第74話:監査官は、辞めませんわ
婚約が公になりますと、いろいろな方が、いろいろなことを、仰いましたわ。
「王弟妃殿下が、役所にお勤めというのは」
「せめて、名誉職に」
「監査などという、人に恨まれる仕事を、王家の方が」
……ええ。全部、伺いましたのよ。
私、その全部に、同じことを、申し上げましたわ。
「では、私の後任を、お立てになってくださいませ。……八十九家の分割返納を、十年、管理できる方を」
どなたも、二度目は、仰いませんでしたの。……ええ、そういうものですわ。
後任をお立てになって、と申し上げますと、皆様、黙られますのよ。
立てられないからですわ。八十九家の分割返納は、十年、毎年、実収を測り直さなければなりませんの。測り直すというのは、二十一の領地へ、毎年、人を出すということですわ。
……名誉職の方には、できませんの。
評議会で、正式に、伺いましたわ。
「王弟妃が、王宮監査庁の特別監査官を兼ねますことに、規程上の障りは、ございますかしら」
セドリック様が、条文を、読み上げてくださいましたの。
「監査規程第八条。監査官は、被監査者と、利害を共にしてはならない」
「では、王家は」
「……王室財務局は、四十二話で、被監査者になっております」
ええ。ですから、こういたしましたわ。
「王弟妃としての私は、監査庁の予算に、一切、関わりませんの。査定は、王室評議会ですわ。五十話の勅令のとおりですのよ」
「そして、王家に関わる案件は、私が、担当いたしませんわ。……その場合の担当は」
私、隣を、見ましたの。
「セドリック様ですわ」
セドリック様の眼鏡が、ずり落ちましたの。
「私ですか」
「ええ。あなた、実家の伯爵家を、御自分で、切られましたわね。三十六話ですわ」
「……あれは」
「利害を共にしない方の、いちばん確かな例ですのよ」
その日から、セドリック様は、次席監査官ですわ。辞令をお渡ししましたとき、この方、こう仰いましたの。
「不愉快です」
「あら」
「……七話で、私は、あなたを『離縁された夫人』と呼びました」
「覚えておりますわ」
「その方の下で、次席をやることになるとは」
セドリック様は、辞令を、丁寧に、折られましたわ。
「規定により、光栄です」
この方、辞令を折るとき、必ず、二つ折りになさいますのよ。
三つ折りにいたしますと、字が、折り目に掛かりますでしょう。……そういう方ですわ、この方は。
フィーには、別の紙を、渡しましたの。
「……ロザリンド様。これ」
「監査官の、辞令ですわ」
フィーの手が、震えましたの。
「わ、わたし、平民で」
「規程には、身分の欄が、ございませんのよ」
「でも、字が、まだ」
「字は、ハルトマン様が直してくださいますわ。あなたに要りますのは、字ではございませんもの」
私、その子の、算盤を、見ましたわ。三話のときから、同じものですの。珠が、二つ、欠けておりますわ。
新しいものを差し上げると、二度、申し上げましたのよ。二度とも、断られましたわ。
欠けた珠の場所を、指が覚えているのですって。……この子の速さは、あの二つの欠けの上に、乗っておりますのね。
「三十話で、あなた、パンの数を、暗算なさいましたわね」
「はい」
「あのとき、あなた、なんと仰いました?」
「……計算では、合いません。ぜったい、合いません、って」
「ええ」
私、扇を開きましたわ。
「それが、要るものですのよ」
監査庁の机は、二十四。三話のときは、八でしたのよ。この一年半で、三倍ですわ。
新しく入りました十人のうち、四人が、平民。フィーが、その四人を、集めて、何か、教えておりましたわ。
私、廊下から、聞いておりましたの。
「……いいですか。この本、読んでください。改訂版です。編著者の欄、空いてますけど、気にしないでください」
六十八話で空けた欄ですわ。
「それで、この本に、書いてないことがあるんです。それが、いちばん大事です」
フィーは、そこで、算盤を、置きましたの。
「灯台守のおじいさんの日誌の、読み方です」
書庫の、いちばん手前の棚に、綴りが、一冊、増えましたわ。
『監査規程・別冊 ―― 三十一年の記録』
鎖は、なし。誰でも開けられますわ。
この一月で、四十二人が、閲覧なさいましたのよ。閲覧簿に、書いてございますわ。
……ハルトマン様が、几帳面に、付けておられますの。
夕方、私、その棚の前の、古い椅子に、座ってみましたわ。
あの方が、一年、毎日、座っておられました椅子。目の高さに、規程の原本が、ございますわ。
起草者の署名の頁は、削ってございますの。第一条はそのままですわ。
『監査官は、数字を疑ってはならない。疑うべきは、数字を書いた手である』
……この一条は、いい条文ですのよ。書いた方が、どんな方でも。
机に戻りましたわ。封筒が、一通、置いてございましたの。
差出人の名は、なし。中は一枚だけですの。
『北の塩の町。塩の目方が、三年、同じでございます。同じ目方は、ございません』
……ええ。ございませんわね。
三年、まったく同じ目方の塩など、この世に、ございませんのよ。私、その紙を、しばらく、見ておりましたわ。
それから、袖から、インク壺を、出しましたの。蓋を開けましたわ。
「では、私の後任をお立てになってくださいませ」。……どなたも、二度目は仰いませんでしたわ。八十九家の分割返納を十年管理できる方は、そういらっしゃいませんもの。
七話で「離縁された夫人に何ができる」と仰った方が、次席監査官ですのよ。引き受け方が、あの方らしゅうございましたわ。
フィーは監査官に。監査官に要るものは、字ではございませんの。あの子が三十話と四十七話でやってみせたこと——あれが、要件ですわ。
机は八から二十四へ。新しい十人のうち、四人が平民ですの。教本に書いていないほうを、フィーが教えておりましたわ。灯台守の日誌の、読み方を。
最後に、机の上の、名前のない封筒。……せっかく、畳んだところですのに。
次回、最終話ですわ。ブックマークと評価、どうぞよろしくお願いいたしますわ。




