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第12話 会社の危機を救ったら、大きな仕事を任された

「稲見さん、明日の組立に使う部品が600個足りません」


 月曜日の午前8時40分。


 出勤して間もない俺の机に、宮原が一枚の納期変更通知を置いた。


 住宅設備メーカーの調達部に勤めていると、仕入れ先からの急な連絡には慣れてくる。それでも、通知に書かれた内容を読んだ瞬間、俺は思わず眉を寄せた。


 浴室換気乾燥機の操作パネルを固定する樹脂クリップ。明日の組立予定600台に対し、必要な部品が丸ごと不足するという。


「協力工場の金型が壊れたそうです。復旧は早くても水曜日、納品は金曜日になる見込みで……」


「明日の組立には間に合わないな。製造管理には連絡したか?」


「はい。工程の入れ替えは検討してくれるそうですが、完成品として出荷するには、この部品が必要だと」


 宮原はまだ27歳だが、仕事は丁寧で、普段は滅多に慌てない。その彼が朝から険しい顔をしているのだから、製造側の切迫した様子も伝わってくる。


 俺は通知を読み終え、机の上へ置いた。


「分かった。まずは社内在庫を洗おう。宮原はサービス部門と倉庫へ連絡してくれ。俺は過去の調達記録を調べる」


「ほかの仕入れ先も当たった方がいいですか?」


「頼む。ただ、似た部品を見つけただけでは使えないからな。製造元の型番と承認図面まで確認してほしい」


「了解しました」


 宮原が自分の席へ戻っていく。


 俺はパソコンを起動し、古い購買記録を開いた。


 600台分の部品が足りなければ、明日の組立ラインは予定どおり動かせない。


 製造部門だけでなく、その先の検査や出荷予定にまで影響する。


 小さな樹脂クリップ一つで、大勢の仕事が止まってしまう。


 調達というのは、そういう仕事だった。


     ◇


 実は、その8時間ほど前。


 俺は自宅で、少々機嫌よくガチャを回していた。


 日曜日から月曜日へ日付が変わり、《デイリーガチャ》の無料分が回復したのだ。


 現在のデイリーガチャは+2。


 UR《ガチャ進化の核》を手に入れたことで育成機能が解放され、強化を重ねた結果、排出分野を指定できるようになっている。


 前日にSRの影織蜘蛛ミトを引き当てたため、指定分野は召喚獣から防具へ変更していた。


 今の俺には魔剣士という職業と、R《魔鉄の片手剣》がある。しかし、防具はまだ一つも持っていなかった。


 身体強化が使えるからといって、攻撃を受けても平気というわけではない。


 実際、稽古用魔導木偶との模擬戦闘では、木剣を受けて肩を痛めたこともある。


 そこで防具を狙うことにしたのだが、最初の抽選から運がよかった。


《R確定》


《防具を獲得しました》


《R 衝撃散らしの革胴衣》


 現れたのは、濃い茶色の革を重ねた胴衣だった。


 胸から腹部を覆う作りで、肩と脇の留め具を調整できる。手に取ると見た目より軽く、内側には柔らかな裏地が張られていた。


 鑑定結果も悪くない。


《衝撃散らしの革胴衣》


レアリティ:R


分類:軽装防具


防御力:18


特殊効果:《打撃緩和・小》


限界突破:+0/5


備考:衝撃を広い範囲へ分散する。斬撃・刺突への防御性能は限定的。


「木偶人形との訓練には、ちょうどよさそうだな」


 試着してみると、肩を回しても腰をひねっても、それほど動きを妨げなかった。魔剣士のように剣と魔法を併用する職業には、重い鎧より扱いやすいかもしれない。


 あとは実際に使って確かめるだけだ。


 俺は革胴衣をアイテムボックスへ収納した。


 そのとき、ソファで寝そべっていたサクが顔を上げた。


『圭吾、もう寝る?』


「ああ。明日も会社だからな」


『じゃあ、僕も休んでおくよ。ミトは先に戻ってるし』


 ミトはすでに契約領域へ送還してある。


 サクも眠そうにしていたので、頭をひと撫でしてから送還した。


 新しい防具が手に入ったことに満足し、俺は寝室へ向かった。


 まさか数時間後、魔法や剣術とはまったく関係のないところで、これほど慌ただしい一日が始まるとは思っていなかった。


     ◇


 午前9時半。


 俺は製造管理と品質保証の担当者を交え、対応方針を確認していた。


 問題のクリップは、操作パネルを本体へ固定するためのものだ。完成品1台につき1個必要で、ほかの部品で簡単に代用できる構造ではない。


 製造管理の主任が、工程表を机へ広げた。


「一部の作業を先に進めることはできます。ただ、クリップがなければ操作パネルを取りつけられません。明日の組立予定は600台ですから、木曜日の出荷に間に合わせるには、今日中に部品を確保したいところです」


