第26話 10メートルの外を飛ぶ、新しい仲間
「稲見さん、初回の出荷分、予定どおり全部出たそうです」
宮原が、届いたばかりの社内メールを見せてくれた。
添付された写真には、箱に収められた浴室換気乾燥機が並んでいる。操作ユニットの構造を見直した新製品だった。
部材の入荷が始まってからも、数量や日程の確認は続いていた。
製造側から組立時の扱いについて問い合わせが来たこともある。宮原が仕入れ先へ確認し、森岡主任が図面と現物を見比べ、必要な情報を揃えてきた。
それが、ようやく出荷まで進んだ。
「向こうの担当者にも、連絡しておこう。立ち上がりの数量に合わせて動いてもらったからな」
「先ほどお礼を伝えました。次の納入分についても、変更がないことを確認しています」
俺は頷き、写真へ目を戻した。
試作品を机に置いていた頃とは、並んでいる台数が違う。あの小さなコネクタも、写真に写ったすべての製品へ入っている。
午後には課長から、来期に向けた新規調達先の検討を頼まれた。
既存の会社へ任せきりにせず、製品に合わせて頼める先を増やしておきたいという。
「宮原には、今の案件の窓口を続けてもらう。稲見は少し外を見る時間を作ってくれ」
「分かりました。候補を絞るところから始めます。今の手配に影響が出ないよう、宮原とも分担を確認します」
席へ戻ると、宮原が少し背筋を伸ばした。
「私の方で判断できないところは、早めに相談します。見学先が決まったら、先方の設備も教えてください」
「写真だけで分からないところもあるからな。実際に見て、持ち帰れる話を増やしてくるよ」
任される範囲が変わってきたのを感じながら、俺は予定表を開いた。
◇
翌朝、無料ガチャから出たのは、小さな羽根の形をした結晶だった。
【R 道標燕の召喚石】
食卓へ置き、鑑定を使う。
召喚されるのは、燕に似た小型の契約召喚獣らしい。成長段階は幼体。飛行能力を持ち、道筋を覚えることに長けているという。
俺は説明を読んでから、窓辺にいるサクへ顔を向けた。
「空を飛ぶ仲間らしいぞ」
サクの耳が立った。
『それなら、僕たちが見られないところも見てこられるね』
『大きさは、どの程度なのでしょう』
ミトも作業机から身体を向けた。
「燕くらいらしい。今日は訓練場へ行くから、そこで呼んでみようと思う。最初に飛ぶなら、部屋の中より広い方がよさそうだ」
ネリは手元の木片を置き、結晶を眺めた。
『地面に足がつかない仲間か。おれとは、ずいぶん違うことができそうだな』
俺は召喚石をしまい、朝食の片づけへ戻った。
防具を指定していても、別の物は出る。
それは分かっていたが、手の中へ収まる結晶を見たときには、やはり少し驚いた。剣も鎧も持っていない俺たちの中に、空を飛べる者が加わる。
山へ持っていく荷物をまとめながら、何度も窓の外を見てしまった。
◇
訓練場へ着き、いつもの範囲を確かめてから、俺は召喚石を取り出した。
サクたちにも近くで待ってもらい、結晶を使う。
掌の上で光がほどけ、青と白の小さな鳥が現れた。
背と翼は青みの強い灰色で、喉から腹にかけて白い。細い尾が二股に分かれ、足には小さな爪が並んでいた。
鳥は俺の掌を数歩動き、それから顔を上げた。
『呼んだのは、あなたね。ずいぶん大きな手だこと』
頭の中へ、張りのある声が届いた。
俺は思わず笑いそうになりながら、掌を安定させた。
「稲見圭吾だ。これから一緒に暮らすことになる。まず、何か困っていないか聞かせてもらえるか」
『足場は大丈夫。少し羽を広げてもらえたら、もっと助かるわ』
指を開くと、小さな翼が左右へ伸びた。
羽先を確かめるように1度、2度と動かし、鳥は俺の腕へ移った。爪が袖の生地をつかんでいる。
『いいわね。上へ行けば、よく見えそう』
「飛ぶ前に、話しておきたいことがある。俺たちの会話は、この指輪が届く範囲でしかできないんだ。今は10メートルまでだと分かっている」
鳥が、右手の指輪へ顔を寄せた。
