾も店先で湯を1杯もらう。
餃子を割ったミレナは、湯気を逃がしてから口へ運んだ。ローデルは何も付けずに食べ、そのあと小皿の酢を少し試していた。
「乳酪を入れたぶん、肉の味付けを抑えてあるな。葱の香りも、普通の餃子よりはっきり感じる」
「塩気が重なりますからね。向こうでも、最初に少し調整しました」
「うちの鳥の煮込みも、熟れ豆を入れるときは塩を後へ回した方がよかった。昨日作って、ようやく量が決まったよ」
同じ食材を持ち帰っても、それぞれの厨房で別の料理になる。誠吾は煮込みを出す日の話を聞き、戻ったら食べに来ると伝えた。
店を出る頃には、通りのパン屋が戸を開けていた。焼けた小麦の匂いを窓から吸い込みながら、誠吾は火輪を東へ走らせた。
*
カルフェンを通ったのは、昼を少し回った頃だった。
川灯祭の飾りは外され、河岸には積み荷を待つ船が並んでいる。ネリオの売り場へ顔を出すと、彼は川海老を選り分けているところだった。
誠吾は挨拶をし、海へ向かうことを伝えた。ネリオは濡れた手を布で拭き、下流へ出る道を指した。
「大きな柳が並ぶところで道が分かれます。川へ寄る方を進んでください。途中の荷揚げ場なら、車を止めて休める広さもありますよ」
「助かります。今日はそのあたりまで行って、残りは明るいうちに走ることにします」
「帰りに寄れたら、海の魚の話も聞かせてください。俺たちは川で仕事をしているから、近くても知らないことが多いんです」
売り場の桶を見れば、仕入れたい海老はあった。誠吾は翌日の自分の食事に使う分だけ買い、冷蔵庫へ収めた。売り場を離れる間にも、煮魚を売る店から声がかかり、舟の上では縄を引く者たちが息を合わせていた。
川沿いの道へ入ると、やがて町の屋根が後ろへ消えた。
水際には葦が広がり、その向こうを荷船がゆっくり進んでいる。道が川から離れると、畑と低い林が続いた。誠吾は路面の凹凸へ合わせて速度を落とし、橋の手前では幅と床板を確かめてから渡った。
午後の光が傾き始めた頃、教えられた荷揚げ場が見えた。船から運び出した樽を置く屋根と、荷車を回せる広場がある。
誠吾は働いていた男に休む場所を尋ね、荷の動線から外れた端へ火輪を止めた。今夜ここで休むことと、厨房で火を使うことを伝えると、男は川側の風を指してうなずいた。
窓を開けると、夕方の冷たい空気が入ってきた。誠吾は手を洗い、朝から冷蔵庫で水に浸しておいた干し魚を取り出した。
*
戻した魚から骨を外し、身を裂く。
浸しておいた水には、薄く琥珀色が付いていた。誠吾は少量を小鍋で沸かして味を見た。塩気の奥に、干した魚特有の濃い旨味がある。火を強め続けると香りが荒くなりそうだったので、弱火にして身の一部を加えた。
別の鍋では、葱と生姜を低い温度の油で温める。葱の縁が色付き、油へ甘い香りが移ったところで火から外した。
魚の汁へ鶏の清湯を合わせ、醤油を少し足す。塩を入れる前にもう1度味を見て、誠吾は手を止めた。今日はこれで足りていた。
湯を沸かし始めたところで、先ほどの男が窓へ顔を向けた。
「店を開いているなら、仕事を終えた3人にも何か頼めるだろうか。こちらはパンで済ませるつもりだったんだが、温かいものを食べたくなってな」
「今日は自分の飯を作っていたところですが、材料はあります。小麦の麺を魚と鶏の汁で食べる料理になりますが、それでよければ作れますよ」
値段を伝えると、男は仲間へ声をかけた。誠吾は自分の分を後に回し、買っておいた中華麺を3人分取り出した。
青玉菜は太い部分を薄く切り、葉は大きめに残す。汁の小鍋へ軸から入れ、甘みが出たところで葉を加えた。戻した魚の残りは細くほぐし、葱油を取った鍋で軽く焼く。
湿っていた身の端が乾き、香ばしい匂いが立った。
麺をたっぷりの湯へほぐすと、鍋の中で細い束が波打った。誠吾は箸で持ち上げて茹で具合を確かめ、湯をしっかり切って温めた器へ入れる。熱い汁と青玉菜を注ぎ、焼いた魚を載せ、葱油を少し回した。
男たちは屋根の下の台を拭き、器を置く場所を空けていた。
最初に受け取った男は、両手を器へ添え、汁を少し口にした。それから麺を匙とフォークで持ち上げ、湯気を逃がしながら食べ始める。
隣の女は焼いた魚を先にひとつ摘まみ、そのあと汁を飲んだ。
「上の魚は香ばしくて、汁の方は柔らかい味になるんだね。同じ魚が入っているのに、ずいぶん違う」
「上の身は油で焼いてあります。汁は戻した水も使って、鶏の汁と合わせました。魚だけだと強く出るところを、少し丸くしています」
女はうなずき、青玉菜を麺と一緒に巻き取った。もう1人の男は持っていたパンを小さく裂き、器の端へ浸している。油を吸ったところを食べると、残りのパンは隣へ差し出した。
3人が食べている間に、誠吾も自分の麺を茹でた。
外の椅子へ腰を下ろすと、鍋の前では気づかなかった風の冷たさが頬に触れた。麺をすすると、葱の香りが先に来て、魚の旨味があとから口へ広がる。青玉菜にはわずかな歯触りが残り、噛むと甘い汁が出た。
向かいでは、空の荷船を岸へ寄せる仕事が続いている。縄を引く音と水が船腹を打つ音を聞きながら、誠吾は器を膝から少し持ち上げた。
食べ終えた男たちが器を返しに来て、明日の道を教えてくれた。下流では川幅がさらに広がり、岸から網を入れる漁師の姿も増えるという。
食器を洗って厨房を拭き終えた頃、川の向こうに灯がともった。
誠吾は干し魚の包みを冷蔵庫へ戻し、明日の朝に使う米を量った。河口へ着けばまず市場を歩き、昼には向こうの料理を食べたい。火輪を止められる場所があれば、仕入れた魚を夕飯にするつもりだった。
蓋付きの器へ米を収めて窓を閉めると、外では、食事を終えた3人が最後の縄を杭へ掛けていた。
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