「協力工場からの納品は金曜日見込みです。金型の破損なので、今日明日で復旧するのは難しそうですね」


 宮原が説明すると、主任は渋い顔になった。


「金曜日では意味がないな。別の部品へ変更することはできないのか?」


 品質保証の担当者が首を横に振った。


「同じ寸法に見えても、材質や保持力が違えば使えません。図面と規格を確認せずに代替品を採用することはできないです」


「そうだよな……」


 主任が椅子の背もたれへ身体を預けた。


 誰も間違ったことは言っていない。


 製造管理は納期を守りたい。品質保証は不良品を出したくない。そして調達部は、必要な部品を必要な時期に揃えなければならない。


 俺は二年前の製品切り替え資料を思い出していた。


 当時、似た形状のクリップがいくつも存在していたため、部品管理を統合する作業に関わったことがある。


 その際、一部の旧製品用部品について、社内の管理番号だけを変更した記憶があった。


「少し時間をください。旧製品の購買履歴を確認してみます。製造元の型番が同じものが残っているかもしれません」


 主任が顔を上げる。


「同じ部品がほかにもあるのか?」


「可能性はあります。ただ、まずは記録を確認しないと何とも言えません」


 俺はそれだけ伝え、宮原と一緒に調達部へ戻った。


 できることがあるなら、早く動いた方がいい。


     ◇


 古い購買記録を探す作業は、思っていたより骨が折れた。


 現行の品番で検索しても、登録されているのは今の協力工場の在庫だけだ。


 しかし、旧製品の部品一覧へ切り替え、名称や製造元を手掛かりに探していくと、似た部品がいくつか見つかった。


 その中の一つに、俺は見覚えがあった。


「……これだ」


 画面に表示されていたのは、二年前まで使用していた管理番号だった。


 現在とは社内品番が違う。


 だが、製造元の型番と承認図面番号が一致していた。


 さらに部品管理の変更履歴を開くと、社内での管理番号統合に伴い、旧番号を廃止した記録が残っている。


 形状や材質の変更ではなく、あくまで管理上の統合だったらしい。


「宮原、ちょっと見てくれ」


 隣の席から宮原が来た。


「この旧管理番号、現行品と製造元の型番が同じだ。図面番号も一致してる」


「本当ですね。でも、旧番号のまま残っている部品なんてあるんでしょうか」


「そこを調べる。今の在庫一覧に出てこなくても、別の管理区分に残っている可能性があるからな」


 俺は旧番号を入力し、全拠点の在庫検索を実行した。


 数秒後、画面に数字が表示された。


 東工場。


 保有数量420個。


「……あったぞ」


 俺が椅子を引くと、宮原も画面を覗き込んだ。


「420個! これならかなり埋まりますね」


「ああ。ただ、向こうも使う予定があるかもしれない。まずは確認だ」


 俺が東工場へ電話を掛けようとしたところで、宮原のパソコンにメールが届いた。


 サービス部門からの回答だった。


「稲見さん、こちらも見つかりました。保守用の在庫が530個あるそうです」


「それは助かるな。全部は動かせないだろうけど、どれだけ融通してもらえる?」


「最低限必要な保守在庫を残すと、180個までなら出せるそうです」


 俺は頭の中で数字を合わせた。


 180個と420個。


 合計600個。


 必要な数量とぴったり一致する。


「宮原、サービス部門には180個の確保をお願いしてくれ。もちろん、保守用の在庫を削ってまで増やす必要はない」


「分かりました」


「品質保証にも連絡して、旧管理番号の部品を使えるか確認してもらおう。図面が同じだからといって、そのまま使えると決めるのは早い」


「はい。検査の手配も確認します」


 宮原が電話を取り上げた。


 俺も東工場へ連絡を入れる。


 ようやく、必要な600個を揃える道筋が見えてきた。


 もっとも、在庫表に数字があることと、実際に使用できることは別の話だった。


     ◇


 東工場の調達担当者は、電話口で少し困った声を出した。


「420個なら確かにあります。ただ、来週木曜日の製造で使用する予定なんです。今すぐ全部出してしまうと、こちらの在庫がなくなります」


「なるほど。来週木曜日ですね」


「ええ。それまでに補充できる保証があるなら検討できますが……」


 俺は手元の資料へ視線を落とした。


 協力工場の復旧予定は水曜日。


 そこから製造を再開し、金曜日に納品するという計画になっている。


 予定どおりなら、東工場の使用日には十分間に合う。


 ただし、金型の破損というのが気になった。


 修理が予定どおり終わる保証はない。


「金曜日の納品を優先して東工場へ回すよう、仕入れ先と調整します。ただ、復旧前の段階で絶対に間に合うとは言えません」


 電話の向こうで、しばらく沈黙があった。


「それだと、こちらも簡単には承認できませんね」


「おっしゃるとおりです。ですから、納品が遅れた場合の対応も含めて、両工場の製造管理と協議させてください。そちらの生産を止めてまで、こちらだけ助かろうとは考えていません」


