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第17話 3万円の評価と、初めての限界突破

 月曜日の朝、会社の会議室に持ち込んだ資料は4枚だった。


 新しい操作ユニットの構造図、原価の比較表、サービス部門から借りた修理記録、そして部品の供給条件。宮原が揃えてくれた見積書は、必要になったときに開けるよう、別にまとめてある。


 週末に拾った欠片のことは、今も頭の片隅に残っていた。だが、あれを眺めていても納期は決まらないし、試作の手配も進まない。


 透明ケースは物置の工具箱に収めたまま、今朝も持ち出してはいない。


「操作基板だけを交換できるようにする方針は、サービスとしては助かります。ただ、実際に交換するところまで確認させてください」


 修理記録を机に置いた担当者が、構造図へ目を落とした。


「図面では外せても、製品に組み込まれた状態だと工具が入らないことがあります。修理のために周りを全部外すなら、部品を分けた効果が薄くなりますから」


「そこは試作で見てもらいたいと思っています」


 森岡主任が図面の一角を指した。


「製造の組立順序と、修理で外す順序は違いますからね。生産技術にも入ってもらって、両方の作業を確認します」


 品質保証からは、接続部が増えることによる耐久性への質問が出た。宮原の見つけた共通コネクタを使う案でも、新しい使い方に適しているかは別の話になる。


 森岡主任が評価項目を書き足す間、俺は原価の比較表を配った。


「現段階では、1台あたり約100円の低減を見込んでいます。ただし、これは部品費を中心に積んだ数字です。組立に余分な時間がかかるなら、その分も含めて見直します」


「年間8万台なら、800万円ほどですね」


「生産計画どおりに出て、見積条件も成立した場合の概算です。今日、この金額を成果として確定させるつもりはありません」


 課長が小さく頷き、試作を使った作業確認の日程に話を進めた。


 当初の案なら、原価低減の見込みは年間1,200万円だった。


 その数字を下げてまで構造を変えるのだから、修理しやすくなりそうだ、という説明だけで通すわけにはいかない。部品を外せることと、現場で無理なく交換できることの間には、まだ確認すべきことがある。


 会議を終えたところで、宮原が予定表を見ながら俺の隣へ来た。


「サービスの方に、普段使っている工具も持ってきてもらいます。こちらで使いやすいものを用意してしまうと、比較になりませんから」


「それで頼む。交換用の基板も、作業する人から見えない場所に置いておこう。実際に部品を取りに行く手間までは測らなくていいが、最初から全部手元に揃っている前提にはしたくない」


「分かりました。作業の開始と終了をどこにするかも、先に揃えておきます」


 以前なら、頼んだ資料をきちんと揃えたところで報告に来ていた。


 最近の宮原は、その資料を何に使うのかまで考えて動く。俺が口を挟まなくて済むことも増えてきた。


     ◇


 試作を使った確認で最初に止まったのは、基板の取り外し作業だった。


 サービスの担当者が製品に組み込んだ状態のユニットを覗き込み、指先を差し入れる。コネクタの解除爪に触れたところで手を止め、別の角度から確かめた。


「これ、単体なら簡単なんですが、組み込むと枠が邪魔になりますね」


 配線を引っ張っているわけではない。それでも、外そうとすると指の腹が樹脂の枠に当たり、爪を十分に押し込めないらしい。


 生産技術の担当者が、隣に置いたもう1台を手に取った。


「製造では、枠に収める前に接続するから問題にならなかったんですね」


「そうですね。修理だと、この状態から始まります」


 俺も同じ場所に指を入れてみたが、確かに窮屈だった。少し力をかければ外せそうではあるものの、毎回それで済ませていい形には思えない。


 ここで《身体強化》を使っても、誰の役にも立たないだろう。


「森岡さん、普段の工具で押せる向きに変える余地はありますか。専用の工具を増やすと、サービス側の負担が残ります」


「コネクタの位置を動かすより、枠の形を少し変えた方が早そうですね」


 森岡主任は図面と現物を見比べ、樹脂の枠に細いペンで印をつけた。


「この辺りに指を逃がす形を作れれば。ただ、強度への影響は見ます。ここで決めて削ってしまうのは避けましょう」


 宮原がすぐに印の位置を撮影し、作業記録へ番号を振った。


「変更前の状態も残します。後で確認するときに、どこが直ったのか分かるようにしておきますね」


 それから、取り付ける側の作業も見せてもらった。


 同じコネクタでも、接続してから枠に収めるか、収めてから接続するかで手間が変わる。図面を見ているだけでは、俺には分からなかったことだ。


 設計を変えれば解決することもあれば、組立順を変えた方がいいこともある。その判断は森岡主任や生産技術に任せ、俺と宮原は、変更が部品の価格や供給条件に響かないかを追っていった。


 共通部品を使えば、新規の部品を起こす手間は減らせる。ただし、今の使用量に新製品の分が加わっても供給できるかは、きちんと話を通す必要があった。


 宮原は仕入れ先から月ごとの供給可能数を取り寄せ、生産計画と重ねて確認した。俺は発注条件の調整に入り、見込み数量を伝える時期と、数量を確定する時期を分けて話を詰めた。


