第10話:帳簿保管庫、炎上
月末まで、あと四日。
証拠集めは、亀の歩みでしたわ。
検査小屋の「灰色の札」の控えは、商人の皆様が、怖がって出してくださいませんの。マテオ船長の一件が、港中に知れ渡っておりましたから。
「ロザリンド様。組合の保管庫に、検査記録の原本があります」
セドリック様が、港湾組合の規約を指でなぞりました。
「組合規約第九条。検査記録は十年間、組合会館の保管庫で保存。……監査庁の令状があれば、開けさせられます。明日の朝一番で令状が届く手筈です」
「保管庫の原本が手に入れば、灰色の札の発行記録ごと、全部押さえられますわね」
「ええ。逆に言えば」
「あちらにとって、あの保管庫は——今夜が、最後の処分の機会、ですわね」
私どもは、顔を見合わせましたの。
ベルマンの門番小屋が、燃えた夜のことを、二人とも思い出しておりましたわ。
「……まさか、二度も同じ手は」
「使いますわよ。一度成功しかけた手口は、必ず、もう一度使われますの。横領も、放火も」
その夜、私とセドリック様は、組合会館の見える宿の窓辺におりました。殿下の護衛官二名は、会館の裏口に。
石造りの会館、二階の奥が保管庫ですわ。火を入れるなら、書類のある場所に直接——
「……動いた」
深夜二の鐘。会館の脇道に、人影が三つ。荷を背負って、裏口へ。
護衛官が誰何する声、笛の音、駆け出す靴音。二人は取り押さえられ——けれど、一人が、窓から中へ。
数分後。
二階の窓が、内側から、橙色に光りましたの。
「火が入った! 消火を——」
会館の前は、あっという間に人だかりになりましたわ。バケツの列。割れる窓。煙。
そのとき、ですわ。
セドリック様が、駆け出しましたの。
「セドリック様!?」
「原本がなければ、査問が三月延びる! 延びれば連中は配置を変えて、全部やり直しだ!」
止める間もなく、あの方、濡らした外套をかぶって、煙の中に入ってしまわれましたの。
法学院首席で、規程一筋で、現場を「品がない」とおっしゃっていた、あの方が。
永遠のような時間ののち——セドリック様は、煤だらけで転がり出てまいりました。
胸に、帳面の束を、しっかと抱えて。
「……発行記録の、原簿……直近、二年分……」
咳き込みながら、それでも、あの方は笑っておりましたのよ。眼鏡は煤で真っ黒でしたけれど。
「規約九条…保管棚の、配列まで…規約どおりでした……探しやすくて、助かる……」
「この、おばかさんですわ!!」
私、生まれて初めて、職場で大声を出しましたわ。
「命と帳簿、どちらが大事ですの!」
「……監査官殿なら、どうしました」
「私なら——」
言葉に、詰まりましたわ。
ええ。私も、入りましたわね。きっと。
「……今夜だけは、その質問への回答を留保いたしますわ」
「ふ。初めて勝った」
火は、明け方までに消し止められました。保管庫の書類の大半は灰。けれど、発行記録の原簿二年分と、取り押さえた二人の「検査人」が、こちらの手の中ですわ。
放火犯たちの雇い主は、すぐには割れませんでした。けれど、押収した荷物の中に、ございましたのよ。
前金だという銀貨の袋と——折り畳まれた、指示書きが。
『保管庫の北棚のみ焼け。他に火を移すな。仕事のあと、南門で検査人頭が払う』
セドリック様が、煤だらけの眼鏡を拭いて、その紙を睨みました。
「検査人頭は、伯爵の従弟の部下。……ようやく、伯爵の館まで、紙が一枚、繋がった」
「ええ。それと、もう一つ」
私は、指示書きの筆跡を、手帖に写しながら申しましたの。
「この字、ご覧になって。『焼け』の止め、『払う』の撥ね。——ベルマン領の門番小屋が燃えた晩、現場に落ちていた燃え残りの紙の筆跡と、癖が同じですわ」
「……北と南の放火の指示が、同じ手で書かれている?」
数字は嘘を吐きませんけれど、筆跡も、なかなか正直ですのよ。
北の塩、南の港、二つの炎。
同じ帳元、同じ手——いよいよ、輪郭が見えてまいりましたわ。
規程一筋の主任監査官、火の中で大いに株を上げる回でしたわ。
次話、「魔女」の悪評が港を巡り——けれど、思いがけない方から、証言が届きますの。
ブックマークと評価、消火活動のお礼代わりにいただけますと幸いですわ。