「……そこまで確認していただけるなら、検討の余地はあります」


 俺は礼を言って電話を切った。


 宮原が少し離れた席から、こちらの様子を窺っていた。


「難しそうですか?」


「数量はある。ただ、来週の製造で使う予定だそうだ。返せる見込みが立たないと、向こうも出せない」


「やっぱり、そう簡単にはいきませんね」


「自分の工場を止める危険があるんだから、当然だよ。俺だって逆の立場なら同じことを言う」


 俺は協力工場へ連絡し、復旧後の製造計画を詳しく聞き直した。


 金型の破損箇所は特定されており、交換部品も手配済み。ただし、再稼働前の試し打ちと品質確認が必要になるという。


 金曜日の納品は実現可能な見通しだが、まだ確約できる段階ではなかった。


 そこで、復旧後の初回製造分について、東工場向けの補充分を優先してもらうよう依頼した。


 さらに社内の製造管理部門へ相談し、万一納品が遅れた場合には、東工場の来週木曜日の工程を一部組み替えられるか検討してもらう。


 どちらの工場にも影響が出ないようにするのが理想だ。


 しかし、トラブルが起きている以上、何もかも予定どおりとはいかない。


 だからこそ、どこまでなら変更できるかを事前に確認しておく必要があった。


 午後1時過ぎ。


 関係者の了承を得たうえで、420個を一時的に移動する方針がまとまった。


 東工場の調達担当者から、正式な連絡が入る。


「稲見さん、工場長の承認が取れました。420個、今日の社内便で送ります」


「ありがとうございます。補充分についてはこちらで責任を持って進捗を確認します。水曜日の復旧状況も、分かり次第ご連絡します」


「お願いします。正直、こちらも余裕はありませんので」


「承知しています。ご協力いただいた分は、きちんと返します」


 電話を切ると、宮原が小さく息を吐いた。


「よかった……。これで600個揃いますね」


「ああ。あとは現物の確認と、品質保証の承認だ」


 俺は椅子から立ち上がった。


 午後の仕事は、まだ終わりそうになかった。


     ◇


 午後3時。


 サービス部門からの180個が先に到着した。


 古い管理番号が記された箱を開けると、透明な袋に小分けされた樹脂クリップが並んでいる。


 長期保管品のため、まずは保管状態を確認する必要があった。


 俺は品質保証の担当者と一緒に、見本品をいくつか取り出した。


「外観は問題なさそうですね。変色もありませんし、包装も破れていません」


 担当者がルーペを使って表面を確認している間、俺も手元の一つへ視線を向けた。


 そっと《鑑定》を使う。


《樹脂製固定クリップ》


品質:良好


状態:未使用


備考:保管状態に起因する異常は確認されません。


 表示された情報を見て、少し安心した。


 ただし、これで全部の部品が良好だと分かったわけではない。俺が確認したのは、あくまで手元の一つだけだ。


 品質保証では図面との照合に加え、寸法と保持力の確認も進めていた。


 その結果を待つ間、俺は部品を元の袋へ戻した。


「稲見さん、この旧番号の部品、よく見つけましたね」


 担当者が検査記録を記入しながら言った。


「二年前の品番統合に関わっていたんですよ。そのときのことを思い出しまして」


「古い記録って、こういうときに役立つものなんですね」


「普段は見返すことも少ないんですけどね。残しておいてよかったですよ」


 俺が笑うと、担当者も頷いた。


 鑑定という能力は便利だ。


 しかし、現代の工場で製品を作る以上、正式な検査や記録を省略するわけにはいかない。


