第9話:存在しない検査料、存在する恐怖
「分かりました。『検査料』の仕組み」
宿に戻ったフィーは、市場のお団子を頬張りながら(調査費ですわ、ええ)、手帖を広げました。
「船が入港すると、まず正規の関税。これは帳簿どおりです。でも、そのあと『荷揚げ検査』っていうのがあって、検査を通らないと、荷を市場に出せないんです。で、検査小屋で灰色の札を買うんです。一枚、積荷の値段の二分」
「買わなければ?」
「検査が、終わらないんです。三日でも、十日でも。生鮮の荷は、その間に全部腐ります。……パン屋のおばさんの弟さんが、南方の果物を扱ってて、一度断ったら、船一隻分のオレンジが桟橋で山になって腐ったって」
セドリック様が、組合規約の写しを机に叩きつけました。
「裏も取れました。『荷揚げ検査』は港湾組合の自主検査という建前です。組合の理事長は伯爵の従弟。検査人の任免権は伯爵。条例にも王国法にも根拠なし。つまり、これは税ではない。……ただの、組織的な恐喝です」
「徴収額の推計は?」
「入港三千隻、平均積荷価格から計算して——年間、約十一万クローネ。関税収入の、ほぼ半分の規模の『私製の税』が、帳簿の外で動いています」
ベルマン子爵の塩は、十年で二十三万。
こちらは、一年で十一万ですわ。桁が、一つ違いますのよ。
「証言を集めましょう。被害者は、港中に——」
「それが……」
フィーが、お団子の最後の一つを置きました。珍しいこと。
「誰も、証言してくれないんです。みんな、検査料のことを話すと、急に黙っちゃって。パン屋のおばさんも、『あんたにこれ以上喋ると、うちにも検査が来る』って」
「パン屋に、港の検査が?」
「小麦が、港から来るんです。検査小屋で『おたくの小麦は検疫が必要だ』って言われたら、それでおしまいなんです」
……なるほど。
流通の喉元を握れば、港から離れた商いまで、全部、人質に取れますのね。
「明後日、青空市の組合寄り合いがあります。商人が一番集まる日です。そこでなら、誰か——」
その晩のことですわ。
唯一、調査に協力的だった船主——マテオ船長という、気のいい髭のお爺様が、いらっしゃいました。「明日、検査小屋の裏帳簿の在処を教える」と約束してくださっていた方ですの。
翌朝、マテオ船長の船は、桟橋から消えておりました。
「夜のうちに出港した、と。行き先は告げずに」
セドリック様の報告に、私は埠頭へ走りましたわ。
船長の定宿の女将さんが、青い顔で、私にそっと、折り畳んだ紙を握らせてくださいました。
船長の、走り書きですわ。
『すまない、監査官さん。昨夜、検査人が三人、訪ねてきた。
言われたのは一言だけだ。「あんたの孫娘は、いい学校に通っているな」。
わしは逃げる。あんたも、調べるなら覚悟しなさい。
あの連中の上には、伯爵がいる。伯爵の上にも、まだ何かいる。
検査小屋の連中が金を運ぶ先は、伯爵の館じゃない。月の終わりの夜、灰色の表紙の帳面を持った男が、王都から来る』
——灰色の、表紙。
手が、冷たくなりましたわ。
ベルマン子爵の言っていた、灰色の通い帳。北の塩の上前を撥ねていた「上」。
それが、南の港の「私製の税」の集金にも、同じ顔で現れますの。
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【監査手帖】
・「検査料」年十一万クローネ。帳簿外。
・証言者への圧力は、即日、家族に及ぶ。
・月末、王都から「灰色の帳面の男」が集金に来る。
——北と南、別々の不正だと思っていたものが、同じ帳元の、別々の頁ですわ。
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「セドリック様。月末まで、あと何日ですの」
「……六日です」
「証拠の写しを、急ぎますわよ。検査小屋の灰色の札、買った方の領収の控え、一枚でも多く。それから」
私は、インク壺の蓋を、きゅ、と閉めました。
「フィーは明日から、宿を移しなさい。殿下の護衛と一緒に」
「え!? わ、わたしだけですか!?」
「あなた、市場で一番、顔を見られておりますもの」
……オレンジを腐らせ、船長を脅し、孫娘の名を出す方々ですわ。
帳簿の外の税には、帳簿の外の取り立てがある。
ええ——存在しない検査料は、存在する恐怖で、できておりますのよ。
北の塩と南の港、同じ「灰色」が顔を出しましたわ。
次話、大型イベントですの。彼らの次の一手は、私どもの想像を、燃える勢いで超えてまいりますわ。
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