第18話 防具を狙ったら、Nの土精霊が来た
土曜日の朝、デイリーガチャから出てきたのは、薄茶色の紙だった。
防具ではないことは、手に取る前に分かった。革胴衣か革靴が重なればと思っていたので、少し残念ではある。
だが、続いて現れた表示を見て、俺は紙を受け取る手を止めた。
【N《土精霊の契約書》を獲得しました】
「……召喚獣にも、Nがいるのか」
サクが椅子のそばから顔を上げ、作業机にいたミトも脚を止めた。
俺の契約相手は、SSRのサクとSRのミトだ。どちらも幼体とはいえ、人間には真似のできない力を持っている。
最低レアリティの召喚獣が、どんな存在なのかは想像がつかなかった。
鑑定を使うと、契約書の上に説明が浮かぶ。
土で形作られた小さな身体を持つ精霊。力や動きの速さは低く、戦闘には向かない一方、土を扱うことを得意とするらしい。
固有能力は《土成形》。
触れている土の形を変える能力だが、一度に扱える量は少なく、石や金属、植物には作用しない。土そのものの硬さや性質を変える力もないと書かれていた。
『土を動かす相手なら、庭で呼んだ方がよさそうだね。床を汚してから慌てるのも面倒だし』
「そうだな。先に、会ってみよう」
昨夜強化した剣を試すつもりだったが、そちらは少し後に回すことにした。
庭へ出ると、夜中に降った雨が、物置の前に小さな水たまりを残していた。踏み込む場所を選んで作業スペースへ回り、平らなところで契約書を開く。
実行の表示を選ぶと、紙が淡い茶色の光にほどけた。
土の上へ落ちた光が集まり、小さな人の形を作っていく。
現れたのは、高さ25センチほどの土人形だった。
太い胴に短い手足がつき、丸い頭には、黒い小石を埋め込んだような目が2つある。指先は太く、歩くたびに身体が少し左右へ揺れた。
小さいが、赤ん坊のようには見えない。仕事着を着た職人を、そのまま縮めたような佇まいだった。
土精霊は自分の両手を見てから、俺を見上げた。
『呼んだのは、あんたか。おれに、何をしてほしいんだ』
交感指輪から届いた声は、ゆっくりしていて、少し低かった。
「俺は圭吾。まずは話がしたかったんだ。こっちはサクで、作業机のところにいるのがミト。これから一緒に暮らす仲間だよ」
『おれは、まだ名前がない。呼びにくかったら、あんたがつけてくれ』
サクが鼻先を近づけると、土精霊は少しだけ上体を反らした。
『匂いを嗅ぐなら構わないが、鼻で押さないでくれ。踏ん張るのは、あまり得意じゃない』
『分かった。僕はサク。圭吾が考え込んでいるときは、先に僕へ声をかけてもいいからね』
「いつも考え込んでいるみたいに言うなよ」
『今も名前を考えてたでしょう』
それについては、そのとおりだった。
俺は小さな両手と、身体を作っている滑らかな土を見た。
「ネリ、という名前はどうだろう。土を練って形を作るのが得意なら、覚えやすいと思うんだが」
土精霊は少しの間、俺を見ていた。それから自分の胸を両手で押さえ、ゆっくり頷く。
『じゃあ、おれはネリだ。圭吾、サク、ミト。よろしく頼む』
ミトが机の脚を伝って地面へ下り、ネリの前で止まった。
『私はミトです。作業中、糸を張っている場所があります。歩きにくければ、遠慮なく言ってください』
『分かった。おれも、土をいじる前には声をかける。足元が変わると困るだろうからな』
最初の挨拶を聞きながら、俺は少し肩の力を抜いた。
戦闘向きではないという説明は、確かにそのとおりなのだろう。サクのような身軽さも、ミトのような器用な脚もない。
それでも、何をするか話し合える相手が、また1人増えた。
◇
ネリが最初に興味を示したのは、物置の前の水たまりだった。
短い脚で近づき、縁へしゃがみ込む。俺が転ばないかと見ていると、両手を地面につけたまま、顔だけをこちらへ向けた。
『ここを歩くと、足が沈むぞ。毎日使う場所なのか』
「物置へ入るときは通るよ。雨の後は、そこを避けている」
乾いているときは気にならないが、濡れると靴底へ土がつく。そのまま中へ入れば床が汚れるし、荷物を持っていると、足元を選ぶのも面倒だった。
ネリの手元で、濡れた土がゆっくり持ち上がった。