 俺にだけ分かる情報を根拠に、600台の製品を出荷していいとは言えないのだ。


 必要なことは、これまでどおり確認する。


 そのうえで鑑定を補助的に使えば、判断の確かさを高められる。


 俺には、そのくらいの使い方がちょうどよかった。


 午後5時半を過ぎた頃、東工場からの420個も到着した。


 こちらも旧管理番号の在庫だったが、製造元の型番とロット記録が残っていたため、品質保証で必要な確認を進めることができた。


 現物の数量を数え、記録と照合する。


 180個。


 420個。


 合計600個。


 数量は一致していた。


 あとは検査結果を待つだけだ。


 俺は宮原と一緒に、品質保証からの連絡を待っていた。


 時刻は午後6時を回っている。


 普段なら退勤していてもおかしくない時間だが、今日ばかりは結果を確認してから帰りたかった。


「稲見さん、ちょっといいですか」


 宮原が隣の席から声を掛けてきた。


「どうした?」


「朝、最初に欠品の連絡を受けたとき、自分は仕入れ先を探すことしか考えていませんでした」


「まあ、普通はそうだろうな」


「でも、稲見さんは古い管理番号まで調べましたよね。あれって、どういう発想だったんですか?」


 俺は少し考えた。


「同じ部品が、必ず同じ名前で登録されているとは限らないからな。会社の中でも部署が違えば管理方法は変わるし、古い製品の部品が別番号で残っていることもある」


「なるほど……」


「それに、調達は仕入れ先へ注文するだけの仕事じゃない。必要なものを必要な場所へ届けるために、使える手段を全部考える仕事だと思ってるよ」


 宮原は黙って聞いていた。


 俺は机の上の資料を一枚、彼の方へ差し出した。


「ただ、サービス部門の180個を見つけたのは宮原だろ。あれがなかったら、東工場の在庫だけでは足りなかった。十分いい判断だったよ」


「ありがとうございます」


「それと、今日調べた旧管理番号は、現行品番との対応表に追加しておこう。また同じことが起きたら困るからな」


 宮原は少し笑った。


「それ、自分にやらせてください。今日のことも含めて、一覧にまとめておきます」


「頼むよ。今後は部品が足りなくなる前に分かる仕組みも考えたいな」


「そこまでできたら、かなり助かりますね」


 宮原が自分の机へ戻ったところで、電話が鳴った。


 品質保証からだった。


「稲見さん、お待たせしました。旧管理番号の部品ですが、必要な確認はすべて終わりました。600個とも使用可能です」


 俺は受話器を握り直した。


「ありがとうございます。正式な記録を送っていただけますか」


「はい。今から発行します」


「助かります。製造管理へも連絡しておきます」


 受話器を置いたあと、俺は宮原へ声を掛けた。


「検査、通ったぞ」


 宮原が顔を上げる。


「本当ですか!」


「ああ。600個、全部使える」


 彼はしばらく何も言わず、それから椅子の背もたれへ身体を預けた。


「……よかった。これで明日の組立、間に合いますね」


「そうだな。最後に製造管理へ引き渡して、今日の仕事を終わらせよう」


 俺たちは書類を持って立ち上がった。


 ようやく、朝から続いた問題に決着がついた。


     ◇


 火曜日の午前9時。


 俺は宮原と一緒に、組立工場へ足を運んでいた。


 製造ラインでは、作業員たちがいつもどおりの手順で部品を取りつけている。


 台車に載せられた操作パネルが次々と運ばれ、樹脂クリップで固定されていく。


