第11話:魔女と呼ばれた監査官、証言を託される
火事の翌日から、港の空気が変わりましたわ。
悪い方に、ですけれど。
「王都の魔女が、組合会館に火を付けさせた」
「監査に逆らった船長は、夜逃げするしかなかったそうだ」
「あの女は、亭主の家も食い潰したらしい」
市場で、酒場で、桟橋で。
私の悪評が、それはもう、丁寧に、組織的に、撒かれておりますの。
「ひどすぎます……! 火を付けたのは、あっちなのに!」
フィーが、ぷんぷんと頬を膨らませておりました。
「巧いやり方ですわ。放火の咎を、こちらの評判ごと焼いてしまう。……それに、目的はもう一つございますのよ」
「もう一つ?」
「商人の皆様への、念押しですわ。『魔女に証言する者は、ああなるぞ』と。マテオ船長の件と合わせて、二重の鍵ですの」
査問までに、被害者の証言が一件も取れなければ、灰色の札の発行記録は「組合の正当な検査の記録」と言い張られて、終わりですわ。
帳簿と証言、両輪が揃って、初めて査問は転がりますのよ。
その晩のことですわ。
宿の裏口を、こん、こん、と叩く音がいたしました。
扉の外に立っていたのは、頭巾を目深にかぶった、小柄なお婆様。
——パン屋の、女将さんでしたの。フィーが市場で世話になった。
「……あんたが、魔女の監査官かい」
「ええ。本日も、休まず営業しておりますわ」
女将さんは、ふん、と鼻を鳴らして、それから、懐から布包みを出しました。
古い、パン屑だらけの、家計簿ですわ。
「うちの店の仕入れ帳だ。小麦の値段が、五年分、ぜんぶ書いてある。検査料が上がるたび、小麦の卸値がいくら上がったかも、ぜんぶだ」
「……女将さん。これを出せば、お店に検査が」
「来るだろうね」
女将さんは、私をまっすぐ見ました。
「うちの人が死んでから、あたしが三十年、毎晩つけた帳面だ。一度だって、嘘を書いたことはない。……あんた、ベルマンの査問で言ったんだってね。『あなたの罪はあなたの分だけ、一クローネも多くは載せない』って」
「申しましたわ」
「なら、あたしの三十年も、一クローネも引かずに、載せておくれ」
……私、この仕事をお受けして、初めて、お辞儀の角度が深くなりすぎましたわ。
「確かに、お預かりいたします」
「それとね。あたしが口開けたって聞きゃ、出てくる連中は他にもいるよ。みんな、最初の一人になるのが怖かっただけなんだ。……オレンジを腐らされた果物屋の弟。桟橋で十年働いて干された荷役の親方。マテオの女房。あんたの評判が悪けりゃ悪いほど、あいつらは安心する」
「あら。どうしてですの?」
「決まってるだろ」
女将さんは、にやりと笑いました。
「貴族サマがあれだけ必死に悪口を撒くってことは——あんたが、よっぽど効いてるってことさ」
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【監査手帖】
・パン屋の仕入帳、五年分。検査料の転嫁が物価に出ている。
・証言見込み:果物商、荷役頭、船長の妻。「最初の一人」の壁は破れた。
・悪評の効用について、本日、認識を改める。
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三日のうちに、証言は十一件、集まりましたわ。
悪評の輪の、ちょうど裏側を通って、一件、また一件と、裏口から。
そして月末の前日、伯爵家から、招待状が届きましたの。
上質の紙に、香を焚き染めて、金のインクで。
『監査官ロザリンド・ファルケンラート殿
貴殿の高名な監査術に敬意を表し、晩餐にご招待申し上げる。
内密の相談もあり、ぜひお一人で。 レナール・ドラクロワ』
セドリック様が、招待状を一瞥して、おっしゃいました。
「行ってはいけません。証人の確保が先です。これは時間稼ぎか、買収か、最悪——」
「ええ、全部その通りですわ。ですから」
私は、返事の便箋を取り出しましたの。
「喜んで伺いますわ、と書きますの。……帳元の影を踏むなら、向こうから踏ませてくださる席が、一番早うございますもの」
最初の一人の勇気は、いつでも、帳簿より重うございますわ。
次話、伯爵との晩餐。買収のお値段を聞いて差し上げますの。——査定は厳しくてよ?
ブックマークと評価、パンの耳ほどでも嬉しいですわ。