 そうして手を動かすうち、平日は思った以上の速さで過ぎていった。


     ◇


 帰宅すれば、サクが散歩を待っている。


 俺が物置の方へ目を向けると、玄関先で座ったサクが、わざとらしく尻尾を1度振った。


『あの欠片を見るなら、散歩の後にして。圭吾、考え始めると長いから』


「今日は先に行くつもりだったよ。待たせて悪かったな」


『謝るより、いつもの道を少し長くしてくれる方が嬉しい』


 ハーネスをつけると、サクは玄関の外へ出て、俺が鍵をかけるのを待った。


 用水路へは向かわず、畑の脇を抜けて小さな公園まで歩く。サクは道沿いの匂いを確かめ、ときどき耳を動かしては、俺の歩幅に合わせて進んだ。


 何か異常がないかと構えるばかりでは、こいつと歩く楽しみまでなくしてしまう。


 公園の端で足を止めたサクが、冷たい風に鼻先を向けた。


『今日は、こっちの道にしてよかったね。畑の方から、ずっといい匂いがする』


「作物の匂いなら、勝手に入るなよ」


『入らないよ。匂いを嗅ぐだけなら、柵の外でも十分だから』


 帰宅すると、ミトは作業机で糸を編んでいた。


 銀色の小さな布は、まだ革胴衣の内側へ縫い込める段階にはない。斜めに力をかけたときの崩れ方を見てから、糸を渡す向きを変えているらしい。


『糸を増やすだけでは、厚くなる割に改善しません。交わる位置を変えてみます』


「必要なものがあったら言ってくれ。普通の道具で間に合うなら、帰りに買ってこられる」


『今は、この枠で足ります。試すものを増やすより、同じ形で比較したいので』


 ミトはそう言って、途中まで編んだものと、使い終えた試料を別々に置いた。


 俺の机にも、会社で使ったのとよく似た記録が増えている。ただ、こちらの相手は8本の脚を器用に動かし、ときどき俺の指の置き方まで直してくる。


 欠片は透明ケースに入れたまま、物置の金属製工具箱で保管を続けた。


 見える範囲での変化はなかったが、何も起きないと分かったわけではない。だからといって、分からないまま魔力を流し込む気にもなれなかった。


 会社へ行く朝にはサクとミトを送り、帰れば呼び戻す。


 その間にもデイリーガチャは毎日引いたが、目覚ましい当たりが続くようなことはなかった。素材や消耗品が少しずつ増え、防具を期待して回した光の中から、別の品が出てくる日もある。


 使えるものは使い、用途の浮かばないものは保管した。すぐに必要になるものばかりなら助かるが、今のところ、アイテムボックスの中には出番を待っている品の方が多い。


     ◇


 最初の打ち合わせから数えて3度目の金曜日、修正した試作での作業確認がまとまった。


 基板を取り外すときに指が当たっていた部分は、枠の形を変えたことで扱いやすくなった。製造側の組立にも大きな支障はなく、部品と作業の両面から、次の評価へ進められる見通しが立った。


 耐久性を含めた評価は続くし、製品全体としての確認も残っている。量産採用が決まったわけではないが、机上の案からは確実に進んでいた。


「サービスからも、交換作業はこれなら進めやすいと回答が来ています」


 宮原の報告を聞いた課長が、確認資料を閉じた。


「分かった。供給の方も、いったんこの条件で進めよう。それと、2人に伝えておくことがある」


 課長が差し出したのは、社内の改善提案に対する通知だった。


 提案者の欄には、森岡主任と俺、それに宮原の名前が並んでいる。


「設計案の採用に対する報奨金が決まった。3人それぞれ3万円で、次の給与に加算される」


 俺は金額を見直してから、課長へ顔を上げた。


「試作評価の段階でも、対象になったんですね」


「実際の削減額に応じた評価とは別だ。問題を拾って、部署をまたいで案をまとめ、採用まで持っていった分だよ。年間の800万円が実現したという扱いにはしていないから、そこは混同しないように」