 機械の作動音に混じって、部品がはまる小さな音が聞こえた。


 最初の製品が組み上がり、品質確認の工程へ送られる。


 取りつけ状態に異常はない。


 続く製品も問題なく流れていった。


 製造管理の主任が俺たちを見つけ、近づいてきた。


「稲見さん、昨日は助かったよ。正直、朝の時点ではラインを止めることも覚悟してた」


「無事に動いてよかったです。ご協力いただいた皆さんのおかげですよ」


「それでも、最初に在庫を見つけてくれなかったら始まらなかったからな。部長からも礼を伝えてくれと言われてる」


 主任はそう言って、少し疲れた顔で笑った。


 昨日は製造管理も相当忙しかったはずだ。


 工程を調整しながら部品の入荷を待つのは、決して楽な仕事ではない。


「ところで、東工場への補充分は大丈夫そうですか?」


 俺が尋ねると、主任は頷いた。


「ああ。こちらも進捗を共有してもらってる。もし納品が遅れたら、早めに連絡してくれれば工程の調整に協力するよ」


「ありがとうございます。その際はお願いします」


 俺は主任と別れ、もう一度組立ラインへ目を向けた。


 昨日の朝、600個足りないと言われた部品が、今は予定どおり製品へ取りつけられている。


 作業員たちにとっては、いつもの火曜日だろう。


 部品を取り、組みつけ、確認して次へ送る。


 それだけのことだ。


 だが、その当たり前の光景を守れたことが、今日は何より嬉しかった。


「稲見さん」


 隣にいた宮原が声を掛けてきた。


「昨日、ちょっと大変でしたけど……こうやって実際に動いてるところを見ると、やっぱり嬉しいですね」


「ああ。自分たちの仕事が何につながってるか、よく分かるからな」


「自分、調達部に来てよかったと思いました」


 俺は宮原の顔を見た。


 昨日は一日中電話と資料に追われていた彼が、今は満足そうに組立ラインを眺めている。


 その横顔を見て、俺も少し嬉しくなった。


「そう思ってもらえるなら、先輩としてはありがたいよ」


 宮原は照れたように笑った。


     ◇


 午後3時過ぎ、俺は課長から会議室へ呼ばれた。


 机の上には、昨日の対応記録と製造管理からの報告書が置かれていた。


「稲見、昨日はご苦労だったな」


「ありがとうございます。製造ラインも予定どおり動いていました」


「ああ。製造部長からも連絡があった。600台分の組立を止めずに済んだのは、調達部が早く動いてくれたからだとな」


 課長は報告書をめくりながら続けた。


「旧管理番号から在庫を見つけたのもよかったが、それ以上に、東工場やサービス部門の事情を考えて調整したことを評価している」


「向こうの生産や修理業務を止めてしまったら、結局問題を移しただけですからね」


「そのとおりだ。目の前の問題を片づけるだけなら、強引な方法もある。だが、あとで別の部署が困るようでは意味がない」


 課長はそこで一度言葉を切り、別の資料を取り出した。


「それで、相談がある」


 差し出された資料の表紙には、新製品の開発計画が印刷されていた。


 新型の住宅設備用操作ユニット。


 従来品より部品点数を減らし、複数の機種で共通化する計画らしい。


「来月から本格的に動く案件だ。開発部門との調整も多いし、仕入れ先の選定から価格交渉まで、調達部としてかなり深く関わることになる」


 俺は資料を受け取り、内容を確認した。


 現行製品の部品を流用できる部分もあれば、新たに調達先を探さなければならないものもある。


 特に電子部品と樹脂成形品については、開発段階から価格と供給体制を考える必要がありそうだった。


