第75話:最終話 それでは、決算を申し上げますわ
式は、春でしたわ。朝、私、支度部屋の窓辺に、おりましたの。
白い衣装というのは、動きにくうございますのね。袖が、机に、当たりますわ。
……机が、ございますのよ。支度部屋に。
「ロザリンド様! 今日だけ、今日だけは、お仕事しないでください!」
「一枚だけですわ」
「一枚が、いつも三十枚になるんです!」
フィーが、私の手から、綴りを、取り上げましたの。この子、ずいぶん、強くなりましたわね。
二度目ですわ、私。一度目は、十九でしたの。あの朝も、白い衣装でしたわ。
あのとき、私、何を考えておりましたかしら。……よく、覚えておりませんのよ。
支度をして、馬車に乗って、知らない家に着いて、それから八年、帳簿を付けましたわ。
一話の夜に、離縁状を、いただきましたの。
『貴殿は、数字ばかりで、可愛げがない』
……ええ。そのとおりですわ。
いまも、そうですのよ。
聖堂には、ずいぶん、いろいろな方が、いらしておりましたわ。
前の方の席は、王家と、評議会ですの。
その後ろに、監査庁の二十四人ですわ。セドリック様が、条文の本を、膝に置いていらっしゃいましたの。……今日は、要りませんのに。
もっと後ろに。
ジョゼフ翁が、四十年ものの上着で、いらっしゃいましたわ。パン屋の女将は、朝、焼いてきたパンを、袋いっぱいに。ハンスさんと、マルタさん。マチルダ院長と、孤児院の子どもたちが、四十二人。
いちばん端に、トマが、立っておりましたの。座席の券は、お送りいたしましたのよ。
……あの方、立っていらっしゃいますのね。執事でしたもの。
殿下は、いつもの顔で、立っておられましたわ。鉄面の王弟ですのよ。
……ただ、手が、少し。
「殿下」
「なんだ」
「手が、震えていらっしゃいますわ」
「重いんだ、この服が」
……この方、私の台詞を、お使いになりますのね。六十七話で、私が、申し上げましたのよ。
誓いの言葉のあと、司祭様が、指輪を、お出しになりましたわ。その台の横に、もう一つ、置いてございましたの。
私が、お願いいたしましたのよ。……インク壺ですわ。
古い、厚い硝子の。底に、空の穴がございますの。司祭様は、少し、困った顔を、なさいましたわ。
「……こちらは」
「祖父の形見ですの」
「ええと、これは、どのように」
「置いておいてくださいませ。それだけで、結構ですわ」
式のあいだ、私、そればかり、見ておりましたのよ。春の光が、硝子を、通っておりましたわ。
お祖父様。
十五で、あなたを、亡くしましたわ。
十九で、嫁ぎましたの。
八年、誰にも、必要とされませんでしたわ。
二十七で、離縁されましたのよ。
……全部、書いてありましたのね。あの配置名簿の、一行に。目的欄には、こうございましたわ。
『オーギュスト・ファルケンラートの遺した書類の、相続監視』
あの方々は、私を、飼い殺しになさいましたのよ。書類が、私の手に、渡らないように。
……ええ。
でも、渡っておりましたのよ。
最初から。
私の、袖の中に。
式が、終わりましたわ。聖堂の外に、出ますと、日が、高うございましたの。
子どもたちが、四十二人、花を、投げておりましたわ。……投げるというより、ぶつけておりましたけれど。
ジョゼフ翁が、涙を、拭いておられましたの。
「じいさん、泣いてんじゃないよ」
「風だ」
「風は吹いてないよ」
……このお二人、まだ、続いておりますのね。
その日の夕方ですわ。
私、監査庁に、寄りましたの。白い衣装のままで、ですのよ。フィーには、内緒ですわ。
誰も、おりませんでしたの。今日は、休みにいたしましたもの。私、自分の机の前に、座りましたわ。
七十四話の、封筒が、置いてございますの。北の塩の町。三年、同じ目方。
……そんな塩は、ございませんのよ。私、インク壺の、蓋を、開けましたわ。
それでは。決算を、申し上げますわね。
持参金、三万クローネ。回収済み。
貸付、一万八千。利息を添えて、回収済み。
塩の追徴、二十三万四千。港の関税、十九万。元夫の家の返納、八万九千。聖なる免税、五十九万七千。大蔵卿の分、二百四十万。
灰色台帳、一千百万クローネ。八十九家、分割にて返納中ですわ。
祖父の上申書、受理番号付き。
十七の私の上申書、署名入りで、裁可済み。
十年、待たせた利息。……本日、精算済みですわ。
残っておりますのは、一件ですわ。二十七の私が、離縁状に、書かれましたこと。
『貴殿は、数字ばかりで、可愛げがない』
これについて、私、申し上げることが、ございますの。……ええ。
そのとおりですわ。私、数字ばかりですのよ。可愛げも、ございませんわ。
ですけれど。
その数字で、村が、二つ、消えずに済みましたの。孤児院の子どもたちが、パンを食べましたわ。灯台に、油が、入っておりますのよ。
三十一年、誰も読まなかった帳面が、いま、誰でも読めますわ。凶作の年に、額を下げてよいと、規程に、書いてございますの。
……可愛げのない女が、一人おりますと、こういうことに、なりますのね。
この一件は。
私、羽根ペンを、墨に、浸けましたわ。
新しい綴りの、一頁目ですの。
月。区。相手方。額。
額の下に、線を、一本。
……様式は、あの方のものですわ。いい様式ですのよ。使わせていただきますわ。
窓から、春の風が、入っておりましたの。どこかで、鐘が、鳴っておりましたわ。
……今日は、私の式の鐘ですのね。まだ、鳴っておりますのよ。
ずいぶん、長い式ですこと。私、書き出しましたわ。
『北部塩税区 三年連続 同一目方の申告について』
明日から、また、帳簿を、開きますわ。
——第3部・完——
『離縁された公爵夫人ですが、王宮監査官に任命されましたので、皆様の帳簿を拝見させていただきますわね?』——本編三部、七十五話ぶんの決算が、済みましたわ。
一話の夜、離縁状を突きつけられて、その場で精算書を差し出したところから、ここまで。
ロザリンドが数えたものを、並べておきますわね。塩の樽、港の検査札、元夫の簿外借入、孤児院のパン、囁き屋の配置、王国の国庫、そして——三十一年分の、灰色。
最後の相手は、監査制度の父でしたわ。ロザリンドの技も、様式も、全部あの方のものでしたの。ですから、教わっていないもので、勝ちましたわ。灯台守の日誌。パン屋の仕入帳。車大工の修繕帳。宿屋の宿帳。……この国でいちばん正直な、規程を知らない方々の帳面ですのよ。
「数字は、嘘を吐きませんの。嘘を吐くのは——数字を、お書きになった手ですわ」
可愛げのない女が一人おりますと、村が二つ消えずに済んで、灯台に油が入って、凶作の年に額を下げてよいと規程に書かれますの。……そういうお話でしたわ。
第4部「隣国合同監査編」、はじまりますわ。まずは——北の塩の町の、三年、同じ目方から。……同じ目方は、ございませんのよ。