「承知しました。ありがとうございます」


 3万円。


 生活が一変する額ではないが、毎月の給与とは別に貰えるとなれば、素直に嬉しい。


 隣の宮原も、通知の自分の名前をもう1度確かめていた。


「森岡主任には、私からもお礼を伝えてきます」


「俺も後で顔を出すよ。今回の枠の修正、ずいぶん早く動いてもらったからな」


「それと、仕入れ先との次の打ち合わせなんですが」


 宮原は通知を丁寧に資料へ挟み、続けた。


「供給計画の説明は、私に任せてもらえませんか。数量の根拠も整理できたので、先方の生産担当者と直接確認したいです」


「頼む。条件を変える話になったら俺も入るから、まずは宮原の方で進めてくれ」


「はい。事前に説明資料をお送りします」


 言い終えた宮原が、自分の席へ戻っていく。


 その背中を見送ってから、俺は通知を鞄にしまった。帰りに何かうまいものでも買おうかと思ったが、実際に振り込まれるのは次の給与だ。


 財布の中身まで増えた気にならないよう、そこだけは覚えておいた。


     ◇


 その夜、夕食を済ませてから、残してあったデイリーガチャを開いた。


 画面の端には、防具の指定が表示されている。革胴衣か革靴がもう1つ出れば強化を試せるのだが、指定しているからといって、必ず防具が出るわけではない。


 指先で実行を選ぶと、目の前に光が集まった。


 現れたのは、鞘に収まった1本の剣だった。


【R《魔鉄の片手剣+0》を獲得しました】


 俺は剣を受け止め、見慣れた柄を確かめた。


 防具ではなかった。それでも、机に置いたところで、自然と口元が緩んだ。


『その剣なら、もう持っているでしょう』


 サクが俺の手元を覗く。


「同じものが出たんだ。これなら、限界突破に使える」


『2本を1本にするということですね。元に戻せるのかは、先に確認してください』


 作業机にいたミトが、糸を扱う脚を止めた。


「ああ。予備として残すかも含めて、表示を見てから決めるよ」


 アイテムボックスから、これまで使っていた魔鉄の片手剣を取り出した。


 並べてみても、柄や鞘の形は同じだ。ただし、使ってきた方には、手入れをしても残る細かな擦れがある。


 2本を収納して強化の項目を開くと、対象にできる武器が表示された。


 使っていた剣を本体に、新しく引いた剣を素材に指定する。


【限界突破】


 本体:R《魔鉄の片手剣+0》

 素材:R《魔鉄の片手剣+0》


 強化後:R《魔鉄の片手剣+1》

 攻撃力:32 → 38

 特殊効果:《魔力伝導・小》


【素材に指定した装備は消費されます】


 特殊効果は変わらず、攻撃力が6上がる。


 予備の剣を残しておけば、今の剣を失ったときにも困らない。だが、今すぐ2本を使う予定はないし、普段の動きを確かめるだけなら木剣でもできる。


 使っている方の刃と柄は、昨日も手入れの際に確認していた。傷んだものを無理に強化するわけでもない。


「今回は重ねる。予備はなくなるが、実際に使う1本を強くしたい」


 俺が告げると、サクは少し離れた場所へ座り直した。


『いいと思う。圭吾が持つなら、使わずにしまってあるより、その方が役に立ちそうだし』


 ミトも表示を見終え、作業机の端を空けた。


『受け取る場所は、こちらを使ってください。編みかけのものは避けました』


「助かる。じゃあ、やるぞ」


 実行を選ぶと、収納していた2本の剣が光の中に現れた。


 新しく引いた方が淡い粒になり、もう1本の刀身へ吸い込まれていく。眩しさに目を細めたのはわずかな間で、光が収まったときには、鞘に入った剣が1本だけ残っていた。


【R《魔鉄の片手剣+1》への限界突破が完了しました】


 俺は柄を握り、ゆっくりと引き抜いた。


 長さも、手にかかる重みも、急に変わった感じはしない。別の武器になったというより、使い慣れた剣がそのまま手元へ戻ってきたようだった。


 ただ、鑑定に表示される攻撃力は、確かに38になっている。


「初めての限界突破だな」


『見た目はあまり変わらないんだね。もっと大きくなるのかと思ってた』


「毎回大きくなられたら、途中で持てなくなるよ」


 サクが鼻を鳴らし、俺も笑って剣を鞘へ戻した。


 試すのは、明るくなってからにしよう。


 嬉しいからといって、夜の庭で剣を振り始めることはない。刃の状態を確かめ、魔力の通り具合も少しずつ見ていけばいい。


 収納し直す前に、俺はもう1度、柄へ手を置いた。


 これまで、同じ品が増えることより、新しいものを引く方を楽しみにしていた。だが、使い続けている装備なら、重なることにも十分な意味があるらしい。


『圭吾。剣をしまったら、少し手を貸してください』


 ミトの声に振り向くと、作業机の上で、木枠に渡された糸が銀色に光っていた。


「手は空いたから、押さえる場所を教えてくれ」


『右の角です。強く引かず、浮かないようにしていただければ』


 俺は椅子を寄せ、言われた場所へ指を添えた。


 ミトが糸を渡すたびに、枠の中へ新しい編み目が増えていく。傍らへ来たサクがそれを眺め、俺の指先へ鼻を寄せかけて、途中で止まった。


『そこ、僕が触ったら邪魔になるところだよね』


『今はそうです。見ていてください』


『分かった。圭吾より上手にできそうなところがあったら、交代するよ』


「そのときは任せる。俺も、同じ場所を押さえているだけで少し手が疲れてきた」


 ミトは脚を止めずに、木枠の下を示した。


『では、支えを入れます。圭吾も、楽な姿勢で続けてください』


 小さな木片が枠の下へ差し込まれ、指にかかっていた力が軽くなる。


「お、これなら楽だ」


『動かさないでいただけると、私も楽になります』


 俺は笑って椅子に座り直し、今度は肘を机につけて、木枠をしっかり支えた。




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https://youtube.com/shorts/PCIU2r6HJ10?si=hcY4h-BqBD1biiTv

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