「これを、俺が担当するんですか?」


「主担当として任せたい。これまでも新製品には関わってもらってきたが、今度は調達計画全体を見てもらう」


 俺は思わず資料から顔を上げた。


 単なる部品の発注担当ではない。


 新製品の開発段階から調達計画へ参加し、仕入れ先や価格、供給体制をまとめる仕事だ。


 責任は重くなるが、その分、自分の判断で進められることも増える。


「……やりがいのある仕事ですね」


「できそうか?」


「ぜひやらせてください。ただ、一つお願いがあるんですが」


「何だ?」


「宮原を副担当につけてもらえませんか。今まで一緒にやってきましたし、あいつもそろそろ大きな案件を経験した方がいいと思うんです」


 課長は少し驚いた顔をしたあと、笑った。


「実は、俺も同じことを考えてた。昨日の対応を見ても、二人の連携は悪くない。宮原を副担当にするつもりだ」


「それなら助かります」


「ただし、最終的な責任はお前に持ってもらうぞ」


「承知しています」


 課長は頷き、もう一枚の書類を差し出した。


「それから、昨日の対応は正式な改善実績として報告しておく。次の人事評価でも、きちんと取り上げるつもりだ」


「ありがとうございます」


「こういう仕事は、問題が起きなければ目立たない。だからこそ、ちゃんと成果を残しておかないとな」


 その言葉は、素直に嬉しかった。


 調達部の仕事は、何も問題が起こらなければ評価されにくい。


 必要な部品が予定どおり届き、製造ラインが動いている。それが当然だと思われているからだ。


 俺も、これまで大きな不満があったわけではない。


 ただ、自分の仕事が正式な評価につながり、さらに重要な案件を任されるというのは、やはり気分がいい。


 すぐに役職や給料が変わるわけではないが、次の昇給や賞与にもつながる可能性がある。


 何より、今までより大きな仕事を任せてもらえることが嬉しかった。


「期待しています。開発部門とも、早めに話を進めます」


「ああ。頼んだぞ」


 俺は資料を抱え、会議室を出た。


     ◇


 調達部へ戻ると、宮原が席で資料をまとめていた。


「稲見さん、課長と何の話だったんですか?」


「新製品の調達計画だ。俺が主担当を任されることになった」


「そうなんですか! おめでとうございます」


「ありがとう。それで、宮原にも副担当に入ってもらうことになった」


 宮原の手が止まった。


「……自分が、ですか?」


「ああ。開発部門との打ち合わせにも参加してもらう。これまでより仕事は増えると思うけど、どうだ?」


 宮原は少し考えてから、真剣な顔で頷いた。


「やらせてください。自分も、いつまでも稲見さんに頼ってばかりじゃ駄目ですから」


「頼ってくれるのは構わないよ。ただ、いずれは俺が宮原に相談することも増えるだろうから、そのつもりで頼む」


「それなら、早く役に立てるように頑張ります」


「昨日だって十分役に立ってたさ。サービス部門の在庫を見つけたのは宮原だろ」


 宮原は少し照れたように笑った。


 そのあと、すぐに真面目な表情へ戻る。


「稲見さん、最初の打ち合わせはいつですか?」


「来週の予定だ。まずは資料を読んで、開発側に確認したいことを整理しよう」


「分かりました。現行製品の部品一覧も用意しておきます」


「助かる。じゃあ、明日からよろしく頼むよ」


 宮原は大きく頷き、さっそく資料を開き始めた。


 その様子を見ながら、俺は少し安心した。


 大きな仕事を任されたことは嬉しい。