『離れたら、声が聞こえなくなるのね。それなら、戻る場所を決めておきましょう』
理解が早くて助かった。
サクが下から見上げていると、鳥は少し首を傾けた。
『その毛、降りたら滑りそうね』
『僕に降りるつもりなら、先に言ってほしいな。急に乗られると、動いてしまうかもしれないから』
『分かったわ。止まっているときにお願いする』
話がまとまりかけたところで、俺は間へ入った。
「まずは俺の手からにしてくれ。サクにもミトにも、慣れてから頼もう」
ミトとネリも紹介し、俺は新しい仲間を改めて見た。
細い尾が、袖の上で少し揺れている。
「名前は、リッタでどうだ。呼びやすいと思ったんだが」
『リッタね。ええ、それで呼んでちょうだい』
呼びかけると、こちらへ顔が向いた。
俺はもう一度その名を口にしてから、鑑定の表示を開いた。
◇
【道標燕】
レアリティ:R
成長段階:幼体
固有能力:《風乗り》《道標記憶》
《風乗り》
風を捉え、飛行を補助する。
《道標記憶》
自ら訪れた地点を3か所まで記憶し、帰還時の方角の把握を補助する。
俺は内容を読み、リッタへ伝えた。
すでに本人も、自分に何ができるのかは分かっているらしい。翼を少し持ち上げ、吹いてきた風へ羽先を向けた。
『ここを覚えておけば、離れても帰る方角が分かるわ。ただ、木の向こうまで全部見通せるわけではないから、道は自分で選ぶことになる』
「帰る場所は、この門の内側にしよう。今日は遠くへ行かず、周りを少し飛んで戻ってきてくれればいい」
リッタは門と、そのそばに置いた俺の荷物を順に見た。
それから、袖をつかんでいた足を離した。
翼が鳴り、小さな身体が目の前を横切る。
俺の肩より高く上がり、訓練場を囲む木の枝へ止まった。青い背が、冬の日差しを受けて光っている。
『風は悪くないわ。木の上は、もう少し流れているみたい』
声は、まだはっきり聞こえた。
リッタは枝を離れ、今度は円を描くように飛んだ。
俺はその動きを目で追う。
地面を走るサクとは違う。木の幹を避けて回り込むのではなく、枝の上へ出てから向きを変える。見えている範囲も、移動の仕方も、俺たちとは別だった。
リッタが少し高く上がったとき、声が途切れた。
飛ぶ姿は見えているのに、頭の中は静かになった。
俺は呼び止めかけ、口を閉じた。
先に話したとおりだ。
リッタは木の上を小さく回り、門の方へ戻ってくる。姿が近づくと、声も再び届いた。
『……やっぱり、離れると聞こえないのね。さっきまではサクの声がしていたのに』
門柱へ降りたリッタへ、俺は近づいた。
「こちらも同じだった。上下に離れても、距離は距離らしいな」
『上から圭吾が見えていても、会話はできないのね。覚えたわ』
サクが俺の隣へ来た。
『僕も、離れたらすぐに知らせればいいと思っていたけど、そうはいかないね』
空へ出れば広く見られる。
しかし、そこで見つけたことが、俺へそのまま届くわけではない。リッタ自身が戻ってきて、話す必要があった。
◇
俺は門のそばへ立ち、リッタにもう一度飛んでもらった。
今度は、見てくるものを先に決める。
訓練場の中を一周し、車の置いてある側を確かめて戻る。それだけを頼み、俺たちは門の内側で待った。
リッタは頭上を抜けていき、木の枝に隠れて見えなくなった。
待っている間、俺は何度も空を見た。
戻る方角が分かる能力を持っていても、飛んでいる途中に何があるかまでは分からない。風も、障害物もある。
俺が落ち着かずに門へ目を向けていると、サクがそっと横へ並んだ。
『追いかけなくても大丈夫だよ。見てきてほしいことは、ちゃんと伝えたんだから』
「そうだな。俺が場所を変えたら、戻ってきたときに困るか」
少しして、枝の間から青い影が降りてきた。
リッタは俺の差し出した手へ止まり、翼を畳んだ。
『車は見えたわ。道の方には人はいなかった。車からここまでの途中に、布が1つ落ちているわよ』
俺は荷物へ目を落とした。
