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第12話:買収なさるには、桁が三つ足りませんわ

「お一人で、とお願いしたはずですが」


 伯爵邸の食堂で、ドラクロワ伯爵は、私の後ろに立つ巨躯を見上げました。


「給仕ですわ」


「……王弟殿下が、給仕」


「ええ。ワインを注ぐ係ですの。お上手でしてよ」


 殿下は、無言で、私の椅子を引いてくださいました。

 昨夜、招待状の件を報告しましたら、殿下、書類を置いてこうおっしゃいましたのよ。「一人では行かせん。俺も出る。……ただし君の流儀でやれ。俺は黙っている」と。

 黙っている護衛として、王弟殿下ほど雄弁な方はおりませんわ。


 前菜から魚料理まで、伯爵のお話は、天気と、王都の歌劇と、北の塩の査問の「お見事さ」について。

 肉料理のあたりで、ようやく、本題がまいりましたわ。


「監査官殿。率直に申し上げよう。あの火事は、私も心を痛めている。組合の管理不行き届きだ。理事長——私の従弟だが、責任を取らせて更迭する。検査人頭も解雇だ。『検査料』なる悪習も、私の知らぬところで現場が始めたことでね。即刻、廃止させた」


 まあ。

 切り捨てる順番まで、もう決めていらっしゃるのね。


「つきましては、だ。査問という大袈裟な場は、互いに益がない。組合の自主的な改善報告、ということで——」


「伯爵様。お料理が冷めますので、結論から伺いますわ。おいくら、ご用意なさいましたの?」


 伯爵は、一瞬の間ののち、にっこりなさいました。

 懐から出された小切手には、金貨五千クローネ。


「君は離縁で苦労なさった。王都に屋敷の一つもあれば、再婚の口も違ってこよう。これは賄賂ではない。北の査問への、純粋な敬意だ」


「五千」


 私は、小切手を手に取って、しげしげと拝見しましたの。


「伯爵様。私、こう見えて、査定が本業ですのよ」


「ほう。では、君の査定では、いくらかね」


「そうですわね。まず、灰色の札の年間徴収額が十一万。査問が潰れて事業が十年続けば百十万。私の沈黙の価値は、最低でもその一割。それから、買収の申し出を受けた監査官が背負う絞首刑の危険手当、王弟殿下の御前で犯罪のご提案をなさる豪胆さへの礼金——」


 指を折って、私は申し上げましたの。


「締めて、五百万クローネ。……買収なさるには、桁が三つ、足りませんわ」


 伯爵の笑顔から、初めて、温度というものが完全に消えましたわ。


「……足せば、受けると?」


「あら、まさか」


 私は、小切手を、銀のお皿にそっと戻しました。


「査定額を申し上げただけですの。売り物ではございませんのよ。値段をつけて差し上げたのは——あなたが私に値段をつけようとなさった、その無礼への、お返しですわ」


 沈黙が落ちました。

 伯爵は、ナプキンで口元を拭い、芝居をやめましたの。


「……ベルマンは愚かだった。帳簿に嘘を書いた。私は書かない。帳簿の外で取る。法の外で取る。お前の武器は帳簿と法だ。どちらも、私には届かない」


「ええ、お見事な設計ですわ。感心しておりますのよ」


「なら、なぜ笑っていられる」


「あなたの設計には、欠陥が一つございますの」


 私は、ワイングラスを置きました。


「帳簿の外で取った金も——使う時には、帳簿の中に戻りますのよ。お屋敷の普請、奥様の宝石、王都の別邸、従弟殿の競走馬。あなたの『ないはずの収入』は、あなたの『あるはずのない支出』として、王国中の商人の帳簿に、もう何百枚も写っておりますの」


「……支出、から」


「ええ。収入は隠せても、暮らしは隠せませんのよ。なにせ私、家計の帳簿が、本業でしたから」


 帰りの馬車で、殿下が、ぽつりとおっしゃいました。


「……五百万の査定だが」


「あら、お聞きになってましたの。給仕ですのに」


「安すぎるぞ。君の沈黙は、王国の損失だ。値がつかん」


 ……まあ。

 この方の口説き文句は、本当に、不意打ちばかりですわ。


「……桁が、足りませんわよ、殿下」


「ん?」


「な、なんでもございませんの」


収入は隠せても、暮らしは隠せない——監査の鉄則ですわ。

次話、伯爵家の「支出」を狩りに参ります。そして灯台に、嘘を照らしていただきますの。

ブックマークと評価、五百万クローネ……は申しませんわ。ぽちりと一つで結構ですのよ。

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