水たまりの縁にあった土が、両手の間へ寄り、小さな塊になる。量は、大きめのマグカップに入る程度だろうか。
それを横へ置き直すと、浅いくぼみが残った。
『このくらいなら動かせる。ただ、土だからな。上へ乗れば、またへこむ』
確かめるように、自分の足を塊へ載せる。
丸い足の跡が、くっきりついた。
魔法で土を固め、たちまち石の床を作るような能力ではないらしい。
「上に板か何かを置くなら、下を揃える手伝いはできそうか」
『できる。隙間へ土を入れるのも、余った分を寄せるのもな。ただ、たくさんは続けられない』
「分かった。今日は小さいものからにしよう」
物置の入口に、足を置ける場所があるだけでも違う。
俺は玄関へ戻り、買い物用のメモへ必要なものを書いた。庭へ敷くための平板と、下に入れる砂など。大きな工事にするつもりはないが、土へそのまま載せるだけでは、すぐに傾くだろう。
予算を見積もると、数千円程度だった。
社内の報奨金が入るのは、次の給与だ。それを先取りするまでもなく出せる額だし、毎日通る場所なら手を入れる価値がある。
『圭吾、置く場所は少し考えた方がいいよ』
戻ってきた俺に、サクが物置の屋根を示した。
『雨が強いと、この辺に水が落ちる。入口に寄せすぎると、立っている間に背中が濡れるから』
サクが前脚で示したのは、俺が最初に平板を並べようと思っていた位置だった。
屋根の端を見上げると、なるほどと思う。濡れた地面ばかり気にして、上を見ていなかった。
「助かった。入口へつなぐ形にして、立つ場所は少し手前へ出そう」
『その方がいい。僕も、濡れないところで待てる』
ミトが地面へ糸を渡し、おおよその範囲を示してくれた。
そこで立ったり、物置の扉を開けたりしてみる。広くはないが、荷物を持ったまま足を置くには十分だった。
ネリは範囲の端から端まで歩いて戻ると、俺の靴を見上げた。
『これ全部を、おれだけで平らにするのは難しいぞ』
「土を掘るところは俺がやる。ネリには、細かいところを頼みたい」
『それなら、やれそうだ』
◇
ホームセンターでは、持ち上げて扱える大きさの平板を選んだ。
砂の袋も合わせると、軽くはない。会計を済ませ、店で指定された積み込み場所までカートで運んでから、人目のないところでアイテムボックスへ収めた。
荷物を持ち上げるたびに身体強化を使わなくて済むのは、こういうときにありがたみが分かる。
帰宅すると、ネリはミトの作業机の下にいた。
木枠へ張られた糸を、じっと見上げている。
『細いものを、ずいぶんたくさん並べるんだな』
『まだ、編み方を変えている途中です。引っ張る向きによって崩れるので』
『押さえる場所が足りないなら、おれにも言ってくれ。長く立っているくらいならできる』
ネリが両手を持ち上げると、ミトは近くに置いた小さな木片を示した。
『では、これを持ってみてください。強く握らず、両側から支える形で』
俺が声をかけるまで、2人はそんなやり取りをしていた。
作業は、昼食を挟んで進めた。
表面の柔らかい土を少し取り除き、下を踏み固める。身体強化を使うと鍬を動かすのは楽になるが、力任せでは掘りすぎるので、途中からは使う量を抑えた。
ネリは俺の横へ立ち、掘り残した土を少しずつ寄せていった。
地面が波打つほどの変化はない。両手を置いたところだけがゆっくり動き、盛り上がりがなくなる。
途中で、小石が露出した。
ネリはしばらく両手をつけたまま待ち、それから俺へ声をかけた。
『これをどけてくれ。石の周りは動くが、石は動かせない』
「そっちは俺の仕事だな。根があったときも、無理に引っ張らないで教えてくれ」
石を拾うと、ネリは空いた場所へ土を寄せた。
平板を並べる段階でも、助かった。
俺が1枚ずつ置き、ぐらつきを確かめる。端が少し浮いているものは持ち上げ、その下へネリが薄く土を押し入れた。
大きな手で何度も盛ったり削ったりするより、細かい加減がしやすい。
ミトは作業範囲の外に張った糸を目安に、端のずれを見てくれた。最後は買ってきた水平器でも確かめながら、雨水が物置側へ寄らないよう、並べる向きを揃えていく。