 だが、一人ですべてを抱え込むつもりはない。


 宮原にも経験を積んでもらい、いずれ自分の判断で仕事を進められるようになってほしい。


 その方が、俺自身もずっと働きやすくなるはずだ。


     ◇


 帰宅したのは午後7時過ぎだった。


 新居の玄関を開け、靴を脱いでからサクとミトを召喚する。


 銀色の魔法陣から現れたサクは、いつものように俺の足元へ寄ってきた。


 ミトは少し離れた場所へ現れ、床を確かめてから壁際へ移動した。


『圭吾、ちょっと聞いてほしいことがあるんだけど』


 サクが俺の顔を見上げる。


「どうした?」


『ミトが僕のボールを高いところへ片づけちゃったんだ』


 俺が庭の方を見ると、軒下から細い糸が伸び、その先にサクの布製ボールが吊るされていた。


「……なるほど。これは確かに取りにくいな」


 ミトが壁から降りてきた。


『庭に置きっぱなしだったから、邪魔にならないようにしただけ。地面が濡れたら汚れるし』


『でも、あそこじゃ僕が取れないよ』


『遊びたいなら言ってくれれば下ろすつもりだったよ』


『今、言ってる』


『分かった。じゃあ下ろすね』


 ミトが前脚を動かすと、ボールがゆっくり地面へ降りてきた。


 サクはすぐに駆け寄り、嬉しそうに咥え上げる。


 俺はその様子を眺め、思わず笑ってしまった。


「お前たち、もう少し早く話し合えばよかったんじゃないか?」


『だって、ミトが勝手に片づけたんだよ』


『サクも勝手に置いてたけどね』


 言い返されて、サクは一度だけ尻尾を止めた。


 それから何も言わず、ボールを咥えたまま俺のところへ戻ってくる。


 どうやら反論は諦めたらしい。


「まあ、今度からは使い終わったら決めた場所へ置こう。それならミトも困らないだろ」


『分かった。じゃあ、圭吾が投げて』


「帰って早々それか。少しくらい休ませてくれよ」


『一回だけでいいから』


 俺はサクの顔を見下ろした。


 青い瞳が、妙に期待に満ちている。


「……分かった。一回だけな」


 ボールを受け取り、庭の奥へ軽く投げる。


 サクはすぐに走り出し、芝生を蹴って追い掛けた。


 ボールを咥えて戻ってくるまで、ほとんど時間は掛からない。


『圭吾、もう一回』


「一回だけって言ったのは、どこの誰だったかな」


『今のは準備運動だから』


「ずいぶん都合のいい解釈だな」


 サクは嬉しそうに尻尾を振っている。


 ミトは軒下へ戻りながら、その様子を眺めていた。


『それなら、あとで片づける場所を決めておいてね』


 俺は笑いながら頷いた。


 会社では、600個の部品を揃えるために何本も電話を掛け、関係部署と調整を重ねた。


 帰宅したら今度は、狼と蜘蛛の間でボールの置き場所を調整している。


 扱うものはまったく違うが、どちらも自分の考えを持った相手なのだから、こうして言葉を交わすのが一番早いのかもしれない。


 俺はサクの頭を撫で、ようやく家の中へ戻った。


     ◇


 夕食を済ませたあと、俺はリビングのテーブルへ新製品の資料を広げた。


 今日はもう仕事をしないつもりだったが、せっかく任された案件だ。概要くらいは読んでおきたい。


 資料には、開発部門が検討している新しい操作ユニットの構成が載っていた。


 従来品より部品点数を減らし、複数の機種で共通化する。


 調達コストを抑えるだけでなく、在庫管理や組立工程も簡略化する計画らしい。


 簡単ではない。


 ただ、これまでの仕事で経験してきたことが、かなり生かせそうだった。