サクへ作ったばかりの物入れには、まだ軽い布しか入れていない。そのうちの1枚がなくなっていた。
紐を結んだだけの蓋が、歩いている間に緩んだらしい。
「白い、小さく畳んだ布だったか」
『そう。それなら、拾うところまで案内できるわ』
俺たちはリッタの後を歩いた。
彼女は先へ飛びすぎず、低い枝で待ってくれる。俺たちが近づくと、また少し先へ移った。
曲がり角の先で、枯れ草に引っかかった布が見つかった。
大した距離ではない。
それでも、地面を歩きながら探していたら、車の下から見直していたかもしれなかった。サクも、匂いを追うより先に場所を教えてもらえたと、布を見上げている。
「助かった。ありがとう、リッタ」
『見つけた物が、ちゃんと役に立ったなら嬉しいわ』
俺は布をしまい、サクの物入れの蓋を結び直した。
持ち主の希望で作った道具に、もう直すところが出ている。そのすぐ隣では、新しい仲間が、自分にできる仕事を済ませていた。
◇
訓練場へ戻ると、ミトが木の枝を見上げた。
『リッタ、細い糸を持って、あの枝の上を越えられますか。反対側へ落としてもらえれば、私が受け取れます』
リッタが、差し出された糸の先を見た。
『軽そうね。長さが足りているなら、やってみるわ』
ミトが出したのは、普段の移動にも使う普通の糸だった。
俺は絡まないよう地面に広げるのを手伝い、リッタへ先端を渡す。小さな嘴がそれをくわえた。
翼が動き、糸が地面から離れる。
リッタは途中で引っ張られないよう速度を落とし、低い枝の上を越えた。向こう側で先を落とすと、ミトが幹を回って受け取る。
枝に糸がかかり、両端が地面へ届いた。
『十分です。ありがとうございます』
ミトは試しに片方を引き、それから俺へ身体を向けた。
『これなら、上へ登らずに物を吊れる場所を作れます。布を広げたり、軽い袋を地面から離したりするのにも使えそうです』
「先に枝へ渡せるだけで、ずいぶん違うな」
試しに空の布袋を結ぶと、もう片方を引いて持ち上げられた。
ミトの糸だけでも、できることは多かった。そこへ、糸の先を空へ運べる仲間が加わる。
リッタは枝へ降り、吊られた袋を眺めていた。
『次は、上から落とす場所を決めてくれたら、もう少し早くできるわ。枝が重なっていると、糸が引っかかりそうだから』
俺たちより先に、次の作業を考えているらしかった。
◇
昼を食べる頃には、リッタも飛ぶ回数を減らしていた。
まだ小さな身体だ。
見せてもらいたいことは多かったが、俺は手を差し出し、椅子のそばへ戻ってもらった。用意した水と餌を置くと、本人も素直にそちらへ向かう。
サクは横で伏せ、ネリは日当たりのよい木片へ腰を下ろした。
ミトだけは、リッタが渡した糸を回収しながら、何やら考えている。
「仲間が増えると、やりたいことも増えるな」
『圭吾が全部、同時に頼まなければ大丈夫よ』
リッタが、水を飲んでから言った。
『あたしも、ここへ来たばかりだもの。帰る場所と、待っている相手が分かれば、そこから覚えていけるわ』
俺は手帳を取り、門の内側で待つことと、飛ぶ前に目的を伝えることを書いた。
空へ上がる仲間ができても、俺まで遠くの景色を見られるようになったわけではない。
戻ってきたリッタの話を聞き、分からないところを確かめる。そのやり取りまで含めて、俺たちの動き方を作る必要があった。
書き終えて顔を上げると、リッタがサクの前にいた。
『今なら、少し背中へ降りてもいいかしら。圭吾の手より、温かそうなのだけれど』
『動かない間ならいいよ。ただ、毛を強くつかむのはやめてね』
サクが顎を地面へ戻す。
リッタは短く羽ばたき、その肩口へそっと降りた。銀白色の毛へ足が沈み、尾が少し持ち上がる。
サクは目だけをこちらへ向けたが、じっとしていた。
俺は笑いをこらえながら、手帳を閉じた。
午後の訓練は、もう少し後で始めることにした。
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