半分ほど終わったところで、ネリの動きが止まった。
平板の脇に座り、両手を膝へ載せている。
「疲れたなら、いったん休もう。残りは俺だけでもできるから」
『いや、少し待てば動ける。置く前に呼んでくれれば、そこだけ手を貸す』
「じゃあ、俺が先に土を入れてみるよ。直した方がいいところを見ていてくれ」
俺がしゃがんで砂を均すと、ネリは隣へ座り直した。
指先で隅を押さえ、少しだけ首を傾げる。
『そっちを増やすと、また浮くぞ。今ある分を、こっちへ寄せた方がいい』
言われたとおりに直し、平板を置いた。
足を載せても、先ほどまでのようながたつきはない。
「なるほど。土を増やせばいいわけじゃないんだな」
『足りないところばかり見ると、多いところを見落とすからな』
ネリはそう言い、また両手を膝へ戻した。
大きな穴を掘る力はなくても、こういうところは俺よりよく分かっているらしい。
◇
午後の早い時間に、小さな足場ができた。
物置の前に、平板が整然と並んでいる。庭全体から見れば、ごく一部分だ。それでも、扉を開けて道具を取り出すとき、濡れた土を避けて足を置く必要がなくなった。
俺は少し重い工具箱を持ち出し、その上で向きを変えてみた。
板が揺れないことを確かめてから、物置へ戻す。
「使いやすくなったな。これなら、雨上がりでも出入りしやすい」
『圭吾、僕も乗っていいんだよね』
「いいぞ。足元を見て、ゆっくり来てくれ」
サクは平板へ前脚を載せ、次に後ろ脚を移した。そのまま端まで歩くと、くるりと振り返る。
『ここで待っていれば、圭吾が道具を探していても足が汚れないね』
ネリが座ったまま、サクの脚を見上げた。
『その重さで動いて、揺れないならよさそうだな。圭吾が立ったときとは、足の場所が違うから』
『僕は、乗るだけでよかったわけだ』
『歩き方を変えてくれたから、それも分かった』
サクがもう1度、今度は端を踏むように歩いた。
ミトは物置の入口へ移り、床との高さを確かめている。俺は道具を片づけながら、契約書を引いたときのことを思い出した。
防具ではなかった。
剣を重ねた翌日だったこともあり、次は守る方を強くしたいと思っていた。それで、Nという表示に少し気が抜けたのも事実だ。
だが、朝にはなかった足場が、今は目の前にある。
俺ひとりで同じことをしようとしたら、平板を持ち上げては置き直す回数が、もっと増えていただろう。
作業を終えたネリは、土のついた自分の手を眺めていた。
「今日はありがとう。初日から、働いてもらったな」
『おれも、何ができるか分かった。あの重い石を持つのは無理だが、下を揃えるのはできる』
「持つ方は俺がやれるよ。続けてやらないと困る仕事でもないから、疲れたら遠慮なく言ってくれ」
『それなら助かる。今は、少し眠い』
俺はしゃがみ、ネリと目の高さを近づけた。
「契約領域へ戻って休める。夕食の前に、また呼んでもいいか」
『ああ。呼んでくれたら、出てくる』
頷いたのを確かめて、ネリを送った。
小さな身体が光に変わって消えると、サクが空いた場所を少し眺めた。
『歩くのはゆっくりだったけど、手元を見るのは細かいんだね』
『土の量を加減できるのは助かります。あの手なら、私の作業でも頼めることがありそうです』
ミトの言葉に、木片を持ち上げていたネリの姿を思い出す。
「本人も手を貸すと言っていたな。どんなことを頼むか、起きてから話してみよう」
俺は庭へ残した鍬を片づけ、手を洗った。
物置へ戻るとき、足元を確かめずに扉へ手を伸ばせた。それが少し嬉しくて、平板の上で1度、踵へ体重をかけてみる。
隣でサクがこちらを見上げた。
『圭吾、それで何度目か分かってる? ネリがいたときも、同じところを踏んでたよ』
「自分で手を入れたところは、確かめたくなるんだ。初めての仕事でもあったからな」
『じゃあ、もう十分だと思う。そろそろ家へ入って、座ろうよ』
言われてみれば、鍬を使った腕も、しゃがんでいた脚も重い。
俺は物置の鍵をかけ、サクとミトを連れて家へ戻った。
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