 俺は資料へ目を通しながら、気になる項目に付箋を貼っていった。


 部品の共通化によって、本当に調達価格が下がるのか。


 仕入れ先の供給能力は十分か。


 特定の会社だけに頼る構造になっていないか。


 そして、今日のような欠品が起きたときに、別の手段を用意できるか。


 考えることはいくらでもある。


 だが、それが面白かった。


 ふと、テーブルの端に置いたスマートフォンへ目を向ける。


 家計簿アプリには、今月の支出が表示されていた。


 引っ越し費用に家賃、それから初日に使った11万円のガチャ代。


 正直なところ、出費はかなり大きい。


 それでも会社で成果を出し、少しずつ評価を積み重ねていけば、今後の収入にも期待できる。


 もちろん、ガチャのためだけに働いているわけではない。


 ただ、仕事を頑張った結果、生活にも余裕が生まれ、好きなことに使える金が増えるなら、それに越したことはなかった。


 俺はスマートフォンを伏せ、資料へ視線を戻した。


 新製品の調達計画。


 今までより責任の重い仕事だが、自分で考えて進められる範囲も広がる。


 しかも、宮原という頼りになる後輩も一緒だ。


 これからが楽しみだった。


『圭吾、まだ起きてる?』


 ソファの上からサクの声が届いた。


「ああ。もう少しだけ資料を読んでから寝るよ」


『じゃあ、僕は先に休んでるね。今日はいっぱい走ったし』


「そうしろ。明日も庭で遊べるんだからな」


『うん。おやすみ』


 サクはクッションへ身体を沈め、気持ちよさそうに目を閉じた。


 ミトも天井近くの糸の上で静かに休んでいる。


 俺はその様子を一度だけ見上げ、資料へ戻った。


 すると、宮原からメールが届いた。


《新製品の現行部品比較表を作成しました。明日、ご確認をお願いします》


 添付された表を開くと、現行機種ごとの部品一覧がきれいに整理されていた。


 さらに、共通化できそうな部品には印がついている。


「……仕事が早いな、宮原」


 俺は思わず笑った。


 まだ正式な打ち合わせも始まっていないのに、すでに自分で考えて動いている。


 いい後輩を持ったものだ。


 俺はメールに返信した。


《ありがとう。明日、一緒に確認しよう。今日はもう遅いから、ゆっくり休んでくれ》


 送信してから資料を閉じる。


 明日は、この比較表を使って最初の調達方針を考えてみよう。


 開発部門との打ち合わせまでに、こちらから提案できることもあるはずだ。


 俺はテーブルを片づけ、部屋の照明を落とした。


 ガチャから得た能力は、少しずつ増えている。


 仕事でも、できることが増えてきた。


 そして新しい仕事を任されたことで、今まで接点の少なかった開発部門や、別の仕入れ先とも関わる機会が増えるだろう。


 明日も会社へ行く。


 そのあとには、魔剣士の訓練もしたいし、サクとミトの新しい能力も試してみたい。


 やりたいことが増えたのは確かだが、不思議と嫌な気分ではなかった。


 むしろ、朝が来るのが少し楽しみになっている。


 俺は寝室へ向かいながら、宮原が作ってくれた比較表のことを考えていた。


 今度の新製品では、どんな仕入れ先を選ぼうか。


 どこまで部品を共通化できるだろう。


 そして、どんな仕事を成功させられるだろうか。


 考え始めると、まだまだ眠れそうになかった。




──────────────────

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